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ドクターペッパーの歴史

一部にコアなファンがいる炭酸飲料

ドクターペッパーを飲んだことがある方はどれくらいいるでしょうか。

私はありますが、たぶんこれまでの人生で3~4回くらいしか飲んだことがないと思います。それでもその独特の味を思い出すことができます。

チェリー味の甘いシロップに炭酸が入っているような味。やや薬っぽいような香りもします。これがダメな人はダメなようですが、熱狂的に好きな人もいて、コーラよりドクペ、というコアなファンもいます。

どれくらい需要があるか分かりませんが、ドクターペッパーの歴史を紹介します。

 

1. ドクターペッパーの誕生

ドクターペッパーが誕生したのは1885年。

テキサス州の田舎町ウェーコで、チャールズ・アルダートンという薬剤師が、ウェイド・モリソンが経営する「オールドコーナー・ドラッグストア」に勤めていました。

この店はドラッグストアでありつつ、薬以外にも食品や文房具をはじめ様々なものが売られていた、地域のコンビニのような店でした。

店でよく売れていたのが、ソーダファウンテン(ソーダを提供するサーバー付の装置)で提供するフルーツの香りのついたソーダ飲料。アルダートンは、当時の定番フレーバーではなく、色々なフルーツの香りを混ぜた清涼飲料水を作ろうと考えました。

 

▽チャールズ・アルダートン

様々なフルーツシロップを混ぜて試し、理想の味にたどり着きました。 その後もいろいろな人の意見を参考にしながら少しずつ手を加え、最終的に新たなフレーバーのソーダ飲料「ドクターペッパー」をドラッグストアで販売を開始しました。

すぐにドクターペッパーはウェーコの人々に大人気となり、あまりの人気のために、ウェーコの他のソーダファウンテンの店はモリソンからシロップを買って提供するほどでした。

 この頃は、この新たなソーダ飲料には名前がなく、地元ウェーコにしかない飲み物だということで、人々はドラッグストアに行くと

「ウェーコを打ってくれ!(Shoot me a Waco!)」

とか

「アルダートン先生の飲み物をくれ(Give me Doc Alderton’s drink)」

と言っていたそうです。

 

2. ドクターペッパーという名前の由来

ドクターペッパーという名前を付けたのはドラッグストアのオーナーであるウェイド・モリソンだということは分かっていますが、どういう由来でつけられたのか、あまりよく分かっていません。説だけで十数種類もあるそうです。

もっとも有名な説が、バージニア州ルーラルリトリートの医師チャールズ・T・ペッパーにちなんで名づけられたというもの。ペッパー氏はモリソンに最初の仕事を与えてくれた人物で、彼はこのことに感謝しており、自分の飲み物に名前をつけたという説です。

しかし、テキサス州ダブリンのドクターペッパーボトリング社のコレクションマネージャーであるミリー・ウォーカーは、モリソンは若い頃にはルーラルリトリートから40マイル(64km)離れたバージニア州クリスチャンバーグに住んでおり、モリソンがペッパーに雇われたという証拠は一つもないと言っています。

もう一つの説が、クリスチャンズバーグのウィリアム・アレクサンダー・リード・ペッパー博士が由来だと言うもの。モリソンがクリスチャンバーグに住み、薬局の店員として働いていた時、ペッパー博士も同じ薬局に勤めていたという記録が残っています。

いずれにせよ、モリソンの非常に私的な思い出に由来するもので、彼はそれを誰にも言わなかったか、言っても誰も記録も記憶もしていなかったということになろうかと思います。

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3. ドクター・ペッパー社の設立

当初、ドクターペッパーはアルダートンとモリソンの手作りだったため、人気が沸騰すると需要に対して供給が追い付かなくなってしまいました。

困った二人の前に現れたのが、ウェーコでジンジャーエール製造会社を経営していたロバート・レーゼンビーです。レーゼンビーはドクターペッパーの味に感銘を受け、一緒にビジネスをしないかとオルダートンとモリソンに話を持ちかけました。

オルダートンは経営には興味がなく、薬学の道を進みたいと考えていたのでこの話を断り、モリソンとレーゼンビーにドクターペッパーの販売の権利を譲りました。何とももったいない話ですが、あまりお金儲けに興味のない職人気質の人だったのかもしれません。

1891年、モリソンとレーゼンビーは新しい会社、「Artesian Mfg. & Bottling Company」を設立。これが後のドクターペッパー・カンパニーです。

 

ドクターペッパーが全米で人気になったきっかけは、1904年のセントルイス万国博覧会。ここで人気を博したドクターペッパーは「23種類のフレーバーで作られた新しい種類のソーダ水」として来場客2000万人に紹介され人気となりました。

ちなみに、セントルイス万国博覧会はドクターペッパーだけでなく、ハンバーガー、ホットドッグ、コーンのアイスクリームが全米で人気となるきっかけにもなりました。

今やアメリカを代表するこれらのファストフードが同時期に知られるようになったというのは、かなり象徴的な出来事ですね。

 

4. ドクターペッパーをめぐる一連の裁判

アメリカのメジャーなブランドであればどこもそうですが、ドクターペッパーは競争と成長の過程でかなりの裁判を経験しています。

特に多いのが、ドクターペッパーの最大のライバルであるコカ・コーラ社との対決です。

1951年、ドクターペッパーはコカコーラがわずか5セントで販売されているのは、「不当な取引制限である」と主張し、損賠賠償金750,000ドルを要求して連邦裁判所に訴えました。

そのような敵対的な出来事にも関わらず、1969年に当時の社長兼CEOのW.W.クレメンツは、「ドクターペッパーは非コーラ清涼飲料水である」とコカ・コーラの販売会社であるコーラコーラボトラーズ社を説得し、ニューヨークでドクターペッパーを販売させることに成功しました。コカ・コーラの販売網は桁外れなので、ドクターペッパーが得た利益は大きかったことでしょう。

一方でコカ・コーラ社はドクターペッパーの味を好む消費者の取り込みを狙い、「ペッポ(Peppo)」という清涼飲料水を販売しました。明らかなパクリです。

1972年、ドクターペッパー社は商標権侵害でコカ・コーラ社を訴えました。裁判所はコカ・コーラ社に改名を命令し、コカ・コーラ社は「ミスター・ピッブ(Mr. Pibb)」と改名しています。これもまぁ微妙な名前ですね。

 

コカ・コーラ社はドクターペッパー・ブランドの買収を試み、一部で成功しています。

1980年代前半、ドクターペッパー社は債務超過となり、投資会社の支援を受けて株式を非公開にし、経営再建を図りました。その数年後、コカ・コーラはドクターペッパーの買収を試みました。しかし、連邦取引委員会(FTC)は「ペッパー」フレーバーカテゴリーの独占を懸念するなどの理由で買収を阻止しています。

同じ頃、もう一つのライバルであるセブンアップはフィリップモリス所有のブランドでしたが、ドクターペッパーを支援したのと同じ投資会社によって買収されました。コカ・コーラ合併の失敗により、ドクターペッパーとセブンアップは合併し、「ドクターペッパー・セブンアップ社」が設立。

その過程で、アメリカ国内のブランド権は維持したものの、国際的なブランド権を手放しました。コカ・コーラ社は国外でのドクターペッパーの使用権のほとんどを獲得。なお、セブンアップの権利はペプシコが獲得しています。

ドクターペッパーは本業以外でも裁判をしています。

1996年、ドクターペッパーは、NFLダラス・カウボーイのオーナー、ジェリー・ジョーンズ、ナイキ、その他テキサス州アーヴィングのテキサス・スタジアムで活動する商業関係者が関与した反トラスト訴訟に関与しました。

ジェリー・ジョーンズがドクターペッパーや他の会社と取引したことが、コカ・コーラ社をはじめとする企業とのNFLの独占マーケティング契約違反だとNFLは指摘していました。最終的にはNFLはダラス・カウボーイや他のチームが独自の契約を行うことを認めることに同意しています。

このようにマーケティング分野でもドクターペッパーはコカ・コーラ社としのぎを削っており、現在でも抗争は続いています。

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まとめ

「良きライバル関係」ならいいのですが、アメリカの企業文化だと裁判や敵対的買収を含むかなりバチバチしたライバル関係で、日本人的の気風的にはあまり相容れない感じがします。様々な文化や人種が交錯するアメリカはこういう激しい競争がイノベーションを生んでいるのでしょう。

ドクターペッパーあまり売ってないですが、試したことの中い方はもし見つけたら是非トライしてみてください。とても気に入るかもしれません。

 

参考サイト

History, DrPepper Museum

"DR PEPPER IS THE OLDEST MAJOR SOFT DRINK IN THE UNITED STATES" TODAY I FOIND OUT

"Dr Pepper (History, Marketing, Pictures & Commercials)" Snack History