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アメリカ風中華料理「チャプスイ」の歴史

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Photo by Eli Hodapp 

アメリカ人が考える「中華」を代表する料理

「チャプスイ」を食べたことはあるでしょうか。

 チャプスイは主にアメリカで食べられる中華料理で、青菜や根菜、肉を炒めた後に醤油ベースのスープを入れてとろみをつけ、ご飯や麺にかけたりして食べます。

 本格的なアジア料理が流行っているアメリカでは、チャプスイはもはや珍しい古典的な料理となっていますが、かつてアメリカ人が中国料理と中国人、ひいてはアジア系とアジアのカルチャーを受け入れる上で非常に重要な役割を果たした料理であります。

 

1. チャプスイとはなにか

 チャプスイには決まった具材や食べ方はありません。

野菜はチンゲン菜やもやし、たまねぎ、にんじん、シイタケなどなんでもいいし、肉も鶏肉でも豚肉でも魚でも問題ありません。かけるのも白米でも麺でも問題ないし、もちろんそのまま食べてもOKです。「あんかけのあんの部分だけ」または「八宝菜」が日本人の感覚的には近いかもしれません。

 20世紀初頭には広くアメリカ国内で食べられていたので、アメリカの軍人やビジネスマンが世界中に進出していく過程で、チャプスイも世界中に伝わっていきました。

例えばカナダ、フィリピン、太平洋諸島、インド、ドイツなどにもアメリカ式と言いつつ当地でローカライズされたチャプスイがあります。日本ではあまり見ませんが、アメリカ軍基地が多い沖縄ではメニューにチャプスイがある食堂がまだいくつもあるそうです。

 

YouTubeでいくつかレシピを見てみました。

これはフィリピン式チャプスイ。ピーマンや茹で卵、そしてシュリンプ・キューブというエビの固形スープを使っている所に特徴があります。

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これはインド式チャプスイ。堅揚げの麺を使っている点と、四川風のシーズニングソースを使っている点がまったく違います。インド人が中華作ったらこうなるんだろうな、という感じです。

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これはスリランカ式チャプスイです。ローカルな野菜がたくさん入っていて、味付けは中華風ですが、カレーペーストを入れたらカレーになりそうな勢いです。

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ここまで来るとチャプスイとは何か混乱してきます。しかしこの「実態のなさ」がおそらくチャプスイの正体だと思われます。

チャプスイは特定の料理ではなく「食材を中華風に味付けして食べる行為」に近い存在であるようにも思われます。

 

2. チャプスイの起源

 チャプスイはアメリカで生まれた「ニセ中華料理」であるという説がありますがこれは正しくなく、ちゃんとルーツとなる料理があります。

19世紀後半の中国からのアメリカ移民の多くを排出した、広東省の台山市の郷土料理である雜碎(tsap seui)がそれです。雜碎は鶏肉・豚肉・エビなどと野菜を油で炒めてスープを加えとろみをつけた料理で、確かにチャプスイと似ています。

具体的にいつ、どこのレストランでかは分かりませんが、1880年代のいつか、ニューヨークの中華料理の店で出された雜碎がアメリカ人の舌にあい、人気メニューとなったことがきっかけと考えられます。

当時は中国人移民がアメリカ西部を中心に急増しており、人種差別と異文化への無知、仕事が奪われるという恐怖感から反中国人感情が高まっていましたが、その一方でニューヨークのような大都会では様々な人種が入り混じり、低所得の移民労働者も多くいました。満足に食事ができない彼らは激安中華レストランで腹を満たすようになりました。そして彼らの舌にもっとも合ったのが「チャプスイ」であったわけです。

 

人気になるチャプスイ

チャプスイは中華料理店がオープンし始めた極めて初期の頃から人気メニューだったようです。ウォン・チンフーという名の中国系アメリカ人ジャーナリストが、西洋人の好みに合う料理のリストで、「チャプスイ」に初めて言及しました。彼は中華料理の優秀さをアメリカ人にアピールした最初の人です。彼はブルックリン・イーグル紙に寄稿しアメリカの料理と中華料理をポイントごとに比較し、中華料理の調理法と食材が驚くほど豊かである点を強調して、「中華料理はアメリカ料理よりも優れている」と結論づけました。

その上で彼のお気に入りの中華料理のリストが提示され、中には"chop soly"と呼ばれる「中国の国民食」だと彼が主張する料理も含まれていました。

ウォン・チンフーはこう述べています。

料理人はそれぞれ独自のレシピを持っている。その主な材料は、豚肉、ベーコン、鶏肉、キノコ、タケノコ、玉ねぎ、胡椒。その他にも鴨肉、牛肉、香ばしいカブ、黒豆の塩漬け、山芋のスライス、エンドウ豆、いんげん豆が使われることがある。

1886年、ジャーナリストのアラン・フォーマンは、チャプスイを食し「歯ごたえのあるシチュー」と表現しました。

最初にアタックしたのはチャプスイだ。もやし、鶏の砂肝と肝臓、子牛のハチノス、ドラゴンフィッシュ、中国産の乾物、豚肉、鶏肉、その他いろいろな材料で構成された歯ごたえのあるシチューだ。

食事は目新しいだけでなく、美味しくて、お会計はたったの63セントだった!

アメリカ人はカップヌードルですら麺入りのスープとみなすようですし、当時も具だくさんのスープとみなされていたフシがあります。

9年後の1895年に、最初のチャプスイのレシピが主婦向け雑誌「グッド・ハウスキーピング・マガジン」に掲載されました。

 

李鴻章=チャプスイ発明説

俗説の一つに、清国の北洋通商大臣である李鴻章が1896年にアメリカを訪れた際に、アメリカの料理が口に合わずに随行の料理人に余った食材で作らせたのがチャプスイの起源である、というものがあります。

当時アメリカでは李鴻章の訪米は大きな関心をもって報じられ、記者たちは李鴻章の一挙手一投足にも注目し連日大々的に報道しました。加熱する報道合戦の中で一部のメディアが、李鴻章閣下はアメリカの料理は好まないが、唯一「チャプスイ」だけは召し上がった、と不正確な情報を報道しました。

李鴻章がチャプスイを食べたという記録はなく、記者が憶測で報道したと思われるのですが、このニュースが大きな反響をもたらしました。

新聞社にはチャプスイとはどんな料理か、と問い合わせが殺到。それに応える形でレシピが掲載されましたが、ロクに調べないで書いたのかとんでもなくデタラメなものであったようです。

それまで多くの人はチャプスイなど見たことも聞いたこともなかったため、李鴻章がアメリカに持ち込んだものだと思い込み、さまざまな伝説が生まれることになってしまいました。

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3. チャプスイの普及

さまざまな俗説を生むことになったとはいえ、李鴻章とメディア報道のおかげで、特に富裕層や中流階級の人々が、チャプスイとはどんなものか、と興味本位で中華料理店を訪れるようになりました。

情報発信力のある彼らが中華料理に関心を持つことは非常に重要で、たちまちのうちにニューヨークのタイムズスクエアとその付近に新しい中華料理店がオープンしました。

これらのレストランは看板に大きく「CHOP SUEY」と書きました。

 

▼1952年に撮影されたサンフランシスコの中華料理店

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Photo by IMLS Digital Collections & Content

 

これらの中華料理店は一般のアメリカ人に受け入れられやすいように、なじみ深い野菜と鶏肉または豚肉が使われました。レストランは遅くまで営業していることも多く、安さやエキゾチックさと相まって、美食家や酒飲みたちが頻繁に訪れる場所となったのでした。

 

「チャプスイは中華料理ではない」

20世紀に入るころには、チャプスイはアメリカの都市部の人たちがこぞって食べるファッショナブルな料理になっていました。

そのような、中華料理がファッション化する風潮に反する流れも生じます。

中華料理の通と称する男が、「チャプスイは中華料理ではなくアメリカで生まれたアメリカ料理だ」と主張し始めました。その流れに乗り、1905年にボストン・グローブ紙は、6人の中国人留学生にインタビューし「チャプスイなど母国では聞いたことない」という記事を掲載しました。1908年にも、カンザスシティ・スター紙が、市内のどの中華料理店も「本物の中華料理が提供されていない」と非難しました。

恐らくこの辺りがチャプスイがアメリカ起源であるという誤解の始まりです。

 

「チャプスイ=アメリカ起源説」でもっとも有名な説が以下の通り。

ゴールドラッシュの絶頂期のこと。サンフランシスコの中華料理店に、炭鉱労働者のグループが閉店後に押しかけてきて、食べ物を要求した。シェフはすっかりおびえ、キッチンにある残り物を集めて適当に炒め物を作って提供した。シェフが「大したものじゃないよ」と言った言葉が「チャプスイ」と聞こえ、それが料理名として定着してしまったのだ、というものです。

これはまったく根拠のない俗説で、20世紀前半に語られるようになったものです。

さらには、サンフランシスコから来たレム・センという名の料理人がニューヨークにやってきて「チャプスイは私が発明したもので、アメリカのシェフに盗まれた」と称して、賠償金と中華料理店が許可なくチャプスイを提供するのを停止するための訴訟を起こすなど巷をにぎわすゴシップにすらなりました。

いかに当時のチャプスイ人気がすごかったかが分かります。

20世紀前半のアメリカでは「チャプスイ」は中華料理全般を意味する言葉となりました。「チャプスイ」をさらに人気にさせたのは1920年代の禁酒法であると言われています。中華料理店は酒を提供するところは少なく、中国茶がメインだったので、相対的に競合に対して優位な立場に立つことができました。

 

4. チャプスイの衰退

 このようにチャプスイが市民権を得ていく一方で、20世紀前半のアメリカはいわゆる「黄禍論」が猛威を振るった時代です。

日露戦争で黄色人種の日本が白人種のロシアに勝ったことはアメリカ人にも衝撃を与え、太平洋の向こうで急拡大する有色人種大国への警戒感が高まりました。

中国人移民は既に1882年の中国人排斥法によって入国制限がなされていましたが、黄禍論の高まりで「1924年移民法」が成立。これにより日本人移民も停止されました。

黄色人種脅威論はアジア文化の排斥や偏見にも現れ、中華料理がそのやり玉に挙げられることもありました。例えば1930年の映画「東は西(East Is West)」では、中華料理店は悪徳や退廃の巣窟として描かれました。

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しかし、日中戦争勃発で日本の脅威がより高まったことで中国が被害者であるという認識がマスコミを通じて強まり、最終的に1943年の中国移民制限の廃止に繋がります。

戦争によって特に肉やミルク、チーズなど白人が好む食料は不足するようになりました。家政学者たちは、豆腐や中華麺など中国系の人々の料理も積極的に取り入れることでこの困難を乗り越えよう、と訴え新聞や雑誌にチャプスイのレシピが数多く紹介され一般家庭にも普及していきました。

一般家庭に普及したことで、チャプスイはこれまで以上に「アメリカナイズ」されていきます。ハムやベーコン、トマト、チーズ、卵などアメリカ人になじみ深い食材が入れられてチャプスイと言われるようになり、次第に中華料理というよりもアメリカ料理とみなされるようになっていきました。

 

1950年代以降、好況を謳歌するアメリカはマイカーとマイホームが普及し、週末に「中華料理を食べに行く」というレジャーが当たり前になっていきました。

アイゼンハワー大統領もワシントンDCの中華料理店「サン・チョップ・スージー・レストラン」のチャプスイが大好物だったらしく、完全に市民権を得ていました。

 

本格中華料理の流入

しかし、食の流行り廃りは早いものです。

1960年代半ばから、主に香港、台湾、広東省から新しく中国系の人々がアメリカに移住しました。

彼らは何百種類もの郷土料理のレシピをアメリカに紹介し、アメリカ人に中国料理のバラエティの広さと奥の深さを知らしめました。台湾料理や広東料理といった新しいレストランがオープンし、美食家たちは新しい味覚を開拓するようになっていきます。そして、ニクソン大統領が中華人民共和国との関係を構築した後、北京料理や上海料理など、本格的な中華料理を味わうことができるようになりました。

今やアメリカでは、小さい町のスーパーでも麺やシューマイといった中華料理を手に入れられますし、本格的な中華料理も多くあります。チャプスイは、今やほとんどの中華料理店で見られないメニューとなってしまいました。

しかし、チャプスイはアメリカ人の中華料理や中国人、ひいてはアジア料理とアジア人への理解を促す上で、大変大きな役割を果たしたと言えると思います。

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まとめ

チャプスイ、ほとんどの方が食べたことないと思いますが、現在のアメリカ人にとっての寿司やラーメンのような「エキゾチック」 な料理でありました。

アメリカ人の誰もが知る料理となったのは「何でも入れてOK」という融通無碍さにあったはずなのですが、ここまで壊滅的に衰退したのもその「実態のなさ」によるのかもしれません。なかなか難しいですね。

しかし今は主にフィリピンや南アジア、サモアやトンガなど太平洋諸島でよく食べられているようです。アフリカなどローカルフードの慣習が根強い地域に普及したら、今後もチャプスイは独自の進化を遂げていくかもしれません。

 

参考サイト

"A History of Chop Suey" HISTORY TODAY

 "Chop Suey: An American Classic" Smithonian Magazine

 "Mixed Bits: The True History of Chop Suey" AMERICAN HERITAGE

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