ペンタゴンが誇る才女はキューバのスパイだった
2001年9月21日、911テロの十日後。
FBIはアメリカ国防省の傘下にあるアメリカ国防情報局のシニアアナリストであるアナ・モンテス(当時44歳)をスパイ容疑で逮捕しました。
彼女はアメリカの国防の情報を担う部門にいながら16年間もキューバのスパイとして活動をしており、それはテロ事件の直後にありながらもアメリカ人を驚愕させるに十分なニュースでした。
1. キューバのスパイになる
アナ・モンテスは1957年プエルトリコ出身の両親の下に生まれました。祖父はアストゥリアス(スペイン北西部)出身で、一家のルーツはスペインにあります。
父親が米軍の軍医をしていた関係で生まれは西ドイツでしたが、その後メリーランド州に移り住みました。ヴァージニア大学を卒業後、司法省の事務スタッフとして勤務する傍ら、ジョンズホプキンズ大学大学院で学びました。
モンテスはもともと、アメリカ政府が中米の共産政権に抵抗する反政府勢力を支援することに反対しており、司法省に勤めている時にも大学院の授業の中で公然と政府の対応を批判していました。
これに目を付けたのがキューバの諜報機関。キューバはモンテスにキューバのために働くよう要請。モンテスはこれを受け入れました。
キューバ政府が必要な情報を入手するために、モンテスはアメリカ国防省傘下で情報収集や分析を行うアメリカ国防情報局(DIA)の入局試験を受けました。結果は見事通過。
1985年3月には卒業旅行と称してスペインやチェコを経由してキューバに渡り、スパイの訓練を受け帰国。4月からDIAのアナリストとして働き始めました。
2. 国防省の超優秀な才女
情報の受け渡し方法
アナリストとしてのモンテスは「超優秀」であったそうです。
模範スタッフとして表彰されたこともあったほどで、異例なほどのスピード出世でDIAでも数少ない「シニアアナリスト」に上り詰めます。
彼女の頭の良さはそのスパイ活動のやり方に表れていました。
モンテスはDIAで見た機密資料を「すべて暗記」し、帰宅して覚えた内容を文字に起こしていたのです。紙や情報媒体を持ち帰るといったことを一切しなかったことが、以降16年間バレなかった要因でした。記入した情報は暗号化したディスクにコピー。どこで受け渡すかは短波ラジオで指示を受け、受取人に手渡ししていました。
疑いを晴らす
彼女が中米の共産政権に同情的であるという情報はFBIの捜査員には知られており、彼女がセンシティブな情報にアクセスしているかの調査が行われました。しかし彼女が情報を漏らしたという手掛かりは特に見つかりませんでした。また、彼女は「ウソ発見器」のテストにもパスしていました。
ところが1996年、国際情勢の変動を受けた緊急事態で、モンテスを含むスタッフに対し許可があるまで退勤してはならないという命令が下ったにも関わらず、彼女はそれを破りました。おそらくキューバ当局に事情を連絡する必要が生じたからですが、これを目ざとく見つけたのが、DIAで対敵情報活動を担当するスコット・カーマイケル。
カーマイケルはモンテスに対し事情聴取を実施しますが、特に手がかりは得られず、この時は放免となりましたが、彼は疑いの目をモンテスに向けることになりました。
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3. 911、アフガン戦争、緊急逮捕
カーマイケルがモンテスに事情聴取を行ってから4年後のこと。
FBIの捜査員がワシントンで活動している身元不明のキューバのスパイを捜索しているという情報をカーマイケルは知ることになります。彼はさっそくFBIと連絡を取り、これまでの経緯や様々な情報を提供。
これを元にしてFBIはモンテスの周辺の詳しい捜索を開始しました。
キューバのスパイとみられる人物が特定のコンピューターを一定の期間内に購入したという情報を入手。調査したところ、モンテスが購入したという販売店の記録が見つかりました。
疑惑がさらに高まり、FBIは電話の盗聴や、張り込み、尾行などで行動パターンを探りました。するとモンテスがワシントン各地の公衆電話に立ち寄っていることを発見。かけた先の電話番号をたどると、キューバのスパイ活動との関係が指摘されているポケベルの番号につながりました。
さらには本人不在時に秘密裡に行われた家宅捜索では、キューバ当局からの指令を受信するのに使う短波ラジオが見つかり、仕事中に席を立った一瞬を狙って彼女の財布を調べると、通信時に使う暗号を記した紙が見つかりました。
ここまで証拠が揃うと後はいつ犯行現場を取り押さえるかという段階になりました。モンテスが連絡をとっていた受取人も逮捕する必要があったため、現場を押さえる必要がありました。
ところが、運悪く2001年9月11日に同時多発テロ事件が勃発。すぐにアメリカは報復のアフガン戦争に突入します。
シニアアナリストであるモンテスもそれに参加することになり、それはつまり超機密情報であるアフガン戦争に関する情報がキューバに流れることを意味しました。
FBIはもはや時間はないとして十日後の9月21日に逮捕に踏み切りました。
4. モンテスはなぜスパイになったのか
モンテスは検察当局と司法取引を行い、スパイ行為について有罪を認め、禁錮25年と保護観察5年の量刑を言い渡されました。モンテスはFBIからスパイ活動についての厳しい尋問を受け、その活動の大部分とアメリカで活動するキューバのスパイ4人の身元を明らかにしました。
彼女がキューバに流した情報はどの程度アメリカに悪影響を与えたのか。
まずは、モンテスが在キューバのアメリカスパイ4人の情報をキューバ情報局に渡していたことが明らかになっています。
その他は複数の情報源があって直接モンテスが関係しているかは明らかになっていませんが、モンテス逮捕に協力したカーマイケルは、モンテスがエルサルバドルにあったアメリカ軍キャンプの情報をキューバに流したため、1987年にキューバの支援を受けたエルサルバドルの左派ゲリラ、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)によってキャンプが攻撃されたとしました。この時の戦闘によって、グリーンベレー軍曹グレゴリーA.フロニウスが戦死しているため、カーマイケルはモンテスが彼の死に直接責任があると主張しています。
カーマイケルは、モンテスが国防省やDIAを始め、アメリカの諜報機関に甚大な被害を与えたと主張し、特に彼女はシニアアナリストであったため、特に機密な情報へのアクセスをスパイが行っていたことは「例外的に重大」であると見なしています。
2002年5月6日にCBSニュースで放送された国務次官(当時)のジョン・ボルトンは、「キューバがアメリカや地域に対する重大な脅威でない」と結論付けた1998年のドクトリンが、モンテスの意向が大きく関わっていることは否定できない、と述べました。
とはいえ、対外超強硬路線を突き進んだブッシュ政権の中でさらに好戦的なボルトンが言ったことなので、前政権のレガシーの否定をやりたかったがために話を盛った可能性もあります。本当のところはよく分かりません。
そもそもなぜ彼女はキューバのスパイになったのか。
それは彼女の「正義感」から来るものでした。モンテスはアメリカの対中米外交に反対しており、「アメリカの対キューバ政策や価値観の押し付けは冷酷であり、私はキューバが自分たちの国を守るための手伝いを行った」と述べました。
実際モンテスは必要経費以外は一切報酬を受け取っておらず、純粋に政治的・イデオロギー的な共感からスパイ行為を行っていたのでした。
2020年現在もモンテスはテキサス州フォートワースにある連邦刑務所に収監されており、出所は2023年の予定です。
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まとめ
こういう話を聞くと、スパイによる諜報活動はバリバリ現役だし、そこら辺を歩く群衆の中にも、普通にスパイが紛れ込んでいるということが身に染みて分かります。
そして、アナ・モンテスのケースのように、中枢に紛れ込んだスパイが国の方針にも大きく影響を与えていたとしたら。
さすがに彼女のようにイデオロギーのために中国やロシア、北朝鮮などに情報を渡す人間はいないのではないかと信じたいですが、札束を積まれて目がくらみ、機密情報を流している正規職員や委託職員は、普通にいるんじゃないでしょうか。
参考サイト