人気急上昇中のインド料理の奥深い歴史
これまでインド料理と言えばほとんどの人は「カレー」しか知らなかったと思います。
しかし近年、ネパールや南インド、スリランカ、バングラディシュなどの本格的な南アジア料理を出すレストランが増え、カレーだけでも星の数ほど種類があるし、その他にも様々な料理のバリエーションがあることが知られるようになりました。
数ある南アジア料理の中でも最近注目されている料理がビリヤニです。
ビリヤニはインド人のみならず南アジアの人々の大好物で、お祭りや結婚式などのお祝い事には欠かせない料理。日本ではSNSを中心にビリヤニ人気が高まり、都内でもビリヤニを提供する店が激増しました。
楽しく美味しいビリヤニの歴史と、その歴史的文脈が抱えるインドの価値観の戦いについてまとめていきます。
1. ビリヤニとはなにか
Photo by Garrett Ziegler
インドの国民料理ビリヤニ
ビリヤニとは、スパイス、肉、野菜などを入れて炊きこんだスパイス炊き込みご飯です。
材料にはギー、タマネギ、エンドウ豆、豆、クミン、クローブ、カルダモン、シナモン、ベイリーフ、コリアンダー、ミント、唐辛子、パプリカ、ショウガ、にんにくなどさまざまな材料が入れられます。後に紹介するように、使う材料や技法、地方によって材料が異なります。
チキンやマトン、ラム、ビーフをじっくり炊き込むのが基本ですが、エビや魚のビリヤニもあるし、ベジタリアンのビリヤニもあります。付け合わせには、ライタと呼ばれるヨーグルトソース、チャツネ、玉ねぎのピクルスなどが添えられ、味変しながらいただきます。
ビリヤニの本場インドは地方によって様々な料理がありますが、インド国民みんなが大好きな料理を一つ挙げよとなったらビリヤニになると思います。いわば国民料理です。
インド版Uber EatsであるSwiggyでは、毎分95個のチキンビリヤニが注文されているそうです。大人数が集まるパーティでは必ずと言っていいほどビリヤニが出ます。ぼく自身も、東京都内でインド人かネパール人と思われるグループがお花見をしながら楽しそうにビリヤニを食べる姿を何度も見たことがあります。
日本で関心が高まるビリヤニ
「ビリヤニねえ。どうせカレー混ぜご飯でしょ?」
と思ったあなた。いいえ。まったく違います。
スパイスの複雑な香り、肉のコク、バスマティ米の食感、付け合わせのヨーグルトや玉ねぎのフレッシュな味わいが混然一体となり、一口ごとに味わいが変わります。本当に不思議なんですけど、毎回口の中の味わいが変わるんです。一口食べたらすぐに次の一口が食べたくなります。まったく飽きることがありません。一度食べるとふとした拍子に無性に食べたくなる、ドラッグに近い食べ物です。
こちらは2004年から2021年までの日本での「ビリヤニ」という単語のGoogle検索数の推移です。2017~2018年頃から急増しているのが分かると思います。
ビリヤニの関心はますます高まっており、現在はインド料理店で食べるのが主です。今後コンビニやチェーンレストランでも取り扱われたりすると、もっと一般的になっていくと思います。
ではインド人がこよなく愛するビリヤニはどのようにして誕生したのか、その歴史を見ていきたいと思います。
2. ビリヤニの起源
ビリヤニという名前は、ペルシャ語で「揚げた」「焼いた」を意味する「Beryā(n)」または「Birian」に由来しています。その由来通り、ビリヤニのルーツはイランというのが定説です。
現在のイランで食べられているのは「プラオ」と呼ばれる野菜や肉、ドライフルーツを混ぜて炊き込んだご飯です。プラオはペルシアから世界中に広まり、トルコでは「ピラウ」となり、ウズベキスタンでは「ポロ」、ロシアでは「プロフ」、フランスでは「ピラフ」、スペインでは魚介が加えられ「パエリア」になりました。インドにもプラオは入ってきて「ムガル風プラオ」にローカライズされました。このムガル風プラオがビリヤニです。
ペルシアのプラオは繊細な味付けで、米の芳ばしい香りを際立たせる点に特徴があるのですが、ビリヤニは香辛料をたっぷり効かせる点に特徴があります。
とはいえ厳密な区別が難しいようです。詳しくはこちらの記事をご参照ください。
ビリヤニは恐らくペルシャまたはアラビアで生まれ、ムスリム商人や旅行者などによって、いくつかの異なるルートを経て断続的にインドに入ってきたと考えられています。
一方で、ムガル帝国の初代皇帝バーブルがインドを征服する前からインドで調理されていたという説もあります。16世紀にムガル帝国で書かれた『アイン=イ=アクバリ』によると、「ビリヤニ」という言葉はインドで古くから使われている言葉であると記されています。
しかし決定的な証拠がなく、はっきりしたことは分かりません。それが故にさまざまな伝説や俗説が存在します。
もっとも有名なものが、ムガル帝国初代バーブルの高祖父の父であるティムールが、故郷サマルカンドから北インドに持ち込んだというものがあります。
シャー・ジャハーンの妻でタージ・マハルに葬られていることで有名なムムターズ・マハルが、「軍隊のための完璧な食事」としてビリヤニを考案したという伝説もあります。
その他には、遊牧民が肉や米、スパイスを入れた土鍋を穴に埋め、その後掘り起こされた土鍋に入っていたものがビリヤニと呼ばれるようになったというものもあります。
シャー・ジャハーンの時代の「モンゴル・ブリンジ」
第二代皇帝フユマーンはペルシア亡命が長かったためペルシア文化にどっぷりハマり、インドに帰国する際にはペルシアから多数の料理人を連れてきました。ここでペルシア料理のメインディッシュであるプラオがムガル宮廷で食べられるようになりました。ですが、インドで好まれたプラオは、ペルシアのものとは違い、インドらしい香辛料を効かせたものです。
いつ「ビリヤニ」が誕生したかは定かではありません。少なくとも、贅沢を好んだ第五代皇帝シャー・ジャハーンの時代にはプラオと区別されたビリヤニらしきものが作られていたようです。ポルトガルの探検家セバスチャン・マンリケは、1641年にラホールを訪れた際に豪勢な料理が並ぶ市場について書き残しています。
食欲をそそるおいしい食べ物で埋め尽くされた市場……なかでも食べ応えがある主要な食べ物は、よい香りのする贅沢なモンゴル・ブリンジ(ビリヤニ)とさまざまな色のペルシアのピラウだ。
ブリンジとは「食べ物」のような意味で、おそらく米のことだと思われます。「モンゴル風の米料理」というニュアンスで、ここで言うモンゴルはムガル人なので、ペルシア風のプラオとは異なる、ムガル人の米料理というものが出来上がっていたことが分かります。さらには、マンリケが訪れたラホールは現在のパキスタン北部にある町で、首都デリーとは離れており、この時代に地方ですでにビリヤニが売られ、しかも庶民にも手が届くものだったことが分かります。
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3. ビリヤニの発展
ビリヤニが地方に広まる過程で重要な役割を果たしたのが、首都デリーから地方に総督として派遣される皇帝の臣下たちでした。彼らが地方に下る時は、デリー宮廷の下働きの者たちを大量に連れていきました。料理人も然りで、彼らが地方に持ち込んだデリーのムガル宮廷の料理文化が地方に伝播し、そこで独自の発展をすることで現在のインドの「ご当地ビリヤニ」が誕生しました。
ハイデラバーディ・ビリヤニ
Photo by Garrett Ziegler
ハイデラバードは中部デカン高原にある都市で、1948年まで存在したニザーム藩王国の主都として繁栄しました。ハイデラバードと言えばビリヤニ、と言われるほどハイデラバーディ・ビリヤニは有名です。
もともとハイデラバードはゴールコンダ王国という国でしたが、1687年にアウラングゼーブ帝によりムガル帝国に征服され、中央からムスリムの太守(ナワブ)が送られました。1724年、将軍カマルッディーン・ハーンがこの地に独立した王国を築き、帝国の豊かな食文化を花開かせました。
ハイデラバード国王は極めて富裕で、ビリヤニも魚、エビ、ウズラ、シカ、ウサギの肉などを使って50種類近くを作ったと言われています。ハイデラバーディ・ビリヤニは、具材とスパイスが何層にも重ねられ、極めて複雑な味と芳醇な香りのビリヤニです。
アルコット・ビリヤニ
南東部タミル・ナードゥ州のアルコットもビリヤニで非常に有名です。
この地もアウラングゼーブ帝の遠征によって征服され、部下のズルフィカール・ハーンによって統治されました。やはり中央からやってきた料理人によってビリヤニがもたらされ、タミル・ナードゥの風土にローカライズされました。
アルコット・ビリヤニには、ダルチャ(酸味のあるブリンジャル《茄子》マサラカレー)とパチャディ(ライタの一種)が添えられるのが一般的です。アルコット・ビリヤニの派生料理として、タミル・ナードゥ州の伝統的な米である扁平なシーラガ・サンバ米を使用したアンブール・ビリヤニというのもあります。
アワディ・ビリヤニ
アワド・ビリヤニはまたの名をロクナウ・ビリヤニとも言い、北東部ウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウの名物料理です。
この地はかつてアワド藩王国の主都で、アワド太守(ナワブ)が置かれムガル帝国の北東部の要でした。そのため、ムスリムの食文化が色濃く残ります。
アワド・ビリヤニは、肉がしっとり食感が柔らかく、スパイスもマイルドなのが特徴です。肉からヤクニ(スープストック)を作り、スパイスを入れた水で2時間以上かけてじっくりと煮込み、柔らかく煮えた肉を使ってビリヤニを焚きこむため、他の地域のビリヤニよりも繊細な風味であると言われます。
コルカタ・ビリヤニ
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西ベンガル州の州都コルカタの名物コルカタ・ビリヤニは、ムガル帝国が崩壊しイギリスによる統治が始まる直前の、1856年に誕生しました。
アワド最後の太守ワジド・アリ・シャーは、領地がイギリスに占領されて追放された後、西ベンガル州に逃れ各地を転々とした挙句、コルカタに落ち着きました。
追放されたとはいえ富裕な彼は、アワド時代の富裕で豊かな生活を懐かしみ、コルカタでアワドの暮らしを再現しようとしました。コルカタ・ビリヤニはアワド・ビリヤニの再現であるのです。
ですが完璧な模倣ということではなく、ベンガルの文化を取り入れ、黄色のジャガイモを加え、肉にヨーグルトベースのマリネ液を使い、薄黄色の米とは別に調理することに特徴があります。
タヒリ・ビリヤニ
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タヒリ・ビリヤニは、18世紀後半マイソール王国の強力な国王だったティプー・スルターンが南インドのマイソール地方に伝えたとされています。ルーツはハイデラバードの王室料理でした。
マイソールにはヒンドゥー教徒のベジタリアンが多く、ティプー・スルターンのシェフもヒンドゥー教徒であったため、肉の代わりにジャガイモやニンジンなどの野菜を使ってビリヤニを作ったとされています。ヒンドゥー教徒も食べられるビリヤニということで、とても人気がある一品です。
他にも、ナワヤート、ボーリ、チェッティナドゥ、タラセリーなどインド各地の都市部の名を冠したビリヤニも多くあります。
また、ダッカイヤ、スリランカ、ビルマ、アフガンなど近隣諸国にもビリヤニにインスパイアされた料理があります。
基本的にはビリヤニは、ムガル帝国のムスリムの支配者の食文化で、ムガル帝国の地方支配が進む過程で地方に伝播し、その地方の土地に根差した食材を取り入れて独自に進化していきました。
手間暇がかかるため、かつては貴族のみが食べられる高級料理でしたが、インドの経済発展によって中間層が成長し、庶民にも手が届く料理となりました。
ちょっと奮発する時や皆が集まる時に欠かせない料理という意味だと、日本で言うと寿司に似てるかもしれません。ただ各地で独自の進化を遂げているという点だとラーメンやうどんに近いかもしれません。ちょっと日本では適当な例えがありません。
インドでは人々がビリヤニを非常に愛していますが、その一方でビリヤニはムスリム文化に起源があるため、ヒンドゥー至上主義者(ヒンドゥートヴァ)の人々に敵視されることがあります。
4. ヒンドゥー至上主義が憎むビリヤニ
一部のヒンドゥー至上主義者は、ビリヤニはインドの国民や文化の統一性を内側から壊すものと考え、敵視する傾向があります。2021年現在インドの与党である人民党所属の政治家を始め、ヒンドゥー至上主義者の政治家の演説の中で、ビリヤニが悪者扱いされたりしています。
人民党は首都圏区与党のアーム・アードミ党が、近隣の不法移民にインド市民権を与えるがイスラム教徒は対象外とする「市民権改正法」に抗議する市民に対し、ビリヤニを提供していたことを問題視しました。
人民党のスタッフ、アミット・マルヴィヤは「これがシャヒーン・バッグでビリヤニが配られている証拠だ!」と写真付きでツイートしました。
Proof of Biryani being distributed at Shaheen Bagh! pic.twitter.com/ylwnjJr2oy
— Amit Malviya (@amitmalviya) 2020年2月5日
日本人がこの政治的文脈を理解するのはなかなか難しいです。
立憲民主党がデモ参加者へチゲ鍋を炊き出ししたら、「やはり在日!」と右派が攻撃するような感じでしょうか。文脈や尺度はまったく違いますが、感情的には似てるかもしれません。
人民党の支持層であるヒンドゥー至上主義者は、インドの少数派であるイスラム教徒がその少数派の立場を利用して社会的便宜を受け、多大な利益を受けていると考えています。多数派であるヒンドゥー教徒はイスラム教徒に対して宥和的すぎて不利益を被り、一方でイスラム教徒は幅をきかせて利益を得ているという陰謀論的な考えです。
このような考えは今に始まったことではなく、19世紀後半のヒンドゥー至上主義の誕生にまでさかのぼります。当時の貴族層はムスリムで、ヒンドゥ―教徒は多数派であったものの、カーストや宗派に沿った内部分裂のために各々少数派となって団結できず、イスラム教徒に比べて弱いとみなされました。団結力があって政治的・経済的にも強いイスラム教徒に対し、ヒンドゥー教徒が利害や階層を越えて大同団結する必要性が叫ばれました。
ヒンドゥー至上主義者からすると、インド人の多くに人気な料理がイスラム教徒の起源のビリヤニであることは許しがたい事実であり、イスラムとヒンドゥーという2つの文化的統合というものがそもそも存在しないので、マスコミを支配したり政治家に賄賂を渡したりなどして作り出した「うそっぱち」であると考えるのです。
カースト制度とビリヤニ
Yuvraj Trivediは、South Asia Journalへの寄稿で、このような「ビリヤニ・ポリティクス」は公然とカースト主義的な思惑も絡んでいると指摘しています。
ヒンドゥー教的な世界観ではカーストに基づいて秩序が維持され、カーストを区別する重要な因子として食事があり、食べられるもの・食べられないものによってカースト秩序が作られます。純粋で善良な人々はベジタリアンであることが強調されつつ、何を食べるかを見ることで、誰が「純粋」で誰が「悪徳」か、ヒンドゥー的な価値基準で判断・評価されます。肉をガッツリ使っているビリヤニは当然、純粋なヒンドゥー教徒は食べてはならないのです。
Yuvraj Trivediは、ヒンドゥー至上主義者たちがそのような活動を通じ、自分たちが考える理想的な市民を構築し、権力構造に挑戦することは無益で分裂的であると国民に思わせようとしていると批判します。
その上で、ヒンドゥー純粋化の動きに対しては、チキン・ビリヤニの消費量を上げることで、「味覚のカースト」に抵抗することができる、としています。ヒンドゥー至上主義者がビリヤニを弾圧しても、既にヒンドゥー教徒のインド人はビリヤニが大好きだし、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、日本をはじめ、ビリヤニが人気を集めています。人気のビリヤニが攻撃されればされるほど、そのような活動は滑稽なものになるというわけです。
カレーに比べればまだまだマイナーで、値段も高いですが、カレーよりも複雑で味わいが深く、よりディープにインド料理の世界を味わうことができるため、よりファンを増やして普及していくことでしょう。
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まとめ
ビリヤニに関するあれこれをまとめてみました。
日本だと日本ビリヤニ協会のサイトがビリヤニに関する情報が一番詳しいです。
東京や大阪、名古屋といった大都市はもちろん、最近では地方でもビリヤニを食べれる店が増えています。興味がある方はぜひ最寄りのお店でお試しください。
これだけは最後に申し上げておきますが、めちゃ旨いです。
参考文献・サイト
『インドカレー伝』 河出書房新社 リジー・コリンガム著,東郷えりか訳 2006年12月20日初版印刷 12月30日初版発行
"The Story of Biryani: How This Exotic Dish Came, Saw and Conquered India!" The Better India
"From Persia to Your Plate: Origin, History and Types of Biryani" NEWS18
"A CASE ON THE TRADITIONAL BANGLADESHI CUISINE BRAND - HAJI BIRYANI" Mubina Khondkar. Professor, Impact Journal, Department of Marketing, University of Dhaka, Bangladesh, Published 31 May 2018