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感染症の薬を開発し多くの命を救った医学者列伝

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人類の脅威に立ち向かってきた偉大な医学者たち

2021年現在も新型コロナウイルスは全人類の脅威であり、世界中の医療従事者がこの強力なウイルスと日夜を問わず戦っています。心から感謝申し上げなくてはなりません。

 また、世界中の製薬会社や医学者たちが、新型コロナウイルスに有効なワクチンや製薬の開発、科学療法や物質の発見を急いでいます。感染症・伝染病に対するワクチンとしてはこれまでにないスピードで開発・治験・接種が進んでいます。ゲノム解析が完了してから1年も経っておらず、驚くべきことです。

 このような医療技術の発展も、これまでの先達の医学者たちの研究があってのことです。今回は歴史上の偉大な、感染症の特効薬を発明した医学者たちをピックアップしてみます。

 

1. エドワード・ジェンナー(イギリス)1749-1823

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史上初のワクチンである天然痘ワクチンの発明

 エドワード・ジェンナーはイギリスの医師。天然痘予防のためのワクチンを初めて作った人物で、「近代免疫学の父」と称されます。

ジェンナーは地元グロスターシャー州バークレーの農民に伝わる「牛痘にかかった者は天然痘にかからない」という言い伝えを検証しようと1796年、牛痘にかかった婦人の水疱瘡の膿を採取し、使用人の息子である8歳の少年ジェームズ・フィップスの腕の切開部に挿入しました。ジェンナーは、若干の発熱を出しましたが、2か月後に人の天然痘を接種させると、地元農民の言い伝え通り、罹患しなかったのです。

これが人類初のワクチンであるとされています。

ジェンナーは1797年にこの実験を記した論文を王立協会に提出しましたが当初は受け入れられませんでした。彼は自分の生後11ヶ月の息子を含む数人の子供たちを使って実験を行いデータを集めました。1798年に、ジェンナーはラテン語で牛を意味する「vacca」からワクチンという言葉を造語しました。

当時、病気を人体に接種させ病気を防ぐなどはまったく理解されず、特に聖職者は、「このような行為は神の意志に反する」と糾弾。一部ではワクチンを打つと牛になるといったデモも広まりました。

しかし、実際に天然痘の予防接種が効くことが分かるとすぐに普及し、ワクチンという薬を広める下地が作られました。

 

2. ルイ・パスツール(フランス)1822-1895

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科学的なワクチン製造法の確立

ルイ・パスツールはフランスの化学者、微生物学者。「近代細菌学の開祖」と称され、微生物が発酵や病気の原因となることを発見し、低温殺菌のプロセスを確立し、炭疽菌や狂犬病に対するワクチンを開発した、歴史上の最も偉大な科学者の一人です。

パスツールはパリの高等師範学校を卒業後、博士号を取得し、リール大学の化学教授と理学部長に任命されました。リールでは地元の蒸留所の依頼を受けて研究を行い、乳の酸味の原因となる乳酸などの化合物の発酵の調査を行い、酵過程に微生物が関わっていることを発見しました。この発見から、ワインやビールの長期保存、低温殺菌法などを発見しました。

その後パスツールは予防接種の研究を行い1879年、長期に人口培養した鶏コレラの細菌が病原性を失うことをを発見し、これを鶏に接種させることで抵抗力を持たせられることを発見しました。

パスツールはこの原理を応用し、炭疽菌の研究を始めました。当時、フランスをはじめとするヨーロッパ各地で炭疽菌が流行し、多くの羊が死亡し、人間にも炭疽菌が流行していました。パスツールは、炭疽菌が病原性を失う条件を解明した後に炭疽菌を培養し、1881年の春に予防接種の大規模な公的実験を行いました。実験はパリ南部の郊外にあるプイィ・ル・フォールで行われ、70頭の家畜に予防接種を行い、実験は完全に成功しました。

この成功を受けてパスツールはさらに微生物による病気の発生にも注目し、感染症病理学の分野をも開拓。狂犬病に対する最初のワクチンを開発したのも彼の功績です。

 

3. アレクサンダー・フレミング(イギリス)1881-1955

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ペニシリンの発明

 アレクサンダー・フレミングは、感染症に効果のあるペニシリンの発明によってノーベル賞を受賞したことで知られる医学者です。

1881年8月6日、スコットランドのアーサー・アーサー州ダーベル近くのロックフィールドで生まれました。海運会社で4年間を過ごした後にロンドン大学に入学し、1906年にワクチン療法の先駆者であるアルムロス・ライト卿のもとで研究を開始しました。第一次世界大戦中は陸軍医務隊の大尉として勤務。セント・メアリーズに戻り、1928年にはセント・メアリーズ大学の教授、1948年にはロンドン大学の細菌学の名誉教授に選ばれました。

医学生活の初期に、フレミングは血液の細菌作用と防腐効果に興味を持ち、軍医という立場でこのテーマで研究を行い、帰還後は動物組織に毒性のない抗菌性物質の研究に着手しました。そこでリゾチームとペニシリンを発見することになります。

1921年、彼は細菌を塗った皿に偶然くしゃみをしてしまい、唾液が散った箇所から細菌が消えていることを発見。唾液に含まれる殺菌酵素をリゾチームと名付けました。リゾチームは感染症治癒の力はありませんが、薬品などに現在利用されています。

1928年、彼はインフルエンザウイルスの研究をしていたとき、ブドウ球菌の培養プレートの上に偶然カビが発生し、そのカビが自分の周りに細菌のいない円を作っているのを発見しました。さらに実験してみようと思い立った彼は、カビの培養物が800倍に希釈してもブドウ球菌の増殖を防ぐことを発見しました。彼はこの活性物質をペニシリンと名付けました。

フレミングはペニシリンの大量生産手法の確立に乗り出しますがこれは成功せず、1940年に別の研究グループによって量産化がなされ、第二次世界大戦では多くの兵を感染症から救いました。1945年にフレミングはノーベル医学生理学賞を受賞しました。

 

4. セルマン・ワクスマン(アメリカ)1888-1973

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結核の抗生物質ストレプトマイシンの発見

 セルマン・ワクスマンは当時のロシア帝国、現在のウクライナ・キエフ近くの町に、ユダヤ人の両親の元に生まれました。

オデッサ大学卒業後に渡米し、1911年秋にラトガース大学に入学。同大学で1918年に生化学の博士号を取得し、実験場の微生物学者として、また同大学の土壌微生物学の講師として任命された。1925年に准教授、1930年に教授に昇進。1940年に微生物学教室が組織されると微生物学教授兼教室長に、1949年には微生物学研究所の所長に就任しました。

ラトガースでの活動とは別に1931年にウッズホール海洋学研究所にて海洋細菌学の部門を組織。その後、評議員に選出され、後に終身評議員となりました。また、政府機関や民間企業でもアドバイザーとして活躍しました。

ワクスマンは学部生時代から土壌生物由来の有機化合物とその分解を研究し、抗生物質であるストレプトマイシンを研究していましたが、それを初めて単離したのは彼の研究室の教え子だったアルバート・シャッツでした。シャッツは自分が初めてストレプトマイシンを取り出したと主張しましたが、ワクスマンは自分の先行研究と研究施設があってこそと主張。裁判沙汰にまでなりましたが、結局共同発見者ということになりました。

ストレプトマイシンは結核の治療に用いられた初めての抗生物質で、この成果が認められワクスマンは1952年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

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5.マックス・タイラー(南アフリカ)1899-1972

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黄熱ワクチンの開発者

マックス・テイラーは南アフリカのプレトリアの生まれ。父親は著名な獣医学者でした。

地元の学校に通い、その後ケープタウン大学医学部卒業後にイギリスに渡り、セント・トーマス病院とロンドン熱帯医学学校で学び、1922年に医学の学位を取得しました。

同年、ボストンのハーバード・メディカル・スクールの熱帯医学科に最初に助手として入局し、その後教官に任命されました。1930年には、ロックフェラー財団の国際保健部のスタッフに加わり、1951年には、ニューヨークのロックフェラー財団の医学・公衆衛生部の研究所長に就任しました。

ハーバード大学での初期の仕事は、アメーバ赤痢と鼠咬症(そこうしょう)の研究でした。また、ロンドンにいた頃から興味を持っていた黄熱病の問題にも取り組みました。この黄熱病の研究がメインテーマとなり、1927年までに彼のチームは黄熱病の原因が細菌ではなく、ウイルスであることを証明しました。彼はまた、この病気がマウスに簡単に感染することも証明しました。それまではサルを実験動物として使っていたが、マウスを使ったことで研究コストを大幅に削減することができたのです。

1930年、タイラーは黄熱病の問題に積極的に取り組むロックフェラー財団に参加し、黄熱病ワクチンの研究に取り組みました。そして最終的には安全で標準化された17Dというワクチンを開発しました。この成果が評価され、1951年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

その他にも、デング熱や日本脳炎、ポリ脊髄炎の研究でも大きな成果を残しています。

 

6. トーマス・フランシス・ジュニア(アメリカ)1900-1966

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Credit:Thomas Francis Jr. Photograph by Fabian Bachrach.

世界初のインフルエンザワクチンの開発者

 トーマス・フランシス・ジュニアはアメリカの医学者・疫学者。世界初のインフルエンザのワクチンを開発し、ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞を受賞しています。

彼は鉄鋼労働者と副業で牧師をする父の息子に生まれましたが、1925年にイェール大学で医学の学位を取得。ロックフェラー研究所に入り、細菌性肺炎に対するワクチンを準備していた研究チームに参加しました。しかし、フランシスはすぐに病気を変え、インフルエンザの研究を始め、初めてヒト・インフルエンザウイルスの単離に成功しました。

その後、ニューヨーク大学医学部を経てミシガン大学公衆衛生学部に移り、同時に米国陸軍疫学委員会のインフルエンザ委員会のディレクターに任命されました。同委員会の支援のもと、予防的インフルエンザワクチンの開発、実地試験、評価の成功に貢献しました。

ミシガン大学では、フランシスはウイルス研究室と疫学部を設立。感染症に迅速に対応するための研究拠点を築きました。後にポリオワクチンを開発するジョナス・ソークは彼の教え子です。

 

7. ジョナス・ソーク(アメリカ)1914-1995

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ポリオワクチンの開発者

 ジョナス・ソークはポリオワクチンを開発した医学者。ポリオはかつて日本でも幼児を中心に罹患者が多い感染症でしたが、ワクチンによりほぼ撲滅することができています。

 ソークは1939年にニューヨーク大学医学部で医学博士号を取得し、トーマス・フランシス・ジュニアの弟子となり、彼が1942年にミシガン大学公衆衛生学部に移った際も同調し、インフルエンザに対する予防接種の開発に取り組みました。

1947年にソークは師匠の下を離れ、ピッツバーグ大学医学部の細菌学の准教授とウイルス研究所の所長になり、ポリオウイルスに取り組み始めました。ポリオは神経系の急性ウイルス感染症で、発熱や頭痛などの全身症状に始まり、時には手足や喉、胸部の筋肉が麻痺することもあります。20世紀半ばには、毎年何十万人もの子供たちがこのウイルスに罹患していました。

ソークは他大学の科学者と協力して、ポリオウイルス株を分類して3つの株を特定し、それぞれの株でサルに抗体を形成させることができることを実証しました。1952年と1954年に子どもたちを対象とした大規模な実験を行い、開発したポリオワクチンが安全にポリオの発生を減少させることを証明しました。1955年4月12日、ワクチンは全米で発売され、その後アメリカでのポリオの発生率は人口10万人あたり18人から2人以下に減少しました。

 

8. バルーク・サミュエル・ブランバーグ(アメリカ)1925-2011

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B型肝炎ウイルスを発見しワクチンを開発

  バルーク・サミュエル・ブランバーグはアメリカの医学者で、B型肝炎の抗原を発見しワクチンを開発し、1976年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

1951年にコロンビア大学医学部で医学博士号を、1957年にオックスフォード大学で生化学の博士号を取得。1960年には、メリーランド州ベセスダにある米国国立衛生研究所の地理医学・遺伝学部門の主任に就任しました。

1960年代初頭、ブランバーグは、民族や国の異なる集団の病気に対して反応の違いがある理由を明らかにしようと、多様な集団の血液サンプルを調査していました。そのサンプルの中で彼は、オーストラリア先住民アボリジニの血液中に抗原を発見し、それがB型肝炎を引き起こすウイルスに対する抗原であることを突き止めました。ブランバーグはさらに研究を進め、オーストラリア抗原に対する抗体を体内で生成することで、ウイルスそのものへのさらなる感染を防ぐことができることが明らかになりました。

1982年にこのオーストラリア抗原を利用したワクチンがアメリカで市販されました。 

 

9. 屠 呦呦 〈と ゆうゆう〉(中国)1930-現在

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Photo by Bengt Nyman

抗マラリア薬アルテミシニンの発見

 屠呦呦(と・ゆうゆう)は1930年中国浙江省寧波市の生まれ。最も効果的なマラリア対策薬の一つである抗マラリア物質アルテミシニン単離に成功し、2015年ノーベル医学生理学賞を受賞しました。中国本土に拠点を持つ中国人研究者がノーベル賞の受賞は初のことでした。

屠は北京医科大学の薬学科で学位を取得した後、中国伝統医学院(後の中国医学院)に参加。中国の伝統医学の知識を取得します。

ベトナム戦争中の1967年、屠はマラリアに苦しむ北ベトナムの要請を受け、マラリアの治療法を発見するためのプロジェクトのリーダーに任命されました。屠と彼女の研究チームは、民間療法や古代中国の医学書に記載されている治療法の情報をもとに、マラリアに効くとされる植物を特定することから始めました。彼女のチームは、抗マラリア活性を持つ可能性のある約640種類の植物と2,000種類以上の療法を特定。特に有望視されたのが、ヨモギ科の植物クソニンジンから得られた抽出物でした。

1971年、屠らは抽出物をマウスとサルに摂取させ、マラリア原虫を駆除することに成功しました。翌年、屠らはヨモギ抽出物に含まれる活性化合物を単離し、その化合物を「青蒿素(チンハオスイ)」と名付けました。これは欧米では「アルテミシニン」と呼ばれています。

当時の中国では科学情報の公開が制限されていたため、屠は当初研究成果を発表することを禁じられていましたが、1980年代初頭にようやく国際的な注目を集め、広く賞賛されました。2000年代初頭、世界保健機関(WHO)は、マラリアの第一選択治療薬としてアルテミシニンをベースとした薬物療法の使用を推奨しました。

 

10. レイチェル・シュネールソン(アメリカ)1932-現在

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Hibワクチンの開発

レイチェル・シュネールソンはポーランド・ワルシャワ生まれ。インフルエンザB型のワクチンであるHibワクチンを開発した医学者です。

イスラエルのヘブライ大学で学位を取得した後、イスラエルの病院に勤務し、1969年にニューヨークのアルバート・アインシュタイン医科大学の小児科と免疫学研究所の講師となりました。そこで彼女は後の研究パートナーであるジョン・B・ロビンスと出会います。

彼ら2人は1974年に米国食品医薬品局(FDA)の生物製剤局の細菌製品課に配属され、Hib(Haemophilus influenzae type b)の発症メカニズムの解明とワクチン開発のための研究に力を注ぎました。Hibは5歳未満の小児に発症する髄膜炎の主要因の一つで、死亡率が高く、生存しても障害をもたらす可能性がある病気です。

研究チームは、タンパク質と多糖類を結びつけて免疫誘導力を強化する「抱合ワクチン」を開発しました。Hib複合ワクチンは、低年齢の子供にははるかに効果があり、1989年に生後2ヶ月の子供への使用が認可されました。

Hibワクチンが世界中で利用できるようになってから、インフルエンザB型の発症率と幼児の死亡率は95.99%も減少しました。

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まとめ

 ワクチンが発明されて約200年で、人類は多くの感染症への対抗策を作り出してきました。かつてエピデミックを引き起こし多くの命を奪った天然痘も、ワクチンや衛生の改善によって撲滅しています。

 新型コロナウイルスも、人類の叡智と努力によって撲滅が必ずできると信じています。

 

参考サイト

"Edward Jenner (1749 - 1823) > HISTORY" BBC

"Louis Pasteur - French chemist and microbiologist" Encclopedia Britanicca

"Sir Alexander Fleming - Biographical" THE NOBEL PRIZE

"Selman A. Waksman - Biographical" THE NOBEL PRIZE

"ABOUT THOMAS FRANCIS, JR" Office of the President

"Baruch S. Blumberg - Biographical" THE NOBEL PRIZE

"Tu Youyou - Chinese scientist and phytochemist" Encclopedia Britanicca

"Dr. Rachel Schneerson MD" Prince Mahidol Award Foundation