映画のような奇跡の生還ストーリー
テレビ番組やネットのニュースでよく見る「奇跡の生還ストーリー」。
昔からこの手の「奇跡の生還」の話は人気ですが、実はこういう話はかなり昔からあって人々の感心や興味をかきたててきました。
現代でも奇跡を生き残った人は尊敬されますが一過性のニュースで終わることがほとんど。昔はそれが長い間語り継がれて伝説のように語り継がれることがありました。
かつて市井を賑わせた「奇跡の生還」の話を紹介します。
1.アン・グリーン(イギリス)
絞首刑になったのに生きていた女性
1650年のこと、イングランドで女中として働いていたアン・グリーンという若く貧しい女は、雇用主の孫に言い寄られて関係を結び妊娠してしまいます。下端働きの身分で主人の孫の子を身ごもったなど、とんでもないこと。彼女は妊娠したことを隠し通し、6ヶ月後に流産すると穴を掘って遺体を遺棄しました。
ところが遺体が発見されてしまい、グリーンはろくな捜査もなく幼児遺体遺棄の罪で絞首刑の宣告を受けてしまいます。もしかしたら事情を知った雇用主の意向も働いたのかもしれません。
12月14日の絞首刑の日、刑がとどこおりなく執行され、グリーンの友達がなるべく彼女が苦しまずに死ぬように肩と足を引っ張ってあげました。30分ほど吊り下げた後、司法解剖に回されたのですが、何とそこでグリーンはわずかながら息をしていたのです。外科医は救急治療を行いグリーンの命を救うことに成功しました。
その後グリーンは罪を許されて結婚し2人の子を産み、1665年に3人目の子を産んだ時に亡くなりました。
2. マシュー・ウォール(イギリス)
2度葬式をした男
1571年、イングランド・ハートフォードシャー州ブラウィード村で、結婚をすぐに控えていた農民マシュー・ウォールが死んでしまいました。
葬儀はすぐに執り行われ、故人の友人らが彼が入った棺を抱えて地元の教会に向かって歩いていました。その時棺桶を抱えた友人の1人が濡れた葉っぱに足を滑らせて転倒。バランスを崩し棺桶は地面に勢いよく叩きつけられました。参列した人々は当惑し騒ぎ立てますが、棺桶の中から「うう…」とうめき声が聞こえた。急いで棺桶を開けてみると、死んだはずのマシューが息をしているではないか!葬式は一転してお祝いとなりました。
マシューはその後、予定通り婚約者と結婚して2人の子供を儲け村で暮らしました。「一度死んだのに蘇った男」ということでマシューは村人たちに尊敬されたのですが、マシュー自身はこの奇跡を起こしてくれた神に感謝して地元の教会に厚く寄付をし、村から教会への道で二度と滑らないように葉っぱを常に片付けて綺麗にすることを望みました。現在でもブラウィード村では「老人の日(Old Man's Day)」に子どもたちがほうきで教会への道を掃除するという伝統があるそうです。
3. ジョン・ケープス(イギリス)
撃沈された潜水艦から脱出に成功した男
潜水艦が海中で撃墜されたら、だいたい乗組員は艦と運命を共にしました。しかし、イギリス海軍のジョン・ケープスは潜水艦から脱出して生還したという稀有な経歴を持ちます。
1941年12月、マルタ島からアレクサンドリアに向かっていたイギリス軍の潜水艦HMSペルセウスが、ギリシャのケファロニア島沖で機雷に接触。爆発を起こし沈没しました。HMSペルセウスの乗組員は61人いましたが、ジョン・ケープスは脱出に成功し唯一生き残りました。後のインタビューによると、爆発の際にケープスは予備の魚雷発射口の中にあしらえたベッドで寝ていたそうですが、爆発後ライフジャケットを着てエンジンルームのハッチから外に脱出し、52メートル上の海上に浮上することに成功しました。他に三人の兵が脱出したのですが生き残ることができなかったそうです。
ケープスは12月の寒い海をケファロニア島まで8キロ泳いでたどり着きました。当時ケファロニア島はイタリア軍の支配下にあり、ケープスは地元の漁師に保護されて、家を転々としながら18ヶ月もの間隠れ住みました。その後中立国トルコに逃げた後にアレクサンドリアにたどり着き、軍に復隊し別の潜水艦に乗って再度戦いました。その映画のような英雄的な活躍により大英帝国勲章を授与されました。
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4. マーゴリー・マコール(アイルランド)
Image from "The Living Dead in Lurgan" BBC
一度の人生で二度埋葬された女性
マーゴリー・マコールは1705年に病気で亡くなり、シャンキルの町の墓地に埋葬されることになりました。マコールは指輪をしており、墓泥棒から守るために指輪を外した方がいいのでは?という意見が家族から出ましたが結局そのままで埋められました。
果たして、埋葬したその夜に墓泥棒がやってきて、指輪を盗もうとしました。墓泥棒はナイフでマコールの指を切ろうとし、ナイフを肌に刺しました。すると、マコールがガバッと目を覚ました!墓泥棒はびっくりして逃げてしまいました。マコールはそのまま家まで歩いて帰り、家族を死ぬほどびっくりさせました。今朝埋めてきた家族がその夜生きてドアをノックしたら、恐怖と驚きで気絶しそうです。
マコールはその後ちゃんと亡くなり、同じシャンキルの町の同じ墓に埋葬されました。彼女の墓には「一度の人生で二度埋葬された」と刻印が彫られています。
5. ヒュー・グラス(アメリカ)
映画「レヴェナント」のモデルとなったアメリカ開拓者
ヒュー・グラスはクマによって瀕死の重傷を負ったにも関わらず何百マイルも徒歩で移動し生還した伝説的な開拓者・毛皮猟師で、アメリカでは非常に人気があります。
1823年に毛皮取引の探検隊に加入し3月にセントルイスを出発しますが、内陸部で隊は原住民の襲撃にあい、さらに 8月にグラスはクマに襲われます。グラスは足を骨折し、のどに穴があき、全身から出血し瀕死の重傷を負います。アシュリー将軍はジョン・フィッツジェラルドとジム・ブリッジャーにグラスが死ぬまで共にいるよう命じますが、2人は瀕死状態のグラスを見てもう死んだとみなして穴を掘って埋めてしまいました。しかしグラスは生きていて穴から這い出て歩き始め、彼がどれくらい歩いたか議論があるようですが、およそ322〜483 kmを骨折した足を引きずりながら移動したとされています。東京から仙台くらいの距離を移動したことになります。
グラスはいかだを作って川をくだりアッパー・ミッスーリの隊まで戻って無事を報告し、自分を見捨てた2人に復讐を果たそうと試みました。グラスはブリッジャーが当時19歳だったこともあって許し、フィッツジェラルドについては許したとも殺したかったが軍に加わっていたので手が出せなかったとも言われています。
その後グラスは再び遠征隊に加わり1833年に原住民によって殺されました。
この話は数多くの小説や映画のモチーフとなって人気があり、最近だと映画「レヴェナント」のモデルになっています。
6. キース・コールドウェル(ニュージーランド)
墜落する飛行機からジャンプして助かった人
よくあるジョークで、墜落する飛行機が地面に激突する寸前にジャンプすれば助かるじゃん、というものがありますが、実際にそれを実践した人がニュージーランド人のパイロット、キース・コールドウェルです。
彼は第一次世界大戦中のイギリス軍のエースパイロットで、3ヶ月で9機を撃墜。ドイツの空の英雄ワーナー・ボスとの決闘で有名になりました。
戦争終結直前、コールドウェルは機体同士の空中接触に巻き込まれ彼の飛行機のウィングストラットが損傷し、機体はバランスを崩して地上に向かって急降下しました。コールドウェルは落ち着いて片手で機体のバランスを崩す障害物を取り除き、片方の手で操縦桿を操作して機体が回転するのを防ぎます。そうして飛行機が地面に衝突するわずか数秒前に「ジャンプ」して無傷で生還しました。もはや007とかミッションインポッシブルの世界です。
コールドウェルは戦争後、ニュージーランドに戻って農夫となりました。
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まとめ
こんな状況だったら99.99%死にます。
絶望的な状況の中で、驚異的な運と意志の力が奇跡を可能にしたのだろうと思います。
こういう世界史の奇跡の生還話だけを集めても本一冊くらいは書けそうな気がしてきました。売れるかどうかは分かりませんけど。
参考サイト