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古代チェコ神話 - チェコ人の成立、プラハの建設、乙女戦争

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チェコ統一を精神的に支えた民族の年代記

ボヘミアのチェコ人は9世紀ごろに独自のプシェミスル朝を開き14世紀まで続きますが、王権は弱く神聖ローマの影響下に組み込まれ、またチュートン騎士団を始めドイツ人の東方植民の流れもあり「ドイツ化」の危険を常にはらんでいました。

プシェミスル朝の正当性主張とチェコ人の統一を図るために重要だったのが、「チェコ民族はどこからやってきて、どのように国が作られたか」という民族の年代記でした。

 11世紀にはコスマス年代記、14世紀にはダリミル年代記、16世紀にはハーイェク年代記などが書かれ、キリスト教到達以前の民族神話に加えボヘミア王の物語やヤン・フスの宗教戦争の物語などチェコ民族の栄光を讃える内容が盛り込まれました。

 19世紀の民族復興期以降に盛んに読まれ、現在のチェコ共和国まで受け継がれています。今回はキリスト教到達以前の移住伝説からチェコ人形成の逸話をピックアップします。

 

 1. チェフとレフのボヘミア移住

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 チェコの名の由来

チェコ人の祖先は元々、ヴィスワ川流域のハルヴァートの地(現在のポーランド中央部)に住んでいました。この地にはスラブ民族の部族が多数住んでいましたが言語も生活習慣も異なり、土地を巡って争いが絶えませんでした。

有力氏族の公で兄弟のチェフとレフは、争乱の地を離れ新たな故郷を見つけることを人々に説きました。人々はこれに従い、必要な物資や祖先の像を抱えて西の方角に旅立ちました。

人々は何度も敵対的な部族と衝突し、深い森では獣に襲われる恐怖もあり、苦しい旅にしだいに不満が高まっていきました。3番目の川を渡った時、チェフは平原の前方にある高い山を指差して「あの山の麓で子ども達や家畜を休ませよう」と言いました。

そこに行ってみると、なんとそこはゆったりと広がる広大な大地。川には魚が群れ大地は肥え住むに適していました。人々はチェフを讃えてこの地を「チェコ」と呼び新たな故郷とすることに決め、祖先の像を大地に置き火を焚き喜び合いました。

 

レフとの別れ

人々は懸命に働きました。木を切り小屋を建て畑を広げ家畜を放牧する。一族の人口はどんどん増えていき、人々は各地に散って大小の城を建てて首長を住まわせ、村をいくつも作っていきました。

ある時チェフの弟レフは、自分の家の者が多すぎるのを見てこの地を離れることを決めました。チェフはレフとの別れを惜しみ、なるべく近くに住むように言いました。レフは「私たちが焚く大きな火の煙の麓が新たな場所です」と言いました。数日後、チェフとその家族は東南の方向に赤い火の柱を見ました。チェフはその地を「煙(コウジェニー)」に由来する「コウジム」という名をつけました。

チェフはチェコの地に来て30年後、86歳で亡くなりました。

 

2. 賢人クロクと娘リブシェ

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 預言者クロク

チェフの死後、チェコの人々は堕落し法は乱れ互いに争うようになりました。 

そこで人々はレフに戻って来て統治者になってもらうようにお願いするも、レフはこれを固辞し、代わりに有力一族の長であるクロクという人物を推挙しました。

クロクはブデチという地に住み、争いごとを裁き知恵を広め、チェコの地を納めました。彼は予言の力を持っており大変人々に尊敬されていました。ある時三日三晩神に祈って霊感を受け「ブデチの地はこれ以上長くもたない。南と東の間を進んだ先にあるヴルタヴァ川付近の土地に住む必要がある」という予言を得ました。そこで使者たちは予言通りにその地に行くと、クロクの言った通りの土地がありました。人々は城を建てクロクはここに移り住み、この城をヴィシェフラトと呼びました。

クロクは23年以上統治し亡くなりました。

 

クロクの娘リブシェと公プシェミスル

クロクには3人の娘がいましたが、人々が次の統治者に選んだのは父と同じく予言の能力がある三女のリブシェでした。しかし人々の中には女が男を支配することを快く思わず、公然とリブシェを糾弾する者まで現れました。

そこでリブシェは収穫期が終わると各地の人々を集めて民会を開きました。東はズリチェン人とプショヴァン人との国境から、北はルチャン人とリトムニェジツ人との国境から、南はネトリツ人やドウドレプ人の国境から、西はゲルマン人やドマジェリツ人の国境からヴィシェフラトにやってきました。

民会でリブシェは人々に対し「共同統治をする男の公を選ぶ」ことを提案します。そして彼女はレムス人の土地に住むスタヂツェという一族の村に住むプシェミスルという男が公としてふさわしいことを予言しました。直ちに使者がスタヂツェに向かいプシェムスルを探し出し「あなたは公女リブシェに選ばれました。あなたは我々の裁き手、守護者となりました」と挨拶を述べました。プシェミスルはこれを受け入れ、スタヂツェ村を後にしてヴィシェフラトに赴きました。人々はプシェミスルの美しく立派な姿を見て喜び、リブシェは晴れてプシェミスルと結婚し、民会は盛大な結婚披露宴となりました。

 

3. リブシェによるプラハ建設

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プラハ城の建設

新たに公となったプシェミスルは多くの法を定めて人々を従わせ、リブシェは予言の霊感を得て予言を行いました。

ある時、プシェミスルとリブシェがヴルタヴァ川の崖の上に立っていた時、リブシェが予言を得ました。

「偉大な都が私には見える。…あの森の中、ここから30ホンの距離のところをヴルタヴァ川は囲むように流れている。そこを北はプルスニツェの小川が深い谷をつくって流れ、南はストラホフの森に接して岩山がそびえている。そこに城を建てなさい。そしてその城をプラハと名付けなさい」

人々は直ちにお告げの通りの場所に行くと、リブシェの予言通りの場所を見つけたので、その場所に城を建てました。こうしてプラハ城はヴィシュフラトと共にチェコの地を治める城となったのでした。

 

リブシェの滅亡の予言

ヴィシェフラトの崖を降りたヴルタヴァ川の谷間には、プシェミスルもその場所を知らないリブシェの秘密の沐浴場がありました。

 ある時リブシェが沐浴をしながら物思いにふけっていると、突然予言が降りて来ました。リブシェは顔面蒼白になり身を震わせて泣きながら予言を告げ始めました。

「火の手が見える。…村が、城が、大きな建物が炎に包まれている。ああ、皆滅びて消えて行く。…兄弟同士が殺し合い、異国の者が彼らの首根っこを踏みつけている…」

その時二人の侍女がリブシェの子の黄金のゆりかごを手渡しました。リブシェはそのゆりかごを底なしの淵に沈め言いました。

「水底深く休め、我が息子の揺籃よ。…再び明るい日が昇り、私の民に祝福が訪れよう。その時苦しみによって清められ、愛と労働によって鍛えられた民は力強く立ち上がり、再び栄光に浴するであろう。その時お前は川底の闇から輝き出し、明るい世界に流れでよう」

伝説によるとリブシェの黄金のゆりかごは現在もなおヴィシェフラトの岩の中深くに眠っていて、戦災や争いで国土が荒廃し人々が大勢死ぬ悲劇に見舞われると、黄金のゆりかごは水中から浮かび上がって来て、再び全てが豊かになり祖国は回復するのだそうです。

年老いたリブシェは夫ヴィシュフラトと氏族の長老たちを呼び寄せて自らの死が近いことを告げ、しばらくして亡くなりました。

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4. 乙女戦争

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 リブシェの侍女たちの反乱

リブシェの死後、唯一の公となったプシェミスルによってチェコは秩序を維持していました。

しかし、リブシェが生きていた頃に権勢を誇ったリブシェの侍女たちはすっかり人々から尊敬を失っていました。嘆き悲しむ侍女たちに向かって男たちは笑いながら言います。

「昔は俺たち男がお前たちに頭を垂れていたが、今はお前たちはさまよう子羊だ」

怒りに火がついた侍女たちは、侍女頭のヴラスタをリーダーにして戦いの準備を始め、ヴィシェフラトの近くにヂェヴィーン城という城を建設して武器と兵を集めました。男たちは女たちが馬を駆ったり矢を放つ練習をしているのを見て笑っていましたが、ちょっと威嚇すれば女たちは降伏するだろうと考え、プシェミスルの忠告を無視してヂェヴィーン城に軍勢を送りました。女たちは城を開け放って騎馬のまま男たちに襲いかかり、男たちは矢に当たったり槍に刺され、300人が戦死しました。

ヂェヴィーン城は女たちの勝どきの声があがり、これまで様子見をしていた女たちもヴラスタの軍に次々と馳せ参じました。ヂェヴィーン城には男たちは近づくことすらできず、戦場では両者の戦いが続きました。またチェコ全土で女たちが男たちに残酷な復讐を果たし、多くの男がナイフで刺されたり拷問をされて殺されました。

 

男たちの逆襲

殺された男の一人に、若く勇敢でヴラストの軍を手こずらせたツチラトという若者がいました。ツチラトは女たちの謀略にはまって車の輪の中に体をねじ込まれる拷問で死に、その死体がヂェヴィーン城の近くで晒されたのでした。

このニュースは男たちを激昂させ、ツチラトの弔い合戦とばかりに各地から鎧に身をまとった男たちが怒涛のようにヂェヴィーン城に押し寄せ、道中出会った女たちを片っ端から殺しました。ヴラスタも激昂し、女たちを引き連れてヂェヴィーン城を出るも、興奮しすぎていたのか単騎で大勢の男たちの軍勢に突入してしまったので後続が追いつかず、馬から引きずり降ろされて殺されました。

ヴラスタが死んだことを知った女たちは恐怖にかられて逃げ出しました。男たちはヂェヴィーン城の中に侵入して制圧。女たちは泣きながら男たちにひざまずいて命乞いするも、復讐の鬼と化した男たちは全員殺して城から投げ落とし、ヂェヴィーン城を焼き払ったのでした。

この「乙女戦争」以降、プシェミスルが一人で統治をしましたが、女たちは誰も文句を言わなくなったのでした。

 

5. クシェソミルとホリミール

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鉱夫たちの暴挙

プシェミスルの死後、ネザミスル、ムナタ、ヴォイェン、ヴニスラフが後を継ぎ、次いでプシェミスルとリブシェの子孫であるクシェソミルが公となりました。

 クシェソミルの治世下で鉱山が大きく発展。特に砂金や銀が多く取れ、人々は一攫千金を目指して金属に夢中になり、農耕や牧畜が放棄されて農業が停滞し食料が不足するようになってしまいました。村々から男たちが出て行ったので昔からの掟や伝統も廃れていきました。

各地の首長たちはこの状況を嘆き、ネウムニェテリの首長ホリミールを代表にたてて、公であるクシェソミルに金属より農業を大切にするよう陳情に訪れました。

ところがクシェソミル自身も鉱山から上がる富に目がくらみ、ホリミールの言に耳を貸そうとはしませんでした。加えて、鉱夫たちはホリミールがこのような行動をとったことに激怒し、「パンが足りないと言うなら、奴の口に息ができなくなるくらいパンを詰め込んでやれ」といきり立ってネウムニェテリに押しかけました。暴徒がやってきたことを知ったホリミールは、愛馬シェミークにまたがって村を脱出。暴徒たちは村に火をかけ、一晩で家も畑もすべて燃え尽きてしまいました。ホリミールは復讐を誓い、ネウムニェテリの男たちを率いて暴徒たちに襲いかかり、全員を殺害しました。

 

ホリミールの脱出劇

ホリミールはその足でシェミークにまたがりヴィシェフラトに赴き事件の顛末をクシェソミルに説明しようとするも、クシェソミルはホリミールの言い分を信用せず、怒り狂った鉱夫たちの意見を信じてホリミールを死刑にしようとしました。

ホリミールはクシェソミルにこう言います。

「死ぬ前に少しの間、愛馬に乗って駆けることをお許しください。それが済めば死刑にしてくれても結構です」

クシェソミルはこれを許すも「この城は固く閉じられている。馬に翼はないからお前は逃げられないぞ」と笑って城の門を閉じてしまいます。

ホリミールは愛馬シェミークにまたがり、城の広場を駆け始め、徐々にスピードを上げました。ホリミールは口笛をふき「さあ飛べ」と言うと、シェミークは土塁と丸太の城壁を飛び越えてしまい、城の急斜面も駆け抜けて脱出してしまいました。クシェソミルも人々も驚きのあまり唖然としていましたが、このような圧巻のパフォーマンスを追い風にして首長たちは強くホリミールの無罪と政策の変更を求め、とうとうクシェミスルもこれを認めました。

使者がネウムニェテリのホリミールの所に送られると、愛馬シェミークは大怪我を負っていて、間も無く死亡しました。ホリミールはクシェソミルと和解し、公に忠誠を誓いました。

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まとめ

キリスト教到達以前の素朴な世界観の神話で、巫女が統治したとか、神器があったりとか、なんか日本の古代の神話や歴史とも似通った部分があって親近感がわきますね。

 あくまで今回紹介したのは神話なのですが、おおよそ歴史の実話が下敷きになっているんだろうと思われます。東からの移住、近隣地域の征服、居住地の拡大と統治の高度化、そして巫女による統治から男の王による法の支配への移行、経済発展による社会の変容と伝統文化の衰退…という古代チェコ社会の姿が見て取れます。

神話には書いてありませんが、金属ブームになったということは外部にその強力な買い手があったということで、おそらくドイツ人であろうと思われます。ドイツ人もチェコに商売をしにやってきて、やがて一定の勢力を作って故郷から同胞を呼び寄せ組織的な移住をし、チェコの伝統的な社会が変容するばかりか、プシェミスルから始まる王朝の根幹を揺るがしていくことにもなっていきます。

 

参考文献

 チェコの伝説と歴史 アロイス・イラーセク著 浦井康男訳 北海道大学出版

チェコの伝説と歴史

チェコの伝説と歴史