ナチス時代は庶民にとってどんな時代だったのか
ナチス時代のドイツと言われて想像するものと言えば、
ヒトラーの神格化、軍備拡張、隣国への介入・併合、言論統制、ゲシュタポによる密告、そしてユダヤ人の追放…
とかく悪いイメージがつきまといます。
しかし人々はナチスに翻弄されただけではなく、ナチスの戦略に乗っかり、あまつナチスを利用さえしました。
ナチス政権下でドイツ庶民はどのように生きたのか。掘り下げてみようと思います。
ヒトラー政権誕生まで
第一次世界大戦に敗れたドイツ
第一次世界大戦はドイツにとって、それまでのイギリスの覇権に対する挑戦であると同時に、イギリスの文化に対する挑戦でもありました。すなはち、個人主義・物理主義・利益優先社会のイギリスに対して、ドイツ的な秩序・精神・全体の利害の優先を守り広げるための戦いでした。
広範囲に国民を巻き込んだ戦いの末、ドイツは敗北。全ての海外植民地と国土の13%を割譲させられます。
ドイツ社会に様々な歪みが起きた時代
社会には様々な歪みが発生。伝統的価値観の崩壊や経済的疲弊が著しくなります。
・戦死によって壮年期男性が減少
・不況・インフレによる働き口の減少
→ 未婚女性が増加、出生率低下
・壮年期が減ったことにより相対的に若者世代の人口が多くなる
・移民などの労働人口が増加
→ 社会不安・治安の悪化、家庭でも世代間の断絶が起きる
このような危機の時代に、人々はこれまでの「あるべきドイツ人」のアイデンティティを新たな文脈で捕えようとします。
それを簡潔に説明したのが、ヒトラーの「人種闘争」でした。
「ユダヤは悪い人種であり、ドイツはいい人種である」と。
ヒトラーはドイツ人優越主義の元で様々な亀裂を埋めて、社会を再統合させようとし、大衆はそれに乗っかったのでした。
ナチス批判を吸収するためのヒトラー偶像化
ナチスが政権を取ってからも危機状態は変わらず、失業者の解消もなかなか進まずに人々の不満は高まっていました。加えて、物価の上昇やナチ党員の腐敗、半ば強制的な募金活動やボランティア活動など、ナチス政権への不満は満ちあふれていました。
そのようなナチ体制の不満を吸収したのがヒトラーでした。
宣伝省のゲッペルスは、ヒトラーを清廉で国民全体のことを考える政治家として演出。
人々も日頃の不満をヒトラーに投射し、社会の不正や不平をヒトラーが除いてくれることを期待し積極的に持ち上げます。
ヒトラーも言わば大衆に「担がれた神輿」でありました。
ゲシュタポの“私的利用”
ゲシュタポはナチス政権下で暗躍した秘密警察。体制反対派やユダヤ人の検挙を目的とし、密告を国民に奨励。密告に基づいて反ナチ派やレジスタンス、ユダヤ人狩りを行い、検挙した人物を有無を言わさず強制収容所送りにさせたことで恐れられた組織です。
「いつどこにあるか分からないゲシュタポの監視に怯える善良な国民」という文脈で語られることが多い悪名高き組織ですが、実際はそんなに単純でなかったようです。
ゲシュタポへの密告のうち35%は隣人トラブル、19%は家庭内トラブル、経済的動機が9%、商売上のトラブルが7%、職場トラブルが6%と、70%以上がほぼ私的なもめ事。
本来の目的である「ユダヤ人発見」の密告も3割弱が虚偽情報だったようで、他人を陥れるための道具としてゲシュタポは大衆に利用され、また私的なもめ事のために忙殺されていたのでした。
仕事があって、パンがある
ナチスの時代、これまでの大恐慌時代に職をなくし、長引く失業で心が荒んだ人たちに生きる勇気と希望を与えた時代でもありました。
ルールの鉱夫たちの回想。
みんな仕事とパンをふたたび手に入れて喜んだ。恐慌時代の耐乏生活は終わりを告げた。人々は、軍備拡大のために仕事をしているのを十分承知していた。しかしみんなは仕事ができるようになっただけで、うれしかった
新築ブーム
ナチスが持ち家政策を推進したこともありますが、人々の間に「正常化」への希求が強かったのもこの時代。新築ブームが起きたことは、人々の間で、働いて結婚し、子どもを作るというマインドが生まれていったことを意味しています。
つまり、生活が安定し、正常な社会生活をおくる人の割合が増えていきました。
夢の海外旅行
引用:uh.edu
ナチスはイタリアのドーボ・ラボーロ(労働の後に)という余暇組織を真似て、歓喜力行団という余暇組織を設立。
これまでブルジョワのステータスシンボルだった、余暇や旅行を労働者にも手が届くようにする、をスローガンにし、豪華客船による海外旅行を開催したり、自家用車での旅行を奨励するために国民乗用車としてフォルクスワーゲンを開発したりしました。
これも、生活が正常化され余裕が生まれ、未来への希望が見えてきた象徴でもありました。
政治宣伝ばかりじゃ疲れてしまう
引用:uh.edu
上記はナチス時代のフォルクスワーゲンの宣伝ポスターですが、 あまりナチスっぽくないというか、ナチスロゴが入っていないといつの時代のものか分からないくらい、自由でくつろいだ表現となっています。
ナチスは人々を政治集会やパレードに動員しようとしました。そのことで民族の結束や一体化を図ろうとしたのですが、だんだん出席率が悪くなっていったようです。
そのためナチスはポスターにもある程度自由でくつろいだ表現を認めたり、先述の歓喜力行団のように、自由意志で参加する組織を作ることで大衆のガス抜きをするようになりました。
アメリカ大衆文化
引用:adbranch.com
ナチス政権下でも、ハリウッド映画も、ディズニーも、コカコーラも楽しむことができました。人々は比較的自由にアメリカ文化に接していましたが、ナチスはアメリカ文化をドイツ的な文脈に置き換えることで、民主主義や個人主義の流入を防ごうとしました。
例えば、乗用車はアメリカでは自由の象徴ですが、ドイツではブルジョワの手から奪い取った労働者の富のような文脈で語られました。
電化製品の普及
引用:amazon.com
ナチスの時代はドイツが大衆消費社会の入り口に立った時代でもありました。
ラジオ、カメラ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、オーブンなどの電化製品、レコードや映画などの娯楽品、化粧品や水着などウィメンズ用品などが街角には並びました。
ナチス時代に育った女性たちは、「女性は家庭を守るもの」というドイツの伝統的な価値観を受け入れつつも、このような家電製品を積極的に取り入れることで、「効率的に家事をこなし、余った時間を労働に回す」という新しいスタイルを作っていきました。
まとめ
ナチスドイツ時代の大衆文化について述べてきました。
大衆とナチス、お互い利用し利用されの関係があったことが分かると思います。
と同時に、これまでの伝統的な価値観への揺り戻し(正常化)の文脈の中で語られる、現代的価値観へブリッジするための芽生えが見てとれます。
何かをきっかけにその芽生えは大きく成長し、内包されていた殻を突き破っていくのでしょう。ドイツはそれが第二次世界大戦の敗北だったわけですが。
今の日本に置き換えて考えてみても、なかなか興味深いかもしれません。
参考文献:ナチズムの時代(世界史リブレット) 山本秀行 山川出版社
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