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大量の死者を出した世界史の爆発事件TOP10

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千人万人単位の死者を出した記録的な爆発事件・事故

工場や船舶・航空機が大爆発を起こして炎上、犠牲者十数名といったニュースは、国内・海外問わず目にするニュースです。

火薬を入手して以降の人類の歴史は爆発事故の歴史でもあります。当然、戦争中の大爆発が多いのですが、火薬を保管する倉庫や、薬品を取り扱う工場、輸送中の列車が爆発するといった事件・事故も数多く起こりました。

今回は千人・万人単位の死者を出した世界史の爆発事件・事故をまとめていきます。

なお、広島・長崎の原爆については、カウント外としました。

 

10位:アントワープ包囲戦 1585年(オランダ)

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 オランダ兵の攻撃で約800人のスペイン兵が死亡

ネーデルラント17州がスペインから独立を果たした八十年戦争(オランダ独立戦争)の戦いの一つであるアントワープ包囲戦で爆発攻撃が実施されました。

1585年4月4日、アントワープを包囲しようとするスペイン軍は「プエンテ・フェルナシオ」というよって要塞化された橋で包囲を強めました。これに対しオランダ軍は、アントワープの包囲を和らげるために橋への攻撃を仕掛けました。その方法は、4トンの爆薬を積んだ無人船を橋へ流すというもの。放たれた4船のうち、3つは目標に達しませんでしたが、1つは橋に到達しました。しかし、橋に着いた後も爆発せず、スペイン兵はなんだ失敗か、と安心して船に近づいていきました。

そうしてスペイン兵が船の周りに集まっていたその瞬間に船は大爆発を起こしました。振動は川を揺らして津波を起こし、地面が何マイルも揺れて黒雲が立ち上りました。この爆発で約800名のスペイン兵が死亡し、あたり数キロは金属片や割れた岩、そして死体でが散らばった無残な姿だったそうです。これが「初の大量破壊兵器の誕生」とすら言われています。

 

9位:巡洋戦艦クイーン・メリー爆沈 1916年(ドイツ)

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 乗組員1,266人のうち生存者はわずか20人

第一次世界大戦中の1916年5月31日〜6月1日、イギリス軍とドイツ軍の間で主力艦同士が砲撃戦を行いました。ユトランド半島西方沖で行われたユトランド沖海戦です。

ビーティー、ジェリコー両提督の率いるイギリス艦隊とキール軍港を出港したシェール、ヒッパー両提督指揮のドイツ艦隊が遭遇。250隻の軍艦が激しく打ち合う海戦でした。

イギリスの巡洋戦艦クイーン・メリーは、ドイツの巡洋戦艦ザイドリッツとデアフリンガーと交戦しますが、開戦開始わずか38分でデアフリンガーの砲撃がクイーン・メリーの火薬庫に直撃。文字通りの爆沈を起こし、乗組員1,266名のうち、20人を除く全員が船と運命を共にしました。なお、観戦武官として同艦に乗艦していた日本帝国海軍の下村忠助中佐も死亡しました。

  

8位:カリ爆発 1956年(コロンビア)

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住宅街でダイナマイトが爆発し1,300人以上が死亡

 この事件の詳細はいまだによく分かっていません。

1956年8月7日の早朝、コロンビアの町カリにて、1,053箱ものダイナマイトを積んでいた7台の軍用トラックが爆発。周辺は住宅街であったため被害は甚大で、1,300名以上が死に、4,000名以上が負傷しました。

この爆発によりマグニチュード4.3の地震が発生し、遠く離れたブガやサンタンデル・デ・キリチャオからも聞こえたそうです。

爆発の原因はいまだによく分からず、トラックのオーバーヒートだとか、兵士が誤って銃を撃ったとか言われています。もっともありそうな説としては「兵士の一人がタバコの吸い殻を投げ捨てて、それが引火した」というものです。もしこれが事実なら、バカすぎて力が抜けてきます。

 

7位:ハリファクス大爆発 1917年(カナダ)

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高性能爆薬を積んだ貨物船が爆発し約2,000人が死亡

1917年12月6日早朝、カナダ・ノバスコシア州ハリファクス。

ベッドフォード湾とハリファクス港を結ぶ運河で、高性能爆薬を積んだフランスの貨物船モンブランと、ノルウェーの船イモが衝突し大爆発が発生。リッチモンド市街の一部を含む半径800Mが吹き飛び、爆発、火災、破片の飛散などにより、約3,000人が死亡しました。

イモは航海の遅れを取り戻すべく乱暴なほどスピードを出しており、一方のモンブランは高性能爆薬を積んでいたにも関わらず防護措置をしていませんでした。お互いの船の接近を見て両艦は退避の努力をしますが、慣性で急に止まれず衝突してしまいました。

 

6位:戦艦大和の爆沈 1945年(日本)

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無謀な特攻作戦で爆沈し、3,056名が死亡

戦艦大和は映画やドラマ、テレビ、様々な箇所でその伝説が描かれているので、今さらここで詳細に語ることはしません。 

連合軍の日本列島の包囲が迫り、大和のような巨艦の活躍の場所がますますなくなっていく中、1945年4月、大和は沖縄への海上特攻への命令を受けました。鹿児島県の坊ノ岬の沖合で、大和はアメリカ軍の爆撃機、戦闘機、雷撃機の一斉攻撃を受け、何本受けたか不明なほど大量の魚雷と爆弾の攻撃を受け、最終的に爆沈し船体が3つに折れ沈みました。戦闘での戦死や沈没後の溺死なども含みますが、乗組員3,332人のうち、生き残った者はわずか276人。3,056人が死亡しました。

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5位:ブレシア・聖ナザロ教会爆発事故  1769年(イタリア)

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 教会に保管されていた火薬が雷で爆発し3,000名が死亡

かつてヨーロッパでは、火薬は教会に保管されていました。

教会の鐘が雷を防ぐと信じられていたからですが、この事件は教会であることが裏目に出た事件でした。

1769年8月、イタリアのブレシアにある聖ナザロ教会の塔に雷が落ちました。教会の金庫には、200,000ポンドを超える火薬が保管されていました。雷が火薬に引火して大爆発が起き、ブレシアの街は吹き飛び、3000人が死亡しました。

実際のところ、教会の高い尖塔と塔は落雷が落ちやすい傾向にあります。聖職者は落雷を防ぐために鐘をならして祈りを捧げるのが長年の習慣でしたが、もちろんそのようなもので自然災害を防ぐことはできません。

この聖ナザロ教会の事故の後、避雷針を発明したアメリカのベンジャミン・フランクリンは、ヨーロッパの各国政府を回って避雷針の設置の説得に努めました。

しかしその後も教会への落雷による爆発被害は発生し続けました。

 

4位:ロードス島騎士団グランドマスター宮殿爆発事件  1856年(ギリシャ)

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 教会に保管されていた火薬が雷で爆発し4,000名が死亡

1856年4月4日、当時オスマン帝国領のロードス島、ロードス騎士団グランドマスターの宮殿に隣接する教会に雷が落ちました。

この教会でもやはり火薬が保管されており、雷が火薬に引火して大爆発が起きました。爆発や破片の下敷きになるなどして島民4,000名が死亡しました。

また、グランドマスター宮殿のタワーは甚大な被害を受け、一階部分は壊滅。また同年10月にこの地方をマグニチュード8の地震が襲い、宮殿はしばらく崩れたまま放置されました。1912年にロードス島はイタリア領となり、王宮は1939年〜1940年にイタリア人建築家ヴィットーリオ・メストゥリーノによって再建されました。

 

3位:スメデレヴォ要塞の大爆発 1941年(セルビア)

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 原因不明の大爆発でスメデレヴォの街が壊滅し4,500名が死亡

 第二次世界大戦中、ドイツ占領下のセルビアにあるスメデレヴォ城には、ドイツ軍の爆薬が保管されていました。

1941年6月5日。この日は木曜日で学生、軍人、農民など多くの人がスメデレヴォに集まっており、ちょうど駅に列車が到着し大勢の人がいました。タイミングが最悪の午後2時14分、突然スメデレヴォの街全体から爆発が起き、南部の建物が完全に吹き飛び、爆発や火災、破片によって約4,500人が死亡しました。

 なぜ爆発が起こったかはよく分かっておらず、現在でも議論があります。イギリス軍によるスメデレヴォ城への爆撃説。囚人による喫煙説。パルチザンによる攻撃説。太陽光による自然発生説。

もっともありえそうな説が、鉄道作業員が樽に詰めた火薬を転がしてスメデレヴォ城に運んでいた時に、少しずつ火薬が道に漏れて、それが太陽光による自然発火かマッチやタバコによる火で引火して連鎖的に燃え広がり爆発したという説です。

 

2位:メシヌ高地の戦いの大爆発 1917年 (ベルギー)

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 455トンもの爆薬を炸裂させドイツ軍1万名が戦死

メシヌ高地の戦いは、第一次世界大戦の西部戦線の主要な戦いの一つであるパッシェンデールの戦いの序盤戦にあたります。

ドイツ軍に占領されている戦略的要地であるメシヌ高地を攻略するため、イギリス軍第二軍はドイツ軍の根拠地の地下に19ものトンネルを掘り、中に455トンもの爆薬を仕掛けました。1917年6月7日午前3時10分、イギリス軍は爆薬を点火し、瞬時にドイツ軍兵約1万が吹き飛びました。爆発で死なずとも、土砂に生き埋めになって死亡しました。

この時の衝撃はすさまじく、フランスでは地震と間違われ、はるか遠くロンドンでも音が聞こえたそうです。これによりイギリス軍はメシヌ高地を占領しました。

この爆発は、核兵器開発以前の人為的爆発としては史上最大のものです。

 

1位:王恭廠大爆発 1626年(中国)

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 2万人以上の犠牲者が出た史上最悪の爆発事故

王恭廠は明の時代の北京にあった巨大な武器庫で、北方のモンゴルからの脅威に対抗する首都防衛部隊の武器を保管していました。刀、槍、鉄砲、大砲、火薬などを保管し、常時70〜80人ほどの歩哨によって管理されていました。

1626年5月30日、午前9時ごろから王恭廠から突然煙があがり、突然大爆発を起こしました。半径二キロ以内、南部の玄武門から今日の北部の西長安大通りまで、北京の約半分が瞬間に吹き飛びました。爆発後、巨大なキノコ型の噴煙が立ち上ったそうです。

住宅地にあったため被害は甚大で、周辺に住んでいた人は爆発に巻き込まれて死亡し、直接爆発で死ななくても、空高く吹き飛ばされた木材や瓦などの残骸の落下によって死亡しました。建物の破片以外にも、吹き飛ばされた遺体や遺体の破片が地面に降り注ぎ、さながら地獄絵図だったそうです。広島型原爆と同等の爆発が起こったと推定され、正確にはわかりませんが、約2万人の犠牲者が出たと考えられています。

なぜこのような大爆発が起こったか原因は現在でも議論があり、天然ガスの爆発説、地下火山説、地下核の放出など様々な説が唱えられましたが、2013年にアメリカと中国の研究者が共同で研究を行い、巨大な竜巻が発生したのではないかと結論づけられました。

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まとめ

 爆発を起こそうとして起こしたものもありますが、意図せずに起きてしまったほうが被害が大きいのがかなりショッキングです。想定してないので一般市民をも巻き込み、1万人以上もの犠牲を出している事件もあります。

この、「想定していなかったから」というのが問題であって、大量の火薬・爆薬の扱いはいくら慎重にしてもしすぎでないということが、これらの事例を見たらわかります。 あんまよく分かってなくて火薬のそばでタバコを吸うとか、もう最低最悪、無知だったからというレベルじゃすまない大悪です本当。

 

 参考文献・サイト

"This Explosion Was the Biggest Blast Before Atomic Bombs" National Geographic

"Battle of Jutland" Encyclopedia Britannica

"Halifax explosion" Encyclopedia Britannica

"WELCOME TO SMEDEREVO" SMEDEREVO.COM

"EXPLOSION KILLS 3000 PEOPLE, AND ANOTHER 4000" STANDING WELL BACK

 "La gran explosión del Cabo Machichaco" España Fascinante

"The Blast that nearly destroyed Beijing" The World of Chinese