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沈没船が高く売れる!核兵器登場以前の鋼鉄が再利用される理由とは

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核兵器の登場によって決定的に変わった鉄鋼産業

1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州で初めて原子爆弾の実験が行われました。

核兵器の登場が政治・軍事面に与えた影響は桁外れに大きなものがありますが、もう一つ、科学面でも地球に「2度と取り返しがつかない」影響を与えました。それまで自然界に存在しなかった数十種類の放射性同位元素が大気中に放出され、それが自然界のみならず工業の分野においても影響を及ぼしたのです。

 

1. 電離放射線を出す金属

1945年7月16日午前5時29分、ニューメキシコ州の砂漠地帯でトリニティと呼ばれる世界初の原子爆弾が爆発しました。

この時、プルトニウム239、ストロンチウム90、セシウム137、テクネチウム99など、それまで自然界に存在しなかった数十種類の放射性同位元素が大気中に放出されました。

その後、アメリカに続いてソ連、イギリス、フランス、中国が核実験を行い、35年間で1,000回以上の大気圏核実験を行が行われました。結果、大量の放射性同位元素を地球上のあらゆる場所に拡散し、世界のどこでも大気にはごく微量ながらこれらの放射性同位元素が含まれるようになりました。

これが以外な場所に影響を及ぼしました。それが鉄鋼産業の世界です。

非常にポピュラーな鉄鋼製造法であるベッセマー法は、溶かした鉄に空気を吹き付けて鋼を作ります。

1850年頃に考案された鋼鉄の製造法で、溶けた銑鉄に含まれる不純物と吹き込んだ空気との間で酸化還元反応を生み出し、不純物を酸化物として取り除く手法。ベッセマー法の発明によって鋼鉄の生産コストは約6分の1ほどに減少し、大量生産が可能になりました。

しかし1945年以降、製造工程で吹き付けられる空気に放射性同位元素が含まれるため、ごく微量ながら鋼にも同位元素を含んでしまいます。

 

2. 低バックグラウンド鋼鉄とは

おおよそ通常の利用用途では、放射性同位元素を含んでいても特に問題はありません。しかし、高感度の科学機器の中にはこのような低レベルの放射線であっても、問題が生じる場合があります。

例えば、病院や原子力発電所で使用されているホールボディカウンター。

これは人が体内に吸収した放射性物質の量を測定する装置です。

自然放射線が測定に影響するのを防ぐため、ホールボディカウンターの部屋は厚い金属の遮蔽物で覆われなければならないのですが、もし金属が放射性同位元素を含んでしまうと測定に狂いが生じてしまいます。

同じような形で、放射線を検出するガイガーカウンターに使われる金属も、それ自体に放射線が含まれてしまっていてはうまく検出ができません。

そのためこれらの機器に用いる鋼鉄は、「低バックグラウンド鋼鉄(Low-background steel)」でないといけません。これは放射線を出さない金属のことで、一般的には1945年7月16日以前に生産された鋼鉄を指します

トリニティ計画、そして広島・長崎の原爆投下以降、原子力は非常に重要な技術になり、1950年代から1980年代にかけてホールボディカウンターやガイガーカウンターが重要になったため、材料となる低バックグラウンド鋼鉄の需要は増していきました。

ではどうやって入手すればいいのか。

その答えは、「1945年7月16日以前に生産された鋼鉄を使う」です。

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3. 考古学的に価値のある金属の需要

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沈没した軍艦の再利用

アメリカでは低バックグラウンド鋼鉄は、1945年以前に退役した軍艦のものが最も安価だったのでよく使われました。

例えば、1942年に就役し1962年に退役となったUSSインディアナの船体プレートは、イリノイ州のVA病院やユタ州のメディカルセンターでホールボディカウンターを建設するために使用されました。

沈没船もかなり再利用されました。例えば、1919年にスコットランドのオークニー諸島で沈没した第一次世界大戦中のドイツ帝国艦隊の残骸も低バックグラウンド鋼鉄の材料とするために引き揚げられたことがあります。 1974年には、同じくドイツ帝国海軍の弩級戦艦SMSクローンプリンツ・ヴィィルヘルムの船体プレートがスコットランドの病院のホールボディカウンターの建設に使用されました。

また、ドイツ海軍戦艦マルクグラーフの鋼鉄は、アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号や宇宙探査機ボイジャー1号、ボイジャー2号の放射線検出器に使用されたとの噂もあり、これが本当であれば、宇宙戦艦ヤマトではないですが、宇宙に進出した唯一の戦艦です。

 

古代や中世の歴史的遺物の再利用

難破船の再利用は鋼鉄だけではなく、鉛でも行われています。

鉛も大気中の放射性物質による汚染の影響を受けやすい素材です。

1980年代、電子機器メーカーは通常の鉛から放出される放射性物質がマイクロチップの製造に影響を与えることを発見しました。そのため、「低バックグラウンド鉛」の必要性が生じ、メーカーは400年前の中世のステンドグラスを解体して、古い鉛を新しい鉛に交換したそうです。

最近では、2010年にイタリア国立核物理学研究所がニュートリノを検出する実験「Cryogenic Underground Observatory for Rare Events(CUORE)」の低バックグラウンドの遮蔽物を必要としました。そこでイタリア国立考古学博物館の許可を得て、約2,000年前にサルデーニャ島沖で沈没した古代ローマの難破船から採取した270個の鉛を溶かして、遮蔽物を作ることにしたのです。

このような考古学的に価値のある金属は非常に高値で取引され、例えば約300年前のスペインのガレオン船サンイグナシオ号の鉛は1kgあたり33ドルと、通常の鉛の12倍近い価格で取引されています。

市場に出回る低バックグラウンド鉛のすべてが、明確な出所があるわけではなく、中には考古学的に価値のある難破船から違法に引き揚げられたものもあるのではないかと懸念されています。  

では沈没船を始め歴史学的に価値のある遺物が盗掘されてしまう、と心配になりますが、幸運なことに低バックグラウンド金属の需要は近年低下しています。

 

4. 近年の低バックグラウンド金属の需要の低下

1963年、アメリカ、ソ連、イギリスは限定的な核実験禁止条約を結び、大気圏内での核実験を禁止しました。フランスや中国は1980年まで大気圏核実験を続けたものの、その後の大気中の放射性物質は1963年時点の30分の1にまで減少しました。

鋼鉄の製造方法の変化もあります。

ベッセマー法自体も古い技術となり、吹き付けの際に大気中の空気の代わりに汚染されていない純酸素を使用するLD転炉が主流になっていきました。

また電子機器の進歩により、科学機器が放射性物質の放出を補正できるようになったため、ニュートリノ検出器のような最も感度の高い機器以外では、低バックグラウンドの鋼鉄は必要なくなっていきました。

こうして、現在の製品開発のために過去の歴史的な遺物を再利用するということは、かつてに比べると大幅に少なくなりました。

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まとめ

核技術の登場により、政治や経済だけではなく、核兵器を生み出した科学技術自体も制約を受けることになるというのは何とも皮肉なことです。

大気中の放射性物質による汚染は、ヴィンテージワインの判別にも使われていて、1945年以前に生産されたワインであるかどうかは、汚染物質の有無によって判断されるのだそうです。

裏を返せばどのワインにも放射性物質が微量に含まれているということで、日々私たちは放射性物質を接種しながら生きているということを思い出させてくれます。

本当に、核技術の登場は私たち人類の歴史を後戻りができないレベルで変えてしまったのですね。

 

参考サイト

"THE BIZARRE MARKET FOR OLD BATTLESHIP STEEL" Today I Found Out

"なぜ「沈没船の鋼」が放射線を検出するガイガーカウンターに用いられてきたのか?" GIGAZINE