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社会をダマした稀代の「なりすまし詐欺師」列伝

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世間を驚かせた稀代の詐欺師

世の中には、他人の名前を詐称したり、真偽不明な謎の肩書や権威を名乗って詐欺を働く悪党がいるものです。

たいていは数百万のカネを詐欺する小悪党なのですが、なかには組織や国、はては社会までも騙してしまう「なりすまし詐欺師」がいました。

個人的に「なりすまし詐欺師」というものに興味があって、このブログでも多く紹介しています。この記事ではこれまで紹介できていなかった詐欺師をピックアップしています。過去記事は記事の末尾にリンクを張っているので、そちらもぜひどうぞ。

 

 1. フェルディナンド・ウォルド・デマラ・Jr.(アメリカ)1921~1981

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 医療将校になったペテン師

 フェルディナンド・デマラは若いころから頭は良く名誉欲は非常に強かったものの、忍耐力がない男でした。

真面目に働いたり学習せずに成功したいと望むデマラは、身分を偽装して他人に成りすまし、ハッタリと騙しで名誉ある地位に就こうとしました。

デマラは医学将校を志し、医学部卒業の書類を偽装しますがバレて逮捕されてしまいます。出所後、セシル・ハマンという人物になりすまして大学講師になり、ノースイースタン大学などで教鞭を取り、ガンの専門家を名乗りました。

その後カナダ人医師のジョセフ・シルと出会い、彼の身分証明書を偽造して本人になりすまし、カナダ海軍に入り朝鮮戦争に軍医として従軍。ズブの素人が責任ある戦場の医師になったわけですが、彼は治療を部下であるボブ・ホーチン下士官にすべて一任。医療の知識がないことをバレないようにしました。部下は部下で、自分の仕事を邪魔しない上官がいて、さらに責任ある仕事を任されていることに満足していたようです。

ところがある時、朝鮮人の難民3人が船に乗り込んで治療を求めてきました。デマラは教科書を頼りにして3人の治療に成功し、1人の男性の足の切断にも成功しました。素人のくせに、よくやったものです。

その功績が認められて彼は表彰され、写真付きで本国カナダでも大きく報じられました。しかしシル医師の実の母親がこの記事を見つけてしまいます。

「こいつは誰だ!うちの息子は軍医なんかじゃない」

当然大問題になり、カナダ政府は1951年11月にデマラをクビに。カマラはアメリカに強制送還されました。

 

2. キャシー・チャドウィック(カナダ)1857~1907

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 カーネギーの娘を名乗って遺産をだまし取った農民出身の女

キャシー・チャドウィックはアメリカの1870年~1880年代の「金ぴか時代」を代表する詐欺師で、実業家アンドリュー・カーネギーの遺産をだまし取った人物として有名です。

キャシー・チャドウィックという名前も彼女が名乗ったいくつかの偽名の一つで、本名はエリザベス・ビグリーと言います。カナダ・オンタリオ州の農民の娘に生まれたキャシーは、姉の住むアメリカに渡ってから偽名を使って2度結婚しますが浪費癖もあって離婚。1893年に医師リロイ・チャドウィックと3度目の結婚するも、浪費癖は治らずに当時の富裕層として有名だったロックフェラー家やマザーズ家と並ぶほどの消費をしていました。

さらなる1897年の結婚後、キャシーは、アンドリュー・カーネギーの家を訪ねて、ひょんなことからカーネギー家で働く家政婦がカーネギーの隠し子であることを知ったキャシーは、カーネギーを脅迫して相続金を要求。チャドウィックは700万ドルもの約束手形を受け取り、カーネギーの死後に4億ドルを相続する約束を得ました。それから8年間、彼女は偽の経歴を使って最終的に総額約200万ドルの融資を受け、贅沢な日々を過ごしました。

1904年11月、マサチューセッツ州の銀行家ハーバート・B・ニュートンが彼女に融資しようとしたとき、チャドウィックが保有する多数の証券は無価値であり、かつカーネギーが彼女と関係がないと言ったことで彼女に疑念を持ち、警察に通報。 キャシーは詐欺の容疑で逮捕され、チャドウィックもすぐさま離婚を申請しました。

裁判の結果、1906年に刑務所に送られるも、翌年刑務所内で死亡しました。

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3. グレガー・マグレガー(イギリス)1786~1845

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 ハッタリと博打で生き抜いたスコットランド軍人の人生

グレガー・マグレガーはスコットランドの軍人一家の生まれ。

16歳で英国陸軍に入隊して第57歩兵連隊に所属し、才能はあったようでわずか1年で中尉に昇進します。1805年6月に英国海軍提督の娘である裕福な女性、マリア・ボワターと結婚し、妻の金を使って大尉の階級を入手。さらに出世しました。

しかし1809年に少佐となった彼がポルトガルに派遣されたとき、上官と意見が合わずに反発し除隊。イギリスに戻り、さらに出世を目指そうとしたところで妻が亡くなって経済的に困窮してしまいます。

そこで一発逆転を目指して南米に向かい、「サー・グレゴール」と名乗り、ベネズエラの革命家フランシスコ・デ・ミランダ将軍に自分を売り込みました。有名な第57歩兵連隊出身の少佐が自分に仕えたいということでミランダ将軍は大歓迎し、彼を大佐に任命し、その後騎兵司令官、旅団長、師団長と昇進させました。

ところがベネズエラの王党派との戦いに敗れてミランダ将軍はスペインのカディスに幽閉され、マグレガーもシモン・ボリバルと共に敗走を続けました。

そして1820年、マクレガーはニカラグアにあるモスキート海岸と呼ばれる湿地帯にたどり着きました。ここで彼は、先住民のリーダーを説得して土地を提供してもらいました。

翌年、マクレガーはイギリスに帰国し、「自分はホンジュラス湾にある独立国ポヤイスの王である」と主張し始めました。

そして投資家と入植者を集め始め、株を売って10万ポンドと70人ほどの第一陣移住希望者を集めました。続く第二陣にははさらに200人の入植者が集まりましたが、彼らが到着して見た光景は、広大なジャングルの中に原住民とボロボロになってくたびれ果てた第一陣のイギリス人。彼らは騙されたことを知ったのでした。

諦めきれず定住を目指す者、ホンジュラスの別の場所に移住しようとする者、諦めてロンドンに戻る者と別れ、帰国した人々はこの酷い詐欺話を新聞に告発しました。

マグレガーはイギリスから逃げ出し、次にフランスに渡って同じような投資&移住話でひと儲けしようと企みますが、フランス当局にバレて逮捕され、詐欺罪で裁かれました。最終的には無罪となって、再浮上を目論みつつも、1838年にベネズエラに戻りその地で死亡しました。

 

4. ジョルジュ・サルマナザール(イギリス)1679~1763

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フランス出身の「偽台湾人」

 ジョルジュ・サルマナザールは、18世紀前半のアジアへの関心が高まるイギリスにおいて、自身を「台湾人」と偽って台湾の言語や歴史を記した偽書「台湾誌(Discription of Formosa」を書いたことで有名です。

サルマナザールはフランスの生まれで、若い頃にラテン語をマスターするなど地頭はよかったようですが、職がなく修道士の服を着て托鉢を受けながら各地を転々としていました。ある時、もっと食べ物をもらうためにキリスト教に改宗した日本人を演じてみたところ、いつもより多くの施しをもらいました。味をしめた彼は日本人になりすまして暮らすも、知識が増え始めている日本の人になりすますより、まだほとんど知識がない台湾の人になりすますほうがバレる確率が低いと、台湾人を名乗ることにします。

その後ロンドンに渡ったサルマナザールは、キリスト教徒の台湾の王族と名乗り、ロンドン社交界の人気者となります。エキゾチックなアジア出身ということで社交界でモテて、かつ様々な質問を受けた彼は、自分で考えた台湾の知識を見事にそらんじてみせました。彼は自分で考えた「台湾語」すら披露してみせました。

1704年には「台湾誌」を執筆。本はベストセラーとなり、講演依頼が殺到。サルマナザールは一躍セレブの一員となりました。

ところが、中国帰りのイエズス会司祭ジャン・ド・フォンタネーがサルマナザールの著作を虚偽だと訴え出たことから彼の凋落が始まります。すったもんだのあげく、サルマナザールは台湾誌が虚偽であるばかりか、自らが台湾人というウソを公にし、半ば追放されてしまいました。

 

5. ハリー・ドメラ(ラトビア)1905~1978

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偽のドイツ皇太子を演じたラトビア出身の兵士

ハリー・ドメラはラトビア西部のクールラント(当時はロシア帝国の一部)に住むドイツ系一家の生まれ。

15歳でロシア軍に入隊し第一次世界大戦に従軍するも、戦後はラトビア共和国が成立したため、ドイツ系であった彼はドイツに移住しました。若すぎたドメラはドイツ軍に入ることができず、カネを稼ぐためにコルフ男爵をはじめさまざまな人物の名を偽って詐欺を働き始めました。

ある時ハイデルベルクに赴き、共和国成立後に特権身分を失った貴族たちに自分のが王族であると偽ってアピールし、社交界で人気者になっていきました。貴族たちは、彼が皇帝ヴィルヘルム2世の孫ヴィルヘルム王子に似ていることに気づき、彼こそがどこかで息をひそめて暮らしていると噂される、正当なドイツの王位継承者ではないかと期待を寄せるようになりました。いつか王党派の期待に応えて自分たちの特権身分を復活してくれるのではないか。

噂はドイツ中の王党派に広まり、彼がチューリンゲン州やプロイセンを旅行した際には、地元の王党派の要人や実業家が自費で彼をもてなしました。彼はその名声を利用してお金儲けや詐欺を働くことはなかったようですが、やがて身分詐称の疑いが警察にも注目されるようになりました。ドメラはフランスに逃げようとしたところを逮捕され、刑務所に収監されました。

裁判を待つ間、彼は自分の体験をつづった本を執筆。これはベストセラーとなり、後に映画化もされるほどヒットしました。

 

6. アーサー・オートン(イギリス)1834~1898

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「母さん、俺だよ、ロジャーだよ」

 アーサー・オートンは、1860年代後半に「ロジャー・ティッチボーンの身分詐称者」として有名になった人物です。

彼はロンドンの肉屋の息子で、家業を継がずに貿易船の乗組員となり、1849年に南アメリカに出航して、脱走し、トマス・カストロと名乗ってオーストラリアに渡り、ホバート、ギップスランド、ワガワガと移り住みさまざまな仕事を転々としました。

そんな中、彼は新聞でイギリスの名家であるレディ・ヘンリエッタ・ティッチボーンという未亡人が、息子ロジャー・ティッチボーンを探しているという広告を目にしました。ティッチボーン家の長男ロジャーは莫大な遺産を継ぐ予定でしたが1855年に南米を旅行中に溺死し、次男が遺産を継ぎましたが、次男を憎む母は長男がまだ生きていると信じていて、オーストラリアの新聞に広告を出したのでした。

アーサー・オートンはこれに応募し、自分がロジャーであると主張するためにイギリスに戻りました。ロジャー・ティッチボーンは体重が57キロで、英語とフランス語を話しました。しかしこのオーストラリア人男性は体重が100キロ以上の巨漢で英語しか話せない。誰が見ても絶対違うんですが、母親は「彼はロジャー、私の息子よ」と言って、彼を正式に息子と認定、遺産相続を約束してしまいました。

こうしてまんまと多額の遺産を相続したオートンですが、母親が死んだとき、弟はただちに彼を詐欺師であるとして訴訟を起こしました。裁判で被告員はロジャー・ティクボーンの過去に関する基本的な事実を思い出せないことが判明し、裁判所は詐欺だと裁定し逮捕されました。
彼が10年間刑務所で服役したら100キロあった体重が40キロ近く落ちたところ、親族が見てもびっくりするくらいロジャーに似ていたそうです。そのため多くの人が本当にこの男はロジャーなのかもしれない、と疑いすらしました。とはいえただ似てただけで、オートンが詐欺であったことはほぼ確実なのですが、彼が1898年に亡くなったとき、家族は「ロジャー・チャールズ・ダウティ・ティクボーン」という名前を墓石に刻むことを許可しました。

 

 7. プリンセス・カラブー(イギリス)1791~1864

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 インド洋に浮かぶジャバス島のカラブー姫を名乗った女

プリンセス・カラブーは本名をメアリー・ベイカーと言い、インド洋に浮かぶジャバス島の王女を名乗って一世を風靡した人物です。

1817年4月、グロスターシャー州のアーモンドベリーに20代半ばの不思議な言語を話す女がやってきて宿を求めました。村人は地元の治安判事サミュエル・ウォラルの家に連れていき、ウォラルと妻エリザベスは、親切に彼女をもてなしました。

応接室の壁にはパイナップルの絵が飾られており、女はその絵を指して、インドネシア語でパイナップルを意味する「ナナス」という言葉を話ました。また女は、中国の絵に興味を持ち、床で眠り、ウォラル家の屋根に登って祈るなど、不思議な行動をとり、自分のことを「カラブー」と呼び、お茶と野菜しか食べませんでした。人々はこの女はアジア出身だと信じるようになりました。

この不思議な外国人の噂は広まり、多くの人が彼女を訪ねてくるようになりました。その中にいたのが、ポルトガル人の船員マヌエル・エイネッソ。彼は彼女の言葉を聞き、彼女はインド洋に浮かぶジャバス島の王女カラブーであると言いました。

「プリンセス・カラブー」は求めに応じてジャバス島伝統のダンスを踊ったり、弓矢を使ったり、フェンシングをしたり、「アラー・ターラ」と名づけた神に祈りを捧げたりしてみせました。有名人になった彼女は、高価な服を手に入れ、肖像画が描かれ、彼女を称える舞踏会が開かれたこともありました。

しかし3か月後、実は彼女は王女でもジャバス島の出身でもなく、自称王女の正体は、デボン州ウィザリッジ出身のメアリー・ウィルコックスという流浪癖のある石工職人の娘であることが発覚しました。

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まとめ

 自分の意志で進んで他人を名乗った人物もいれば、周りに持ち上げられて後に引けなくなった人物までさまざまなですが、いずれも共通しているのは「彼らをホンモノと信じた人がいた」ということです。それは無知もあれば、自分が置かれている状況においてそう信じざるを得ないという能動的なものもあるし、状況が異なってそれぞれ面白いケースです。

 過去の詐欺師列伝は以下よりどうぞ。

 

過去記事

 

参考サイト

"Ferdinand Waldo Demara: One of the greatest imposters the world has ever seen" Independenct

"The High Priestess of Fraudulent Finance" Smithonian Magaizine

"Gregor MacGregor, Prince of Poyais" History UK

"The Fake 'Asian' Who Fooled 18th-Century London" The Atlantic

"FALSE GERMAN PRINCE LIVED A GAY LIFE FOR MANY WEEKS;" THE NEW YORK TIMES

"THE TICHBORNE CLAIMANT (ARTHUR ORTON) c. 1872 Maull & Co Photographers" NATIONAL PORTRAIT GALLERY

"The mysterious Princess Caraboo" THE HISTORY PRESS

"Imposters in history: 16 famous con-artists and pretenders" HISTORY EXTRA