歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

「反捕鯨」の国際世論はどのように形成されたか

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「可哀想」「環境破壊」だけではない、反捕鯨世論構成の歴史

捕鯨問題は日本が欧米諸国と感情的に対立するテーマの一つです。

欧米側は、鯨は絶滅寸前であり捕獲は自然破壊であるし、そもそも鯨は知性のある生き物であるため捕獲するのは非人道的であると主張します。

一方で日本側は、シロナガスクジラなど希少な鯨以外は増加しており、捕鯨は自然破壊にはまったくあたらないし、捕鯨文化は日本の伝統であるため止めることは文化の破壊であると抵抗します。

様々な思惑が交錯する捕鯨問題はなぜこじれたのか、その歴史を整理したいと思います。

 

1. 資源としての鯨

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昔から世界中の漁民の間で鯨漁は盛んでした。

伝統的に鯨を捕獲して食べることで知られるのは日本人、北米先住民、アイスランドやノルウェーなどノルディックの人々ですが、他にも捕鯨文化は広く存在します。

インドネシアのスラウェシ島東部・レンバタ島南海岸のラマレラ村には、伝統的にマッコウクジラを銛で突く漁労が盛んです。フィリピンのパミラーカン島地域ではニタリクジラが採られています。カリブ海諸国ではゴンドウクジラが捕獲されているし、太平洋のソロモン諸島ではイルカ漁が行われています。

これらの国では鯨油や肉のみならず、骨や歯、皮なども生活道具として利用されてきました。

ヨーロッパ諸国が本格的に捕鯨を行うようになるのは9世紀からです。

スペイン、イギリス、オランダは大西洋沿岸のセミクジラやホッキョククジラを捕獲して、陸上に上げて皮を剥ぎ、短冊状に切って巨釜で茹で液状の油を抽出しました。

▼1911年のニュージーランドでの鯨油製造

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その後帆船の巨大化によって、船上で搾油作業ができるようになり、海上で捕らえた鯨は皮をはぎ取られ、身はそのまま海中に遺棄されました。これによって効率が上がり遠洋捕鯨が可能になりました。

抽出された鯨油はオイルランプや灯油に使われたり、石鹸や蝋燭に加工されました。工業が発達して以降は、工具機械の潤滑油として広く用いられた他、マーガリンの原料としても利用されました。

アメリカの提督ペリーが日本沿岸に来訪した目的の一つに、アメリカの太平洋沿岸でマッコウクジラを採り尽くしたため太平洋西部で鯨漁を行う必要があり、そのための基地を確保することがありました。当時、マッコウクジラの油は精密機械用の潤滑油として幅広く用いられ替えが効かない代物でした。

19世紀半ばには、ノルウェー人のスヴェン・フォインによって船首に付けた大砲を鯨に打ち込んで体内で火薬を爆発させる近代式捕鯨が発明されました。

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近代式捕鯨によって足の速いミンククジラやイワシクジラも捕獲できるようになり、20世紀初頭には南極海での捕鯨が活況を見せました。

特に好まれて捕獲されたのはホッキョククジラとセミクジラで、良質な油が採れる上に捕えやすかったため、20世紀半ばには絶滅寸前まで捕獲されました。その後、石油製品や植物油が広く用いられるようになったことに加え、1930年代の鯨油の過剰生産で価格が暴落したことをきっかけに、大規模な捕鯨は衰退していきます。

工業資源だけでなく、食用としての鯨を捕獲する文化がある日本やアイスランド、ノルウェーのような国は欧米の大規模捕鯨が衰退した後も捕鯨を継続するのですが、1970年代から資源保護の観点から反捕鯨の声が高まり、圧迫されていくことになります。

 

2. 資源保護の観点からの反捕鯨

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 捕鯨を国際的に管理する取り組みは戦前から行われていました。

初めての鯨の捕獲制限の取り決めは、1932年に当時の二大生産国イギリスとノルウェーの間での協定で、これは資源保護というよりは過剰生産による価格の暴落を防ごうとするもの。この協定が拡大し、1937年に9カ国で国際捕鯨取締協定が成立し捕鯨の操業日が定まり、また捕獲頭数を申告する決まりになりました。

第二次世界大戦後、食用油の不足から鯨油の需要が高まり、再び鯨の乱獲の懸念が生じたため、1946年にアメリカ主導で国際捕鯨条約が締結され、条約の発効に伴い1948年に国際捕鯨委員会(IWC)が組織されました。

国際捕鯨条約は「捕鯨産業の健全な発展」を意図したもので、条項には科学的根拠に基づく捕鯨が標榜されています。条約の規制の対象はシロナガスクジラやナガスクジラ、ミンククジラなどの13種で、日本近海のツチクジラなど小型の鯨は規制の対象外とされました。

しかしこの規制は管理の役割を果たさず、シロナガスクジラとナガスクジラの数は急速に減少し、1972年には禁漁となりました。

 

環境保護団体の存在の高まり

1982年にIWCは強引に商業捕鯨のモラトリアム(一時禁止)を決定するのですが、その決定に大きな影響を果たしたのがグリーンピースを始めとする環境保護団体にあるとされます。

グリーンピースのウェブサイトには以下のように当時の反捕鯨運動の成果が強調されています。

1970年代半ば、グリーンピースの初期の捕鯨キャンペーンは、それまでになかった方法で捕鯨産業にスポットライトを当て、殺されるクジラの映像を公開したことで、捕鯨に対する世論に大きな変化をもたらしたのだ。

IWCは変わらなくてはならなかった。10年以上にわたる熱心なキャンペーンの後、1982年にIWCが商業捕鯨のモラトリアムのための投票を行ったとき、「セーブ・ザ・クジラ」運動が勝利を収めたのだ。

 グリーンピースは1960年代後半、アメリカ国内で反核運動を行う団体としてスタートしましたが、1975年にニュージーランド人メンバーのポール・スポングが主導して反捕鯨運動を開始してから急激に成長することになります。

当時の活動は、グリーンピースがもっとも成功を収めたキャンペーンとして半ば伝説化しています。

1975年6月27日、カリフォルニアの沖合約80キロで操業するソ連の捕鯨船団を追跡したグリーンピースのフィリス・コーマック号は、ゴムボート3艘を海上に展開し鯨と捕鯨船の間に割り込みました。

ソ連の捕鯨船はゴムボートに銛を打ち込まないように慎重にマッコウクジラに当てたのですが、鯨から流れ出る血が海を赤く染める映像は世界に配信されセンセーションを巻き起こしました。

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ゴムボートに乗った活動家がソ連の巨大な捕鯨船に挑むシーンは、まるで巨人ゴリアテに挑むダビデのようなイメージを視聴者に与え、一躍グリーンピースが環境保護団体として名をあげるきっかけとなりました。

北米やヨーロッパを中心に反捕鯨の世論が高まると同時に、グリーンピースをはじめとした環境保護団体には富裕層などから寄付が殺到。彼らはますます発言力を高めていくことになります。

 

資源保護から完全禁止へ

1970年代後半からアメリカやオーストラリアといった国々は、明確に「反捕鯨」という政策に転換し、これまでの科学的に鯨の頭数を管理し持続可能な捕鯨を行うというアプローチから脱却を図りました。

1975年には最大持続生産量(HSY)の概念を取り入れた新管理方式が導入され、種類ごとに資源量がある水準を超えていれば捕獲が認められましたが、この方式は1982年のIWC総会では無視されました。反捕鯨国は、強引に自分たちの息のかかった国を反捕鯨国としてIWCに加入させ、多数派工作を行って商業捕鯨のモラトリアムを決定させたのでした。

商業捕鯨モラトリアムは、鯨の種類や頭数に関わらず、一切の商業捕鯨を禁止するもの。反捕鯨の世論が強い欧米諸国の政治的な意向が大きく働いたものでした。

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3. 資源保護から動物の権利へ

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サンクチュアリの設定

1982年のモラトリアムはあくまで「一時禁止」で、新管理方式では科学的に不確実性があるため全面的に止めなければならない、というのが建前上の根拠となっていました。

そのため新たに「改訂管理方式」が開発され1992年5月に完成しました。

この方式では経度10度ごとに海域を設定して捕獲枠を定めるもので、保護を優先とした方式でした。この方式は採用されますが、反捕鯨国は国際監視員制度を含む「改訂管理制度」を提案して採択し、商業捕鯨の開始を先送りにしました。

改訂管理方式が実施され商業捕鯨が拡大することを恐れた反捕鯨国の意向を受け、1992年にフランスは南極海での捕鯨を全面禁止する「サンクチュアリ」の設定を提案。同年、セイシェルによってインド洋のサンクチュアリの設定が提案され、1994年にIWC総会で採択されました。

IWCの科学委員会は、いくつかの種類の鯨は持続的に捕獲できるとの結論に達しています。太平洋のコククジラは完全に回復して絶滅危惧種から除外され、南極海のミンククジラ資源も1995年には既に懸念された資源量を大きく上回っていると考えられています。日本の調査捕鯨の焦点となっている南極海のミンククジラも豊富にあり、かつて絶滅危惧種とされたマッコウクジラもさほど危険な状態にはないとされています。

このような調査データに対し、環境保護団体は「捕鯨国のデータは信用できない」として、科学的データをそもそも無視する傾向があります。

また、彼らは鯨は資源ごとに管理しなければならず、どのように管理するか明確でないこと、繁殖率や死亡率のデータが不十分であること、オゾン層の破壊が鯨に与える影響がわからないことなどを主張し、これらが分かるまで鯨資源に一切手を付けてはならないと主張します。

 

「動物の権利」文脈へのシフト

グリーンピースを始めとする環境保護団体は、鯨を資源とみなす従来の文脈よりも、「鯨を決して殺してはならない」という動物愛護の文脈を強調しています。

反捕鯨派は、鯨は地球上で最大の哺乳類動物であり、人間と同じように複雑に考えるほど賢く、神秘的な生き物であるとして、捕獲すること自体が罪であると主張します。

国際鯨類協会の会長を務めたロビン・バーストウは、1989 年に鯨を ①生物学的②生態学的③文化的④政治的に特別な生物であると主張しました。

①バーストウは、鯨は人類よりも長い歴史を持ち、高等知能を持つゆえに他の動物とは差異化されると主張します。 ②さらにバーストウは、鯨が生態学的な意味で海の食物連鎖の頂点に立つものであり、プランクトンなどを食べる鯨が空気中の酸素濃度をうまく調整する役割を担っていると考えました。③彼にとっては鯨は人間に友好的な野生動物であるため文化的にも重要であり、④鯨は国境をまたいで回遊することから、国際的な管理の対象となる政治的な生物であると考えました。

このような主張は政府レベルでも受け入れられ、IWCの各国代表にも反捕鯨国からは人道的立場から捕鯨に反対する人物が多数送り込まれています。

 

IWC年次総会には反捕鯨運動を内外で展開しているNGOや環境保護団体の100近くがオブザーバーとして参加しています。これらの団体の反捕鯨運動は多岐にわたり、捕鯨船への攻撃や網縄の切断といった直接的な行動、IWCの会議の会場で抗議文を撒いたりデモ活動をしたりするもの、ロビー活動を展開するもの、捕鯨国の製品のボイコットの呼びかけ、捕鯨行為や捕鯨国を非難する広報活動まで多岐にわたります。

捕鯨国のうち、モラトリアム以降も調査捕鯨を続ける日本に対しては、NGOや環境保護団体により激しい攻撃が行われてきました。

1980年代から1990年代前半は日本の経済成長が著しく、安価な日本製により市場が席巻され、ジャパンマネーが不動産や法人を買いあさっていた時代で、欧米では「日本の経済侵略」に対する反発が高まっていました。

捕鯨問題に絡めた日本バッシングはそういった背景もあります。

 

4. 反捕鯨をアイデンティティとするオーストラリア

ところでなぜ欧米諸国は科学的思考を捨て(ているように日本人からすると見える)、 イデオロギー的な言説に固執するのか。

オーストラリアでは、鯨の保護が西洋的人道主義の追及であると同時に、南極海などオーストラリア周辺地域の自らへの強い所有意識が働いていると、京産大の前川真裕子氏は2017年の論文で指摘しています。

この中でオーストラリアの文化人類学者であるエイドリアン・ピースの考察が参照され、現代のオーストラリアでは鯨を殺したり食べたりすることは一種のタブーとされており、その背景には鯨が人間に類似する存在として認識されているとあります。

これには「オーストラリアは人道主義的に正しい」という認識があり、その正反対の非人道的な対象として「鯨を残酷な方法で殺す日本人」がいる。そしてそれを阻止するのがオーストラリア人の責務であるという認識があるようです。

前川氏は「鯨を含む自然を媒介としながら『オーストラリア人』意識が形成され、そこから『われわれの理想的なオーストラリア』という概念が想像されていき、手つかずの自然を残すことが自らの世界に対する責務であるとする考えが作り出されてきたとします。

そうして手つかずの大自然を守る自分たちを、ネイティブ・オーストラリアンであると想像し、かつて白人がアボリジニの土地を奪い環境を破壊し捕鯨もやっていた過去は無視した上で、「我々の土地オーストラリア(南極海を含む)」への侵略を阻止すると言う新しい役割を自分たち自身で定義づけた、と批判します。

人道主義的な鯨保護の観念の背景にあるものは、鯨をアイコンにしてオーストラリア人というアインデンティティを再構築しつつ、オーストラリアの国家や領土に対する植民地主義的な観念を温存させる隠れ蓑となっている、というものです。

単に環境保護や動物愛護という観念だけではなく、自らのアイデンティティや領土概念・主権概念までも定義してしまいます。

そして捕鯨問題が自らのアイデンティティを定義するというのは、捕鯨推進国である日本も同じことが起きています。

 

5. 捕鯨と日本のナショナリズム

捕鯨が国際問題として大きく取りざたされる中で、日本国内外で強調されたのは「鯨を食べる文化は日本伝統の文化であり、先人から受け継いだ貴重な伝統文化を後世に残すためである」という文脈です。

 東北大学の石井敦氏と早稲田大学の真田康弘氏の著作では、そもそも日本が本格的に捕鯨を始めたのは1908年以降のことで欧米に比べ歴史が浅いとしています。

技術はノルウェーからの移植で、戦後の食糧難で鯨肉が積極的に消費されたのであって、広く食されるようになったのはそう古くはない。江戸時代から鯨を食べる地域はあるものの、港町でもまったく食べない地域もあるし、食べる場合でもハレの日の料理だったり、常食となっているケース自体がさほど多くない。鯨を神聖視し禁忌とする地域もあるようです。とてもじゃないが全国的に普及していたとはいいがたく、「日本で伝統的に鯨食文化が根付いていた」とは必ずしも言えない実態があると指摘されています。

 

しかし「日本は伝統的な鯨資源の利用国」という言説が根拠なく受け入れられ、反捕鯨国の日本を主にターゲットにした攻撃や批判は、日本側の感情的な反応を招き、互いの倫理観を批判しあうという泥仕合に突入しました。

牛や豚は殺していいのに、なぜ鯨は殺してはいけないのか。同じ生命ではないか。賢いから殺すなというのは、逆に言うと賢くないから殺してよいという差別主義に繋がるのではないか。

鯨を食うなら牛や豚を食えばいいと言うが、そもそも殺して食うために牛や豚を育てるほうが生命倫理に反しているのではないか。

もっともらしい言説ですが、こういった主張を反捕鯨論者に言ったところで全く無意味です。我々自身も、奈良の鹿などどう見ても増えすぎた動物を「神の使者」であるという理由から適切に駆除できず「命の差別」をしているし、牧畜・養鶏・魚の養殖もガンガンやってる。

一方で「充分にある鯨という資源を有効活用したほうが食文化が豊かになる」という意見はもっともで、鯨を好んで食べる人に対し「それは野蛮な行為だ」と批判するのは価値観の押し付け、と言われてもしょうがないでしょう。

ただしこの点がことさらに強調されて、日本は正しい倫理観や文化を維持し、欧米の横暴と戦う特別な民族であるというナショナリズムの根拠となっている側面もあります。

小型鯨類の追い込み漁で有名な和歌山県太地町には、世界各国から反捕鯨団体が詰めかけることで有名ですが、彼らを阻止するために日本全国から右翼団体が集結しています。

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6. 捕鯨問題の世界的な関心の低下

 2018年9月のIWC総会で、日本が提案した捕鯨国と反捕鯨国が両立するIWCの改革案に対して、反捕鯨国は「IWCは鯨を保護する機関である」として反対し、反対多数で否決されたことを受けて、日本は同年12月にIWCの脱退を発表。2019年7月から31年ぶりに商業捕鯨が再開されました。

捕獲枠は領海内と排他的経済水域内での捕獲で、年内の上限が227頭、来年以降は383頭とする計画で、「推定される資源量の1%未満」を基準に算出しています。しかし、IWC脱退前に南極海や北大西洋で行っていた調査捕鯨の半分以下になり、「捕鯨産業の秩序ある発展」という日本政府の発表は空寒く感じます。

漁の再開の日は、日本政府が事前に情報を伏せていたこともあり、海外メディアの注目もさほどは大きくなく、かつてほど日本批判のトーンも少なくなっています。正直なところ、現在は鯨保護は環境問題であまり大きな関心を集められなくなっています。

2009年に「ザ・コーヴ」がアカデミー賞のドキュメンタリー賞を受賞して捕鯨問題が盛り上がった時期はありましたが、2021年現在はトーンダウンしています。

これはGoogle Trendで調べた世界全体の「Whaling(捕鯨)」という単語の2004年から2020年までのgoogle検索の推移です。長期でダウントレンドにあるのが分かると思います。

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現在は地球温暖化問題への関心の高まりから、氷が溶けて住まいを失うホッキョクグマやアザラシ、ペンギン。そして熱帯雨林とそこに住む象や虎といった哺乳類。あとは動物愛護という点で野良犬や野良猫が、主にケーブルテレビやSNSで注目される傾向にあります。

ひどい話ですが、鯨保護はトレンドではなくなっているわけです。

いまの欧米の若者の中にはそもそも捕鯨問題を知らない人もいるので、グリーンピースなどの反捕鯨団体はSNSのプロモーションなどで積極的な啓蒙を続ける必要が生じています。

 

欧米の人と同様に、日本人も鯨問題に無関心です。

昔に比べて現在は鯨の価格は高いため、そもそも普段鯨を食べる機会が少なく、捕鯨問題が差し迫った問題となっていません。鯨を食べたことがないという日本人のほうが多いのではないでしょうか。

鯨肉で育った戦後世代の人たちの「母の味に対する哀愁」が、これまで日本が反捕鯨国と戦ってこれた原動力の一つであるように思うのですが、鯨肉世代が少数派になってしまった現在、熱心な捕鯨擁護者が減るのも無理はありません。

また、これほど捕鯨問題に日本人が熱心だった理由として、捕鯨問題が戦後日本が欧米に対して強硬に戦った数少ない分野の一つだったということもありそうです。左派も右派も「NOと言える日本」の夢を捕鯨問題に見たわけです。そういう戦後世代の屈折した思いが日本政府の行動を支えてきたと言えるかもしれません。

いずれにしても、捕鯨問題はどこまでも人々の感情の問題であり、新たな普遍価値観が普及しない限りは、全面的な解決は到底見込めないものになっています。

世界的な流れは、自然環境保護、動物愛護、動物の権利、ひいては代替肉やビーガンフードといった方向に進んでおり、鯨食文化の復権は非常に険しいものに思えます。

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まとめ

この問題はもはや科学の範疇を超えた領域の問題になっており、感情論で議論が展開され理性的な議論にならない難しい話になっています。

個人的にも、ヨーロッパ出身の友人らと議論して、ほとんど平行線で終わり一切分かり合えない唯一のテーマが捕鯨である、という経験もあり、「日本的正論」を繰り返すだけでは無意味どころか悪影響を及ぼしかねないとも思います。

別に日本は鯨食文化を世界に広げる必要はない。

日本の権利をことさら世界に主張する必要もない。

官と民で地域に息づく鯨食文化を守り、世界には日本に鯨食文化が残ることを発信しつつ、淡々と環境負荷の低い頭数を捕獲していく。

このことに注力したほうがいいように思います。

どうでしょうか。

 

参考文献・サイト

クジラコンプレックス:捕鯨裁判の勝者はだれか 石井敦・真田康弘 2015年10月25日初版 東京書籍

日本人とくじらー歴史と文化― (生活文化史選書) 小松正之 2017年8月25日初版 2019年1月25日増補版発行 雄山閣

"The Anti-Whaling Campaigns and Japanese Responses" Arne Kalland, Centre for Development and the Environment, University of Oslo, P.O.Box 1116 Blindern, N-0317 Oslo, Norway

"先住民生存捕鯨と動物福祉の問題" 岸上伸啓(国立民族学博物館・総合研究大学院大学)

"A brief history of commercial whaling and Greenpeace"GREENPEACE

"オーストラリアの反捕鯨思想と人々の考える「理想的なオーストラリア」" 前川 真由子 2017/09/29 国立民族学博物館研究報告

 "反捕鯨と抗議ビジネス―― 環境保護団体の鯨保護キャンペーンの一側面 ――"  河島基弘 2010 群馬大学社会情報学部研究論集 第17巻 19―35頁

"「商業捕鯨再開」欧米の日本バッシングはなぜ盛り上がらなかったのか"  松岡久蔵 2019/7/5 現代ビジネス