歴ログ -世界史専門ブログ-

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なぜ「トルコ風呂」は性風俗を意味するようになったのか

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かつては性風俗の代名詞だった

 今ではソープランドのほうが一般的ですね。

そういう業態は風営法で禁止されてますが、吉原の「風呂屋」や、飛田新地の「料亭」 など、巧み(?)に偽装をして未だに健在です。

昔は「トルコ風呂」と呼びましたが、トルコ人留学生の抗議をきっかけに名称が一斉に「ソープランド」に変わりました。石けん業界から抗議があったとは聞いたことないから、まあこの名称で良いのでしょう。

 にしても、何で「トルコ風呂」だったのか。

ほんとのトルコの風呂と、その歴史を調べてみましょう。

 

ハンマーム(トルコ風呂)はどういうものか 

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 イスラム圏では公衆浴場のことをハンマームと言い、イスラムの入浴文化は古代ローマの「テルマエ」を継承しています。

 中世から現代まで、基本的なハンマームの構造は変わっていません。

  • 入り口を入ると、噴水とベンチを備えた脱衣所・休憩室
  • その先に浴槽全体が3つ並ぶ
  • 最初は余熱で部屋全体が温かい、冬の脱衣所にもなる部屋
  • 次が体を洗う流し台の部屋
  • そして最後に湯船の部屋

浴場の床には大理石など熱を通しやすい素材が使われ、天井は丸屋根で覆われて明かり取りのための穴が開けられ、そこに色とりどりのガラスがはめ込まれました。

浴槽に浸かって天井を見上げると、キラキラと輝くカラフルな光が幻想的な光景を映し出します。

また、日本の銭湯に富士山が描かれたように、モザイクで人間や動物、植物、魚など様々なモチーフの絵が描かれました。

 

入浴の手順

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 まず入り口で腰布を渡されます。

服を脱いでロッカーに預け、腰布を巻いて木のサンダルを履きます。

いきなり湯につかるでなく、まずは温室に腰をかけてゆっくり発汗を促します。

じんわりと汗をかいたところで、お湯を浴びて汗を流し、34〜39度程度のお湯に浸かる。

体が火照ってきたら、湯から上がって温室に戻り、身体を冷ましてもう一回湯船に浸かる。

これを2〜3時間ほど繰り返すのです。

またハンマームには三助さんがいて、垢擦りやマッサージ、ひげ剃り、散髪もやってくれました。

風呂から上がると、入り口近くの噴水のある休憩スペースでゆったりと、茶でも飲んで世間話しながら身体を冷やしてまったりするわけです。 

発汗部屋など若干違いはありますけど、基本的には日本の銭湯と似てますね。

 

西ヨーロッパの風呂文化

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 現在イギリスやドイツにも、イスラム風のハンマームはあるようですが、西ヨーロッパには入浴文化はほとんど根付いていないように思えます。

 過去には、十字軍帰りの兵が風呂文化を持ち込んだことや、衛生概念の向上もあって、 風呂文化が普及したことがありました。

男女が別れていて、肌着をつけて温浴、蒸し風呂、垢擦り、毛剃りなどができて、風呂上がりにまったり雑談するような社交場的な施設だったようです。

16世紀のフランクフルトではこのように言われました。

一日楽しく過ごしたければ風呂へ行け。一週間を楽しく過ごしたければ刺絡せよ。一月を楽しく過ごしたければ豚一頭を屠り、一年を楽しく過ごしたければ若い妻を娶れ

 確かに、何もやることがない休日は銭湯に行ったらとりあえず、何か一日充実させたような気になりますからね。

 

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ロンドンの「トルコ風」浴場

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風呂文化の衰退

ところが西ヨーロッパでは16世紀半ば以降、風呂文化が急速に衰退します。 

燃料である木が高騰したことや梅毒の流行などいくつか要員があるようですが、この時代は宗教改革の嵐が吹き荒れた時代。いかがわしい浴場が批判の的になり、次に風呂自体も退廃の象徴として批判されてしまったようです。

宗教改革によって、そのような場所が批判され「スチュー」「ホットハウス」「バーニョ」などいずれも浴場を現す単語がイコール「売春宿」という意味になったのも、そういう認識が一般化したからでした。

トルコ風のいかがわしい風呂

 17世紀、ウィーン包囲が解かれて西ヨーロッパに対するオスマン・トルコの脅威がさほど大きなものにならなくなった後、トルコの文化は異質でオリエンタルなものとして好奇のまなざしで見られるようになり、その中で風呂文化は官能的な欲望の空間として見られるようになりました。

 1679年にロンドンに "ロイヤル・バーニー" という風呂屋がオープン。トルコ人が経営者で、「浴場とトルコ・コーヒー」という東洋文化を味わえる異空間を提供して話題になりました。

18世紀後半まで30近くの「トルコ風浴場」が作られ、ロイヤル・バーニーのような普通の浴場もあったのですが、多くが売春宿でした。

そのため「トルコ風呂」=「売春宿」というイメージに結びついていったのでした。

 

アングルの名画「トルコ風呂」

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女風呂を覗いているような…

フランス古典主義の画家ドミニク・アングルの作「トルコ風呂」。

ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)の注文で描かれたものです。

元々は長方形の画面でしたが、これに発注元であるルイ・ナポレオンは満足せず、突き返してしまいます。そこでアングルはこの絵画の周りを切り取って、円形に加工

そうすると、何と言うか、女風呂を覗いているような、何とも言えない感情を沸き立たせる名画へと変貌したのでした。

 なんでしょうね、隅から隅までじっくり見ちゃいますよね、これ。

 これも一種、西ヨーロッパの男が異文化に抱く性的な妄想空間の吐露と言えます。

 

「オリエンタリズム」の文脈

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エドワード・サイードは著書「オリエンタリズム」の中で、ヨーロッパ人が中東・アジアなど東方の国々に抱くステレオタイプを批判しています。 

根本的に、西洋の東洋に対する文化的・人種的優位性の志向があり、それに基づいて劣った文化に存在する性的搾取を自分たちは容易に行使できる / することが許される、という思考に達する

オリエンタリズムという大きな概念に落とし込むまでもなく、こういう思考は別に西洋人だけに限らないような気もします。

日本人でも、家や会社では偉そうにしてるオッサンが、タイとかフィリピンで10代の少女買ったりしてますから。 

 

 

まとめ

最近はトルコ風呂なんてあまり言わないし、トルコ旅行が流行ってることもあって、「トルコ風呂」というといわゆるハンマームや垢擦りを連想する人も増えているようです。

「トルコ風呂」という言い方ひとつとっても、妖しい風俗に憧れる男の性欲が垣間見えて興味深いです。

 

参考文献: 浴場から見たイスラーム文化(世界史リブレット) 杉田英明 山川出版社

浴場から見たイスラーム文化 (世界史リブレット)

浴場から見たイスラーム文化 (世界史リブレット)