アイスリーム屋台同士の抗争が放火殺人に発展
この美味しんぼの章タイトルのような「戦争」は、
1984年にスコットランドで実際に起きた、競合するアイスクリーム屋台同士が争いを続けた結果、6名が殺害された凄惨な事件。
名前だけ見たらアイスクリーム屋さん同士の争いのように見えますが、裏ではギャング同士の抗争が絡んでいたのでした。
1. 治安が悪かったグラスゴー
Image from BBC news, Study turns spotlight on Glasgow street gangs
事件が起きたグラスゴーは産業革命で鉱工業が発展した町。鉄鋼業、鉄道製造、造船業の中心地で、多数の労働者が流れ込んで大変栄えていました。
ところが第二次世界大戦後に不況に陥り、1960年代に入ると企業が倒産や海外移転などで次々と倒産していきました。不況は長引き町の治安は悪化。1980年代には「ヨーロッパで一番治安が悪い町」と揶揄されるまでになってしまいました。
若者は働き口がないのでギャングに入り、殺人、誘拐、強盗、麻薬などに手を染めていく。
往年のバックパッカーに聞いたところによると、日本人旅行者で脅されてカネを奪われた人が結構いたようです。外国人旅行者などいいカモだったでしょうね。
蛇足ですが、「口裂け女」のように頬まで裂けた口のことを「グラスゴー・スマイル」と言うそうです。
相手を威嚇するためにナイフや瓶の破片で頬を裂いてニヤリと笑うのは、グラスゴーのギャングが始めたのが起源とされていて、後にチェルシーやロンドンのストリート・ギャングに真似されて有名になりました。
「殺し屋1」に出てくる垣原みたいな顔ですね。
外務省海外安全ホームページによると、現在は比較的治安が安定しているとのこと。
外務省 海外安全ホームページ|安全の手引き 在エディンバラ日本国総領事館
しかし、現在でもストリート・ギャングは健在で、BBCの以下の記事によると少年たちは12歳から悪い連中とつるみはじめ、独自のルールや社会を作ってギャング組織を構成していくらしい。
ちなみにwikipediaの記事に、「グラスゴーのギャング一覧」なんていう記事もありました。
List of gangs in Glasgow - Wikipedia, the free encyclopedia
これを見る限り「ウェストレイ・ボーイズ」とか「ヒルヘッド・ヤング・チーム」など、地区の名前がついていることが多くて、町内会とか自治会レベルでストリート・ギャングがあるように見えます。
2. 背景にあるギャングの抗争
Photo by C Ford
さて事件が起こった1984年ですが、当時はギャングは表向き普通の商売をしつつ、裏で強盗・麻薬などの反社会的な事業をやっていました。
その1つがアイスクリーム屋台。
上記イメージのようなバンでアイスクリームを売り歩いていたのですが、ギャングが運営するアイスクリーム屋台は「裏メニュー」として麻薬を商っていたし、売り子のお兄さんは留守の家を見つけるや「空き巣強盗」に早変わり。
そしてどのギャングが運営するアイスクリーム屋台も似たようなことをやっており、その商売の「縄張り」争いが過激になっていったのでした。
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3. 放火殺人へ発展
1984年4月16日、グラスゴー東部の住宅街で、2台のアイスクリーム屋台が停車して男たちが口角泡を飛ばして「アイスクリーム屋台の営業ルート」について言い争っていました。
男のうちの1人は、ギャング一家・ドイル家の3男で、「ファット・ボーイ」というアダ名で呼ばれていた18歳のアンドリュー。相対するは、ライバルの地元ギャング集団。
「アイスクリーム屋台の営業ルート」などというのは建前の理由で、強盗と麻薬販売の縄張り争いです。
ライバルギャングはドイル家が実行支配する縄張りを認めず譲歩を迫る。しかしアンドリューは首を横に振るばかり。しびれを切らしたライバルのギャングが銃を取り出し、アンドリューのバンのフロントガラスに向けて発砲した。
「この野郎!いい加減オレたちに譲らねえか!」
しかしアンドリューは動じず、その場は物別れに終わった。
そしてとうとう翌17日深夜2時、怒り狂ったライバルギャングの過激派分子がやってしまった。
ドイル一家の住む住宅にガソリンを撒き火を付けたのです。
火は一気に燃え広がり、ギャング一家の主人・ジェイムス(53)、娘のクリスティーナ(25)と18ヶ月の息子マーク、長男のジェイムス2世(23)、次男のアンドリュー(18)、三男のトニー(14)、計6人が焼死しました。
4. その後の顛末
この事態にグラスゴーの町は騒然となりました。
ただちにグラスゴーの警察はこの事件の容疑者6名が逮捕され、内4名はドイル一家との「アイスクリーム戦争」に関与した疑いですぐに有罪判決になりました。
他の2名、トーマス・キャンベルとジョー・スティールもドイル一家殺害に手を下した容疑で、20年未満の無償労働を含む終身刑、キャンベルはドイル一家のバンにショットガンを放ちフロントガラスを割った罪で10年の無償労働を宣告されました。
ところが2人は一貫して無罪を主張。
スティールは不当な拘束であるとして脱獄を慣行し、キャンベルは抗議の意志を表すためにハンガーストライキを敢行し、何回か本当に死にかけるところまでいきました。
決定的証拠もなく証言も少なく、検察と弁護士の泥沼の応酬がなんと20年も続いた結果、2004年に2人は証拠不十分で釈放処分となりました。
Photo from BBC News - UK Politics Minister hears human rights plea
結局、誰がドイル一家に手を下したかは分かっておらず、事件は迷宮入りしてしまったのでした。
まとめ
スコットランド1の一大工業都市として反映したグラスゴーが、モヒカンヒャッハーな地域に落ちてしまった理由が非常に気になります。
ちゃんと調べたわけじゃないのでこれは憶測ですが、
多くの労働人口を抱えるのに工場が急速に衰退したこと、それでも移民などの労働人口は増え続けること、工業都市として発展したゆえの高等教育の欠如あたりに原因があるかもしれません。
イングランドと因縁があるスコットランドという土地にも関連がありそうです。
資料を見つけましたらちゃんと書いてみようと思います。
にしても、ギャングのアイス屋は怖い…。
参考・飲用
TODAY I FOUNDOUT,THE DEADLY GLASGOW ICE CREAM WARS
Glasgow Ice Cream Wars - Wikipedia, the free encyclopedia
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