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「反お笑い」の哲学史(前編)

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笑いを否定する哲学論の歴史

「笑う」ことは心身のリラックスやストレスに効果があることが科学的に証明されており、健康的にも笑うことが推奨されています。

一方で「どんな理由で笑うか」は結構センシティブな話題で、人種やジェンダー、宗教、特殊な身体的特徴をあげつらって笑ったことで、毎日どこかで誰かが炎上しています。笑うという行為は、いかなる理由があってもしてはいけない、という極端な主張がなされた時代もありました。

 今回は歴代の「笑い」に反対する哲学者の主張を時代を追ってみていきたいと思います。

 

1. 反お笑いの元祖プラトン

 古代ギリシア人は大変お笑い好きな人たちでした。

喜劇役者、道化師、コメディアン、伴食者など笑いを専門にする職業も多彩にあったそうです。特に人々が好んだのが劇場で見る喜劇。著名な喜劇詩人、エウリポスやクセルナルコス、アリストファネス、息子のニコストラトスの作品は現代でもいくつも残っていて、今読んでみると、声に出すのも恥ずかしいような下ネタもあります。

このような喜劇、そして喜劇を楽しむ人を痛烈に批判したのがプラトンでした。

プラトンは、喜劇や滑稽な芸になじむと、自制心のないだらしない人間になると考えたのです。自制心や不動心こそが理想的なギリシア市民のあるべき姿と考えていたプラトンからすると、感情を露わにして笑ったり泣いたりする行為は好ましいものではありませんでした。

そのような物真似(喜劇あるいは滑稽な行為)は、奴隷や雇いの外国人にさせるべきであって、このようなことには何であれ決して真剣になってはいけません。自由民は誰でも……それを学んでいるのを見られてはならないのです。(プラトン「法律」)

プラトンは笑いは「愉快と苦痛の混合である」と述べています。その論理は以下の通り。

滑稽さ、つまり本来笑うべきものは、人間の劣悪さ、特に自己への無知であって、それは自分を実際よりも金持ちだとか美しいとか思う現象である。しかし、他人を嫉妬する人間は、他人の災難を見て愉快に感じる者である。人間の劣悪さはその人にとって災難であり、したがって、人が他人の劣悪さを愉快に感じて笑うことは、その人はその他人に嫉妬していることになる。一方、嫉妬は苦痛の感情である。となれば、人は笑う時に嫉妬という苦痛を持ちながら愉快と感じているのである。

正直よくわかりません。別に他人の災難だけが愉快じゃないし、笑う者が笑われる者に嫉妬しているというのもどういう論理展開なんでしょうか。

お笑い嫌いの頑固じいさんが屁理屈をこねているようにしか聞こえませんが、このようなお笑い憎しの言説は、プラトンを祖にして近代まで生き続けることになります。

 

2. 笑ってはいけない中世ヨーロッパ

 古代地中海世界が終わりを告げ、キリスト教の価値観が支配していた時代、笑いは「原則禁止」でありました。

あくまで原則なので、庶民は普通にゲラゲラ笑ったりしていたわけですが、基本的には「笑ってはいけない」とされたのです。おおよそ4世紀から10世紀までは笑いは抑圧されました。

4世紀の教父バシリウスはこう述べています。

キリスト教徒たるもの、冗談に淫してはならず、笑うことも、ひとを笑わせようとする者を黙認することさえしてはならない

主はその生涯において笑った者を非難された。だから、キリスト教徒が笑うことのできる状況はひとつも存在しないことは明らかである

 同じく4世紀の教父クリュソストモス。

この世は笑うために作られた舞台ではない。われわれは大笑いをするためでなく、われわれの罪を悲しむためにここに集められているのである……。われわれに楽しむ機会を与えるのは神ではなく、悪魔である……。笑ったり冗談を言ったりすること自体は明白な罪には見えないが、それは明白な罪へと導く。たとえば笑いはしばしば悪意を含んだ言葉を生み、それらの言葉はさらに不正な行為を生む。そのような言葉や笑いはしばしば嘲笑や侮辱をもたらし、それが暴力や傷害を引き起こして、それが殺人や犯罪を生じさせる。

キリストが笑わなかったから我々も笑ってはダメとか、笑ったら誰かを傷つけて争いの種を生むからとか色々言ってます。キリスト教は、全人類の罪を一身に背負って十字架に打たれた神の子イエス・キリストを常に思い祈るというのが基本の教えなので、神の子を思って泣くことこそあれ、笑うなど言語道断、という感じでしょうか。 

一方で、身体的にも笑いがよくないとも論じられました。フランスの歴史家ジャック・ル・ゴフによると、中世の教父は

「口・鼻・耳という顔の3つの穴を通じ、人は善なるものだけを入れて悪を入れず、善なるものだけを出して悪を出さないようにしなくてはならない。しかし笑うと悪を防ぐ唇や歯が機能しなくなり、悪が入り放題・出放題になる。だから笑ってはならない」

と考えていたと指摘しています。

もう一つ、12世紀のドイツの女子修道院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲンも身体的に笑いが悪であると主張しています。

〔彼女によると]笑いは悪魔の特徴である。彼女の著作では、悪魔はしばしばおどけた調子でしゃべり、聖女ウルスラに捧げる聖歌では悪魔の笑いが災いを招くと指摘されている。『病因と治療』という論考の中で…<熱狂的な歓喜>とそこから生じる笑いは肉の快楽と結び付けられる。身体の器官を揺り動かして人に笑いを引き起こす気の流れは、射精を引き起こす気の流れと同じものであり、しばしば笑いに伴ってでる涙は、熱い抱擁のうちに放出される精液に類似している……笑いは体液(血、胆汁、粘液、黒胆汁)の変性を引き起こし、それらの体液バランスが崩れると病気が生じる(J. ヴェルドン「図説 笑いの中世史」) 

まるで中二の陰キャがノートの片隅に書いたような世界観です。しかし実際に当時のトップの頭脳が大真面目にこういうことを論じ、聖職者を始め真面目な人たちはこの考えを実践していたわけです。

このような価値観は6世紀も続き、11世紀ごろになると笑いは全部ダメという教条主義は敬遠されるようになり、次第に「こういう笑いであればいいのでは」の模索が始まっていくことになります。みんな笑いたくてしょうがなかったんでしょう。

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3. 良い笑いとダメな笑い

11世紀以降、修道院では「いつ笑っていいか」「どんな笑い方ならOKか」「何に笑ってよいか」という笑いに関するOK/NGの分類表が作られました。

それを基にして、宮廷や貴族の家庭では、神学者や教父が「こういう笑いはOK」という教育を施していき、中世後期の「笑いの基準」が上層社会で構築されていきました。

 当時どのような笑いが許容されたか。13世紀の大学者トマス・アクィナスは「神学大全」の中でこのように述べています。

精神の娯楽が求められる会話や行いは、滑稽なこととか冗談と呼ばれるものである。それゆえ精神の休養のために、時にはこうした事を行うことが必要なのである。

だが、そのためには3つのことを守らなければならないとしています。

1つ。淫らな、あるいは人を傷つけるような話題は避けるべし。

2つ。度の過ぎた馬鹿笑いは避けるべし。

3つ。笑いは精神の元気回復のために楽しむべきであって、笑いを自己目的として楽しむべからず。

厳しいなあという気がしますが、現代でもこの定義に賛同する人は多い気もします。

 世の風潮か、宗教界の変化の結果か、教父の説教にもユーモアが求められ始めていきます。12世紀ごろからは説教にもユーモアが多く取り入れられるようになり、面白い教訓話で聴衆に興味を持たせて教会に来させたり、教えを聞かせたりする必要がありました。

中世後期から以降は一般的に笑いは許容されていき、ルネサンスの時代に高度に発展することになります。

 

4. ルネサンスのお笑い文化

 長いキリスト教的禁欲時代が明けて花開いたルネサンス時代は、高度にお笑いが発展した時代。エラスムス「痴愚神礼賛」、ラブレー「ガルガンチュアとパンタグリュエール」、セルバンテス「ドン・キホーテ」、シェイクスピアの喜劇など、現代でも読まれる伝説的な名作が生まれました。

また、この時代には宮廷作法が発達し、一流の人士のマナーとして「ユーモア」が求められるようになりました。カスティリオーネ「宮廷人」には、当時の宮廷人が備えてないといけなかったユーモアセンスが記されています。

相手に即した上品な話しぶりが絶えることなきようであってほしい。そして聴く者の心を優しく和らげ、面白い機智や冗談で愉快な気分にして上品に笑いを誘い、けっして人の機嫌を損ねたり退屈させたりすることなく、常に楽しい雰囲気を作り出す能力を備えていてほしい

  冗談を言って笑わせるのは宮廷人としての会話のマナーであるとされるますが、どんな冗談でもいいかというとそうではなく、冗談にもマナーがあるとされました。カスティリオーネは、当人が怒ったり気を悪くしたりするような肉体的欠陥の話や失敗談をするな、悪意や独のある言い方は控えるべし、と説き、冗談にも他人への気遣いと自己抑制を持たなければならないとしました。このような「他人への気遣いと自己抑制」という社交原則はルネサンスの宮廷社会で発展し、近代社会の発展とともに一般社会に普及していくことになります。

ところで、「痴愚神礼賛」で痛快なジョークを飛ばしまくったエラスムスは晩年、笑いについて非常に口うるさい爺さんになっていました。

どんな言葉であれ、どんな行為であれ、笑うのは、阿呆のしるし、だが何も笑わないのも鈍物のしるしである。……口の形をゆがめ、自堕落な心を露わさないように、静かに笑うのがよい。阿呆のみが『私は笑いで溶けてしまう』とか『私は笑いで死にそうだ』とかいう表現を使うのである。もし何かとても可笑しいことが起こり、笑い方がコントロールできないときは、顔をナプキンか手で覆うべきである。(少年礼法論)

エラスムスが「痴愚神礼賛」を出版したのが1511年。そしてエラスムスの影響を受けたマルティン・ルターが「95か条の論題」を出したのが1517年。エラスムスが少年礼法論を出したのが、「痴愚神礼賛」から約20年後のこと。

ルターは宗教改革の旗手となり、エラスムスはルターの極端な思想(彼にとっての)は批判しますが、プロテスタント運動がヨーロッパ中を席巻してくことになり、激しい宗派の対立の中で、エラスムス自身も少なからず宗教改革の影響は受けたようです。

 

5. 笑いを禁じたプロテスタンティズム

 プロテスタンティズムは禁欲主義的で、笑いに対しても敵対的でした。ルター自身はジョーク好きだったようですが、彼の思想を受け継いだルター派はユーモアを失い、説教にも冗談を禁じました。

ピューリタニズムの元祖カルヴァンは「キリスト教のあらゆる点を嘲笑するルキアノス的人間や、神を少しも恐れずにあらゆる種類のふしだらに耽っているエピキュリアン」と笑いを好む人間を批判しました。

ドイツ敬虔派のハインリッヒ・ミュラーは「キリスト者は笑うべきではない。イエスは、かつて笑いたまわなかったのだから」と、4世紀の教父たちと同じようなことを言ってます。

クエーカー派の神学者ロバート・バークリーは「笑い、スポーツ、ゲーム、冗談、無駄話などはキリスト者の自由に属さない」としました。

読むだけでうんざりしますが、このような言説がヨーロッパ中を席巻していくと、対するカトリック側の主張もだんだん近づいていきました。対抗宗教改革のリーダー的存在・イエズス会のイグナティウス・ロヨラは説教でこのように述べています。

笑ってはならぬ、笑いを喚起するいかなる言葉も口にしてはならぬ

こうしてルネサンスから近代に進むにつれ、笑いは再び弾圧されていくことになったのでした。

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つなぎ

 ロングスパンで同じ歩みを繰り返しているというか。自由な精神の中で笑いが高度に発達→規律が重んじられ笑いが非難される→徐々に笑いが許されやがて高度に発展する→規律が重んじられ笑いが非難される のループです。

後半では、お笑いが上流でも庶民でも許容されていく中で、近代哲学で議論された「反お笑い」をまとめていきます。

 

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 後編はこちら

reki.hatenablog.com

 

参考文献 

"はじめに笑いありき : 笑い学の歴史・古代篇I" 森下伸也 笑い学研究9巻 2002年

"笑いの過剰と笑い学の沈黙 : 笑い学の歴史・中世篇" 森下伸也 笑い学研究12巻 2005年

"ルネサンスが笑う : 笑い学の歴史・ルネサンス篇" 森下伸也 笑い学研究14巻 2007年

"性悪説から性善説へ : 笑い学の歴史・近代篇I" 森下伸也 笑い学研究15巻 2008年