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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

中国武術の発展とその思想について

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奥深い中国武術の世界

中国の武術と言うと、すぐにブルース・リーかジャッキー・チェンを思い出してしまいます。

なんかこう、激しく動く派手な格闘技、みたいなイメージがありませんか?

一方で、太極拳のようなゆったりと動くものを想像する人もいると思います。

どっちが本当の中国武術なのでしょう?

本当はゆっくりしてるけど、映画だけ激しいパフォーマスになってるのか?

以外と我々は中国武術について、知らないことが多くあります。

このエントリーでは、中国武術の概要についてざっと、分かりやすく舐めていくことにします。

 

 

1. インドから中国に伝わった格闘技

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Photo by Leelavathy B.M

インドの格闘技カラリパヤットの伝来

中国は宋(960〜1279)の時代、大きく経済的に発展して文化や思想が発達。

同時に物質的にも豊かになり武器や戦闘具が多く作られましたが、この時代にはまだそれを用いて素人が戦闘を優位に進める「戦いの技術」がまとまっていたわけではありませんでした。

戦闘術はあくまで「個人に依存するスキル」で、いくら戦いがうまい人物がいたとしても、その人物が死ねばこの世から消えてなくなってしまう。

ヨーロッパで格闘術が発展しなかったのは、そのような「戦いの技術」がイコール「社会的な身分」に直結したからかもしれません。

中国でも長い間そのような状態でしたが、後に格闘術を体系的にパッケージングする発想がインドからもたらされました。

インドの格闘技カラリパヤットの起源は古く、南部ケララ地方で紀元前2世紀から紀元後2世紀の間に成立したとされています。

徒手空拳はもちろん、武器のバリエーションも多様。

弓、こん棒(長・中・短)、短剣、棒、盾、長刀、槍、鎚鉾、長剣、三叉戟、鋼鞭剣…

長い時間をかけ、様々な武器を「誰でも扱える技術」を培ってきました。

やっぱりインドは偉い国ですねー。

 

16世紀に大成し発展

伝説によると、中国に禅をもたらしたインドの僧・達磨大師が中国にカラリパヤットをもたらしたとされていますが、これは事実か定かではありません。

実際のところカラリパヤットが体系的に中国にもたらされたのは、達磨大師が中国にやってきた後のことだろうと思われます。

おそらく海路で華南地方に伝わり、そこから中国全土に伝わったと考えられており、盾と刀を持つ者が槍などと戦う型は中国南部に現在でも多くあり、インドとの共通性が見られるからです。

有名な少林寺が記述に現れはじめるのが16世紀からでそれ以降、姫際可が興した形意拳(けいいけん)、王朗が興した蟷螂拳(とうろうけん)、呉鐘が興した八極拳など、20世紀初頭まで数多くの武術が作られていくことになります。

 

武装秘密結社

武術の会得を目指す者は、それを会得した者に弟子入りし教えを乞うか、あるいは組織化された道場に入門して修行を積むことになります。

そのような「秘密主義的な知恵の伝道」と「師と弟子とのクローズな関係」は、もともと秘密結社的な性格を持っていました。

清朝中期になると、反清復明を掲げる漢民族の政治結社が多く出現するのですが、そのいくつかは元々武術団体が母体となっています。

代表的な秘密結社が「天地会」で、その起源は小刀会や鉄尺会という武術団体にあります。天地会は1786年に台湾で林爽文の乱を起こし、19世紀の太平天国の乱以降も排外運動の一大勢力として力を振るいました。

天地会の伝説によると、天地会の創始者の1人は洪家拳の祖・洪煕官(こうきかん)であるとされています。

南少林寺が清兵の焼き討ちにあい、そこから逃れた5人の高僧が反清のために兵を集めて武術を教えて清への抵抗運動を続けた。その1人が洪煕官であり、少林寺で修行していた虎拳を発展させて洪家拳を作った。その抵抗組織の伝統を受け継ぐのが天地会である。

というのがおおまかなストーリー。天地会はこれを大いに宣伝して兵を集めますが、清末になると勢力が衰え、ヤクザ集団の哥老会(かろうかい)に主導権を奪われてしまいました。

 

中国武術の本場・台湾

天地会のような清中〜末に起こった反清復明を掲げる武術団体のうちいくつかは、その拠点を台湾に構えました

白鶴拳(はっかくけん)や太祖拳(たいそけん)など現在伝わる武術はこの時にもたらされたもので、当時これらの格闘術の会得者は武術のみならず、医術・農術・道徳など民衆の指導的立場にあったそうです。

加えて国共内戦後、革命中国を嫌がった多くの武術家たちも国民党と共に台湾に渡った経緯もあり、現在台湾は中国武術の一大拠点となっています。

 

琉球空手への影響

今や世界中に愛好家がいる空手は、もともと中国武術が琉球に伝わった「唐手」が大本です。 

組織的に持ち込まれたわけではなさそうで、個人単位で持ち込まれ広がったと考えられています。武術の会得のある中国人が琉球にやってきたか、あるいは琉球人が中国で会得し帰国したかは定かではありません。

それゆえ元の福建省にある武術とは異なる独自の進化を遂げており、現在見られる空手の型のほとんどは近代になって琉球で創作されたものです。

日本本土に空手がもたらされたのは大正時代で、「空手道」という形で日本風に体系化されたのは昭和に入ってからです。

 

2. 中国武術と中国拳法

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Photo by Asteiner

武にまつわる事柄をまとめた武術

中国武術と中国拳法は混同されて語られがちです。

中国拳法は呼んで字のごとく拳で戦う「拳法」 のみを指す一方、

中国武術は武にまわたるあらゆる事柄を総称して「武術」と呼びます。

武器の扱い方、体の気をコントロールする方法、思想、薬草術、医術などなど。もちろんその中には拳法術も含まれます。

中国武術の伝統では、徒手空拳で戦う「拳法」と武器を用いて戦う「兵器」の両方を会得しないといけません。

 

北拳と南拳

中国武術は数多くの流派がありますが、めちゃくちゃざっくり分けると「北派」と「南派」に分かれます。

これは中国の地理に関係しています。

中国北部は平原で、移動は馬で行う。当然、戦いの主役は馬で陸上戦が主になる。

そのため、歩幅を広くとり、どっしりと構えて、突きも「せいやっ」と大きく突く。

一方で中国南部は河川が多く、移動は船で行う。船の上での戦いが多くなるため、揺れて足下が不安定な場所での戦いに特化して発展しました。

歩幅は狭く、身をかがめるように構え、突きも「アチョー」とコンパクトに素早く突く。

 

内家拳と外家拳

さらに細かく分類すると、「内家拳」と「外家拳」に分かれます。

人の呼吸に合わせ流れるような動作を基本とするのが内家拳。

力とスピードを発露させて激しく動くのが外家拳。

外家拳の起源は先述の達磨大師であるとされており、言わば仏門の格闘術です。

一方で内家は在家を意味し、太極拳の伝説上の始祖が仙人の張三豊(ちょうさんぽう)であるとされます。分かりやすい区分ですね。

ただし、流派によって両方の思想はかなり混在しており、実際はあまり厳密に区分できない場合もあるようです。

 

3. 中国武術の思想

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Worked by BenduKiwi

道教の思想と中国武術

道教は中国独自の自然宗教で、様々な呪術を駆使し、倫理や道徳の蓄積を経て福禄と長寿を手に入れ、さらに修行し不老不死の仙人に到達することを目指します。

道教の世界観は、何も存在しない「無極」に始まり、そこから陰陽の秩序を持った「太極」が生まれ、陰陽の天地である「両儀」は春夏秋冬の四季を、「四象」は東西南北の4方向を生ずる。四象は木火土金水の「五行」と、乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)の「八卦」を生ずる。

中国武術のうち、内家拳はこの道教の思想が濃く、太極拳などの動きは全てこの陰陽五行説で説明されます

歩法は「五行(木火土金水)」、手技は「八卦(乾兌離震巽坎艮坤)の方向から成り立っています。

 

武術の中の医術

中国では武術と医術は表裏一体とされ、武を極める者は医術の心得がありました。

戦いで相手を戦闘不能にするのが武術で、戦闘不能になった者を回復させるのが医術であるからです。

その結果発達したのが、人体の神経が集まるツボを刺激する按摩や鍼灸。

ツボは人体の中の血流の通り道である「経絡」を通じて五臓六腑に繋がっているため、ツボを刺激することで体の内側から健康が回復されるとされました。

このツボは治療に用いられますが、同時に攻撃にも使われ、人体の内部に破壊的なダメージをももたらすと考えられました。

 

 

まとめ

ざっと中国武術の概要についてまとめてみました。 

表面を舐めただけで、この奥にはディープな世界が広がっております。

流派や兵器については今度まとめたいと思います。

 

参考文献:図解中国武術 新紀元社 小佐野淳

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