テムズ川が臭すぎる!何とかしろ!
ぼくは数年前まで荒川の河口近くに住んでいたのですが、特に夏場に異様に川が臭いときがありました。
何と形容したらいいか、ドブと海藻と死んだ魚が混ざったような、ツンとするニオイ。
海辺の近くに住むことに憧れていたのですが、あのニオイはたまらく臭く、以来海辺は避けるようになりました。
しかし今回取り上げる事件に比べれば、荒川のニオイなぞ屁みたいなもんに違いありません。
1858年にロンドンを襲ったテムズ川の「大悪臭」は、市民生活に支障をきたすばかりか、政治・経済にまで深刻なダメージをもたらすほど酷く、これを契機にロンドンのインフラの大規模な見直しが即座に進められたほどでした。
どれほど臭かったのか知るよしもありませんが、歴史資料を読みながら想像してみましょう。
1. 排水を全て飲み込むテムズ川
19世紀に入るまで、ロンドンでは生活排水は路上に流されていました。
近代までヨーロッパ諸都市では下水道が発達せず、ゴミや汚水は窓の外に放り捨てていたことは有名ですが、ロンドンも似たようなものでした。
ところが人口が増えると街にゴミや生活排水があふれ衛生状態が悪化したため、19世紀初頭に汚物を直接テムズ川に遺棄する下水道システムが建設されました。
ロンドンの街中は格段にキレイになりましたが、代わりにテムズ川には食器洗い水、洗濯水、糞尿などの生活排水を始め、工業用排水、動物の死骸、生ごみなど、都市で発生するあらゆる汚染物質が全て流し込まれるようになりました。
当時のロンドンの人口は400万人を超える世界一の大都市。
テムズ川は、まさしく当時世界一汚い川でありました。
当時のテムズ川をロンドン・シティ・プレスは次のように報じています。
上品に言っても、以下の言葉に尽きる。
一度嗅ぐと二度と忘れないほどの臭さで、そのことを忘れない限りあなたは幸運である。
当時のロンドン当局は、汚物を川から海に流しちまえばOKくらいに思っていたようですが、固形物や化学物質が大量に流れこんだ川は、何らかの化学変化が起きていたか、あるいは藻類が大量発生でもしていたか、流れがよどみがちだったそうです。あろうことか、水位の関係で汚水が上流に逆流することもあったらしい。
そして、現在ではまったく考えられませんが、そんな汚いテムズ川の水を、ロンドン市民は飲んでいました。テムズ川の汚水が井戸水に流れ込んでいたのです。
2. スノウ博士「汚水はコレラの大元だ」
下水道システムを作ったのにも関わらず、19世紀初頭のロンドンではコレラが流行し、1832年、1849年、1854年に大規模な流行が発生して1週間に2000人以上が死ぬほど蔓延しました。
当時、コレラが「水質汚染」から発生することは理解されておらず、「悪い空気」で感染すると信じられていました。そのため人びとは臭いテムズ川に近づくことはしなくなりましたが、汚染されたテムズ川の水は引き続き飲み続けていました。
これに警鐘を鳴らしたのが、「疫学の父」と言われるロンドンの内科医、ジョン・スノウ博士。
スノウ博士は、コレラが空気経由で感染するのではなく、食べ物や水を経由して人間に感染するのではないかと疑いました。
そうして1849年、“On the Mode of Communication of Cholera” という論文を発表し、コレラの原因はテムズ川にあると主張しました。
しかし、この発表はまったく無視されてしまったのでした。
その後スノウ博士は調査で特定の地区でコレラ患者が多発しており、その水は糞尿が含まれていたことを突き止め、すぐにスノウ博士は市議会に、井戸水の使用を禁止するよう働きかけました。
にも関わらず、多くの人はスノウ博士の言うことを信じず、生まれてからずっと飲み続けてきた水が汚水だということを信じたくないか、あるいは信じようとしませんでした。
博士は失意のうちに、1858年に他界しました。
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3. 「な、なんだ、このニオイは!?」
博士が他界した1858年の夏、ロンドンは異常に暑かった。
最高気温が48度にも達し、しかも全然雨が降らない。
いつにも増してテムズ川はよどみ、汚水が暑さで腐って異常なニオイを放ち始めた。
その臭さは強烈で、内陸数マイルまでニオイが届いたほど。市民はただでさえ暑いのに、窓を開けることができなくなってしまった。
テムズ川の側に立つ国会議事堂では、ニオイが酷すぎて議論すら出来ないとして、一時的にオックスフォードとセント・アルバンに避難しなくていけなかったし、
ヴィクトリア女王とアルバート公は毎年恒例のテムズ川クルーズをしようとしましたが、あまりの臭さに乗船後数分で飛び降りてしまったほど。
市当局はニオイを抑えるために、排出下水道の近くに石灰を200〜250トンも撒きましたが、まったく効果は出ず。費用300万ポンドを、文字通りドブに捨ててしまいました。
ロンドンの新聞は紙面でこの歴史的な悪臭事件を"Great Stink"、つまり大悪臭と名づけました。
イラストレーテッド・ロンドン・タイムズは紙面でこう皮肉を書きました。
我々は既にインドを支配した、残りの世界ですら支配できる力がある。
我々は史上結ばれた契約金を全部一括で支払うだけのカネを持つ。
我々は誉れ高き名声と富を世界に広げた。
しかしできなかったことが1つある。
それはテムズ川を掃除することだ。
4. 市民「政府はなんとかしろ!」
このヒドい事件を受けて、市民やマスコミは問題を放置し続けた政府を糾弾しました。
政府の動きは早かった。数週間で「テムズ川を一新するための法律」が作成・提出・可決されました。
みんな臭いにウンザリしていたし、放置してよいと思った者は1人もいなかったのでしょう。
この法案に基づき上下水道プランを考案したのは、エンジニアのジョゼフ・バザルゲット。
彼は2年も前から新たな上下水道システムの新プランを検討していました。
プランはざっくり言うと、汚水専用の下水道と、飲用の上水道の整備と、テムズ川の流れをスムーズにするための河川工事です。
バザルゲットのプランで実行された工事は20年間も続き、その間1回コレラの大流行が発生してしまいましたが(1866年)、完成した上下水道システムは素晴らしい出来栄えでした。
バザルゲットのプランの優れた点は、未来のロンドンの都市拡張も事前に見据えた設計にしていたことで、そのおかげで当時作られたシステムは現在でも使われているほどです。
こうして市民はテムズ川の臭いから解放され、清潔で衛生的なロンドンの街が実現したのでした。
まとめ
国会が停止するほどのニオイってどんなものだったんでしょう…
文中にも出てきますが、世界を支配した大英帝国の首都が汚水で臭いって、何か虚しくなるというか、帝国主義と覇権主義が進んでいったい誰が幸せになったのかと問いたくなります。
まあ、日本も高度経済成長時代に同じような道を歩んでいますし、現在は中国やインドで似たようなことが起きています。
経済発展と公害は、避けては通れない道なんでしょうか。
参考・引用