速い!楽しい!快適!
補助輪を外して自転車に初めて乗ったのは、たしか5歳くらいの時だったと思います。
最初はグラグラしてとても乗れたもんじゃない。何回もズッコケて傷だらけになりつつ、突然コツがつかめて乗れるようになりました。
たぶん大多数の人たちが同じような経験を持っていることでしょう。
よくそんな危なっかしい代物が普及したなと思うところですが、現在の自転車のデザインは、長年の発明家たちが「速さ」「快適性」「楽しさ」を追求し続けて完成した「究極のデザイン」であります。
今回はいかにして自転車が現在のデザインに落ち着いたか、その歴史をまとめていきます。
1. 迅速な移動を可能にする乗り物の探索
「人力で動く乗り物」の構想の歴史は長く、古代エジプトの墳墓にも自転車の原型らしき絵が見られるほど。
現在の自転車のデザインの原型と考えられているのが、1493年に描かれた上記のスケッチです。これを書いたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の1人ジャン・ジャコモ・カプロッティ(異説あり)。
これはあくまで空想的なものにすぎず、詳細な設計まで読み取ることはできませんが、二輪でペダルがあり、座席があってハンドルがある、という現在の自転車の姿の原型を見ることができます。
2. 1817年 初期の2輪車「セレリフェール」
このカプロッティのアイデアメモを見て実際に作ってみたのが、当時パリで「奇人」として有名だったフランス人貴族、シヴラック伯爵。
伯爵は木を組み合わせて2輪の「馬」を作り、両足でキックして進む機械「セレリフェール」を作り上げました。
弱点は舵取り装置がないこと。
一直線にしか進めなくて曲がることができず、方向転換したいときは一旦降りて、位置を修正し、再び蹴りだす必要がありました。
この珍妙な機械はすぐにパリ中の話題となり、「木馬」に乗る伯爵をひと目見ようと人だかりが出来たほどでした。
3. 1818年 歩行を加速する乗り物「ドライジーネ」
Photo by Gun Powder Ma
セレリフェールをさらに発展させたのは、ドイツ人貴族カール・フォン・ドライス男爵。男爵は1816年の飢饉で愛馬を餓死させてしまいショックを受け、馬に代わる乗り物を作ろうと決心したのでした。
セレリフェールは全部が木製でしたが、男爵が作ったドライジーネは車輪部分が鉄で出来ており、また「舵取り装置」がついたことで乗りながら行きたい方向を操作することが可能になりました。
男爵は特許を取得。ドライジーネが大々的に普及することを期待しました。
実際に政府高官や権力者たちからは賛辞が寄せられ、メディアからも大きな関心を集めましたが、当時はまだ乗り物といったら「馬車が最高」だと思われており、
ドライジーネは「伝統的な乗り物である馬に挑戦するなど、身の程知らずの傲慢だ」などと世間から嘲笑されてしまいました。
4. 1839年 ペダル自転車の誕生
ドライジーネのような足で蹴って進む2輪車に初めてペダルをつけたのは、スコットランドの田舎の村の鍛冶職人カートパトリック・マクミランでした。
ペダルはフレーム本体に取り付けられた棒の先にあり、それと後輪に伸びるシャフトが連携し車輪を動かす仕組み。左右の足で押したり引いたりする感じですね。
マクミランはこの新型2輪車の性能の良さを証明すべく、長距離サイクリングを敢行。重量は27キロと重かったが、マクミランは23キロほどを1時間で走破しました。
田舎のデコボコ道を奇妙な機械に乗って進むマクミランを、スコットランドの人びとは「頭がイカれた男」とアダ名したそうです。
4. 1860年代 「サイクリングやったらモテるぜwww」
その後前輪駆動の2輪車が発明され、1860年代にアメリカとヨーロッパで若者を中心に人気が爆発しました。当時の若者にとってサイクリングは「ナウでクールな乗り物」で、公園や通りでこれみよがしに自転車の腕前を披露する若者たちが見られるようになりました。
うまく乗りこなせるとスピードを競いたくなるもの。
1868年、ロンドン近郊ヘンドンにあるウェルシュ・ハープ湖のほとりの草地で史上初の自転車競走大会が開催されました。同年、フランスでもパリ近郊のサン=クルーで開かれ、1200メートルの短距離レースが開かれました(優勝したのはイギリス人)。
翌年にはパリからルーアンまでの123キロもの長距離競走が開催され、サイクリング熱はますます高まっていきました。
一般に広く認知されるようになった自転車は、上流階級の青年たちにとっては「ジェントルマンのたしなみ」とみなされるようになっていきます。
上手く乗りこなすことももちろん、いかにカッコよく粋に自転車に乗るかも大事で、ピクニックで使われる麦わら帽子や山高帽を被ったファッションでビシっと決めて自転車に乗っていたようです。
5. 1870年 速度こそスピード!ハイホーラー自転車爆誕!
Work by Agnieszka Kwiecień
サイクリング熱が高まり、よりスピードの出る自転車が求められるようになってきました。
当時は前輪駆動が主流だったため、前輪を大きくすればするだけより早く走ることができるとされて、異常に前輪がデカい自転車「ハイホーラー」が生まれました。
実際にハイホーラーはスピードが出る。1回転で3.556メートルも移動でき、坂道は苦手でしたが、平坦な道では相当なスピードが出ました。そしてデザインもまたカッコ良かった。値段は労働者の年収8年分に相当して非常に高価でしたが、特に富裕層の青年たちに大人気となりました。
ところがこのハイホーラー型は前輪で体全体を支えているので、かなりバランスが悪く相当危険な乗り物。
小石や轍にひっかかると車体全体がつんのめって、体が前方に投げ出されたり、バランスを崩して車輪に足を引っ掛けてしまったり、大怪我する者が相次ぎました。
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6. 1876年 安全型自転車の登場
危険なハイホーラー自転車から、誰でも安全に乗れて、快適な乗り心地の自転車の開発が求められるようになってきました。
この安全型自転車を開発したのはイギリス人技術者のヘンリー・ローソン。
猛烈に回転する前輪に足をからめてしまう反省を活かし、ペダルを2輪の中間に置き、ペダルと後輪をチェーンで連携。初めて後輪駆動を実現しました。
速度はハイホーラー自転車ほど出ないものの、安定した乗り心地と安全性を達成しましたが、それまでの自転車と比べて格段に複雑な仕組みで動くため割高になってしまい、発売当初はあまり売れなかったそうです。
1885年に改良安全型自転車「ローバー」が発売されて話題になり、すぐにハイホーラー自転車と人気を2分するようになりました。
この安全型自転車が、現在の我々が使う自転車の直系型ですね。
7. 1877年 安定性抜群!マルチ・ホイーラー
Image from Ian.wilkes
サイクリングが一般的になるにつれて、ご婦人方も転倒することなく乗りこなすことができる安定した3輪車・4輪車のニーズが高まってきました。
マルチ・ホイーラー自転車の弱点は、2つの車輪に伝導するパワーが不安定なこと。
これを解決したのはイギリス人発明家のジェームズ・スターレー。
あるとき、スターレーは息子と共に、2つのハイホーラー自転車を繋げた乗り物に乗ってバーミンガムに向かっていました。ところが途中で乗り物が激しく揺れ始め、コントロールが効かなくなり、路肩に投げ出されてしまった。スターレーはこの時「なぜもっと早く気づかなかったのか!」と叫び、ポケットから紙とペンを取り出して一心不乱に殴り書きを始めたそうです。
この時のメモを形にしたのが、二人の乗り手の機動力の違いを均等化する装置「ベベルギア(傘歯車)」です。
これを搭載したマルチホイーラー自転車「サルヴォ・クワドリサイクル」は大好評を博し、エリザベス女王も2台購入したほどでした。
8. 1880年代 優雅で洗礼されたトライシクル
このサルヴォ・クワドリサイクルは、トライシクル(3輪車)として不動の地位を築くに至ります。
特に、くるぶしまで届くドレスの女性が乗るものとしてはうってつけだったのです。上流階級の女性たちは、高価なトライシクルを買い求めて優雅にサイクリングを楽しみました。
技術改良が進み、トライシクルもハイホイーラーに負けない速度が出るようになると、男性と女性が共にサイクリングを楽しめるようになりました。
イギリスでは特にトライシクルの人気が高く、20世紀になるまで女性の自転車と言えばトライシクルでした。
9. タイヤの一大革命「空気タイヤ」の発明
自転車の快適性を極限まで高めた人物がいます。アイルランド人ジョン・ボイド・ダンロップがその人。タイヤメーカー・ダンロップ社の創業者です。
それまでずっと、自転車の車輪は鉄製か硬質ゴムが主でした。
パンクした自転車に乗って自転車屋さんに駆け込んだ人なら分かると思いますけど、フレームが直接地面に当たると、ガタガタ振動が来てめちゃくちゃ不快なのです。
かねてより空気タイヤの研究をしていた獣医ダンロップは、ある時息子が「自転車に乗っているとお尻が痛い」と不満を言ったのを聞き、開発中の空気タイヤに取り替えてみた。
するとウソのように乗り心地がよくなり、お尻が痛くなることはなくなったし、息子は学校の自転車競走で負け知らずになった。
1889年5月、ダンロップはクイーンズカレッジの自転車レースに出場する自転車レーサー、ウィリー・ヒュームに、レースでこの空気タイヤを使うように頼み込んだ。
するとヒュームは優勝し、この新しい空気タイヤの性能が証明されました。ダンロップはすぐにダンロップ・ラバー・カンパニーを設立して空気タイヤの生産に着手。
この空気タイヤはすぐさま広がり、世界中で使われることになったのでした。
まとめ
アイデアメモから原始的な機械が生まれ、そこから人びとのニーズに合わせて、より速く、より安全に、より快適に、進化を続けていったのが分かります。非常に面白いですね。
この後も、ブレーキや変速ギアが出来てますます安全性・快適性・速度は進化。
さらに専門的なニーズに対応できるように細分化していき、とにかく速度重視のレース用自転車や、山道を走るマウンテンバイク、利便性重視の折りたたみ自転車などが生まれていくのです。
本当に、必要は発明の母とはよく言ったものです。
参考文献
50の名車とアイテムで知る図説自転車の歴史 トム・アンブローズ 甲斐理恵子訳 原書房