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なぜ結婚指輪を買わなければならないのか - 古代の男女の「契約関係」から理解する

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結婚指輪にまつわる歴史のあれこれ 

ぼくは結構ひねくれ者でして、

結婚はいいんだけど、そもそも結婚式とか、結婚指輪なんているの?

と思ってます。

そりゃ、昔は人を招いて式を挙げて「結婚したんだからね」って宣言しないとダメだったでしょうけど、今やSNSで結婚しましたって言えばすぐに広がるもん。

それに指輪だってほとんど象徴的なものに過ぎないし、「あなたと結婚したいです」と意味を込めるものがあれば、別に指輪じゃなくても良いわけじゃないですか。

両家顔合わせだって別に式の場である必要はないし、式を挙げないと世間的に恥ずかしいという意識も都心は既にあまりないし、地方もあと10年くらい経てばなくなると思います。

単に思い出作りのためであれば、もっと有意義なやり方いっぱいあると思うんですけど。それこそ両家で家族旅行でもしたほうがよっぽどよくないですか?

みんなが「そう」してもらってるのに、自分も「そう」されないなんて、絶対嫌だ!って女性もいるでしょうし、むしろ圧倒的多数でしょうけど。

こんな屁理屈言ってるから30歳で未だに独身なのかもしれません。

ただしヨーロッパでは結婚指輪の文化は長く深いものがあって、歴史と社会に根ざした極めて合理的な仕組みではあります。

 

記事三行要約

  1. 婚約指輪は古代ローマの時代から始まった
  2. 忠誠の騎士の時代に妻に忠誠を求めるために結婚指輪を渡した
  3. 古来から指輪は災いを防ぐ魔除けと考えられてきた

 

 

1. ヴェネツィアの「海との結婚式」

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世界史で重要な意味を持つ「結婚の儀式」はいくつもありますが、代表的なものがヴェネツィアの「海との結婚」の儀式ではないでしょうか。 塩野七生「海の都の物語」に出てくるのでご存知の方は多いと思います(ぼくもそれで知った)。

これはヴェネツィアを男性、アドリア海を女性にみたて、ヴェネツィアのドージェ(共和国総督)が高価な金の指輪を海に投げ落とすというもので、1177年から1797年まで絶えることなく続けられてきました。

12世紀当時、ヴェネツィアは海上交易都市としての道を歩み始めたばかりの時で、この儀式を通じてヴェネツィアは海上交易で生きることを宣言し、海の女神に対し航海の安全を祈願したのでした。

金で飾られた「ブチントーロ」という豪華な船を仕立て、ドージェ以下共和国の重役たちがアドリア海に漕ぎ出す。司教や軍関係者などの飾り立てた中小のゴンドラ船団も儀式に同行する。

リド島のそばで落ち合った人々。教会の合唱団が「どんな嵐にも心乱されるな」を歌い、ドージェの側近たちもマドリガルで返す。そうしてドージェが金の指輪を海に放り投げ、ラテン語でこう言う。

「Desponsamus te, mare(われわれは汝、海と結婚する)」

これが始まった12世紀ごろは、教会による結婚の風習が定着しかけた時期と一致します。

 

2. 婚約・結婚指輪の起源

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2-1. 婚約指輪の起源

婚約時に指輪を渡す習慣は、古代ローマ時代にまで遡ります。

その起源は「妻をお金で買う売買」の習慣にあります。つまり、婚約成立時に未来の花嫁の父親にその「代金」を指輪で支払うのです。

ポイントは指輪を渡すのが「結婚時」ではなくて「婚約時」であることで、婚約が「売買契約」を結ぶという習俗に基づいていることが分かります。

古代ローマ時代の結婚は、男子は14歳、女子は12歳から可能でしたが、実際には男子は20歳以上、女子は10代後半でなされることが多かったようです。

ローマ時代は人々は情熱的な自由恋愛をしていたようなイメージがありますが全然そんなことはなく、むしろ家と家同士の関係や子孫を残すことが重用視されました。

金銭や身分が絡んだ結婚が多く、それがゆえ「契約」という意味合いが強かったのです。

指輪だけでなく、結婚の際に「文書で契約書を書くしきたり」すらあったそうです。

 

2-2. ゲルマン文化での「結婚式」

ゲルマン社会でも、婚約が成立すると花婿側から「牛、調教された馬、武器」あるいはお金や指輪が渡されたそうです。これは古代ローマの習慣がゲルマンでも定着したもので、昔はゲルマン流の結婚といえば「略奪婚」だったようです。

村人の誰かが、自分の息子に嫁を取らせたいと考えると、親類や近所の者を集めて会議をし、近隣の村の誰誰の娘が適齢期だ、と提案がなされる。彼らは適当な日時を選んで武器を持って馬にまたがり、娘を略奪に行く。拉致された娘は大声で叫び、家族や親類に助けを求める。娘が奪われたと知るや、家族や親類は武器を持って駆けつけて戦う。この戦いの勝者が娘の所有者になる。

なかなか荒っぽい「結婚式」ですが、ドイツ語の「結婚式(Blautlauf)」の語源は、「家まで駆けていく(laufen)」で、実際にこのような略奪婚がけっこう行われていたことは事実なようです。

 

2-3. 結婚指輪の起源

結婚指輪が登場するのはキリスト教時代になってからのことで、ローマ時代には存在しなっかったようです。

もっとも古い結婚指輪に関する言い伝えは、9世紀のローマ教皇ニコラウス1世によるもので、そこで指輪が結婚の証拠とみなされました。

結婚指輪交換の記録で最古のものは1027年のもので、

そこでは、花婿は花嫁に金の指輪を、花嫁は花婿に鉄の指輪を交換している(ミュール「ローマの結婚指輪の起源」)

とあり、お互いに指輪を交換する習慣がこの時から存在したことが分かります。

一方で、ドイツ騎士物語「ルーオトリープ」には

夫が花嫁に剣先につけた指輪を差し出し、貞節を求めた

 とあり、ゲルマンの騎士社会では「剣と指輪」が貞節のシンボルであったようです。

フランスでも結婚指輪交換の習慣は同じ時期に始まっています。

騎士社会では、主君が臣下に剣や槍、旗などを下賜し忠誠を求める習慣があったため、同じ文脈で花嫁に結婚指輪を与えて忠誠を求めるようになったと考えられます。

 

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3. 結婚観の変化

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 3-1. 昔の結婚式はどのようなものだったか

16世紀の結婚風俗を記した「北方民族文化誌」では次のように書かれています。

決められた日にあらゆる方面から豪華に着飾った新類縁者、兄弟姉妹が、馬に乗り、男性はもののよく分かった先導役に従い、女性は慎ましい先導役を先に立てて教区の教会へ集まってくる。(…小略)司祭の祝福により冠をいただいた花嫁が、主祭壇の前に導かれて、花婿の横の席につく。司祭の問いに答え、ふたりは順境においても逆境においてもともに暮らすことを厳かに誓い、決められたすべての儀式が指輪の交換、結婚の祝福によって固められる。指輪をはめるときに出席者たちの一同がその行為を元気づけるために拳で互いに背中を叩き合う。

北欧でも指輪交換の儀式は取り入れらていました。

花婿は

「この指輪をもって、我、汝と結婚し、金銀を汝に与え、我が肉体をもって、汝を崇め、現世の財産のすべてをもって、汝に名誉を与える」

と述べ、花嫁は

「我、汝を夫とし、晴れたときも、曇ったときも、良いときも、悪いときも、富めるときも、貧しいときも、病気のときも、健康なときも、死が我らを分かつまで、離れず、床にあっても、食卓にあっても、快く、快闊にあるようにせん」

と答える(B.G.ウォーカー「神話・伝承辞典」)。

これ、今でも定番のヤツですね!

 

3-2. 近代的な結婚観の成立

このように、昔は結婚式といえば村落共同体のお祭りであり、結婚相手も家や金銭的事情で決められることが多かったので、半ばパブリックな行事でありました。

たとえ相手が嫌でも、分かれることは難しかったでしょう。

神に対してウソを付く重罪であったし、何より世話になった共同体を裏切る行為であり、家同士の契約を反古にすることであったためです。

「結婚とは愛情に基づく恋愛の結実」という考えが定着したのは、18世紀後半以降、啓蒙主義やロマン主義の影響を受けてからです。

フランス革命以降は、教会での結婚式と併せて「市庁舎の戸籍係での調印」という形がとられるようになりました。

その時点で結婚指輪はもはや意味を失っているのですが、以降もすたれることなく連綿と続いています。

 

5. 結婚指輪が持つ意味

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結婚指輪がもはやシンボルでしかなくなったのに、なぜこの習慣が続いているのか。

現在ではファッション的意味合いも強いでしょうけど、結婚や指輪が持つ迷信や言い伝えの力も大きいのではないでしょうか。

 

魔除けとしての指輪

結婚指輪に限りませんが、古代のアニミズムの時代から指輪は霊力が備わっており、魔除けの力があると考えられました。

古代エジプトでは、不死のシンボルである昆虫スカラベの指輪が魔除けとして用いられたし、古代ギリシアでは銀の指輪は邪悪な眼差しを避けるとか、宝石がついた指輪は霊力が宿るなどと言い伝えられてきました。

ティロル地方では指輪は「幸運をもたらす」として、子ども誕生から誕生日、結婚式などありとあらゆる人生の節目にはめられるそうです。

また、戦場に行く兵士の無事を願って妻が夫に指輪を送る習慣もあったし、バイエルンやエストニアでは、悪魔の侵入を防ぐため農民が畑にタネを蒔くとき靴の中に指輪を入れていたそうです。

 

このような強い迷信は今やあまり信じられなくなってはいますが、

禍を防ぎ幸運を呼び寄せるという素朴な期待感を指輪に求める思いもあり、しかもそれが愛するパートナーから送られるものであるという点で、結婚指輪の習慣は生き長く続いているのではないかと思います。

 

 

まとめ

結婚指輪がヨーロッパの歴史と文化に深く根ざしたものだということが分かりますね。

でもたぶん、あと30年もすれば結婚式とか結婚指輪の習慣は衰退するのではと思います。

ネット結婚式サービスなんかも登場するだろうし、高価な指輪も代替品が登場することでしょう。「指輪ケーキ」とか「指輪チョコ」とか。

「新郎新婦の新しい門出をみんなで祝す」「結婚を申し込む品物を捧げる」という根本的な部分は変わらないでしょうけど、そのやり方は時代によって変わっていくはずです。

 

 

参考文献:指輪の文化史 浜本隆志 白水社

指輪の文化史

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