だいたいの殺人事件の原因は、カネかオンナや!
そう元新聞記者の友人が嘆いていました。
第3者から見たら本当につまらない理由で人を殺しています。本人にとっては真剣なんでしょうが。
ところがごくまれに、ドラマよりドラマのような事件が起こることがあります。
古くは「切り裂きジャック」や「ニューヨークのサムの息子」など。
そのような事件は人々の興味をかきたて、様々な憶測を呼び、週刊誌で様々に書かれ、中には映画化するものまであります。
今回は映画史の中で、殺人事件がどのように扱われたかをまとめてみます。
1. 映画に極めて適した「殺人」
当然ですが、殺人は人に嫌悪感をもたらします。
殺されたのが身近な人だった場合は憎しみがわきますし、起こったのが近所だった場合は恐怖を感じます。
一方で、その殺人に「大義」がある場合。非道な行為に対する復讐や誅殺。止むに止まれぬ状況に追い込まれての殺人。そんな時、ある種の共感や同情を殺人犯に抱く場合があります。
また、常識では考えられないほどの大量殺人やシリアルキリングが発生した場合。深いショックを感じると同時に、なぜこの殺人犯がこれをするに至ったのか?という興味もわいてきます。
我々の心の中には殺人という行為に対して、嫌悪しながらも魅力を感じ、敵意を感じながらも共感もする、という相反する感情が潜んでいます。
もちろん行為に至る過程が大事なのですが、行われた犯行や手口が劇的であればあるほど、我々はその事件について詳しく知りたいと思ってしまう。
そのような我々の欲求に応えてくれるのが、小説やマンガ、アニメ、映画であります。
これらのメディアは、脚本家や作家の手で事実をいかようにでも面白く「お化粧」できる。それは表現の自由であるし、創作の自由であるから。
中には残虐極まりない事件が、ブラックコメディーになったり、救いを求める殺人犯の人間活劇になってしまうこともあります。
2. 映画化した凶悪事件の数々
2-1. 「毒薬事件」1956年
アンリ・ドワコン監督の映画「毒薬事件」は、17世紀フランスを震撼させた一大スキャンダル事件を題材としています。
ルイ14世治政下のフランス。
宝石商の妻ラ・ヴォワザンは、表向きは趣味のよい貴婦人ですが、裏の顔は毒薬や媚薬の製造・販売を行い、新生児を生け贄にした黒ミサや悪魔崇拝にも精通していたとんでもない女でした。
貴婦人たちは身分を隠してラ・ヴォワザンのもとに通い、媚薬や堕胎剤を買い求めたり、憎い相手を呪い殺す儀式を莫大なカネを払って依頼しました。
ラ・ヴォワザンが逮捕され拷問の末に過去の悪業を洗いざらい暴露させられると、フランス宮廷のVIPすら彼女の顧客だったことが分かり大騒ぎに。
顧客リストの中には、ルイ14世の寵愛を受けたモンテスパン夫人フランソワーズ・アテナイスまでいました。彼女は王の寵愛を受け続けるために、同じく王の寵愛を受けるルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを呪い殺すミサを行っていたのです。
映画「毒薬事件」では、ラ・ヴォワザン役をヴィヴィアンヌ・ロマンスという当時のセックスシンボルだった女優、モンテスパン夫人役にはダニエル・ダリューというこれも当時人気があった女優が起用されており、不気味で凄惨だった事件が「華やかで軽快なもの」に仕上がっています。
2-1. 「M」1931年
1931年にドイツで制作された映画「M」は、サイコスリラー映画の元祖と言われ映画史に残る傑作と賞されています。
これは1929年にデュッセルドルフで実際に起こった連続殺人事件がモチーフになっていると言われています。
犯人の名前はペーター・キュルテン。
家庭内暴力が当然のように行われていた荒れた家庭に生まれ、青年期から軽犯罪を繰り返していました。表向きは物静かな男で妻子もいました。
1929年、8歳の少女を強姦して殺害。次に45歳の男を殺害。半年後に3人を刺し、14歳と5歳の姉妹を殺害。その翌日には女性を強姦しナイフでめった刺しに。その後も強姦と殺人を繰り返し、デュッセルドルフの町はパニック状態に陥りました。最後の殺人では、5歳の少女を殺害し埋めた場所を新聞社に送りつけたりしています。
最終的に逮捕され、9件の殺人と7件の殺人未遂の容疑で起訴され、裁判の結果死刑判決を受けギロチンで首を落とされ死亡しました。
映画「M」では、犯人は少女に異常に執着する男として描かれ、主演のピーター・ローレはサイコな異常な性癖を持つ男を不気味に演じきっています。BGMはないものの、殺人犯が好んで吹く口笛が不気味さを際立たせており、極めて不快な事件を「ホラー・エンタテインメント」として昇華させた画期的な作品です。
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3. 無法者・ギャングの映画
1929年にからアメリカではトーキー映画が主流になり、登場人物の声だけでなく、銃の音やモノが割れる音も観客に聞かせることができるようになりました。
折しも、時代は禁酒法まっただ中で、アメリカの裏社会では酒の闇販売を通じてギャングが暗躍した時代。
映画でも、無法者・ギャングが大活躍する作品が好評を得ました。
当時最も有名だったギャングのアル・カポネを題材にした作品が、1931年の「犯罪王リコ」。
アル・カポネは言わずと知れたギャングの大物。26歳で組織のトップに立つと、酒の密売で莫大な利益をあげつつ敵を容赦なく抹殺していきます。
1929年2月14日には、敵対するモラン一味を抹殺した「聖バレンタインデーの虐殺」を引き起こし、その悪名を全米中に轟かせました。
ただしカポネはその莫大な資金力によって、刑務所所長、陪審員、警察までも買収。
最終的には捕まりますが、刑務所内でもVIP待遇でホテルのような暮らしをしていたそうです。
「犯罪王リコ」の主人公リコも、カポネと同じくイタリア系アメリカ人で、暗黒街で一旗揚げようと、マフィアの下っ端となります。銃のうまさと度胸とでたちまち親分格に登り詰めたリコ。大検挙が行われますがリコはうまく逃げ回りますが、最後は機関銃を浴びせられて殺害されてしまう。
この映画は、アメリカの世論に「反暴力」を訴えた作品ではありましたが、1934年に映画制作倫理規定が適用され「たとえ映画とはいえ、ギャングを賞賛するような描写はご法度」とされ、暴力描写が規制されるようになってしまいました。
そういう経緯があり、30年〜40年代のギャング映画は捜査官を主人公とする作品が多く作られました。
倫理規定が緩和された50年代以降、伝説的な「聖バレンタインデーの虐殺」は映画で多く題材にされ、1966年の映画「聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ」をはじめ、1987年の「アンタッチャブル」でも描かれています。
1930年代の有名な犯罪者たちは、50年代以降次々と映画化。
強盗団の母親で63歳の時に息子の1人と共に殺されたケイト・バーカーは、「血まみれギャング・ママ」(1970年)という作品に。
銀行強盗のジョン・ディリンジャーも「パブリック・エネミーズ」(2009年)でジョニー・デップによって演じられました。
4. セミ・ドキュメンタリーの発明
映画製作者のルイ・ド・ロシュモントは、実際の事件の現場の映像とスタジオで撮影された映像を組み合わせた「セミ・ドキュメンタリー」というスタイルを確立。
このニュース映画シリーズは「マーチ・オブ・タイム」と題されて人気になり、アカデミー賞も受賞しています。
1940年代からロシュモントはこの手法を使い、実際に起こった事件をもとにフィクション映画を作成。
ナチスのスパイと連邦捜査局の諜報戦を描いた「Gメン対間諜」1945年)
1929年にコネチカット州で起きた神父殺人事件の容疑者の無実を証明した州検事を描いた「影なき殺人」(1947年)
5. ジャーナリスティックな殺人映画
1970年代からドキュメンタリー映画から一歩先に進み、映画の作り手が事件に関する個人的な見解を打ち出した、よりジャーナリスティックな作品も作られるようになっていきます。
1979年のフランス映画「赤いセーター」は、1976年にギロチンで処刑されたクリスティアン・ラニュッチという男を描いています。
「赤いセーター」の原作を書いたジル・ペローは作品内で、少女殺害事件を起こしたとされるラニュッチは冤罪であり、別の犯人がいると主張。さらに考えを押し進め、冤罪の可能性から死刑制度自体への反対も訴えました。
1973年の作品「ドミニシ事件」では、1952年に南フランスの農村で3人の旅行者が殺害された実際の事件をテーマにしており、有罪判決を受けたガストン・ドミニシは、映画の中で犯人ではないと主張されています。
6. より激しく、より残酷に
殺人をテーマにした映画は次々と新しい作品が出現しています。
実際の事件をモチーフにしたものから、圧倒的な悪で描かれる殺人鬼が登場するフィクション、極限状態における人間の悪の部分をむき出しにするものなど、その殺人の表現は留まるところを知りません。
1992年「ハンニバル」
1997年「キューブ」
2010年「冷たい熱帯魚」
そして、やっぱりみんなこういう残酷なものは見たいんですよね、やっぱり。
昔から公開処刑は大衆の娯楽でしたし、古代ローマ時代はスパルタクスの戦いが一大見せ物ショーでした。闘鶏や闘犬も未だに行われている地域がありますし。
ある種、こういう残酷な映画が人々の欲求を満たしていると言えば、そうなのかもしれません。
しかし、規制派が主張する「残酷な映画を見て影響を受けて実行してしまう」という者も、まあいなくはない。
殺人の表現は今後も、表現と規制の間で揺れ動くのでしょうか。
まとめ
同じような話は、性的描写にも言えるかもしれませんね。
人間の本能的欲求である性欲求だから訴える力もある。それこそ手を変え品を変え表現するわけですが、1番規制に引っかかりやすい。
個人的には表現は最大限尊重されるべきで規制は限りなくないほうがいいと思いますが、不快さしかない作品も中にはあります。
難しいのは、その不快さが個人のさじ加減によってしまい、どこまでがギリギリで、どこまでいったらアウトなのかの見極めが困難であることです。
そういう程度の問題も、作り手の技術が求められるものなのでしょう。
参考文献:殺人の歴史 ベウナール・ウダン,河合幹雄 創元社