世に盗人の 種は尽くまじ
いつの世にも盗賊の類いはいるものです。 為政者にとっては、世を乱す悪党以外の何者でもありません。
ただ民衆というのは、自分が盗賊の被害にあうのは大嫌いですが、盗賊の話を聞くのは大好きなものです。
今でもルパン3世やキャッツアイのような大泥棒のアニメは人気ですね。
貧しい民衆のため、世直しや正義のため、悪い領主や金持ちを懲らしめるアウトロー。
それは通常の盗賊とは一線を画し、「義賊」という名前で呼ばれています。
このエントリーでは、20世紀を生きた「義賊」を集めてみました。
1. ネストル・マフノ(ウクライナ)1888-1934
アナキスト農民パルチザンのカリスマ的指導者
マフノはウクライナの貧しい小作農の生まれで、若い頃から無政府主義の組織に参加。 ロシア革命が起きると、マフノは農民を率いてパルチザン運動を開始します。1918年にはドイツ軍を撃破し、マフノは一躍、農民の指導者としてその名を轟かせます。
混沌とした内戦が続くウクライナ
ロシア革命後、ウクライナは各種政治勢力や、近隣諸国の軍隊が入り乱れ、合従連衡を繰り返す血みどろの内戦状態に入っていました。
- ウクライナ人民共和国(親ドイツ、後に親ポーランド)
- ロシア帝政派(白軍)
- ウクライナ・ボリシェヴィキ(赤軍)
- マフノ運動(黒軍)
- 白軍を支援するフランス軍・イギリス軍
- ベッサラビア(現モルドバ)の併合を目指すルーマニア軍
- 右岸ウクライナの併合を目指すポーランド軍
マフノは人口の大多数を占める農民の圧倒的な支持を受け、一時は白軍、赤軍ともに駆逐する勢いを見せます。
物量に勝る白軍に対抗するため、マフノは赤軍と手を組みます。その後、ロシアの支援を受けた赤軍は白軍を駆逐し、社会主義国のウクライナが成立します。
ところが、アナキズムを危険視したレーニンの命令で、マフノ一味は逮捕・処刑されてしまいます。マフノ自身はパリへ亡命し、そこで客死してしまいました。
2. パンチョ・ビリャ(メキシコ)1878-1923
義に生きた山賊の首領
パンチョ・ビリャは、1910〜1920年のメキシコ革命を率いた山賊の頭領で、その生涯は映画やドラマ化にされ、メキシコの民衆に愛されています。
若い頃のパンチョは、チワワ州でしがないコソ泥稼業で生計をたてていました。ある日、独裁体制に反対するフランシスコ・マデーロを信奉する、行政官アブラーム・ゴンサーレスと出会います。ゴンサーレスはビリャに教育を施し、民衆のための政治のあり方を説き、感銘を受けたビリャはそれ以降、革命運動に身を投じます。
仲間割れする革命軍
蜂起した革命軍は独裁体制を倒し、フランシスコ・マデーロは大統領に就任します。
しかし、革命軍の将軍同士での争いに巻き込まれ、ビリャはアメリカに亡命。
亡命中、ウエルタ将軍によってマデーロ大統領は殺害。ビリャは復讐心に燃えます。
反ウエルタのカランサの傘下で大いに活躍し、ウエルタの軍勢を打倒。しかし、実権を握ったカランサは既得権益との妥結を図ったためビリャは反発し、カランサの軍勢と衝突します。ビリャの軍勢はカランサの軍の前に敗退。カランサは大統領に就任し、アメリカもそれを承認します。
そのことにビリャは反発し、対アメリカテロ活動を行うようになります。アメリカ軍は飛行機を用いたビリャ探索隊を組織しますが、結局ビリャの捕捉には至りませんでした。
革命終結後、ビリャの軍隊は武装解除させられ、ビリャは農場を与えられ暮らしていましたが、3年後に何者かによって暗殺されました。
3. ランピオン(ブラジル)1897-1938
反大農園主の盗賊・カンガセイロ
ブラジルは1891年に共和制国家となりましたが、実際は国土の大半を大農園主が保有し、大多数の民衆は農奴と変わりない貧しい生活を強いられていました。
特にブラジル北東部では、生産性の低い痩せた土地で農民は酷使され、逃亡する農民が相次ぎます。そんな中、一部の脱走農民が武装化し、農園を襲う盗賊となりました。これがカンガセイロ(ポルトガル語で"盗賊")です。一部のカンガセイロは、貧乏人や女性・子どもからの収奪はせず、もっぱら農園主を対象としていたので、義賊として民衆の支持を集めます。
父の復讐を果たす「大きなランプ」
ランピオン、本名ビルグリーノの父は土地の所有者でしたが、隣のサトルニノ家に謀殺され、土地も奪われてしまいます。
ビルグリーノは兄弟とともにカンガセイロに参加し、仲間と共に父の復讐を果たします。その時、銃をすさまじい早さで撃ち続け、周囲が真昼のように明るくなったことから「大きなランプ」=「ランピオン」と称されるようになりました。
その後、ランピオンは各地で略奪と殺人を繰り返し、ブラジル当局の討伐隊も撃破しつづけます。だが政府による絶え間ない圧迫と、大土地所有者の没落という社会情勢の変化により、ランピオンの軍隊は縮小し、その社会的意義もなくなり始めます。
最終的にランピオンは、ブラジル東部のセルジッペ州に落ち延び、当地の領主の食客となっていましたが、最後は暗殺されてしまいました。
4. サルバトーレ・ジュリアーノ(イタリア)1922-1950
シチリア独立運動に参加した山賊の頭領
闇取引の売人として生計をたてていたジュリアーノは、21歳の時に商品である小麦を輸送中に憲兵に見つかり、全て没収されてしまいます。それに激怒し憲兵を射殺。そのまま山に入り山賊となります。
憲兵はジュリアーノの一族を拘留したため、ジュリアーノは憲兵の兵舎に侵入し銃を乱射。1人を殺害。その後、憲兵や地主への略奪や誘拐、殺害を続け、盗んだ金や食料は貧しい人たちに分け与えました。そのため、民衆はジュリアーノを義賊と讃えるようになります。
1945年、ジュリアーノはシチリア独立運動(MIS)への賛同を表明。
独立運動に反対するキリスト教民主派、社会主義者への攻撃を繰り返し、十数人を殺害。
裏切りに次ぐ裏切りの末
私兵集団として暗躍する山賊に対し、イタリア政府は摘発を強化します。
ジュリアーノはマフィアのカロジェロ・ヴィッツィーニと共謀し、仲間である山賊を売って自分たちの生き残りを図ろうとしますが、逆にマフィアに消されかけます。
ジュリアーノは逆にマフィアを追いつめるまで勢いをつけますが、最終的に従兄弟のピッシェッタに寝込みを襲われ、死亡。
ピッシェッタも、山賊組織、マフィア、警察の闇の関係を洗いざらい暴露させられた挙げ句、毒殺されてしまいます。
5. プーラン・デヴィ(インド)1963-2001
復讐に燃えるインドの「盗賊の女王」
最下層カーストの生まれであるプーランは、11歳で掟に従って年上の男と婚姻します。
しかしその男が粗暴で、さんざん暴力をふるわれた挙げ句、家を追い出されてしまいます。プーランの両親は復縁を望みますが、彼女は16歳にしてヴィクラムという男が頭領の盗賊団の一員になります。そして元夫の村を襲撃し、殺害。復讐を果たします。
プーランはヴィクラムの盗賊団で、他の盗賊との抗争を続ける中で頭角を表し、頭領の1人に。プーランは高カーストの者からは奪いますが、決して低カーストの者には手を出しませんでした。そのことから、貧しい低カーストの民衆からは義賊として慕われます。
ベハマイー村虐殺事件
盗賊との抗争中、プーランはベハマイー村のやくざ男に監禁され、3週間に渡ってレイプされます。プーランは彼女を慕う低カーストの民衆に助け出され、命拾いします。
7ヶ月後、プーランの盗賊団は結婚式を行っていたベハマイー村に乱入し、22人を殺害。しかも殺した人間が上位カーストだったため、瞬く間に「女盗賊プーラン」の名はインド中に広がります。
インド警察は彼女を逮捕しようとしますが捕まらず、恩赦を与えるという条件付きで、プーランの盗賊は全員インド当局に投降します。(まるで中世のような話ですが1983年の話です)
11年間の投獄生活の後、出所したプーランは選挙に出馬し、当選。国会議員となります。
しかし2001年、自宅の前で男に暗殺されます。ベハマイー村の虐殺の復讐、という噂もありますが、はっきりとした動機は分かっていません。
編集後記
5つをだけでも紹介するには、かなり濃すぎ。
しかしパンチョ・ビリャの既存権力との抗争にあけくれた生涯や、サルバトーレ・ジュリアーノのマフィアや警察との謀略戦など、まるで映画を見ているようです。面白すぎます。
今度は19世紀の義賊を紹介したいと思います。