ファーティマ朝第6代カリフ ハーキム
ファーティマ朝は、909年-1171年に現在のイランからエジプトにかけて栄えたイスマーイール派を奉じるイスラム王朝。
カイロを本拠とし、バグダッドを本拠とするスンニ派のアッバース朝と対抗した王朝です。
その第6代カリフのハーキムは、積極的に学芸を保護し、当時最も先進的な王朝を築き上げました。
聡明な君主ではあったものの、あまりに変人すぎたため「あの人は神様ではないか?」という一派が現れ信仰の対象となった異色の人物です。
このエントリーでは、そんな変人王ハーキムの変人伝説を書いてみます。
1. ちょっとでも気に入らないとすぐ殺す
ハーキムに仕えるのは命がけでした。
というのも、機嫌を損ねてしまったらすぐに死刑になってしまったのです。
ただでさえ何を考えているのか分からないから、怒りの沸点がどこにあるか分からない。
記録では、裁判官、詩人、医者、宮殿の管理者、料理人、宮廷兵士、奴隷が殺されています。中にはハーキム自身が手にかけた者もいるそうです。
2. みすぼらしい服を着て夜な夜な町を徘徊
ハーキムには妙な癖があり、毎晩みすぼらしい服を着て、カイロ市内や郊外を徘徊していたそうです。
監視や領民の視察という目的もあったのかもしれませんが、本当の理由は不明。
カイロ市民の間には「今度の王様は相当変わった人らしい」という噂が立ったことでしょうね。
3. 庶民の娯楽をことごとく禁止
厳格なイスラム国家を目指したハーキムは、イスラムの教えに背く様々な事柄を禁止しました。代表的なものを挙げると、
- 酒
- 女性の公衆浴場の出入り
- 遊興
- 船遊び
酒を禁止した際は、ワインをナイル川に全部流し、ワイン畑を焼き払ったそうです。
公衆浴場とはなぜか。
おそらく、当時公衆浴場のサービスの裏で、密かに春を売る業者が横行したのではないでしょうか。遊興、船遊びもおそらく同じ理由。
小手先の規制をしても法の網の目を抜けらるから、いっそのこと大元を断ち切ったのではないかと思われます。
大部分の真面目な庶民はたまったもんじゃないですけどね。
4. モロヘイヤ禁止令
ハーキムはイスマーイール原理主義とでも言っていいほど、自派以外の宗教・宗派を徹底的に弾圧したことでも知られています。
異教徒は高い人頭税を支払わされたのはもちろん、教会やシナゴーグは破壊され、財産は没収。
さらに異教徒は一目で区別できるように、
キリスト教徒は十字架、ユダヤ教徒は木の皮のネックレスを付けることを義務づけられました。
矛先は同じイスラム教徒にも向きました。敵対していたスンニ派の指導者がモロヘイヤが好きだと言うことを知ると、モロヘイヤの栽培を禁止に。もちろん食べることも禁止。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはこのことですね。
5.ハーキムが出した変な勅令の数々
- 皮をはいだ魚の売買禁止
- 全ての犬の殺害
- 顔を隠さずに風呂に行くの禁止
- 第4代カリフ・アリーの悪口禁止
- ポイ捨て禁止
- 水が不足してる時にスープを作るの禁止
皮をはいだ魚の売買禁止ってのは、イスラム教では「うろこのない魚は食べてはいけない」という教義があるので、うろこがあることを明示した上で売りなさい、ということなんだと思います。
犬の殺害は、犬がイスラム教では不浄とされているため。
水不足のときにスープ禁止なんて、どうやって取り締まったんでしょうかね。
6. 突如として砂漠に失踪
36歳のある日、ハーキムは突如失踪。
これまでカイロの町をさまようことはあったものの、お付きの者をつけずに1人で郊外の砂漠に向かったまま、消息を絶ちます。
捜索隊はハーキムの乗っていたロバと、血の付いた上着を見つけましたが、遺体は見つかりませんでした。
7. 神になったハーキム
ハーキムを崇拝していた一派は、ハーキムは死んだのではなく「お隠れ」になったのだとし、ハーキムの復活を信ずる宗派を形成します。
それがイスラム教ドゥールーズ派で、現在も100万人前後の信者がいると考えられています。
ドゥールーズ派は、「復活の日」にハーキムから遣わされた代理人ハムザ(ドゥールーズ教の教祖)が現れ、地上に正義をもたらす、と信じています。
まとめ
かなり潔癖性か完璧主義な人だったのかなあ、という気がします。
悪徳がちょっとでもあるのは我慢できない
全部自分の目で見なきゃ気が済まない
信用できないヤツは全員殺す
それにしても、こんな王様がよく神格化されたものです。
イスラムの教えを忠実に守ろうとしたところが好意的に思われるのかもしれませんね。