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シマウマに乗りたい人々の歴史

シマウマを家畜化したいという人々のチャレンジ

歴史上、数多くの人がシマウマを家畜化しとようと試みてきました。

記録には全く残ってませんが、アフリカ牧畜民はおそらくシマウマを飼い慣らそうと相当な努力をしてきたと思われます。しかし現在シマウマを飼い慣らせてないということは、その試みが失敗に終わったということです。野生のシマウマがあまりにも人に懐かないのは、アフリカ牧畜民があまりにしつこかったため、人を恐れる習性がシマウマに組み込まれてしまったのではという説すらあります。

19世紀以降、アフリカを植民地としたヨーロッパの人々は、大量にいる野生のシマウマをなんとか家畜化して活用しようとして、いくつかの成功事例が出ますが、おおよそ失敗に終わっています。

 

1. なぜシマウマを家畜化しようとしたのか

シマウマは見た目はウマに似ているし、シマ「ウマ」と言うのでウマと似ているような誤解を与えるのですが、実はロバの近縁種です。鳴き声も「ボエーッ」というダミ声はロバそっくりです。

ロバは一部地域で家畜化されているし、シマウマも乗馬や馬車の動物として飼いならすことに大きな関心が持たれていました。

1760年代、フランスの博物学者ビュフォンはシマウマが馬の代わりになると信じており、熱心なあまり、オランダ人がすでにシマウマを訓練して荷車を引かせているという噂がパリで流れたそうです。

1800年代後半から1900年代前半にかけて、シマウマを飼い慣らすことに関心が集まりました。いくつか理由があります。

特にアフリカやインドなど熱い気候の植民地で、導入したヨーロッパの家畜が新しい環境に馴染まず、生育も困難で、必要な分だけ本国から輸出する必要があったため、コストがかかっていました。なんとか現地の気候に馴染む動物を活用できないかという意図が一つ。

もう一つはキリスト教的な文脈で、「人間に有用な動物」のリストに新しい動物を加えようというものです。キリスト教では神が人間が利用するために動物を作ったという考えがあるので、何か有用動物を増やすのは道徳的に正しいことであったわけです。

有閑貴族のエキゾチックな趣味としてシマウマに乗ろうとするのもありました。シマウマは通常の馬よりも当然高価だし、4頭だての馬車にすると自分の富を誇示できる。また乗りこなすのが難しいシマウマに乗ることは、その人物の偉大さを示せたわけです。

 

2. シマウマに乗りたい人たち

ダチョウに乗ってみたり、イノシシに乗ってみたり、人は何か頑丈そうな生き物を見たら乗りたいという思いを抱いてしまうようです。

シマウマになんとかして乗ろうという人は歴史上数多くいて、忍耐と運によって乗りこなすことができるようになった人もいました。

東アフリカを植民地としたドイツ人はシマウマ騎乗に熱心でした。ドイツ軍はシマウマを乗用、荷役用として飼いならすことに特に関心をもっていました。また、シマウマと馬を交配させ、病気に強く飼いやすい雑種を作る計画も持っていようです。

当時ドイツ人によって撮られたドイツ領東アフリカの写真には、シマウマに乗る騎兵や将校の姿がいくつも写っています。

中には、ウマにシマウマの模様を塗っただけのもあり、いかに当時のドイツ人がシマウマ騎乗に憧れを抱いていたかが分かります。

さて、中にはトライ&エラーを積み重ね、シマウマの乗り方のノウハウをまとめた人もいます。

それがイギリス陸軍の獣医マシュー・ヘイズ大尉(Matthew Horace Hayes)です。

1877年に出版された『Veterinary Notes for Horse Owners』の著者であり、この本は現在でも馬の飼育のための重要な書として発刊されています。

彼は馬の健康管理のプロであり、大英帝国の各地を巡って馬の飼育の指導を行いました。彼は『Illustrated Horse-Breaking』の中でラバとシマウマを同一視し、以下のように述べています。

ラバとシマウマ。奴らは首がとても硬いので、扱いが非常に困難である。ラバは、…高慢で衝動的であるかのように誤解されがちである。…親切で憐れみをかける人に対しては、むしろ普通の馬よりも愛情を持って接してくれる。

そして優れた跳躍者(ジャンパー)であり、フェンスを避けるために特別な慎重さを示してくれる。ラバが馬よりおとなしくさせるのが難しいとは思わない。

しかし、ヤマシマウマは、不機嫌で、愚かで、ほとんど動かない首を持っているので、(手綱を用いた方向転換が)最も困難である。

バーシェルサバンナシマウマは、他のどのシマウマよりもウマに近いケツを持つので、比較的簡単に乗れることがわかった。

妻であるアリス・ヘイズも夫と共に世界中を巡る中で乗馬に関してはプロ級になり、『The Horsewoman - A Practical Guide to Side-Saddle Riding』という本を執筆してすらいます。彼女はシマウマ乗馬にもチャレンジしており、『The Horsewoman』の中でシマウマ騎乗の難しさを解説しています。

私が今まで乗った中で最も厄介なじゃじゃ馬(kicker)は、私の夫がカルカッタで慣らしたヤマシマウマだった。

…耳をちょっと触っただけで(シマウマは)気が狂ったように暴れたので、それを避けるのがとても難しかった。

…ヤマシマウマに乗ったことのある女性は私一人だと思うので、この写真はおそらく唯一無二のものだろう。しかし、彼はカメラを自分を破滅させる運命にある地獄の機械とみなしているようで、ポートレートのためにきれいなポーズをとることをきっぱりと拒まれた。

…シマウマの首は硬くてしなやかさというものが一切ないので、女性にとって楽しい馬になることはできません。

これだけでも警戒心が強く気性が荒いシマウマの特性がなんとなく分かります。

マシュー・ヘイズは大英帝国、特に南アフリカでのシマウマの家畜利用を真剣に検討していたようで、 『Points of the Horse』の中でこのように述べています。

シマウマは野生の状態では、馬に死をもたらすツェツェバエに噛まれても免疫があるため、私は南アフリカでは、ハエの蔓延する地域で飼いならして馬具や鞍を付けることを強く勧めた。

バーシェルシマウマは比較的飼育が容易であり、飼育下で繁殖するため、いずれ家畜化されることは間違いないだろう。

...南アフリカでは貴重な移動手段となることだろう。

1892年にトランスバールの首都プレトリアで行われた私の馬術公演で、私は若いバーシェルシマウマを1時間ほど扱った後、騎乗者を乗せることができるようにおとなしくさせたことがある。このとき、私は決して投げ倒したりなど乱暴な手なずけ方に頼ったりはしなかったのです。

ただし彼の予測は外れ、シマウマは普及することはありませんでした。

マシュー・ヘイズが「容易」といっても、野生に近いシマウマを飼い慣らすことはほとんどの人にとっては困難だったし、誰でも扱える種類に品種改良するには時間がかかることが予想されました。

また、19世紀末はすでに交通革命が起き始めていたこともあります。南アフリカでは1860年に初の鉄道が開通し、1898年には全土が鉄道網で結ばれました。ボーア戦争が終了して、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国、ナタール共和国が連邦として統合されると、1910年には南アフリカ連邦は鉄道で結ばれました。

また自動車の普及も猛烈な勢いで進んでいました。ドイツでカール・ベンツが三輪乗用車を作ったのが1885年。自動車王フォードがモデルTの量産に乗り出したのが1908年のことです。

もしかしたらあと半世紀早ければ、品種改良でシマウマの家畜化に成功し、シマウマの騎乗も一般的になっていたかもしれません。

 

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3. 馬車にシマウマを利用する人たち

シマウマに乗ろうとするのは技術が必要でした。

もっと現実的な方法は馬車のウマをシマウマに置き換えることだったかもしれません。

19世紀後半にはヨーロッパの上位貴族の間では、シマウマに馬車を引かせることが流行しました。

シマウマ馬車で有名な人物がイギリスの動物学者、第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドです。

この写真では、よく見ると先頭奥の一頭がウマになっています。3頭のシマウマを、前方のウマによって安定させようとしたのかもしれません。彼はこの馬車で、バッキンガム宮殿まで乗り付けて人々を驚かせました。

その後このシマウマの一頭が彼の娘の花婿に怪我を負わせたそうです。蹴り上げたのか噛み付いたのかまでは分かりませんが、ロスチャイルド氏もこれで懲りたかもしれません。

 

イギリス領ケニアやドイツ領東アフリカでは、ヨーロッパ貴族のような珍奇趣味ではなく、ヨーロッパ産の馬がツェツェ蝿をはじめとする風土病や気候になじめずに死に、代わりのウマを取り寄せるコストが高くついたので、なんとか現地調達できないかという実利的な必要性からシマウマ馬車の導入が検討されていました。

馬具や鎧に慣れさせるところまではできましたが、操縦は困難を極めました。シマウマは警戒心が強く怯えやすく、乗車が蹴られたり噛まれたり危険性がありました。

対策として、より気性の安定したラバがペアに加えられるケースが多かったようです。ドイツ領東アフリカでは雑種も飼育され、銃馬の運搬に利用されました。

 

1893年3月11日発行の月刊誌『The Field』には、”THE UTILISATION OF THE ZEBRA."という記事が寄稿され、南アフリカのトランスヴァールでジェームス・ジーデスバーグという人物がシマウマを馬車用に利用しているという逸話を紹介しています。

グロブラー氏は4〜5ヶ月前に、野生のシマウマを馬で追いかけ、投げ縄で捕獲した。この1ヵ月間、馬具の訓練を受けて、その結果、4頭は完全におとなしく、よく訓練されており、残りの4頭は訓練中である。

…シマウマは現在ジーデスバーグ氏の馬車で使われている。ジーデスバーグ氏によれば、この実験には非常に満足しており、最終的にはラバの代わりにシマウマを使うつもりとのことだ。

…シマウマは馬車につなげると、じっと立って合図を待ち、必要なときに止まる。

…蹴ることはなく、唯一悪さをするのは、初めて扱われたときに噛み付こうとすることだが、傷つける意図がないことを理解すると、すぐにそれをやめる。

これを見ると、ウマの使用が困難な土地では、馬車のウマの代替としては有望に聞こえます。

これは無駄な実験ではなく、実用的な目的で行われます。ジーデスバーグ氏が信じているように、これが成功すれば、現在馬の病気で毎年失っている数百ポンドを節約できることになる。その後、馬との交配が試みられ、通常のロバとの交配よりも大きくハンサムなラバが得られ、おそらくあらゆる面で優れていることだろう。

寄稿はこう結ばれ、将来的なシマウマとウマとの交配に期待が寄せられています。

これまでいくつか述べた通り、シマウマをそのまま利用するのは、扱いに慣れた人は可能でしたが一般的に利用するのは現実的ではなく、交配の取り組みがなされていました。

 

4. 交配種を作る人たち

ウマとシマウマの中間「クアッガ」

シマウマと他の種の交配は古くから研究があり、ダーウィンも著作の中で指摘をしています。

実は人間が人工的に交配する前に、自然にウマとシマウマの「あいのこ」のような生き物が存在しました。

「クアッガ(Quagga)」という名前で、体の前半分がシマウマで、後半分がウマという、子どもが絵に描いたような見事なミックスです。種としてはサバンナシマウマに最も近く、かつては南部アフリカにいましたが、乱獲や開発により既に絶滅しています。

このクアッガの人工繁殖を試みたのが、第16代モートン伯爵ジョージ・ダグラスです。

1820年、モートン伯は王立協会会長に、クアッガの雄とアラビア栗毛の雌馬を交配させ、その後同じ雌馬と黒い種馬を交配したところ、子孫の脚にクアッガと同様の奇妙な縞があることに気づいたと報告しました。

この発表は他の報告とも比較検討され、「雌が以前つがった雄の遺伝子が、後に他の雄とつがっても、より強く子孫の遺伝子に残っていく」というテレゴニーの考えを裏付けるものとされました。テレゴニーは現象としては確かにそういうケースもあるにはあるのですが、絶対的なものではないです。テレゴニーは後にナチズムのアーリア人種優位論に組み込まれ、優勢遺伝子と劣勢遺伝子いう差別的発想にも結びつきました。

 

シマウマの交配種「ゼブロイド」

シマウマの交配種は一般的にゼブロイドと言い、基本的には雄のシマウマと雌のウマやロバと交配させたものです。雄が他の種で雌がシマウマでも生まれることはありますが非常に稀であるようです。

交配によって種名は異なり、例えば雄シマウマと雌ウマはゾース、雄シマウマと雌ロバはジードンクと呼ばれます。
ゼブロイドを人工的に繁殖させ利用することは、南アフリカのボーア戦争中に事例があり、ボーア軍はチャップマンシマウマとポニーを交配させ、主に銃などの運搬に活用しました。

現在動物園やサファリパーク、サーカスなどでゼブロイドはしばしば誕生し、見せ物用になっていることはありますが、家畜や商用に利用しているケースはほぼありません。

現在の文脈では、自然界に存在しない生物を人工的に作り出すこと自体に抵抗があります。人工的にクアッガを復活させることは喜ばしいことですが、新たなゼブロイドを生み出すのは拒否感があります。

今後はこのような社会的文脈が変わり、また地球環境やテクノロジーの変化がゼブロイドを必要としない限りは、積極的に生み出されることはないでしょう。

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まとめ

シマウマに乗りたい人、というタイトルですが、実際はシマウマ利用の歴史、とでもいうものになってしまいました。

スタートは「ウマに似てるし、乗れんじゃね?」くらいの軽い気持ちだったかもしれませんが、やってみると深淵が広がっていた、みたいな印象です。

シマウマが難しい、というよりウマや象、ラクダなどが簡単だった、ということなのかもしれません。

神様も人間の家畜が増えると喜ぶ、みたいな話がありましたが、シマウマが望んでなさそうなことを人間が課すのは、逆に神様はお怒りになるのではないでしょうか。

 

参考文献

"Illustrated Horse-Breaking" Matthew Horace Hayes

"The Horsewoman - A Practical Guide to Side-Saddle Riding" Alice M Hayes

"Points of the Horse: A Treatise on the Conformation, Movements, Breeds" Matthew Horace Hayes

George Douglas, 16th Earl of Morton - Wikipedia