イギリスの北方に浮かぶデンマーク領の島
フェロー諸島は、イギリスの北、アイスランドの南に浮かぶ島。
デンマークの領土ですが、高度な自治を持っており、独自の議会や外交権を持っています。
身近なところで言うと、サッカーの独自チームを持っていて、ワールドカップ予選にもフェロー諸島代表で出場しています。※ちなみに、FIFAランキング187位でした。(2014年10月)
もともとフェロー諸島の住民たちは、「いつかは独立したい!」という思いを持っており、そのための準備もしているのですが、機が熟さずなかなか独立するに至っていません。
かなりマイナーなこの国の歴史を見ていきましょう。
主産業は牧羊・漁業
フェロー諸島は北海に浮かんでいる島で、大小あわせて18の島から成ります。
気候は冷涼なため農業には適さず、古くから牧羊が盛ん。
「フェロー」とは羊を意味するそうで、国のシンボルマークも羊です。
また、北海の漁業も盛んで、サケやタラなど日本の水産会社もフェロー諸島の魚を買い付けているそうです。
また、ノルウェー、アイスランド、日本とともに、捕鯨をする数少ない国の1つです。
ノルウェー・ヴァイキングによる支配
もともとフェロー諸島は、アイスランドの修行僧の修行場でしたが、9世紀頃からノルウェーヴァイキングが定住し、島を統治し始めます。
その経緯もあり、11世紀にはノルウェーによって島が統治されます。
フェロー語は先住のアイスランド語に近く、また住民もノルウェーよりはアイスランドのほうに親近感を感じているようです。
カルマル同盟、デンマーク=ノルウェー二重王国
1397年、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3カ国同盟である、カルマル同盟が結成されます。
これは勢いを増すドイツのハンザ同盟に対抗して、バルト海の利権を守ろうとする北方3国の共通した思いから出発したものでしたが、次第にデンマークが同盟のイニシアティブをとり始めます。
後にスウェーデンは同盟から離反。デンマークとノルウェーは、合併して二重王国を結成。それに伴い、フェロー諸島もデンマーク領となります。
二重王国はその後1814年のナポレオン戦争まで続きますが、
王国の解消後、フェロー諸島はノルウェー領に戻るでもなく、デンマーク領として残ってしまいます。
フェロー諸島独立運動の発生
1940年、第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ軍に北方を脅かされることを恐れたイギリスは、アイスランドとフェロー諸島を占領。
デンマークとの連絡は途絶えますが、イギリスはフェロー諸島の住民に自治を与えます。
戦後、同じくイギリス軍に占領されていたデンマーク領アイスランドが独立。
フェロー諸島の住民の中には、アイスランドと同じように自分たちも独立しよう、という声が高まります。
1946年に独立の是非を問う住民投票が実施されます。
結果、独立賛成が5660票に対して、反対が5499票。
この結果を持って、デンマークからの独立を宣言しますが、デンマーク政府から、
「3分の2の賛成がないと有効とは言えません」
という冷静な突っ込みを入れられ、独立は拒否されてしまいます。
財政的な問題から独立はお預け状態
1980年まではフェロー諸島は漁業で潤っていましたが、90年代以降は不漁が続き財政危機が続きます。
失業率は20%を超え、デンマーク政府からの補助金に頼っていました。
98年ごろから財政が持ち直し始めたので、再度デンマーク政府と独立の協議を始めましたが、
「独立するなら4年以内に補助金打ち切るけど、いいの?」
と言われ、財政的な不安感からなかなか一歩が踏み出せないという状態続いています。
フェロー諸島の近海には、海底油田が見つかっており、ここを開発すれば大きな資金源となることが分かっているのですが、一向に開発が進んでいません。
もし油田によって財政面の不安が解消されれてば、晴れて独立への道を歩めるのかもしれません。