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「修道院領」を現在でも有する修道院

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Photo by Livioandronico2013

かつては大勢力を誇った修道院領の残骸 

修道院はかつてヨーロッパの各地に教会を中心に畑や醸造所などを含んだ広大な土地を所有していました。

建前上は教皇により支配されているため国王の統治は及ばず、修道院長を筆頭とした独自の組織で運営されていました。中世にはヨーロッパ各地にあったこれらの修道院領は徐々に姿を消し、ナポレオン戦争後のウィーン会議で多くの修道院領は国家に組み込まれていくことになります。 

ただし21世紀の現在でも「修道院領」は存在し、昔とやや形は変えながらもわずかながら存続しています。

今回は現存する修道院領を紹介します。

 

1. モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院(イタリア)

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Photo by peuplier

世界中のオリヴェータ会を束ねる修道院

モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院は、イタリア中部トスカーナ州シエナの南36kmにあるベネディクト会系の修道院です。

元々はシエナの名門貴族出身の法学者ベルナルド・トロメイが、友人らと1313年に設立したオリヴェータ会という、ボンボンの世捨て人グループでした。彼らは当初は「アコーナの未開の荒地」で隠者として生活していました。

グループが大きくなると建物が必要になり、修道院の建設が1393年に始まり、増改築を重ね1526年に現在の形になりました。

「労働と祈り」を旨とするベネディクト会の修道院の伝統に則って、修道院内には修道士が利用するための薬草畑や養魚池があります。修道院には4万冊以上の本を収蔵する図書館があり、昔のレシピに従い蜂蜜や薬草の蒸留酒が製造されています。

モンテ・オリヴェート修道院の領土は近隣のキユスール村やヴァル・ダッソまで及ぶ広大なもので、シエナの大土地所有者でした。修道院は教区の付属施設を持たず、修道院長の管轄は修道院の範囲内に限定されていましたが、1947年から1975年までアレッツォとキウージ、ピエンツァの教区に属していた周辺の小教区が修道院に統合され、現在のモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の管轄が形成されました。

オリヴェート会はイギリス、アイルランド、ベルギー、スイス、イスラエル、韓国、メキシコ、グアテマラ、ブラジルに修道院と先行教会があり、モンテ・オリヴェート修道院長は、オリヴェート会の指導者も兼ねています。

 

2. バディア・ディ・カーヴァ修道院(イタリア)

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Photo by Andrea Durante

かつてイタリア中部で宗教都市を築いた大修道院

バディア・ディ・カーヴァ修道院はイタリア中部カンパニーア州サレルノにあります。

創設者はサレルノ出身の貴族でパッパカルポーネのアルフェリオ(聖アルフェリオ)という人物で、彼は1011年にアルシキアの洞窟に引きこもり隠者生活を始めました。彼に惹かれた弟子たちが殺到したため、集団で暮らせる規模の修道院を建てることになりました。ただアルフェリオは洞窟の中で死ぬまで暮らしたそうです。

この修道院はアルフェリオの甥のペテロ1世の時代に大幅に拡大し、南イタリアに点在する数百の教会や修道院を支配下に持つ強力な修道会の中心となりました。

11世紀から12世紀にかけて修道院は王侯や貴族、有力商人らの寄進を受けて大きく発展しました。豊富な資金を受けて歴代の修道院長たちは、農地を失った小作人に修道院の広大な所有地の土地を耕作させるか、手数料の代わりに土地を貸与して工作させました。また、修道士たちは医療施設や病院を経営するほか、サラセン海賊の侵略から人々を守るために、チレントやカステッラバーテでは城を築くなどしました。

1294年、教皇ボニファティウス9世は、バディア・ディ・カーヴァに「都市」の称号を与え、独自の司教を持つ自治教区に格上げ。修道院を中心とする宗教都市が成立しました。

しかしナポレオン以降の共和制の台頭により、バディア・ディ・カーヴァも影響を受けました。特に1866年の弾圧により他の多くの多くの修道院は領土や資産の没収をされますが、バディア・ディ・カーヴァは教区内に多数蓄積された芸術的・科学的価値が認められ、国定公園に指定され破壊から免れました。

2012年8月20日、司教協議会の法令によりアマルフィ=カヴァ・デ・ティレーニ大司教区に割り当てられ、カヴァ・デ・ティレーニ自治体のコーポ・ディ・カヴァとサンチェザレオ、ヴィエトリ・スル・マーレのドラゴネア小区を「修道院領」として割り当てられることとなりました。

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3. スビアーコ修道院(イタリア)

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Photo by Livioandronico2013

聖ベネディクトの霊源あらかたな修道院

スピアーコ修道院はローマの東約50キロの場所にある修道院で、西方修道院の開祖とされる聖ベネディクトが若い頃に修行したとされる霊源あらかたな場所です。

6世紀初頭、ローマで教育を受けた裕福なヌルシアのベネディクトは、ラツィオ北部の山中にあるスビアーコの古代ローマのヴィラの近くの洞窟に引きこもって暮らし始めました。彼の評判はすぐに弟子たちを引き寄せ、すぐに礼拝の場となりました。スビアコ周辺には、次々と修道院が作られ13もの修道院が誕生しました。

やがて聖ベネディクトは、さらなる孤独を求めてモンテ・カッシーノに移り住みます。ですがこの地にもモンテ・カッシーノ修道院が作られ、ベネディクト会の拠点として大発展を遂げていくわけです。13世紀には、聖ベネディクトが住んでいた洞窟の上に聖堂が建てられ、「サクロ・スペコ」(聖なる洞窟)と呼ばれるようになりました。

しかし、富が集まりすぎると俗界の有力者とのつながりが深まり、修道院の有力ポジションに落下傘的に就く、ローマ教皇庁とつながりのある有力な一族が支配するなど、腐敗し修道院の莫大な富が有力者の財布と成り果てていきました。

18世紀末にフランスが教皇領を占領すると修道院は弾圧されスビアーゴも廃絶されます。独立を回復するとピウス7世はすぐに修道院を回復し、1915年にはベネディクト15世が、スビアーゴに領地修道院の特権を与えました。

 

4. ヴェッティンゲン・メーレラウ修道院(オーストリア)

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一度潰れて復活したシトー派修道院

オーストリア西端、スイスとの国境近くにあるブレゲンツにはヴェッティンゲン・メーレラウという修道院があります。

1227年、ハインリッヒ・フォン・ラッパーシュヴィルは、ヴェッティンゲン村近くのリマット川に修道院を設立し、ボーデン湖畔のザレム修道院から院長とシトー派の12名の修道士を招聘しました。

創建にまつわる伝説があります。ハインリッヒは聖地に向かう途中、海で遭難してしまいました。彼は「救出されたら修道院を設立する」ことを誓い必死に神に祈ったところ、嵐がおさまり、空に明るい星が現れたそうです。帰国後、ハインリッヒは当初、誓いを忘れていたが、夜の船旅で「海の星(メーレラウ)」が再び彼の前に現れた時、彼は誓いを思い出し、修道院を設立する誓いを実行したのだそうです。ヴェッティンゲン修道院はすぐに地域の精神文化経済の中心として発展していきました。

宗教改革の時代、スイスの宗教改革者ツヴィングリの影響により、修道院長ゲオルク・ミュラーと修道院のほぼ全員が新教に改宗してしまいます。

ヴェッティンゲン修道院は深刻な危機に陥り、1507年には修道院は火災にあうなど受難が続きました。16世紀前半には復興し、次世代の修道士を養成するための哲学・神学ハウススクールが開かれました。この学校は後に文法学校、商業学校、寄宿舎を備えたコレギウム・ベルナルディへと発展していきます。

19世紀前半の政治的混乱の中、地域では自由主義勢力が優位に立ち、修道院の解散が相次ぎ、1841年1月28日にヴェッティンゲンも対象となりました。修道士たちは国外に逃れました。

ところが1853年、スイスのシトー会ヴェッティンゲン修道院の修道院長が、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の許可を得て旧ヴェッティンゲン修道院の土地を購入。1854年10月18日、ヴェッティンゲン・メーレラウ・シトー会修道院が開かれました。

1919年、修道院はビルナウの巡礼教会と近くのマウラッハ城を手に入れ修道院を設立し、1920年にはフォアアールベルク州の農業大学の運営にも参入しています。

現在修道院では、家具やインテリアなどの手工業事業、野菜や果物の生産などの農林水産事業、教育事業、ホテル事業など様々な事業を行っています。

 

6. アインジーデルン修道院(スイス)

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Photo by Roland zh

スイスの重要なマリア信仰の拠点

アインジーデルン修道院は、スイスの中心都市チューリッヒの南東約31kmにあるカトリックの巡礼地です。ベネディクト派の修道士であった聖マインラートがによって設立されました。

伝説によると、聖マインラートは、835年頃にアインジーデルンに庵を開いて隠遁生活を送った後、正式な修道院の学校で学び、奇跡を起こす黒い聖母像を譲り受けたことで名高い修道士となりました。この伝説が広がると、霊源あらかたな聖マインラートの庵に信者が集まるようになりました。861年に聖マインラートは盗賊に殺され、ベンノとエバーハルトという二人の隠者によって、アインジーデルンの隠者共同体は934年頃にベネディクト派の修道院となりました。

聖マインラートの黒い聖母の逸話から、1000年以上にわたってスイスにおけるマリア信仰の中心地となり、中世から近世にかけての最盛期には、ハプスブルク王朝の庇護を受けた裕福な修道院でスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の重要な拠点でもありました。

宗教改革者ツヴィングリがスイスにもたらした宗教改革の波も、院長と修道士たちはアインジーデルンの自治を守り、ベネディクト派の規則と儀式をより厳格に遵守することに成功しました。しかし1779年、フランスがイタリアに侵攻した際、修道院はフランスの支配下に入り、独立の地位を失いました。

1854年、アインジーデルンの指導者たちはの修道院の弾圧・解散を恐れ、修道士をアメリカ・インディアナ州南部に派遣し、ドイツ系移民の受け入れと避難所の整備を行いました。これが現在のインディアナ州セントマインラッドの聖マインラート大修道院です。

アインジーデルン修道院はなんとか解散をまぬがれ、1861年に聖マインラードの千年祭、1934年にはアインジーデルン修道院の千年祭を祝うことができました。教皇ピウス11世は、1934年3月21日に、黒いマリア像に対する教皇庁の戴冠式を授与しました。

 

7. サン=モーリス修道院(スイス)

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Photo by Spurzem

永代詩篇聖歌の実践で有名なスイスの修道院

サン=モーリス修道院はスイス南西部のヴァレー州の小さな町サン=モーリスにある修道院で、聖モーリスの殉教伝説が元になっています。

300年頃、マクシミアヌス帝の軍隊の一部がエジプトからこの地にやってきました。キリスト教徒の軍団兵であったモーリス、エクスペリウス、イノセント、キャンディードとその仲間たちは、キリストの名において皇帝の命令を拒否して処刑されました。

「皇帝よ、我々は兵士ですが、 とりわけ神に仕える者です。我々はあなたに軍の服従を負っているが、神には無実を負っている。私たちは、有罪で生きるより、無罪で死にたいのです」

380年頃、ヴァレー州の最初の司教テオドロスは、殉教者の遺骨を崖の下に運び、彼らを称える聖堂を建てました。その後、テオドルスは地元の隠者を集めて共同生活を行いました。

515年、アリウス派からアタナシウス派に改宗したブルゴーニュ王ジギスムント王の庇護の元、サン=モーリス聖堂は修道院教会に格上げされました。この修道院では、522年か523年から「ラウス・ペレンニス」と呼ばれる永代詩篇聖歌が24時間365日絶え間なく歌い続けられ、9世紀まで続きました。12〜13世紀の修道院黄金時代、王や貴族からの莫大な寄進を受け繁栄しました。

宗教改革でもサン=モーリス修道院は破壊されることはなく、自由主義革命でも領地修道院の形を維持しました。修道院はスイスの国宝に指定され、永代詩篇の実践、美術・古美術のコレクションで観光スポットとなっています。

 

8. トクウォン修道院(北朝鮮)

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Photo by hispano-3000

ヨーロッパ以外にある唯一の修道院領

トクウォン(徳山)修道院は、北朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)にあり、ソウル特別地域の教区に属しています。

朝鮮半島でのベネディクト会の活動が始まったのは大韓帝国末期の1909年、ボニファス・ザウアー司教を含む2人のドイツ人ベネディクト会司祭がソウルで活動を開始したのが始まりです。1927年の日本併合後、ベネディクト会は北部のトクウォンに新しい修道院を建設し、移転しました。1942年にソウル、1943年に大邱の神学校が日本当局により閉鎖されたため、トクウォンにベネディクト会の神学生を受け入れることになりました。

しかし第二次世界大戦後、北部がソ連の占領下、次いで北朝鮮の支配下に入りました。無神論の嵐が吹き荒れ、ザウエル司教を始め8人の司祭と修道士は平壌の牢獄に入れられ殺されました。さらに、朝鮮戦争(1950-1953年)の間、5人の司祭、10人の修道士、2人の修道女が強制収容所で死亡しています。

朝鮮戦争以降、北には常駐する司祭・修道士はおらず、北朝鮮政府ももちろん修道院領を認めていません。しかし、ベネディクト会は1952年、バチカンから派遣されたティモシー・ビッターリ司祭の指導のもと、韓国のウェグァン(倭館)に再定住し、ウェグァン・ベネディクト会は1955年に承認され、1964年にバチカンから修道院に昇格されました。活動は行われていませんが、トクウォンは正式に修道院領として認められています。ヨーロッパ以外にある唯一の修道院領です。

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まとめ

修道院と修道院領は12〜13世紀に興隆を極めますが、ルターやツヴィングリの宗教改革、フランス革命に始まる自由主義の波を受け大部分は弾圧されました。一部は生き残り、こうして現在まで修道院領が残っており、農業や手工業、学校運営などの「労働」を実践しています。

長い歴史の営みを感じにいつか訪れてみたいものです。

 

参考サイト

"Abbazia di Monte Oliveto Maggiore - The Benedictine Abbey and Monastery of Monte Oliveto Maggiore in Tuscany"

"Badia di Cava de' Tirreni"

"Monastery - Monastero di San Benedetto a Subiaco"

"Zisterzienserabtei - Wettingen - Mehrerau"

"Pannonhalmi Bencés Főapátság" MAGYARORSZÁG HIVATALOS TURISZTIKAI OLDALA

"Abbaye de Saint-Maurice"