エジプトに一神教を広めようとした美女
ネフェルティティ(前1381〜1344)は、古代エジプト新王国第18王朝時代のファラオ・アメンホテプ4世の妻。
ネフェルティティとは古代エジプト語で「やってきた美女」という意味で、その名の通り絶世の美女だったそうです。
第19王朝ラムセス2世の妻・ネフェルタリ、プトレマイオス朝の女王クレオパトラと並び、古代エジプト3大美女と称されています。
ネフェルティティはこれまで多神教だったエジプトに、一神教を普及させる宗教改革を断行。最後は旧勢力に巻き返され、失意の中で死んでいます。
今回はエジプトの美しき宗教改革者・ネフェルティティの生涯を追っていきます。
1. 故郷のミタンニ王国からエジプトへ
ネフェルティティの故郷は、現在のトルコ東南部〜シリア北部にあったミタンニ王国。もともとはタドゥケパという名前でした。
15歳のときに、大量の黄金の贈り物と引き換えにエジプト王国に嫁ぐことになります。
テーベの船着き場に着いた15歳の異国の少女はよほど美しく、また愛らしかったようで、すぐにエジプトの人々の心をつかみました。
そして新しく「ネフェルティティ=やってきた美女」という名前を授かり、老王であるアメンホテプ3世に嫁ぐことになります。
昔も今も、プリンセスの登場は人々の心を沸き立たせるものなんですね。
2. 正妃ティイとの絆
老王アメンホテプ3世は、若く美しいネフェルティティを迎えますが自身は病に苦しみ、ほとんど政治は正妃のティイに任せていました。
正妃ティイは権力欲が強い「やり手」のパワーウーマンでしたが、ネフェルティティを排除しようとせず、積極的にかばい庇護しようとします。
というのもティイ自身もミタンニ王国の出身で、同郷に対しての親近感があったようです。
環境に恵まれた新婚生活でしたが、2年後にアメンホテプ3世が死去。ネフェルティティはわずか17歳で未亡人となります。
後継者選定を主導したのは、正妃ティイ。
彼女は、父との不仲で中央から遠ざけられていた、12歳の息子のアメンホテプ4世を呼び寄せ、ネフェルティティと結婚させます。
これはつまり、ティイがネフェルティティを自分の後継者と認めたという証でもありました。
※ちなみに、上記の写真はティイのミイラです。
3. アメンホテプ4世と再婚
仲睦まじい2人
2人の若いカップルは3年間で3人の娘を授かり、実際かなり仲睦まじかったようです。
大衆の面前で堂々とキスをして人々の度肝を抜いたり、
父の公務の場に娘たちがキャッキャと入ってきて追いかけっこをしたり、
これまでのエジプトにはなかった新風をネフェルティティは吹き込んでいきました。
アメン神
ネフェルティティはエジプトで主流のアメン神を中心とする多神教を嫌っていたと言います。
感情的な好き嫌いもあったのかもしれませんが、何より当時のエジプト社会では、旧来の多神教の教団や神官たちが王に匹敵するほどの権力を有し、王の意向を無視することもしばしばでした。
アメンホテプ4世とネフェルティティは、旧来の宗教を刷新することで、王を頂点とする新社会の構築を目指すようになります。
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4. アマルナ宗教改革
旧勢力大弾圧
アメンホテプ4世とネフェルティティは、旧来の宗教を排斥し、代わりにこれまでマイナーな神様だった太陽神アテンのみを崇拝する宗教改革を断行。
旧来の宗教勢力を大弾圧し、神殿や彫像を壊しまくる、強権の大ナタを振ります。
アメンホテプ4世は、自身の名前もアクナトン(アテンのお気に召す)に変更し、アテン信仰普及を先頭を切って進めます。
新首都アケタトン
王アクナトンは、ネフェルティティとともに、テーベの北330キロに新首都アケタトンを建造。
新首都の起工式には、黄金の馬車にアクナトンとネフェルティティが乗り込み、若々しい2人の威光と華々しい式典は、これからのエジプトの新しい門出を象徴するものでした。
首都アケタトンでは、理想主義に基づき死刑や人間の生け贄が禁じられ、
真理を重んじる自由主義的な雰囲気が満ちあふれ、古い形式主義や慣習は打ち壊されました。
5. アメンホテプ4世の変容
順調かに見えたアクナトンとネフェルティティの統治でしたが、最初の悪い兆候はアクナトンに降り掛かった謎の病気でした。
アクナトンは上半身がやせ細る代わりに下半身が肥り始め、やがて精神にも異常をきたすようになります。
アクナトンはネフェルティティを避けるようになり、代わりに謎の女性セメンクカラーを共同統治者に任命。
ネフェルティティは立場を失い、宮殿に引きこもるようになります。
6. 旧勢力の巻き返し、そして死
ヒッタイトの王子を呼び寄せる
やがて、アクナトンとセメンクカラーが相次いで死亡。
後継者争いが勃発する中、ネフェルティティは北の大国ヒッタイトに手紙を書きます。
エジプトの王に推挙する故、王子を一人こちらに送られたし
実際にこの手紙はヒッタイトに届き、候補の王子がエジプトに向かっていましたが、エジプトの国境付近で何者かによって暗殺されてしまいます。
少年王ツタンカーメンを推挙
ネフェルティティは次いで、王家の血を引く少年ツタンカーメンを即位させます。
しかし、旧来のアメン神を信仰する旧勢力の巻き返しにあい、政権を奪われます。
前1344年に、夢半ばにして死去。37歳でした。
死ぬ直前の彼女は何を思ったでしょうか。
恐らく自分の死よりも、死んだ後の王国の行方を激しく恐れたのではないかと思います。
自分の死後、どうなるかがはっきり分かったに違いないから。
その後のエジプト
ネフェルティティの死後、後ろ盾を失った少年王ツタンカーメンはすぐに暗殺されます。
新ファラオとなったホレムへブの命令により、アクナトン、ネフェルティティ、ツタンカーメンの痕跡は破壊しつくされ、歴史の記録からも一切抹消されてしまいました。
ネフェルティティがアメンホテプ4世と追いかけた理想の王国は、全て消され忘れさられたのでした。