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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

近代フランス大衆と居酒屋

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人生の交差点・居酒屋

「てきとうに知らない町に行って知らない居酒屋に入る」

を以前ライフワークとしてやっていました。

なるべく遠くの地方都市が良くって、駅前の少し外れにある地元の人がいくような居酒屋に1人で行って、常連さんと仲良くなる。これ、結構楽しいんです。

めったに来ない新規さんだから歓迎されるし、すぐに知らない人と打ち解けて、卑わいな話から重たい身の上話、数十年のキャリアから産み落とされた至極の明言が聞けたりします。

居酒屋は異なる生活している人びとが集う場所で、日常何食わぬ顔をしている人たちの歴史や思いが交錯する、言わば人生の交差点であります。

実は近代ヨーロッパで居酒屋(タヴァーン, Tavern)が果たした役割は大きく、民衆が集い共同性を得る場所として機能しました。

居酒屋が近代ヨーロッパの民衆にとってどういう場所であったのかを見ていきます。

 

記事三行要約

  • 中世以来の親方制度が崩壊し、労働者は労働者同士で連帯するようになった
  • 居酒屋は労働者連帯のハブとしての機能を果たした
  • 仲間意識は発展して結社化し、居酒屋は革命の温床となった

 

 

1. 労働者の生活の中心・居酒屋

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18世紀のフランスでは、居酒屋は単に酒を飲む場所というだけでなく、都市の民衆の日常に組み込まれ、生活を支える場所として機能しました。

メシを食って酒を飲むのはもちろん、仕事を見つけたり、仲間を見つけたり、金を借りたり、そこに集う人同士の直接的なコミュニケーションから生活の中の様々な事柄が持ち込まれ支えられていました。

一方で為政者は民衆の中で居酒屋が普及していることを苦々しく思っており、怠惰・放蕩・盗み・賭け事・暴力事件の温床であると非難しました。

その2面性がよく分かるのが、1839年に発表されたフランス学士院に所属する外科医ヴィレルメ博士の論文「主として製造所の労働者の飲酒癖について」の中の一節。

こうして少しずつ、またしばしば急な坂道をころげるようにして、労働者は節度ある飲み方から暴飲の習慣へと、酒を適度にとることから乱用へ移っていく。このときから労働者にとっては、あらゆることが居酒屋におもむくきっかけとなる。工業が好況のときは、高い賃金をえて懐中が豊かだというわけで居酒屋に出かける。しばらくのあいだ失業しているときは、何もすることがないというわけで、家庭に心配事があればそれを忘れるためにも居酒屋におもむく。要するに、借金をするのも、可能なときにそれを返すのも、賃仕事の契約をしたり、友情をとりかわしたりなど、そして自分の娘の結婚に同意することまでも、居酒屋においてなのだ

居酒屋で労働者は浴びるように酒を飲んでカネをすっかり使い果たし、家庭はずっと貧しいままだし、勤労意欲や健康を害することすらある。

一方で居酒屋には人的ネットワークが存在し、そこで仕事やカネの工面や、仲間との交流など、都市の労働者の生活にとって極めて重要な存在となっていたのでした。

 

2. 居酒屋に集う労働者

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2-1. 親方制度の崩壊

居酒屋が都市の労働者の日常生活を支える場となった原因は、いくつかの都市の変化、その中でも職業共同体「コルポラシオン」の変質が関係していると考えれています。

かつては親方-職人-徒弟という序列があり、親方を家長として職人や徒弟を保護し家族の一員とみなした。相撲部屋みたいな感じですかね。ここに所属している限り基本的に生活は安泰だし、職人も徒弟もいずれは偉くなって親方衆の仲間入りをし、自分の弟子たちを抱えることになる

ところが経済の発展と社会構造の変化で職人が増加し、親方衆になりたい者が続出。みんな社会的なハシゴを登りたがるが、物理的な限界がある。そこで親方になるための認可料が大幅に引き上げられ、親方がこれ以上増えないようにバリアがかけられてしまった

これ以上コルポラシオンに所属していてもヒラの職人で終わってしまうと悟った者は次々と共同体を離脱。自ら顧客を開拓したり、派遣や自営として活動を始めるようになる

同じ境遇にある彼らは居酒屋に集って憂さ晴らしをし、仕事やカネを工面し合い、お互いの利害をまもるようになりました。

旧体制である親方衆に敵対した彼らは、警察にとっては不穏分子であったため、極めて厳重に監視されました。居酒屋は何をしでかすかわからない不穏分子の温床でもあったわけです。

 

2-2. 居酒屋でのソシアビリテ(人的結合)

これまで親方制度の元で実現できていた諸々の生活保障は、居酒屋での多様なソシアビリテ(人的結合)で代替されるようになっていきました。

居酒屋には兵士や奉公人、植民地での職の求人案内が紹介されるし、懐具合に応じた食事や酒を摂ることも可能だし、仲間内で奢ったり奢られたりもあったでしょう。

労働者は仕事の前に居酒屋で軽い朝食を食べて仕事に行き、仕事の途中や終わりに立ち寄ってメシをくったり酒を飲んだりする。

労働者が集まるから、そこには物売りがやって来たり、荷駄引きが荷物の受け渡しを委託したり、近隣の手工業者が伝言を残したり、居酒屋はヒトやモノ、情報が集まる場所となっていきました。

 

3. 「仕事なんてやってらんねえ。酒だっ!」

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 3-1. 産業革命と労働者

19世紀に始まった産業革命は労働のあり方を大きく変えたとされます。

革命というからには、急速な変化に人びとが巻き込まれていったようなイメージがありますが、結構ゆるやかに変化していったのが実際に近いらしく、特に初期は先述の独立生産者としての働き方が引き継がれていたようです。

最終的には工業生産は工場に吸収されていきますが、産業革命初期はこれまでの家内的手工業が中心で、労働者は自分のペースで仕事をやり、多くの収入を得るよりは余暇を持つことを好む。月曜には居酒屋に繰り出して酒をかっ食らう。

後に生産が工場に集約され、工場長の下で労働者は規則正しく働き、出来上がった製品を検査して出来高払いの賃金を受け取るようになるのですが、以前の自由な労働スタイルは完全に抜け切れず、職場規律を貫徹することが困難だったようです。

19世紀前半にフランス北部の各地を放浪したノルベル・トルュキャンという男が書いた回想記によると、以下のとおり。

アミアンの工場は午前5時15分の始業時間が厳しく三回の遅刻で解雇されるが、職場はあらゆる面で心地よく、職長は生産量についてあまり厳しくない。

職長が不在の時には仕事をサボって、仲間同士で身の上話をしたり、芝居について語り合ったりする。おどけた者は椅子を説教台代わりにして教説のマネをやってのけ、みんなゲラゲラと笑う。

企業にあっても労働者の自己裁量の力は根強く、もし雇用主がそこにケチをつけようものなら、労働者たちは反発してみんなで居酒屋に出て行ってしまう。そこで怒りをぶちまけてやんやと盛り上がるのです。

 

3-2. 飲み仲間の結社化

居酒屋には同じ職場の仲間で集うと同時に、様々な工場の労働者が集う場所でもありました。

日頃の不満の憂さ晴らし、記念の祝杯、新入社員の歓迎会などが行われると同時に、別の工場の労働者と懇意になって様々な情報を聞き出したりします。例えば彼の職場の待遇や雰囲気などを聞き出して転職のチャンスを狙ったり、別の町にいい口がないか聞き出したり。

職場に関係なく懇意になった居酒屋の仲間たちは、トランプやドミノなどで賭け事に興じました。負けたヤツが食事や飲みをおごる「食べる賭け(jeu à manger, jouer à souper)」や「グラス一杯の賭け(jouer chopine)」と呼ばれるもので、そのような賭け事を通じて仲間意識が強化され、賭け事仲間は特定の曜日と時間に集まるようになります

常連の彼らは居酒屋の特定の場所を自分たちの「専用スペース」として確保するようになり、ある種の共同体が構築されていく。

このようなクローズな共同体は個別化の志向性を持っており、他者と自己を区分し、自らの主義・主張を発展させる「結社化(アソシアシオン)」にも繋がっていくのです。

 

4. 個の志向化と社会運動

労働者のアソシアシオンは様々な種類がありましたが、特に個別性を持っていたのがゴゲット(歌う会)です。

ゴゲットは王政復古期に都市に見られたアソシアシオンで、労働者が居酒屋に集まってシャンソンを歌います。だいたい恋の歌や酒の歌などの通俗的なものが多いのですが、中にはナポレオンをたたえる歌や、反体制的な歌が歌われることもあったようです。

このような歌を作ったのは労働者詩人で、彼らは昼間は過酷な肉体労働に従事し、夜帰宅後に詩作に励む。朝目覚めればまた辛い労働が待っている。詩はそのような辛い現実に対比し、明るい夢や未来を描き出すものとなる

詩的表現は極めて庶民的なもので、それを聴く労働者はそこに自らの所属意識を抱くに至ります。「ここはオレたちの居場所だ、この詩はオレたちの詩だ」といったふうに。

19世紀のパリには市門の外に関の酒場が雨後の竹の子のようできますが、それはこのようなアソシアシオンの発展と活動の多様化を示していると思われます。

アソシアシオンはメンバーを媒介にして相互にネットワークを持っており、その人的交流は多様でありました。

1830年の七月革命に火をつけたのも、アソシアシオンの力が大きかったからだと言います。

ナポレオン戦争後のウィーン反動体制の元で貴族の優遇が行われ、民衆に多大な税が課されて不満が高まると、政府は体制の維持を目的に選挙権の縮小を敢行しました(七月勅令)。

それに反発した印刷工のアソシアシオンは、労働者が集う関の居酒屋を中心に扇動を行いました。石工、大工、錠前工、その他の労働者も印刷工の呼びかけに応じて街角に繰り出し各地にバリケードを張りめぐらす。

革命の機運は一気に燃え広がり、とうとうルイ18世の王政は倒されるに至ります。 

七月革命はヨーロッパ各地に影響を与え、各地で革命運動が発生。ウィーン反動体制が各地で崩壊していくことになったのでした。 

 

 

まとめ

中世以来の親方制度崩壊後、居酒屋は民衆の人的ネットワークと相互扶助の中心になり、工場型労働が普及して以降は労働者の結社と団結の中心として機能しました。

ちょっと前までの日本では、そのような相互扶助と団結は労働組合や会社が担っていましたがもはや形骸化しており、労働組合は会社の一部に組み込まれているし、ブラック企業に代表される労働者を収奪する会社が社会問題化しています。

現代では個は社会に対してむき出しのままさらされており、能力と意志がある者がその荒波を乗りこなし、そうでない者は濁流に飲み込まれていく社会構造となっています。

とはいえ社会は安全で快適で、娯楽は豊富で食べ物も安いし、よほどのことがない限りのたれ死ぬことはなくなっている。

差し迫った危機感を感じないし、快楽に興じて他人に無関心でいたほうがラク。かつての居酒屋のような人的ネットワークが発生しないのは、日本社会が格段に快適だからなんでしょう。

インターネットはかつての居酒屋の役割を埋められるパワーがあると思うのですが、大きなムーブメントには未だになっていません。2011年のエジプト革命ではFacebookコミュニティを中心に火が付きましたが、日本でもネットがアソシアシオンとなる日は来るでしょうか。

 

参考文献 シリーズ世界史への問い4 社会的結合 柴田三千雄 喜安朗 岩波書店

社会的結合 (シリーズ世界史への問い 4)

社会的結合 (シリーズ世界史への問い 4)

 

 

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