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寿司の歴史 in アメリカ

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アメリカで寿司はどのように受容されていったか

海外旅行に行くと、大都市はおろか小都市でも簡単に寿司レストランが見つかります。好奇心で行ったことある方もいらっしゃるかもしれません。味は、まあ、ピンキリでしょう。

 アメリカでも小さなほうの町のスーパーでも寿司が売っていて、その浸透ぶりが伺えます。しかし必ずしも日本の伝統方式とは限らず、カリフォルニアロールだったりキャタピラーロールだったり、独自のローカライズがなされていて、「江戸前鮨至上主義」の人は怒り出すかもしれません。今回はアメリカでいかに寿司が紹介され、受容されたかをまとめていきます。 

 

1. 日系人が持ち込んだ寿司

アメリカに寿司が初めて上陸した月日は明確に分かっていませんが、1900年代前半には日系移民によって西海岸に持ち込まれていたと考えられています。

初めて寿司を食べたアメリカ人の記録は、1904年8月18日、ロサンゼルス・ヘラルド紙に掲載されたファーン・デル・ヒギンズという人による記事。サンタモニカで催された社交ランチで寿司が供されたという記事です。1905年には、ミネソタ州ミネアポリスやミズーリ州セントルイスなど中西部の都市で日本食を紹介する催しが開かれ、上流階級の社交界で寿司が提供されていました。1906年にはロサンゼルスのリトル・トーキョーで初の寿司店がオープンし、現地の日系移民のみならず、アメリカ人の上流階級の日本愛好家も寿司を嗜みました。

しかし同じころ、1905年にサンフランシスコに「日本人・コリアン排斥同盟」が結成され、日系人の排斥運動が進みました。1924年には「1924年移民法(排日移民法)」が成立して日系移民が停止され、1941年には「大統領令9066号」で日系人は強制収容所に押し込まれ、寿司店をはじめ日本料理店は軒並み壊滅しました

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1950年代・日本文化の紹介活動

再び寿司がアメリカで紹介され始めたのは、戦後まもない1950年代初頭から。

「新たなアドベンチャー」として、新聞で日本料理や日本文化が紹介され始めました。日本はエキゾチック、ワクワク、お手頃な旅行先といった文脈で語られ、日本料理は冒険、新鮮、ヘルシーといった紹介がなされました。

当時の新聞には寿司や刺身を食べてみた人の感想も掲載されており、「見た目より旨い」「突き詰めると生のタコと生の牡蠣はそこまで違いがない」など比較的肯定的に述べられる一方で、「(一口食べて)次の瞬間、ホットドッグが食いたいと思った」など、ネガティブな意見も掲載されました。

当時多くのアメリカ人にとっては「生の魚」は未知のもので、まだメディアで紹介されるストーリーの域を出ず、当然一般読者から縁遠いものでした。

 

この時代、戦前に閉ざされていた日本からアメリカへの移民流入が再開しました。1950年〜1959年の間で、40,651人の日本移民が新たにやってきました。1950年代にはロサンゼルスの日系人の人口は40,000人にもなり、日本との食品貿易や物流が活発化していきます。その延長線上で寿司バーや日本料理店が生まれていくことになります。

 

2. 寿司バーの登場

ロサンゼルスでは少なくとも1949年ごろから日本食レストランがオープンしていました。日系移民が増えてレストランは増えていきましたが、当初は天ぷら、すき焼き、テリヤキなどアメリカ人の口にも合う料理が親しまれました。

1950年代後半からカリフォルニアやオクラホマの日本食レストランでは寿司が宣伝され始め、1961年にシカゴにある「Nakanoya」が寿司を売り始めました。1963年にカリフォルニア・サンマテオでオープンした「Sanraku」は話題となり、「大変愉快」「新たな外食の楽しみ」と地方新聞で絶賛されました。同年にはニューヨークで「Aki」、寿司に特化した「Nippon」といったレストランがオープンしました。Nipponは東京で寿司を食べるのと同じ経験ができるという触れ込みで、「寿司バー・スタイル」を確立しました。

 

寿司ブームの仕掛け人・金井紀年

アメリカの寿司ブームの仕掛け人と言われている人が、実業家の金井紀年です。

彼は軍隊から復員後、1947年に日本食卸売会社・東京共同貿易を設立。1964年にアメリカに渡り、日本食をアメリカに紹介・輸入するビジネスを始めました。金井は1964年にロサンゼルスに「Kawafuku」をオープンし、寿司バー・スタイルで寿司を提供しました。

1964年から1966年のリトル・トーキョーにはこのKawafukuを始め、「Eigiku」「Tokyo Kaikan」がオープンして好評を博し、新しもの好きのLAっ子の間で寿司がトレンドとなりました。1960年代後半からアメリカでは、消費ブームの中で外食が新たなレジャーとして捉えられるようになり、寿司は「エキゾチックな冒険」「新たな経験」をもたらしてくれる格好の材料でした。

また、寿司を広める上で大きな役割を果たしたのが、経済復興著しい日本から商機を求めてやってきた日本人ビジネスマンです。

彼らは取引先との「接待」で、アメリカ人を寿司店に盛んに連れていきました。そこで寿司の美味しさを知った人々が友人や家族連れで寿司店を再訪するようになり、人気が拡がっていきます。

しかし、接待で使われるように、普通の人にとっては、そういう機会でもないとめったなことでは食べられない、一部の上流階級のみ口にできる「超高級料理」でした。

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3. 1970年〜1980年代、注目される日本食

1960年代は一部のエグゼクティブのものだった寿司ですが、1970年〜1980年代に入ってより身近なものになっていきます。そのきっかけを作ったのが映画業界でした。 

1968年、ロサンゼルスにある映画会社20世紀フォックスのスタジオの隣に、寿司バー「Osho」がオープンしました。Oshoは20世紀フォックスの社員や映画監督、俳優のお気に入りの場所となり、「王様と私」「十戒」などの作品で有名なユル・ブリンナーはランチの常連だったそうです。

 

「日本」への関心の高まり

1980年にアメリカの「日本ブーム」のきっかけを作ったのが、テレビドラマシリーズ「Shogun」であると言われています。このドラマはイギリス人航海士のジョン・ブラックソーンが、流れ着いた先の戦国時代の日本で、異文化に戸惑いながらも知性や胆力で侍たちの信頼を勝ち得て活躍する、というもの。

NBC系列で5日間連続で放映され、最高視聴率36.9%を獲得する大ヒットとなりました。

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イライラした侍がいきなり刀で村人を切りつけるといった、アメリカの映画やドラマでよくあるような荒唐無稽な表現は見られるものの、全編日本で撮影されたこともあって、小道具や食べ物などは日本のドラマのそれに近く、アメリカの視聴者に新鮮な驚きを与えました。このドラマのヒットがきっかけで、多くのアメリカの一般人が日本、ひいては日本食に関心を持つようになったと言われています。

 

「ヘルシーな寿司」イメージの定着

同じころ、1968年〜1977年にアメリカ上院において「栄養と人間欲求における合衆国上院特別委員会(United States Senate Select Committee on Nutrition and Human Needs)」という特別委員会が設置されました。これはアメリカ人の医療と平均寿命に警鐘をならし、このままではアメリカ経済は破綻するとして、世界中から学者を集めて食事と健康のあるべき姿を討議。1977年に「アメリカの食事目標」通称マクガバン報告を発表しました。

この報告書では、肉、乳製品、卵、砂糖、塩分の過剰摂取を控え、穀物、鶏肉、魚、野菜、果物を中心にした食生活が推奨され、特に日本食の栄養バランスの良さが高く評価されました。

この報告書は畜産業界の猛反発を受け、また報告書には食生活とがんの関連性が指摘されるもこれは科学的根拠に欠けるという批判もあり、長年に及ぶ論争となりましたが、これがきっかけで多くの人が「日本食は体にいい」「寿司はヘルシー」というイメージを定着させるに至りました。

 

この時期には、ニューヨークで現在でも営業しているオーセンティックな寿司店の一つ「Hasaki」がオープン(1984年)したり、1983年にはニューヨーク・タイムズ紙のレストラン批評家ミミ・シェラトンがニューヨークの寿司店「Hatsuhana」に4つ星を与えたり、評価が急速に高まっていきました。

寿司が急速に広まったきっかけの一つに、寿司が伝統に縛られずにアメリカ人の口に合うように改造されたことがあります。その代表格がカリフォルニアロールです。

 

4. 寿司からSUSHIへ

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カリフォルニアロールの誕生

 今や日本にも逆輸入されているカリフォルニアロールを作ったのは、リトル・トーキョーの寿司店「Tokyo Kaikan」でした。

1960年代後半、ネギトロに使うトロがシーズンオフで手に入らず、考えあぐねた寿司職人が、食感の似たアボガドと、魚の風味を出すためにカニの身を代替として使ったのが始まりです。その後、海苔を食べ慣れていないアメリカ人のために、海苔巻の海苔を外側でなく米の内側に巻いて食べやすくしました。

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Photo by FlickreviewR 

 

伝統的には、海苔巻きの海苔はいかにパリパリさをキープするかが職人の腕が試されるポイントでした。しかし、「海苔内側巻き」が受け入れられたことで、日本の伝統的なスタイルに対するタガが外れ、自由な発想が生まれるきっかけとなりました。1980年代になると、カリフォルニアロールは全米に広がり、わさびマヨネーズ和え、クリームチーズ巻き、寿司天ぷらバターがけ、マンゴーソースかけなどなど、伝統主義者が見たらひっくり返りそうな独創的な寿司が次々と登場していくことになります。これがその後、寿司がアメリカのみならず世界中に拡大する大きなきっかけとなったのです。

 

自由な発想で作られるSUSHI

このような独創的な寿司を生み出したのは、日本からやってきた若い料理人たち。彼らは日本の「飯炊き3年握り8年」という上下関係の厳しい下積みを嫌い、チャンスを求めてアメリカに渡りました。「寿司はこうでないといけない」という思い込みがないため、彼らは自由な発想でアメリカ人が喜ぶ寿司を作っていきました。

2006年、日本政府が海外に広まった「間違った日本食」を正しくするための飲食店認証制度「海外日本食認証制度」の創設を発表したところ、海外メディアは一斉に「寿司ポリスがやってくる!」と非難し、日本国内でも批判が高まり、政府はこの構想を撤回せざるを得なくなりました。

寿司はもはや「日本のもの」ではなく、日本にルーツがあるグローバル料理として発展を続けています。

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まとめ

 寿司をアメリカに広めようとする日本人の努力、経済発展に伴う日本の存在感の高まり、新聞や映画、ドラマの影響、アメリカ人の健康志向の高まりなど、様々な要因によって寿司はアメリカで受け入れられました。

その他にも、日系人の経済的成功、カリフォルニアでの米や魚の供給体制の確立、寿司職人の育成・招聘体制、中華料理・韓国料理・ベトナム料理などアジア料理全般の人気の高まりと、アジア人移民の増加、アジア移民が全米各地に安価なアジア料理店を開く、などたくさんの要因で、寿司はアメリカ人の「普段の食事」にまでなりました。

 海外で「なにこれ」というSUSHIに出会うことは少なくありませんが、目くじらを立てるのではなく、本格的な「寿司」とそれとは別物と知って、「SUSHI」という料理を温かい目で見るべきでないかと思います。

 

参考文献・サイト

"Sushi in the United States, 1945–1970" Jonas House, Food and Foodways

"The Internationalization of Sushi" Hirotaka Matsumoto, 2007 Kikkoman Food Culture Seminar

"Nigiri to California Rolls: Sushi in America" HISTORY

"Rw" Sunday book review, New York Times(Web archive)