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「売国奴」と呼ばれる人たち:東京ローズ

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第11回:東京ローズ(アイバ・戸栗・ダキノ) 1916 - 2006

「東京ローズ 」とは、第二次世界大戦中に日本軍が連合軍向けに放送したプロパガンダ・ラジオ番組「ゼロ・アワー」でアナウンサーを務めた女性の愛称。

ラジオ番組内ではアナウンサーの名前は紹介されなかったため、アメリカ軍兵士は彼女らを「東京ローズ」と呼び、その愛くるしい声を夢中になって聞き入りました。

その放送を担当していた女性は複数いましたが、代表的な人物は日系アメリカ人のアイバ・戸栗・ダキノ。

ダキノは終戦後、国家反逆罪で有罪判決を受け収監。アメリカ市民権を剥奪されます。

彼女の名誉が回復されたのは2006年、死亡する直前の90歳の時のことでした。

 

 東京ローズの生声

こちらは東京ローズことアイバ・戸栗・ダキノのラジオ放送の音声です。


Tokyo Rose - YouTube

音質が悪いことに加えて、ぼくのリスニング能力が低いこともあって全然分かりません。

 

以下はおそらく再現VTRなのですが、ある程度は音がクリアなので訳してみることにします。ところどころ聞き取れないところは端折ります。


TOKYO ROSE "VOICE OF TRUTH" WWII PROPAGANDA MOVIE 2760 - YouTube

こんにちは、みなさん。日本のお姉さんからの真実の声よ。平和と愛を込めてお送りするわ。

今日は悲しいことをお伝えしなければならないの。あなたたちがしでかしたことが発端なのだけども。

あなたたちがやろうとしていることは不可能への試みだわ。あなたたちが硫黄島の(日本の)大軍に挑むなんて不可能。

なぜなら数千もの日本の兵士が安全な洞窟にこもっていて、あなたたちの目に触れずに銃撃するからよ。彼らはあなたたちに危害は加えたくない。なぜなら、今朝のことはあなたたちの意志ではないことを、私も彼らも分かっているから。無駄な犠牲が出ないことを、11000マイル離れた遠くから祈っているわ。(以下略)

日本軍は連合軍の兵士向けにラジオ放送を発信していました。その目的は戦意を削ぐこと。

軽快な音楽の節々に

  • あなたの国は日本の攻撃を受けて大変な状態なのに、まだ帰らないの?
  • 捕虜になった連合軍兵士は、捕虜の生活が幸せだと言っているわよ
  • あなたの奥さんや恋人は今ほかの男に抱かれているのでしょうね

などトゲのあるメッセージを入れ、少しでも兵士の間で厭戦気分を高めようとしました。

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戦争勃発で帰国できなくなる 

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東京ローズことアイバ・戸栗・ダキノは、1916年ロサンゼルス生まれの日系2世。

普通にアメリカ人として教育を受け、アイデンティティを持ち、成長しました。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校在学中の1941年7月に、叔母の見舞いのために初来日。

その滞在中に何と太平洋戦争が勃発。アメリカに帰れなくなってしまいます。

何度かアメリカへの連絡船に乗ろうとしますが失敗。

ダキノは戦時中に特高警察から何度も日本国籍に変えるよう迫られますが、その都度断っています。

ラジオ・東京放送のアナウンサーに

しょうがないので生活費を稼ぐためにも、馴れない異国で働くことに。

最初は通信社で通信傍受とタイピングの仕事をしていましたが、1942年から日本放送協会(NHK)の対外宣伝ラジオ番組のスタッフとなります。最初は原稿の翻訳をやっていましたが、その愛らしい声を見込まれてアナウンサーの1人になりました。

狙い通り、担当するラジオ番組「ゼロ・アワー」は連合軍兵士の間で人気になり、いつしか彼女たちは「東京ローズ」 という名前で呼ばれるようになりました。

はるか海の彼方から届く愛らしい声の、トゲのある語りかけは前線の兵士のみならずアメリカ本国でも人気になり、戦時中にも関わらず映画「東京ローズ」が制作・公開されるほどでした。

戦争終結後、「国家反逆罪」で逮捕

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終戦後、数人いた東京ローズの中でダキノのみが「自分が東京ローズだ」と公言したことがきっかけで、GHQに呼び出されて反逆罪で巣鴨プリズンに収監されてしまいます。

1949年にアメリカ本国の裁判にかけられ、

「アメリカ市民にもかかわらず、敵国のプロパガンダに参加した」

 ことで「国家反逆罪」で有罪となり、禁錮10年と罰金1万ドル、アメリカ市民剥奪を言い渡されます。

刑務所ではダキノは模範囚であったため6年2ヶ月で釈放。

一転してアメリカ市民権回復・「愛国的国民」認定へ 

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引用:theblaze.com

1970年代に入ると、当時の裁判は「人種差別に基づく不当なものであった」という声が、日系アメリカ人団体や退役軍人会からあがり、ダキノの名誉を回復する動きが出てきました。

そして新聞で当時の裁判はリハーサルも行われた茶番で、到底公平な法に基づくものではなかったことがリークされます。

最終的に、1977年のフォード大統領による特赦でダキノはアメリカ市民権を回復するに至りました。

さらに死亡する直前の2006年には、第二次世界大戦のアメリカ退役軍人会がダキノを「彼女の揺るぎない精神、国を愛する心がアメリカ国民に勇気を与えた」

として「エドワード・J・ヘライヒー賞」を授与。

ダキノは記者団に対し、

「今日は人生最良の日」

と涙ながらに語ったそうです。

その8ヶ月後の9月に脳卒中で他界。90歳でした。

 

まとめ

戦争がなければ、普通に結婚し子ども育て、何事もなく平凡な人生を終えていただろうに、 タイミングでこうまで大きく人生が狂ってしまうのかと愕然とします。

こんなとき自分ならどうするだろう。

日本と戦争をしている敵国に放り込まれて、言語も分からないし、周りの人は敵対心むき出して向かってくるし、そんな中でも働いて食っていかなくちゃいけない。

いっそ日本人になったほうが楽だったに違いない。

しかしそんな中でもアメリカへの忠誠心を保った折れない心はスゴいなと思います。

 

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