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人道的な処刑器具「ギロチン」はなぜ残酷さの象徴になったのか

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恐怖政治の象徴・ギロチン

ギロチンという言葉を聞いて思い浮かべるもの。

革命、弾劾裁判、恐怖政治。

「断頭台の露と消えた」マリー・アントワネットを思い浮かべる人も多いでしょう。

18世紀後半に「人道的な処刑器具」として開発されたギロチンは、1978年まで実際に使用されました。

今回はギロチンの歴史について調べてみたいと思います。

 

 

1. ギロチン発明以前の処刑

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 剣や斧を用いた斬首

かつてヨーロッパでは処刑は剣や斧による斬首が一般的でした。

一流の処刑人の手にかかれば苦しまずに死ねましたが、素人に毛が生えたような処刑人も中にはおり、そのような人物が手を下した場合仕損じて余計な苦しみを与えることも多かったようです。

また一流の処刑人になるには多くの人間の首を切って鍛錬せねばならず、その分多くの人間の苦しみが必要となりました。

人間の首の骨はかなり頑丈に出来ており、切れ味するどい剣でも、一人の首を切り落とすと刃こぼれをおこす。

そのため複数人の処刑を行う場合は、いくつも剣や斧を準備するか、都度刃を研ぐ必要がありました。

そう多くの剣を準備できない地方、特に田舎は悲惨だったでしょうね。

ギロチン以前にもあった断頭台

ヒューマンエラーや刃こぼれによる仕損じを防ぐため、実はギロチン以前にもその前身となるような断頭台は存在しました。

14世紀のスコットランドには「ハリファックス・ジベット」という名前の斬首装置があり、後に改良されて「メイドン」という名前となりました。

これは犠牲者の首を固定し、首上に巨大な刃物を設置した上で、処刑人がハンマーで上から叩くことで均等に力を与えて確実に首を切り落とすというもの。

発想自体はギロチンと似てますね。

これは貴族専用の機械で、「楽に死ねる」ことは上流階級の特権だったわけです。

 

2. 人道的な処刑器具の開発

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死刑囚には苦しみを与えるべきでない

このような状況に意義を唱え、

身分を問わずに苦しまずに機械によって首を切り落とされる権利を主張したのが、フランスの医師ジョゼフ・イニャース・ギヨタンでした。

それまでのフランスでは、絞首刑や火刑、四つ裂きなど、受刑者がなるべく苦しむ方法での刑罰が主流でしたが、

ギヨタンは人道観点から「苦痛を与えることなく」死刑を実施することを主張しました。

ギロチンの開発

ギヨタンの意見を受け医師アントワーヌ・ルイは、かつて使われていた断頭台の設計書を元により効率化した機械の設計図を作成。

製作の発注を受けたのはドイツ人大工のシュミットという男でした。

シュミットは「ギロチンは人類に幸福をもたらす機械であり、その製作に関わることは名誉」であると考えており、地元フランスの大工の1/6以下の見積もりで製作を請け負ったのでした。 

ギロチンには、これまでの断頭台にない工夫が2点ありました。

1点目は、刃が斜めになっていること。

これまでの断頭台はハンマーを用いることから刃が水平になっていましたが、斜めにすべらせて切ったほうがよく切れることから、斜めの刃が導入されました。

2点目は、受刑者の体を固定する器具の導入。

受刑者が嫌がって暴れたり動いたりすることで刃が当たる位置がずれ、無用な一撃を与えることもあったため、確実に執行するためにガッチリと体を固定する器具が導入されました。

 

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3. ギロチンのお披露目と普及

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ギロチンの第一号は、1792年4月4日にパリのグレーブ広場に設置されました。

最初の犠牲者は、追い剥ぎ強盗のニコラ・ジャック・ペルティエ。

それからというものの、ギロチンは休むことなく使い続けられました。

フランス革命中、政権が次々と交代しそのたびに旧政権関係者やそのシンパが逮捕されました。当時の逮捕者は大概が死刑になり、しかもその方法はギロチン一択だったため、ギロチンは恐怖政治の象徴と見なされるようになっていきました。

そのあまりの「効率の良さ」が却って犠牲者を増やしたわけです。

1794年にジャコバン派のロベスピエールが処刑され、革命政権が駆逐されるまでギロチンは稼働し続け、その犠牲者はパリだけで3,000人フランス全体で見たら4万人もの人間がギロチンで処刑されました。

 

4. 切った後すぐは意識があるかの検証

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ギロチンが本格的に使われ始めて間もない頃、

本当にギロチンは人道的なのか、首が切られてすぐに意識が無くなるのか

という懐疑的な意見が見られました。

1793年、ギロチンの執行アシスタントであったある男が、

ある処刑人の首が落ちた後、怒りで頬が赤くなるのを見た

と証言したことでさらに議論は白熱。

ある医師は自分が処刑される際に、切り落とされた後片目を瞬きしつづけて見せると宣言してそれを実行してみせました。

1880年に、ダッシ・ド・リニエという名の医師が、首を切断された人間の頭部に再び血液を送り込むと意識を取り戻し、言葉を発しさせするという実験結果を公表しました。

これらの実験は20世紀になって禁止されましたが、マウスを使っての実験の結果首を切り落としても4秒程度は脳が停止するのに時間がかかるという結果が出たそうです。

 

5. 最後のギロチン

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 フランス革命以降もギロチンは処刑に使われ続けました。

各地でギロチンが生産され、改良された品物が各地に出回るようになりました。

紐の起動からボタン式になり、また執行後に崩れ落ちる胴体が後方のカゴに格納されるように改善。

それらは20世紀後半まで、フランスや植民地で使われ続けました。

また、ナチス・ドイツでもギロチンを公式の処刑器具と認定。

支配する地域の政治犯は膨大な数に及び、それらを効率的に処刑する器具としてギロチンは活用されたのでした。

当時ベルリンのプレッツェンゼー監獄では、約3000人がギロチンで処刑されました

フランスからギロチンそのものが無くなったのは、1978年のこと。

野蛮すぎるというある上院議員の批判がきっかけで、1981年には死刑制度そのものがなくなりました。 

 

 

まとめ

なんというか、死刑や拷問の歴史から鑑みれば、充分ギロチンは人道的な機械なのだろうなあという気がします。

人間は歴史上、エゲつない死刑方法や拷問をいくつも考えだしてますから。

ただ現代ではさらに苦しまずに処刑する方法がいくつもあるので、わざわざギロチンという「汚れる」方法でなくてもいいのです。

ギロチンという処刑器具を見ても、社会の効率化と「死」そのものを嫌悪する意識の醸成が発達していくのが見えて興味深いです。

ただこの極度の「死への嫌悪」は、現代社会で別の問題を引き起こしているのも否めませんね。

参考文献:拷問の歴史 新紀元社

8 Things You May Not Know About the Guillotine