歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

歴ログ-世界史専門ブログ-は「はてなブログ」での更新を停止しました。
引き続きnoteのほうで活動を続けて参ります。引き続きよろしくお願いします。
noteはこちら

19世紀イギリスの観光公害「ビデンデンの復活祭」

f:id:titioya:20200229124512j:plain

「ビデンデンのおとめ」伝説にまつわる復活祭

「ビデンデンの復活祭」は、ヨーク州のビデンデンという小さな町に中世から伝わるお祭り。

この町には「ビデンデンのおとめ」という、一説によると記録上最も古いと言われる、十一世紀のイングランドの結合双生児にまつわる伝説があります。

この伝説にまつわる復活祭が16世紀から人気になるのですが、それが観光公害を引き起こし、祭りの形が時代ごとに変わっていったという興味深い歴史があります。

 

1. ビデンデンの復活祭

f:id:titioya:20200229212150j:plain

Photo from Fine Art America

ケント州ビデンデンでは、いつからかは不明ですが、復活祭の時に教会で未亡人や年金生活者、囚人に無料でパンとチーズ、ビスケット、飲み物を提供してきました。ビデンデン名物のビスケットは硬く焼しめてあり、歯でかじるのが不可能なほどカチカチ。紅茶などでふやかして食べる必要があります。大変保存が利くので、貧しい人が毎日少しずつ食べ進めることができるようにと配慮がなされていました。

この伝統は今でもあり、資格がある者は観光客でも、復活祭の月曜日の朝に救貧院に並べば、窓からビスケットを受け取ることができます。

そしてこのビスケットのモチーフになっているのが、「ビデンデンのおとめ(Biddenden Maids)」と呼ばれる、十一世紀にこの地に住んだとされる「手と腰がつながった双子の姉妹」です。

 

2. ビデンデンの乙女伝説

f:id:titioya:20200229130243j:plain

伝統によれば「ビデンデンのおとめ」ことメアリ・チャルクハーストとエリザ・チャルクハーストは、1100年にかなり裕福な両親に生まれました。彼らの体は腰と肩でつながっていたと言われています。

双子の姉妹はとても仲が良かったものの、時々意見の相違から大ゲンカになり、口論どころかヒートアップして叩きあいを演じることもあったそうです。

1134年のある日、メアリは病気にかかって死亡してしまい、心配した村の人がエリザに手術をして妹の死体から離れるべきと言いますが、彼女は「これまで私たちは二人で一人だったので一緒に逝きます」と言って、六時間後に死んでしまった。
二人の遺言で、彼女たちの所有していた「パンとチーズのくに(The Bread and Cheese Lands)」という名の五つの地所が教会に遺贈されました。これらの土地が産するパンとチーズは、年に一度貧しい人々への施しとして使われるよう遺言に残されていました。彼女たちの功績を讃えて、ビスケットに二人をあしらったものを作るようになった、と言われています。

PR

 

 

3. ビデンデンのチャリティ・イベント

f:id:titioya:20200229212505j:plain

Photo by Dave Skinner

人気になるビデンデンの復活祭

ビデンデンの教区委員が自治的に管理する「パンとチーズのくに(Bread and Cheese Lands)」では、パンとチーズの生産販売事業が好調で多くの利益が出ており、その利益を地元に還元すべく毎年復活祭にチャリティ・イベントを実施していました。

十七世紀前半には、このチャリティ・イベントは地元のみならず遠方からも多数の人が詰めかける大変有名なイベントになっており、それは大変な賑わいだったそうです。教区に住む貧しい人にパンやチーズを与えるのみならず、大樽に詰まったビールの栓が抜かれ、大宴会の様相を呈していました。チャリティとは言え、大勢の人が村を訪れることでの経済効果もかなりあったと思われ、次第にフェスのようになっていったのでしょう。

酒を目当てに「粗野な連中」が大勢詰めかけて問題を起こすことも多く、1605年に視察に訪れたカンタベリー大主教はあまりのひどさに狼狽し、ただちに中止の命令を下しました。

17世紀半ばに、教区司祭ウィリアム・ホーナーが「パンとチーズのくに」を教区司祭の土地に組み込もうと試み、倫理委員会や財務裁判所の審議にかけましたがこれは却下され、教区委員の自治によるチャリティ・イベントは毎年開催され続けました。

この時の訴訟の証言で、教区委員が管理する土地は「体を共にして育った二人の女性」から譲渡されたものだという証言があり、17世紀当時から双子の伝説があったことが分かっています。当初は特に重要視されていなかった「ビデンデンのおとめ」伝説ですが、17世紀以降この祭りのシンボルになっていったようです。

 

人気観光イベントに

18世紀後半ごろから、農業技術の発展で「パンとチーズのくに」の生産量が大幅に増え、チャリティで提供される食べ物を増やすことができました。そこで1770年ごろから「ビデンデンのケーキ」と名付けられた、双子の姉妹を模ったビスケットの配布が行われ始めました。教会の内部には食べ物を求めて多くの人がつめかけ、外には入りきれない人が溢れる有様で、そのような人に対し教会の屋根からビスケットがまかれました。ただしこのビスケットは小麦と水のみでこねて硬く焼いた代物で、お世辞にもあまり旨いものではなかったようですが。

 

発展するビデンデンのおとめの物語

次第に「ビデンデンのおとめ」が祭りのシンボルになっていき、祭りの人気化に伴ってお話として注目されるようになっていきました。ロンドンで発刊されていた雑誌「ジェントルマンズ・マガジン」の 1770年の記事でビデンデンのおとめの伝説が紹介されています。この記事では、彼女たちが「腰の部分だけつながっていた」と記載され、具体的な名前にまで言及せず、34年よりももっと長く生きたことになっています。

この話が知られるようになると、人々の関心が集まったためかディテイルの話が追加されていき、1790年後に出版された印刷物には、初めて彼女たちの名前がメアリとエリザであり、姓がチャルクハーストであるとされました。

 

伝説に対する反対意見も出始めました。

18世紀後半、歴史家のエドワード・ヘイステッドはビデンデンのおとめ伝説は土俗的な言い伝えで信じるに足りないと切って捨て、「パンとチーズのくに」はプレストンという名の二人の女性が寄贈したものだと断定しました。ビスケットに描かれた双子は、単にかつてこの土地に住んだ貧しい未亡人を現したに過ぎない、しかもそれも50年と極めて新しく、1100年というのは捏造であると主張したのです。さすがに、この伝説は17世紀から存在するのでヘイステッドの主張は間違いであることは確かなのですが、はっきりとした結論は出ずにうやむやのまま、イベントの人気だけは加速してくことになります。

 

4. 観光公害化するお祭り

19世紀前半にはビデンデンの復活祭は一大観光イベントと化しており、イベントのシンボルとして「ビデンデンのおとめ」は有名になっていました。哀れで清い双子の物語に魅せられて多くの人がビデンデンを訪れました。人々は教会を訪れて二人が眠る墓でお参りし、教会の土産物店で双子のビスケットを模した粘土細工や、二人のエピソードを記した木版印刷を買い求めました

特に復活祭のシーズンは近隣の地区から観光客が押し寄せ、酒を飲んでは大騒ぎ。お祭り騒ぎは度を超えたものになり、 「無秩序と無礼が支配する」ほど。

さすがに教区委員でも秩序を維持できなくなり、1861年には会場が教会から救貧院へと移し規模を大幅に縮小し、建物の一部から食べ物と飲み物を与える形式に切り替えられましたが、それでも観光客が騒動を起こしてしまう。

1882年には、限界になった教区委員は教会の上部組織に復活祭の運営を委ねることを依頼しましたが、カンタベリー大主教はそれを拒否。その代わり、ビールの配布を禁止するようにアドバイス。それ以降、観光客は大きく減るも同時に「粗野な人々」も減り、貧困者に食べ物と飲み物を与える、元の静かな催しに戻りました

20世紀の初めにビデンデンの慈善事業団体が整理され、「パンとチーズのくに」は宅地として売却されるも、チャリティを行う財団としての活動は現在でも続いています。

 

なお、「ビデンデンのおとめ」が存在したか、いつ存在したのかはまだ議論があるのですが、20世紀初頭にジョージ・クリンチという人物が調査した、彼女たちは15世紀から16世紀に生きた可能性がある、と結論づけました。しかし、ビスケットに刻まれた「1100年」という数字がどういう根拠に基づいているか証明できませんでした。仮に彼女たちが15~16世紀に生きたとして1100年生まれと詐称する理由があるとは思えず、他にも12世紀初頭に結合双生児がいた記録があることから、1100年という年代も容易に排除すべきでない、という意見も根強くあります。

PR

 

 

まとめ

 観光公害は今日本のみならず世界中で問題になっていますが、すでに過去に起こっていたことだったんですね。

ビデンデンの場合は、「タダで飲み食いできる」という魅力に加えて、その催しの起源となったストーリーが人々の心をとらえて人気イベント化していきました。

結局彼らは激化する観光客を御しきれず、イベントの当初の目的に先祖返りして、安定を取り戻すことを選びました。ただし、観光客が落とすお金の大部分は捨てたわけです。

観光イベント化する以前から、ちゃんと目的がある催しであって地元に根付いているものであれば、このような選択も可能なんでしょう。観光客なしに回っていかない状態になっているイベントや地域の場合、このような選択肢は難しいかもしれません。

 

参考文献・サイト

"The Biddenden Maids: a curious chapter in the history of conjoined twins" Journal of the Royal Society of Medicine Volume 85 April 1992

"Sisters of mercy: the Biddenden Maids" Hisotry Extra