歴ログ -世界史専門ブログ-

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マーガリンを求めて - ナチス・ドイツの南極遠征

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 鯨資源を確保するためのナチス・ドイツの極秘プロジェクト

1945年4月のベルリン市街戦の際、ヒトラーは妻エヴァ・ブラウンと共に自殺しました。遺骸は関係者によって燃やされましたが、その後ソ連軍によって回収され、各所を転々とした後、墓がナチス・シンパの聖地にならないように最終的にエルベ川に遺棄されたそうです。

ですが、「実はヒトラーは自殺せずに生きのびた」という説を信じる人も一部ですが未だにいます。

それによると、Uボートに乗ってドイツから脱出して南米に逃れたとか、南極のドイツ軍秘密基地に隠れたとか、様々に言われており、南極に誰にも知られず存在するナチスの軍事基地を倒すゲームや映画とかまで存在する有様です。

 実際にナチス・ドイツが南極に拠点を作ろうとしたのは事実ですが、それは軍事基地を作るとかいう壮大なものではなく、単に「マーガリン」が欲しかったためでした。

 

1. 「鯨油を確保せよ」

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戦争に耐えうるドイツ経済の構築

 1933年1月に首相に就任したヒトラーは、4年でどん底のドイツ経済を復興させる「第一次四カ年計画」を推進しました。

これによりドイツの雇用は回復し、国民の所得も増え、経済復興が急激に進んでいきます。

順調な計画の進捗を見たヒトラーは、次いで1936年夏に「第二次四カ年計画」を立案し発表。この計画は「四年でドイツを戦争に耐えうる経済構造に改革する」という趣旨で作られたもので、原材料の輸入を含むあらゆる外国への物資依存を排除し、自給自足経済を構築するというものでした。

 

この計画の責任者にヘルマン・ゲーリングが任命され、彼はあらゆる産業物資の国内調達を推進したのですが、その中の重要項目に「油脂製品」がありました。

具体的には、牛乳、クリーム、ラード、チーズ、ベーコン、マーガリン、サラダオイル、洗剤、ろうそく、石鹸、リノリウムなど。

中でも重要だった品がドイツで急速に需要が高まっていた「マーガリン」。

現在のマーガリンは植物性ですが、当時は鯨油から作られていました。

そして、当時ドイツは鯨油の大半をノルウェーからの輸入に頼っていたのです。

 

鯨油の国産化を目指すナチス・ドイツが目をつけたのが南極。

おおよそ東経20度から西経10度、南緯70度から75度の間は、イギリスとノルウェーが領有権を主張している地域の間にあり、かつ両国ともまだ手をつけてないことを目ざとく発見したドイツは、この地に拠点を作り鯨漁の基地にしようと考えたのでした。

 

2. 「ノイシュバーヴェンラント」探検

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南極探検隊の結成

1938年夏に探検隊が結成されました。

リーダーは第一次世界大戦で活躍した海軍軍人アルフレッド・リッチャー卿。

彼はドイツ国家とナチス党への献身というより、どちらかというと個人的な冒険心にかき立てられて任務を請け負ったようです。

カタパルト船ノイシュバーヴェン号が急ピッチで砕氷船に改造され、さらに遠征隊に随行する科学者や技術者などがかき集められました。

そしてわずか3ヶ月後の12月17日に、ハンブルグ港から南極に向けて出発しました。

船には科学者、役人、船員を含む合計82人が乗り込み、2機の水上機も積まれていました。

 

ノイシュバーヴェンラント探検

1ヶ月後の1939年1月19日にノイシュバーヴェン号は目的地に到着。

探検隊はナチスの旗を立て、この地を船の名にちなんで「ノイシュバーヴェンラント」と名付けました。

 

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Work by Thomas Blomberg

さっそく徒歩での調査に加え、水上機2機での偵察飛行を開始したのですが、調査は問題だらけで困難を極めました。

まず燃料が非常に乏しかったため、少しでも飛行機の航続距離を確保すべく飛行機の余計な装備は全て外されて遺棄されました。その中には、ノイシュバーベンラントの領土主張をするために設置する金属製のスワンチカ(鉤十字)が入った小さな箱も含まれていました。

 調査は約1ヶ月行われ、飛行機から膨大な数の写真が撮影され、それは南極大陸の約16%をもカバーするものであったそうです。

1939年2月5日に探検隊は南極での調査を終え、ノイシュバーヴェン号にてドイツへの帰港を開始。

途中、船は大西洋に沿って海底のスキャンを行い、大西洋の真ん中に沿って南北に走る火山の列にある地震活動を検出しました。数十年後、この一連の火山は地球の地質プレートのうちの2つが引き離され、海底の新しい地層を形成する中部大西洋隆起であることが明らかになっています。

南極で撮影した数多くの航空写真を含む調査結果の多くは戦争中に消失してしまいましたが、一部は辛うじて残り、1958年に最終的に出版され世に公開されました。

 

なお、この調査は極秘であったため国民の誰もが知らず、かつドイツは公式にノイシュバーヴェンラントの領有権主張をしなかったため、この地は幻のドイツ領ということになっています。

また、当時すでに戦争が始まっていたので、当初の目的であった捕鯨のための基地の設置も叶わずに終わりました。 

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3. ナチスの南極秘密基地のウワサ

戦後、ナチス・ドイツが極秘に南極に遠征隊を送っていたことが世に知られるようになりました。

かつ終戦2カ月後に、ドイツ軍の潜水艦であるUボートが、アルゼンチンの海軍基地に到着した時に、アルゼンチンの新聞が

「ヒトラーやナチス・ドイツの残党がUボートで秘密裏に南極の秘密基地に隠れた」

とまったくの誤報を報じてしまったことで、「南極にナチス残党が隠れている軍事基地がある」というデマが流れるようになってしまいました。

 さらにうわさに尾ひれがつき、「南極の地下には今のナチス・ドイツの残党が隠れていてUFOの開発を行なっており、近づいた飛行機は全て撃ち落とされている」などと主張する連中も出てきました。

フィクションとしては面白いのかもしれませんが、そのような話の流れから「ナチスは昔、南極に軍事基地を作ろうとした」というのがさも事実かのように語れるのは、結構危ない気がします。

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まとめ

単にマーガリンを作るための鯨油を取るための拠点を作ろうとしただけなんですが、ナチスがあまりにエキセントリックでミステリアスな連中なので、「ナチスが南極に軍事基地を作った」という話も「実際そうだったのかもしれない」と思わせてしまいます。

実際に行われた遠征の調査自体はかなり学術的なものではありましたが、本来の目的は「戦争に耐えうる経済を作るため」であるので、いずれにせよ「平和的」なものだったとはいえません。

 

参考サイト

"Hitler Sent a Secret Expedition to Antarctica in a Hunt for Margarine Fat" HISTORY.com

"「南極大陸に地下にナチスのUFO基地がある」という長年のうわさの真実とは?" GIGAZINE