20世紀最大の美術品窃盗事件
1911年8月22日、フランス人画家ルイ・ペローは、モナリザの模写をしにルーブル美術館を訪れます。
ところが、そこには絵はなく、額縁を固定する釘が残されているだけ。
ペローが美術館の担当者に
「巡回や写真撮影か何かがあるのか?」
と確認したところで絵が盗難されたことが発覚し、 蜂の巣をつついた大騒ぎに。
この事件の犯人は、イタリア人のペルージアという男なのですが、
実はペルージアは操られていただけで、真犯人がいると言われています。
それがアルゼンチン人の贋作詐欺師・バルフィエルノ。
今回は、バルフィエルノ犯人説に基づき、この事件の顛末を描いていきます。
贋作詐欺のプロ マルケス・バルフィエルノ
アルゼンチン出身のマルケス・バルフィエルノはプロの贋作詐欺師。
彼は、ショドロンという腕利きの絵画贋作家とタッグを組んでいました。
近世、貴族の持ち物だった美術品は、19世紀になってブルジョワ階級に高値で取引されました。
美術品のニーズは留まるところを知らず、
「盗んだものでもいいから、本物が欲しい!」
という声さえありました。
そこで、バルフィエルノはショドロンの描いたニセモノの絵画を本物と偽って、金持ちに法外な値段で売りさばく詐欺で大もうけしていました。
絵画窃盗詐欺の手口
手口はこうです。
まずターゲットに欲しい絵画を聞き、ショドロンにその絵画を描かせる。
そして、その絵画が展示してある美術館の守衛に賄賂を渡し、
「迷惑はかけない。盗みはしないから、しばらく絵画の側に行かせてくれ」
と言い目をつむらせ、絵画の裏に贋作を掛けます。
後日、ターゲットを絵画の裏に招き寄せ、何かしらペンで印をつけさせます。
そしてその場はターゲットを帰し、後日これを盗んでくる旨を伝える。
あとは、裏に掛けてあった贋作を取り出して、ターゲットに渡す。
自分がつけた印がちゃんとあるので、ターゲットは「本物だ!」と浮かれ喜び、多額の報酬金を支払う、というワケ。
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モナリザを買いませんか?
バルフィエルノは、もっと有名な絵画で荒稼ぎをすることを考えます。
そのターゲットはモナリザ。
募集をかけたところ、モナリザを買いたいという人物が6人も現れました。
これまでの絵画だったら、本当に盗難したかどうか信じ込ませるために、
「絵が盗難にあった」とニセ記事が載った新聞でも渡しておけば信じてもらえたが、
これほど知名度のある絵画だとそういうチンケな嘘は通用しない。
実際に大ニュースにならないと信用もないだろう。
バルフィエルノはそう考え、ペンキ職人のペルージアと、ランチェロッティ兄弟に、マジでモナリザを盗難するよう依頼。
バルフィエルノは自分に捜査の手が及ばないように、ペルージア達にも本名は伏せていたそうです。
ルーブルのペンキ職人ピンセンツォ・ペルージア
1911年8月20日夜、ペルージアはルーブル美術館の物置に隠れていました。
もともとルーブル美術館の仕事をしたことがあったペルージアは、翌日は休館であることを知っていました。
翌日、ペルージアは物置から出てきて、誰もいない隙にモナリザを固定釘から外し、
スモックと言われる上衣の中に絵を隠し、警備員がいない隙に勝手口から美術館を後にしました。
何のトリックもない、シンプルな盗難。
単に、ルーブル美術館の警備がザル過ぎただけでした。
バルフィエルノ、贋作を売りさばく
引用:globedia.com
翌日、モナリザ盗難がニュースで新聞に大々的に取り上げられたことを確認すると、
バルフィエルノはペルージアに報酬を渡し、しばらく家に保管しておくよう命令。
そしてあらかじめ契約していた6名にモナリザの贋作を売りさばく。
大ニュースになっているからには、信用性も高かったでしょう。
日本円にして40億円の利益を得たとも言われています。
ペルージア、モナリザを売ろうとして逮捕
ペルージアは2年間、自分のアパートにモナリザを保管していましたが、もらった報奨金は女やバクチですでに使い果たしてしまった。
しかもバルフィエルノから追加の連絡が途絶え、保管に対する謝礼金もなかったため、不満を募らせていきます。
いつまで待てばいいんだ。追加のカネはいつになったら貰えるんだ!
こうなったらこのモナリザを売ってカネにしてしまえ。
ペルージアはイタリア・フィレンツェの画商にモナリザを売りさばこうとして、即刻逮捕されます。
愛国心が動機です!
イタリアで逮捕されたペルージアは、その犯行の動機を
「我がイタリアが生んだ偉大な芸術が、フランスに盗まれて飾られているのを見て耐えられなくなった」
と、愛国心からの動機であって、決してカネが目的ではないと主張。
イタリアの民衆はペルージアを英雄扱いし、無罪を求める声が上がります。
結局有罪になりますが、禁固6ヶ月というめちゃくちゃ軽い刑で出獄。
何か、どこかで聞いたような話ですよね…
まとめ
発見されたモナリザは、イタリア各地で展示された後にやっとフランスに戻されています。
ペルージアは、「モナリザはフランス人が盗んだ」と主張しましたが、
本当はダ・ヴィンチがフランス王の招聘でフランスに来たときに一緒に持ち込んで、フランスで書き上げたものなので、見当違いも甚だしいのですが。
ペルージアは一貫して「愛国無罪」を訴えたため、バルフィエルノに捜査の手は及びませんでした。
バルフィエルノの死後の1932年、自身による「告白」がアメリカの雑誌で発表され、一躍センセーションを巻き起こしました。
ほんとうに、このような美術品と愛国心が結びついたトラブルは世界中どこにでもあるもんなんですね。