歴ログ -世界史専門ブログ-

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現代アフリカの独裁者たち【3人】

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現代に生きる独裁者たち

現代にまだ一党独裁の国はありつつも、独裁者の専制国家はなかなか珍しくなってきています。

ただ、まだ専制主義の独裁者は世界に多く存在します。

どのような背景や理由があるのか。

このエントリーでは、現在に生きる独裁者たちを紹介します。

 1. ムスワティ3世(スワジランド)

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アフリカ最後の絶対君主

アフリカ南部の小国・スワジランドの国王。1986年に若干18歳で国王に就任。現時点で15人の妻と24人の子どもがいます。アフリカ最後の絶対君主として知られ、首相指名権など絶対的な権力を保持しています。憲法では部族的なシステムが色濃く残っており、言論や表現の自由は記載があるもののアムネスティなどの人権団体から批判を受けています。

とんでもない散財癖

スワジランドは60%以上の国民が1日2ドル以下での暮らしで、HIV感染率も世界最悪の最貧国。だがそんなことはこの人は気にせず、国家予算で贅沢品を湯水のように買いあさり、年間で約65億円も浪費しています。

世界銀行や南アフリカからの融資も、何割か横領して自分の贅沢品のために使ってしまう

国王にささげる処女のダンス

毎年8〜9月にはリード・ダンスという祭りが開催されます。スワジランド全土から数万人の女性が参加して踊り、国王への忠誠を誓います。

ここで国王に見初められると王妃になることができるため、女性達は美しく飾り立ててアピールをするのだそうです。


国王にささげる処女のダンス - YouTube

 

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2. イサイアス・アフェウェルキ(エリトリア)

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 エリトリア独立の英雄

東アフリカにある小国・エリトリアは元々独立国でしたが、ムッソリーニ支配下のイタリアの植民地、イギリスによる保護国を経て、1952年にエチオピアとの連邦国家「エチオピア=エリトリア連邦」として独立。1961年、エリトリアはエチオピアとの連邦からの離脱と独立を宣言。30年にも及ぶエリトリア独立戦争が始まりました。

アフェウェルキは1966年からエリトリア解放戦線(ELF)に参加。後にエリトリア解放人民戦線(EPLF)の創設に関わります。EPLFは中国の支援を受けている一方、エチオピアはソ連の支援を受けており、共産圏の大国の代理戦争の側面もありました。その後EPLFが他のエチオピアの反政府組織とともに、エチオピアの首都アディスアベバを陥落させます。1991年、エリトリアは独立が承認され、国民投票でアフェウェルキは大統領に就任しました。

官軍による一党独裁

独立後、アフェウェルキ率いるエリトリア民主正義人民戦線の一党独裁が続いています。独立戦争を共に戦ったELFなどの他の武装組織は追放され、野党勢力の活動は公的に認められていません。1993年から選挙は一度も行われたことがなく、憲法は1997年に発行されたものの、未だ施行がされていない状態です。

隣国にケンカをふっかけ続ける

国民の80%は第1次産業に従事していますが食料自給率30%と低く、農業のGDPに占める割合は12%程度。おそらく、農民とは名ばかりの難民や流民も数に含んでいるのでしょう。GDPの30%程度は運輸業で稼いでおり、サウジアラビアやエジプト、エチオピア、ケニアなど近隣の大国への物資の中継基地となっているようです。

一方で政府は国境や天然資源を巡って、隣国のイエメン、エチオピア、ジプチと紛争を繰り返しています。未だ独立戦争中の野戦司令官の気分でいるのでしょうか。

 

 3. オマル=アル・バシール(スーダン)

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内戦に明け暮れたスーダンの独裁者

旧スーダン(現スーダンと南スーダン)は、北部と南部との民族・宗教対立と、南部の地下資源を巡り1983年から血みどろの内戦状態にありました。

1989年、スーダン軍の将軍であったバシールは、イスラム原理主義組織・民族イスラム戦線の支持のもとクーデーターを行い政権を掌握。大統領と首相、最高司令官を兼任する独裁体制を敷きました。

ダルフールの集団虐殺

2003年、スーダン西部のダルフールで、アラブ系住民と非アラブ系住民との間の対立が激化し紛争に発展。双方が互いの民間人の虐殺、強姦、強盗を働き、200万人の死者、400万人の家を追われた者、60万人の難民が発生したと言われています。

バシール率いるスーダン政府軍は、アラブ系の民兵組織ジャンジャウィードを支援し非アラブ系の住民を組織的に虐殺しているとされ、2009年に国際刑事裁判所はバシールを、ダルフールにおける人道に対する罪で起訴し逮捕状を発行しました。 

現役の大統領に対する逮捕状は史上初めてのことですが、中国・ロシア・アラブ連盟・アフリカ連合の反対により事実上逮捕は不可能な状態になっています。

 中国・ロシアとの太いパイプ

スーダンは特に中国とのパイプが太く、国内で算出された石油の多くを中国向けに輸出しており、その利益で中国製の武器を輸入しています。

また、近年ロシアとの関係も取りざたされており、スーダン政府軍に軍事支援をしているとされています。

 

 

まとめ

アフリカと一口に言ってもその社会背景は様々です。

ただアフリカの国々の中には、伝統的な部族社会を抜けきれないところも多く、様々な発展段階をすっ飛ばして近代国家の枠組みを無理矢理はめ込んで、しかもそれで経済発展を目指すなんて、健全にいかないわけがないと思います。

中産階級が育っていないので、仮に1人エリートが出たら、権力がその人物に集まり、その富にあやかろうと人が集まってきて腐敗が生まれやすい。そして多民族社会なうえに、資源や領土がからんでくると、分裂の危機を迎えやすい。そのため、国内の諸勢力を何とかして押さえ込んで、国家分裂と内乱の悲劇を防ごうとしているのが現実ではないかと思います。ただ、セーフティネットがないに等しいため弱い立場のグループが迫害されやすくなります。スーダンはその最も悲劇的な例です。

  • 昔ながらの部族社会を抜けきれないため、欧米式の近代国家の枠にはまらず、ひずみが生じている
  • お互い疑心暗鬼だらけの多民族をひとつにまとめるために強権的になっている