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東ドイツの男性スパイ「ハニートラップ作戦」の実話

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西側の「寂しい女性」に恋をさせ機密情報を暴露させる

通常ハニートラップと言えば、女性スパイが男性に仕掛けるものです。

セクシーな女性スパイの色仕掛けに理性を失い、機密情報を盗まれたり、破廉恥な行為をビデオで盗撮され、失脚したりクビになったりしてしまう。

しかし、冷戦時代に「もっとも成功したスパイ」はその逆で、男性が女性に対して仕掛けたハニートラップでした。

仕掛けたのは東ドイツの秘密警察シュタージ傘下の対外諜報機関「HVA」。東ドイツのイケメンを用いたその作戦は通称「ロミオ・トラップ」と呼ばれています。

 

1.  マルクス・ヴォルフの「ロミオ・トラップ」

シュタージはドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察で、国内外の諜報活動を統括する組織でした。主に西ドイツをはじめとした西側諸国へスパイを送ったり、秘密警察を通じて国民思想の監視を行ったりなど、東ドイツの情報セキュリティを一手に握りました。

1958年、シュタージの傘下に対外諜報機関「Hauptverwaltung Aufklärung(HVA)」が設立され、責任者にマルクス・ヴォルフ少将が任命されました。

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Attirbution: *1

ヴォルフは西ドイツをはじめとした西側諸国にスパイを送り込むにあたって、情報を持つ人物にいかに安全かつ効率的に接触できるかの方法を検討しました。

東ドイツの友好国・ソ連は、冷戦の初期には既に「ハニートラップ」の技術を完成させていました。それは主に美しいロシア女性を使って西側諸国の男性の外交官や大使館員を油断させ、情報を盗み出すというものです。しかしこの方法は「一夜」の単発任務が大半であったため、重要な情報を獲得できる確率も低いものでした。

ヴォルフはもっと大規模で長期的な関係を築いて、重要な情報を入手する方法がないか考えました。その結果考えだされたのか、男性ではなく女性をターゲットとする諜報活動です。

 

西ドイツの首都ボンには全土から社会的野心をもった若い女性が多く集まっていました。それに比べてボン在住の未婚男性は不足しがちで、女性のパートナー獲得はまさに競争でした。

官邸や大使館といった職場はキャリア形成を求める女性の華型の職場でありましたが、その仕事は概して激務。彼女たちは毎日夜遅くに退社して家に帰り、翌朝早朝から職場に出かけるような、職場と家とを往復する日々を過ごしていました。

また、扱う情報の機密性から日々の行動を厳しく制限され、プライベートの交友関係にも厳しい注文がつきました。

ただでさえパートナー獲得が難しいのに、出会いも制限され、必然的に職場内結婚が多くなります。職場の女性同士の競争も激化し「負け組」が生じます

婚期を逃した女性は、お金には不自由しないものの、同僚や友人が家族や恋人と幸せな日常を過ごすのを横目で見ながら、平日は激務をこなし休日は一人で過ごす、空虚な生活をおくるわけです。

ヴォルフが目を付けたのはそのような「異性を惹きつけられない劣等感」を強く持つ女性でした。彼女らに素敵な男性「ロミオ」をあてがって恋に落ちさせれば、機密情報にアクセスするのも容易ではないのか。

ヴォルフの読みは見事に当たり、この作戦は多くの成果を出すことになるのです。

 

2. 「ロミオ」の手口

ロミオになれるのは、背が高く金髪碧眼。パーティーが好きで明るく、人懐こい性格の男性でした。

ロミオはターゲット女性に近づく際、「自然な出会い」 を装いました。例えば、友人とのパーティーやピクニックなどで、「友人の友人」として紹介されたりなど。

警戒されないように、最初に話しかけるのはロミオではなくターゲット女性からでなくてはいけず、奥手な女性は難しかったでしょうが、そこを乗り越えて接触に成功してしまえば、話術も巧みな素敵なルックスの好青年に、女性が恋に落ちるのは簡単だったでしょう。

知り合ってしばらくした後、ロミオはターゲットに、自分は「スパイ」または「国家機密を扱う特殊任務」をしていることを打ち明けます。もちろん東ドイツから来たとは言わず、「カナダ」や「スイス」など西側諸国や中立国の名前を挙げました。

そのうえで、自分は今仕事で困っている、問題を抱えている、と相談します。事態の打開のために協力してほしい、君の協力が必要なんだと女性に求める。そうして、彼女の職場の機密情報を、写真に撮らせたり、コピーさせたりなどして提供させるのです。

こうして集められた機密情報は、本国東ドイツのシュタージの本部に集められました。

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3. アメリカ大使館職員ガブリエル・クリームのケース

 西ドイツの首都ボンのアメリカ大使館で、通訳兼翻訳者として働いていたガブリエル・クリームもそのようにして「ロミオ」に協力した一人でした。

彼女がロミオことフランク・ディーツェルに出合ったのは1977年7月の夜のこと。当時32歳でした。ライン川のほとりに座って友達を待っていると、背の高い金髪碧眼の男が彼女に向かって歩いてきました。「その瞬間、既に恋に落ちてしまった」とクリームは後に述懐しています。

友達が急用で来れなくなったから、自分が代わりに来た、一緒に食事に行きませんか、とディーツェルは言います。クリームは、断りたかったが抵抗できなかったそうです。ディーツェルはクリームに自分は「世界平和を目指す国際的な研究会社で働いている物理学者だ」と紹介しました。

その3か月後に交際が始まりました。間もなくクリームはディーツェルに大使館の機密文書を提供するようになりました。彼女は月に一度ほどディーツェルと会い、アメリカ大使館の防衛関連の書類を撮影した写真を何度も渡しました。彼女はディーツェルがその写真を何に使うか、聞くことができませんでした。ディーツェルを失うことを恐れたのです。

 

7年間の交際を経てもディーツェルは結婚を決断せず、40歳を目前にしたクリームはうんざりして別の男性と結婚しました。

1991年、クリームはスパイ容疑で逮捕され、ディーツェルが東ドイツのシュタージの将校であり、自ら提供した情報がすべて東ドイツに流れていたこと、彼女との「仕事」が認められて勲章を授与されていたことを知ったのでした。

既にベルリンの壁は崩壊し、ドイツは統一されていましたが、クリームは国家反逆の罪に問われ、裁判にかけられました。1996年に判決が下り、執行猶予付きの判決と罰金が科せられました。冷戦中はもっと重い罪に問われたケースもあり、彼女の場合は非常にラッキーでした。

なお、ディーツェルはクリームが逮捕される数年前に交通事故で他界しています。

 

4. 東ドイツのスパイ、ゲルハルト・バイエル

「ロミオ」となった人物の話を紹介します。

西ドイツに住むゲルハルト・バイエルは1960年代から西ドイツで暮らしていましたが、思想的には東ドイツの社会主義を信奉しており、志願してスパイとなりました。彼は西ドイツの諜報機関「Bundesnachrichtendienst (BND)」の将校を装っており、偽の身分証明書を持ち歩いていました。
常に4~5人の女性と恋人を装って諜報活動を行っていましたが、彼の最も成功した情報源は、西ドイツ陸軍の上級将校の娘でした。

バイエルは全国紙に偽の採用広告を掲載し、それに応募してきた女性と面接した後に恋人関係に盛っていくという手法を多用していました。募集してきた女性の父が情報源として非常に有力であることに気づいた彼は、すぐに彼女と恋人関係になり、応募した仕事は実際には存在しなかったことを告白しました。その代わりに、BNDの諜報員としての彼の身分を利用し、彼女の愛国心に訴えて、国のために役立つ仕事に加わるように説得しました。

彼女はブリュッセルにある当時の欧州共同体のタイピストになりました。そうしてタイプした書類を写真に撮って持って帰るように指示したのです。バイエルはその仕事は西ドイツのためだと彼女に語りますが、実際はそのまま東ドイツに送られました。

その情報源を手放したくなかったバイエルは、彼女と偽装結婚しました。神父を含む教会の人物は変装したシュタージの職員だったそうです。

情報源確保のために偽装結婚をしたスパイは少なくなかったようです。西ドイツで偽装身分のまま籍を入れるのは非常にリスクの高い行為でしたが、籍を入れることに成功したらより安全にスパイ活動を行えました。

ちなみに、バイエルは現在でも「元情報源」と結婚しているそうです。

バイエルは偽装結婚をするうちに本気で彼女を愛するようになり、逮捕され刑務所に拘留されましたが、釈放された後は彼女と和解し、今では幸せに暮らしています。

 

5. ロミオ・トラップの成果

 冷戦時代に「ロミオ」工作員に騙された女性がどれだけいたのか、正確にはわかりません。西ドイツでは少なくとも、40年の間に約40人が東ドイツのスパイへの協力で起訴されていました。実際にはもっと多くの人がいたと思われます。

ロミオ・トラップは男性スパイが有名ですが、女性スパイも存在したようです。ロイターの記事では、西側から観光やビジネスでやってきた人物に接触して恋人になり情報を聞き出す女性スパイの存在がいたことを伺わせます。

 シュタージは東西ドイツ統一で解体され、HVAのトップであるヴォルフはソ連に亡命しました。ソ連崩壊後は中立国オーストリアに亡命しますが、1991年にドイツに帰国し逮捕されました。CIAからそのスパイ育成の手腕を買われてアメリカへ来ないかと言われますが彼は拒否。その後もイスラエルのモサドやイギリスのM16からもオファーがあったようですが、すべて拒否し、ベルリンで余生を過ごし2006年に死んでいます。

しかし東ドイツが滅び、ロミオの生みの親であるヴォルフが死んだからといって 、かつてロミオとなった人物や、スパイとなった女性たちの「かつてスパイ活動を行っていた」という社会的レッテルは消えることはありません。彼らは「国のため」「恋人のため」にやれることをやっただけなのですが。

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まとめ

 ハニートラップと聞くと、映画みたいな話でワクワクします。

しかし東ドイツのロメオ・トラップは、実際のところ派手ということはなく、何年もかけてターゲットと関係を作り、淡々と情報を得ては本国に送るという地味な仕事であったようです。

女性たちも彼氏がこの情報がどのように使われるか知らなかったようですが、スパイも本国がこの情報をどう使うか知らなかったに違いありません。また、その活動を保証した国家が既にこの世にないという点がどうにも救われない話であります。

 

参考サイト

"The spy who loved her" The Guardian, Thu 18 Nov 2004 09.59 GMT

 "The spy who loved me? West German recalls Stasi manipulation, imprisonment" REUTERS, OCTOBER 31, 20192:59 AM

"Victims of Cold War 'Romeo spies'" BBC News, 07:54 GMT, Friday, 20 March 2009

Markus Wolf – Wikipedia

*1:Wolf, Markus (Leiter der Hauptverwaltung Aufklärung im Ministerium für Staatssicherheit (MfS), stellvertretender Minister für Staatssicherheit, Generaloberst), DDR (GND 118854925), Acession Number: Bild 183-1989-1104-040