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歴史を動かした冷戦時代の米ソのスパイ

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米ソ両国のスパイによる情報合戦

 スパイ合戦はいつの時代もあるものですが、東西冷戦時代は2つの大国がさも当然のようにお互いの情報機関の人間を使って情報を探り合っていました。

母国の重要な機密情報を扱う立場にありながら敵国のスパイになるという感覚はあまりピンとこないのですが、思想的な共感や、母国に対する怒り、または単純にカネが目的など理由も様々です。

 実際に彼らスパイがもたらした情報により、歴史を動かす重大な意思決定がなされる場合もありました。

 

 

1. ジュリアス&エセル・ローゼンバーグ(アメリカのソ連スパイ)

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アメリカの原爆計画をソ連に提供し処刑された民間人

ニューヨークに住んでいたアメリカ人、ジュリアスとエセルの夫婦は、「初のスパイ容疑で死刑となった民間人」です。

夫ジュリアスは1940年に米軍信号隊の民間技術者となり、その後の戦争で共産主義に共感を覚えたといいます。1945年に解雇されましたが、妻エセルの兄弟のコネで陸軍の機械士に再就職しました。そこはまさにマンハッタン計画を進めていたセクションで、ジュリアスは原爆開発に関する手書きのメモやスケッチを秘密裏にソ連に提供しました。妻エセルは新型レーダーと航空機技術に関する文書数千ページをソ連に提供したとされています。

1950年に夫婦は逮捕され、裁判官は「殺人よりも極悪」として死刑を宣告しました。当時の大統領アイゼンハワーも執行猶予の申し立てを却下し、2人は1953年6月19日に電気椅子で処刑されました。

 

 

2. クラウス・フックス(イギリスのソ連・東ドイツスパイ)

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マンハッタン計画に参加したドイツの共産主義者 

クラウス・フックスはヒトラーが1933年に権力を握った後、イギリスに亡命して物理学の博士号を取得し市民権を得ました。第二次世界大戦末期には、イギリスを代表してマンハッタン計画に参加するためにアメリカに渡り、西側諸国の核開発のコアメンバーとして働きました。

イギリス帰国後、元々熱烈な共産主義者であったフックスはアメリカとイギリスの原爆の情報をローゼンバーグ夫妻らと共謀し秘密裏にソ連に送り続けていました。1950年にアメリカの諜報機関によって発見され逮捕されました。

逮捕後フックスは「ソ連の政策は絶対的に正しい」「西側諸国はソ連と東ドイツを死に至らしめようとしている」などと供述。その後9年間イギリスの刑務所に収監されましたが、その後東ドイツに亡命して核物理学者となり、東ドイツ最高の民間人名誉賞「カール・マルクス勲章」を授与されました。1988年に76歳で死去しました。

 

 

3. レイ・マウビー(イギリスのチェコスロバキアスパイ)

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 チェコスロバキアのスパイだった保守党の政治家

レイ・マウビーは電気技師出身の下院議員で、1955年から1983年まで保守党のメンバーとして伝統的なイギリスの価値観を守るために活動。1990年に死去しました。

ところが、2012年にマウビーが生前残した文書が数多く発見され、実は彼が当時東側諸国の一員だったチェコスロバキアのスパイだったことが判明し、イギリス国民を驚かせました。

マウビーは下院議員だった1960年11月にカクテルパーティーでチェコスロバキアの諜報機関の職員と初めて会い、その後コードネーム「Laval」を与えられ情報の提供を始めました。マウビーは年間400ポンドほどの報酬を受けながら、国会議事堂のフロアの詳細情報や、首相の警護を担当するチームの情報などの極秘文書を提供していました。受け取った報酬は飲みとギャンブルに消えたそうです。

情報提供は1971年まで続きましたが、チェコスロバキアの諜報機関は保守党のマウビーだけでなく、労働党のいくつかの政治家にも接触をしていたそうです。

 

 

4. ピョートル・セモノヴィッチ・ポポフ(ソ連のアメリカスパイ)

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ソビエト軍事情報機関の役員でアメリカのスパイ

ピョートル・セモノヴィッチ・ポポフは第二次世界大戦後に、中央情報局に情報を提供するソビエト軍事情報機関(GRU)の初めての役員の地位にいた人物。

1953年、ポポフはウィーンに駐在していましたが、ここでアメリカ外交官のクルマに「ソ連の情報を提供する」旨の手紙を残し、そこからアメリカと接触しソ連の軍事情報を提供し始めました。

その動機は明確にはなっていませんが、「彼の家族を含む多くのロシアの農民が政府による搾取されていることに怒りを覚えたため」とされています。

ポポフの提供した情報により、アメリカはソ連軍内の様々な勢力の動きや、核潜水艦と誘導ミサイルに関連する情報を受け取ることができました。

1955年、ポポフは突如東ベルリンに異動され、その間も彼はアメリカに対人諜報と軍事情報を提供し続けましたが、1958年11月にGRUから解任され軟禁状態に置かれました。翌1959年1月、彼のアパートに証拠が見つかり逮捕され、翌年1月に処刑されました。

 

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5. ケンブリッジ・ファイブ(イギリスのソ連スパイ)

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実はソ連のスパイだったイギリスのエリートたち 

ケンブリッジ・ファイブとは、1950年代前半のイギリスを震撼させたスパイグループ。

なぜ衝撃だったかと言うと、彼らの大部分はイギリス外務省や諜報機関など国の中枢で長い間勤務し、その間ずっとソ連に情報を送り続けていたからです。

彼らは1930年代にケンブリッジ大学で学び共産主義を信奉するようになり、ソ連情報当局のリクルートによりソ連のスパイとなりました。彼らはケンブリッジを卒業後、それぞれエリートコースを進むのですが、その間もずっとソ連に情報を送り続け、彼らが提供した情報によりソ連は朝鮮戦争の連合軍の戦略や、アルバニアに反共産主義勢力を送り込む計画も知ることになりました。

スパイ容疑が発覚後、メンバーのうち3人はソ連に亡命しました。

 

キム・フィルビー…イギリス情報秘密部(M16)職員。暴露後ソ連へ亡命。

ガイ・バージェス…BBC、外務省職員。暴露後ソ連へ亡命。

ドナルド・マクリーン…外務省職員。暴露後ソ連亡命。

ジョン・ケアンクロス…外務省、大蔵省職員。暴露後、アメリカの大学で勤務し、国連で勤務。

サー・アンソニー・ブラント…王室美術顧問。暴露後も王室顧問に留まるも、サーを剥奪される。 

 

 

6. オルドリッチ・エイムズ(アメリカのソ連スパイ)

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 カネのために祖国を売ったCIA職員

オルドリッチ・エイムズは、現在も終身刑で服役中の元CIA職員。

コロンビア人の妻の浪費癖でカネに困ったエイムズは、秘密裏にソ連の情報当局者と接触し、CIAとFBIの協力者のリストを渡し、その報酬金を受取りました。

この裏切りのせいで、ソ連や東側諸国に潜伏する多くのCIA・FBIのスパイが検挙され、アメリカのスパイ・ネットワークは一網打尽にされてしまいました。

その後もエイムズはソ連KGBとたびたび連絡を取り続け、その都度情報を渡しカネを受け取っていました。この期間はなんと9年間にも及び、CIAはずっと内部文書の流出に気づかなったのですが、それまでカネに困っていたのに急に羽振りがよくなったエイムズに疑惑が持たれ、1994年にようやく逮捕されました。

reki.hatenablog.com

 

 

7. ドミトリ・ポリャコフ(ソ連のアメリカスパイ)

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 CIA・FBIのスパイになったソ連の将軍

ドミトリ・ポリャコフは第二次世界大戦中には砲兵士官として従軍し、戦後にソビエト軍事情報機関(GRU)に加わりました。

1951年〜56年にニューヨークで開かれた国連軍事委員会にはソ連代表団として出席し各種交渉に当たったのですが、1959年から61年にかけて二度目のニューヨーク訪問の時に、自らFBIに接触し情報の提供を打診しました。

その動機は、ポリャコフがソ連首脳部の腐敗にうんざりしていたこと、重病の彼の長男をニューヨークにある最先端の医療機関に入れたい旨を打診したものの国はそれを許可せずに結局息子は死んでしまい、首脳部に根強い不信感を持っていたことがその理由ではないかとされています。

ポリャコフの提供した情報により、中ソ対立の激化やソ連の戦車ミサイル技術データなどの重要な事項がもたらされ、ニクソンの対中国交正常化や湾岸戦争のイラク軍の戦闘能力試算など重要な意思決定に影響を与えました。

ポリャコフは25年間CIAに情報を提供し続け、その間バレずに最終的にはソ連で将軍の地位にまで上り詰めました。1980年に軍を引退しますが、6年後の1986年にKGBによって逮捕され、1988年にスパイ容疑で処刑されました。

CIAのソ連スパイ、オルドリッチ・エイムズによって発覚したことが後に明らかになっています。

 

 

8. アドルフ・トルカチョフ(ソ連のアメリカスパイ)

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ソ連国家への復讐のためにCIAに情報を流し続けた男 

アドルフ・トルカチョフはモスクワの軍用航空機開発機関で働いていた電気技師でしたが、自らの意志で1977年の始めからアメリカ外交官のクルマに接触し、情報を提供する旨のメモを落とし続けました。

CIAはソ連KGBの罠である可能性を恐れ、当初はトルカチョフを無視しつづけていましたが、最終的にCIA職員と話をし信頼を得てスパイ活動を開始しました

彼は定期的にソ連側の機密文書を服に詰め込んで帰宅し、自宅でアメリカから与えられたビデオカメラで文書を撮影。そのビデオテープをCIAに渡しました。

この情報により、CIAはアメリカの巡航ミサイルと爆撃機がソ連のレーダーの元でも飛行できることを知り、またソ連の航空技術のに関する新たな知識を多く得たのでした。この貢献により、トルカチョフは100万ドル以上の報酬を支払い、また彼の息子のためにレッド・ツェッペリンやビートルズを始めとしたロックミュージックのアルバムも与えました。

カネもそうでしたが、トルカチョフはスターリン時代に妻の母親と父親を殺害されており、ソ連国家に対する復讐のためにやったとCIAの職員に語っていました。

1985年、CIA職員でソ連のスパイ、オルドリッチ・エイムズがトルカチョフの存在をKGBに暴露し、それがきっかけで逮捕され翌年に処刑されました。

 

 

 

まとめ

ケンブリッジ・ファイブのように、元々密命を帯びて要職に就いているケースもありますが、今回紹介した例はほとんどが、要職に就いている人物が自らの意志で敵国に接触するというケースです。昔から元々そのようにしたいと考えていて、たまたま機会が訪れたのが要職になってからということかもしれず、ケースバイケースだと思いますが。

最近では国内企業の機密情報をそっくり持って中国や韓国の企業に移る技術者が問題になっていますが、そこまで露骨にやらなくとも、表面化しないだけで、企業情報の流出というのは結構あちこちで存在しているんじゃないかと思います。

 

 

参考サイト

"GRU General Dmitri Polyakov" SIGINT CHATTER Cipher Machines & Cryptology / Intelligence / Security

"A Look Back ... CIA Asset Pyotr Popov Arrested" CENTRAL INTELLIGNCE AGENY

"6 Traitorous Cold War Spies" HISTORY

 

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