歴ログ -世界史専門ブログ-

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ジーンズの歴史

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 子どもからお年寄りまで履くジーンズ

冷静に観察してみよう。

休日の電車に乗って、周りの人たちが何を履いているか。

おそらく7割型、ジーンズだと言っても過言ではありません。 

なぜかみんなジーンズを履いています。子どもからお年寄りまで履いています。

冷静に考えると、青いパンツは色的に上に合わせるものを選ぶので結構辛いはずなんですが、みんなかなり自由に着合わせています。

ジーンズの普及っぷりは凄まじいものですが、いったいジーンズはどのような歴史を辿っているのかを見ていきましょう。

 

 

1. ジーンズの語源とは

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ジェノヴァ → ジーンズ

ジーンズの語源は、イタリアの港町「ジェノヴァ」のフランス語読み「ジェーンズ」から来ていると言われています。

「ジェノヴァの生地」と言えば、「まずまずの品質で良心的な価格」であるとされ、労働者のための服の素材として使われました。

 

ニーム → デニム

一方デニムの語源は、フランス南部の町「ニーム(de Nimes)」だそうです。

ニームの生地は高品質だが下等な扱いで、仕事の時に「服が汚れないように上に羽織る」ためのものでした。

そのため汚れが目立たないように、インディゴなどで黒や濃い青に染められました。

 

17世紀の北イタリアではジーンズは、労働者のための下等な生地として知られ、ジェノヴァの船乗りが「汚れても気にならない服」としてヨーロッパ中に紹介しました。

 

2. ブルージーンズの発明

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織物ビジネスで成功したドイツ移民ストラウス

世界で始めてブルージーンズを作ったのは、アメリカのドイツ移民リーバイ・ストラウスと東欧系ユダヤ移民ヤコブ・デイビスです。

家族と共にドイツからカリフォルニアに移住してきたストラウスは、家族とともに母国で営んでいた織物のビジネスを始めました。

当時、カリフォルニアはゴールドラッシュの時代。

アメリカみならず世界中から一攫千金を夢見て人々が押し寄せており、ビジネスチャンスが大きいと踏んだのでしょう。

ストラウスが狙ったのは、特に鉱山労働に従事するブルーワーカー

丈夫で長持ちする帆布を輸入し、テントや荷駄用に販売しビジネスとして成功を収めていました。

 

リベットを使ったズボン

1872年、ストラウスは布を卸していた仕立て屋のヤコブ・デイビスから手紙である提案を受けました。

ストラウスの卸す布をズボンに仕立て販売できないだろうか?

デイビスの考えたアイデアは、ズボンをリベットで打ち付けた大胆なデザイン

「これは売れる!」と思ったのでしょう。

1873年、ストラウスとデイビスは「リベットを使うことでポケットを開けやすくする改良」の特許を出願。

2人は様々な素材を試し試行錯誤を重ね、最終的にヨーロッパで労働者向けに販売されているジーンズに行き着きました。

同年、鉱夫向けの丈夫なズボンとして「ブルージーンズ」を発売。これが現在のジーンズの元祖です。

言わずもがなですが、ストラウスの会社は現在のリーバイ・ストラウス社。現在の「リーバイス」です。

 

ブルーワーカー向けの作業着

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発売されたブルージンズは人気になり、西海岸の労働者階級のマストアイテムとなりました。

1890年にはリーバイ・ストラウス社の特許が切れ、ブルージーンズを各社が手がけるようになりました。

ですが、ジーンズはあくまで「労働服」であり、ファッションとして見なされる存在ではありませんでした。

 

4. 「怒れる若者」の象徴

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1955年に公開された映画「理由なき反抗 」。

50年代のティーンが持つ社会への不満や大人への苛立ちを表しており、アメリカのみならず世界中で大ヒット。

1953年の「乱暴者」や1955年の「暴力教室」と並び、当時のアメリカ社会の「あるべき大人像」の崩壊と、当時の若者たちによる新たな文脈作りを象徴する作品です。

 

Yahoo映画より引用

ジェームズ・ディーン主演による彼の代表的作品。酔った17歳の少年ジムが警官に捕まった。その晩に起こった集団暴行事件の容疑者として警察に連行された彼は、そこで美しいジュディと、まだ子供のようなプラトーと知り合う。間もなく二人は帰宅を許され、ジムも温情ある少年保護係のレイ主任の取り計らいで帰ることができたが、この三人の出会いは、やがて彼らの持つやり場のない苛立ちを露呈する事件へと結びついてゆく……。 

www.youtube.com

映画の中で主演のジェームス・ディーンが履いていたものは、ジーンズ。

乱暴でケンカっぱやいブルーワーカーを象徴するジーンズを、育ちの良い若者に履かせることで「意味なくイライラし親や教師に反抗する、手の付けられない若者」を描きだしたわけです。

ジーンズは一躍、「反抗」や「ワル」を象徴するファッションアイテムになり、ジェームス・ディーンを真似てジーンズを履く若者が急増。

カッコ良かった、というのも勿論あるでしょうが、当時のアメリカの「若者の共通シンボル」だったに違いありません。

当時のアメリカの学校や劇場、レストランでは、ジーンズの着用を認めなかったようなので、

ダブダブで、シワがより、汚れてるのだか何だか分からないズボンは、大人たちにとっては「風紀を乱すとんでもないファッション」だったのでしょう。

 

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5. 人気のカジュアルアイテムへ

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 ジーンズの浸透と発展

1960年代になると、当時の若者が大人になったこともあり、ジーンズは次第に社会に浸透していき、 1970年代になるとカジュアルファッションとして一定の地位を築くまでになりました。

1980年代になると、ヴィンテージ風に仕上げるストーン・ウォッシュが流行。その他、ケミカル・ウォッシュやカラーパンツなど様々な種類のデニム生地が発展。

今やジーンズはファッションショーのランウェイを飾るまでになりました。

 

↓ The Wall Street Jounal : PHOTOS: DESIGNER BLUES

www.wsj.com

労働者の服装が、アッパークラスのオシャレなアイテムにまでなったのです。

 

日本のジーンズの歴史

日本では戦前にも一部ジーンズ入ってきたようですが、本格的にジーンズが売られ始めたのは1967年。

アメリカで一般的に成り始めていたデニムが、デパートで売られるようになりました。

1970年代には、学生運動やヒッピーブームで若者たちが好んでジーンズを履くようになります。

日本でも、アメリカから1週遅れていましたが、ジーンズを履くことが「大人への抵抗」の象徴だったわけです。

 1980年以降はアメリカと同じく、様々な種類のデニムが販売されて広く一般化。

高価なヴィンテージものもあれば、ユニクロなどの安価なものもあり、

普段着としても、ちょっとしたオシャレにもOKな万能アイテムとなりました。

 

6. ジーンズが精子の量を減らす?

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まことしやかに流れるウワサで、本当かどうか定かではありません。

タイトなジーンズは局部を締め付けダメージを与え精子の育成を妨げるとか、 

局部の体温があがり精子が育ちにくくなるとか、様々な説が言われています。

ぼくも男なので、ジャージとかハーフパンツの方が「股間がラクそうにしてる」のは分かります。

あんまり締め付けすぎるのは体によくないってのは、きっとそうなんでしょう。

精子の数にまで影響を与えているかどうかまでは、よく分かりませんが。

 

 

まとめ

労働者の低級な服から、ランウェイを飾るアッパークラスの服にまで転身を遂げたのはすごいですね。 

同じように、コンビニに行くのにてきとうに履いていくのも、勝負したいコンパに履いていくのも、質は違えどジーンズですから、最も偉大なズボンと言えるのはないでしょうか。

 

 

参考文献

Forever in Blue Jeans, Wall Street Journal,By ALEXA BRAZILIAN Updated Jan. 8, 2011 

"Jeans" From Wikipedia, the free encyclopedia

あの時コレが流行った!日本のジーンズの歴史を紐解くインフォグラフィック, YKK SNAP FASTENERS JAPAN CO.,LTD.