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ユダヤ教の救世主「メシア」を自称した人たち

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救世主メシアの下に神の国の実現を目指したユダヤ人

 聖書の「詩篇」には、神がダビデ王とその子孫が常にイスラエルを支配することを約束する、とあります。しかしイスラエルの王は紀元前586年にバビロニアによって廃位させられてしまいます。
この矛盾に対し、ユダヤ人たちは「いつか未来にメシアが到来し、神が支配する世界が成立し、神の国イスラエルが再建される」と考えました。
メシアの到来は完全な幸福の時代の幕開けを意味し、メシアは正義を再建し、全ての悪を駆逐する。イスラエル民族の十二支族はイスラエルの地に再会し再統一する。すべての民が精神的にエルサレムを拠り所にし、神に服従する。

 ご存知のようにイスラエルという国は第二次世界大戦後、多分に政治的な決断の結果誕生したのですが、当時は一部のユダヤ教保守派は「メシアが到来していない以上、イスラエルに戻ることはできない」とすら主張したそうです。

 このようにユダヤ民族はメシアの到来を歴史的に待ち望んでおり、数多くの「メシア」自称者が登場してきました。

 

1. シモン・バル・コクバ(? - 135年)

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Work by Arthur Szyk 

 ローマ帝国支配に抵抗したユダヤ人レジスタンスのリーダー

現在のエルサレムとその周辺は紀元前37年までユダヤ人の独自の王国でしたが、共和制ローマ、次いで帝政ローマの支配下に入り、ユダヤ属州と呼ばれました。

多神教徒が多数派のローマ帝国内で、一神教のユダヤ人が住むユダヤ属州では特殊地域であり、ローマ人はかなり気を使って統治をしていたのですが、ユダヤ人の「エルサレムに実現する神の王国」への思いは強く、大規模な反乱が2回発生しました。

第二次ユダヤ戦争、またはバル・コクバの反乱と呼ばれる大規模なユダヤ人の蜂起が起こったのは132年、ローマによるエルサレムの大規模な開発計画を知ったユダヤ人は、シモン・バル・コクバという男を担いで武装蜂起し、ユダヤの独立を宣言しました。

出自ははっきり分かっておらず、本名も定かではありませんが、バル・コセヴァ(Bar Koseva)というのが元々の名前であると考えられています。ユダヤ教の最高指導者ラビはカリスマ性があるバル・コセヴァに目をつけ、彼をメシアであると宣言。そして「星の子」という意味のバル・コクバと名乗らせました。

 

 バル・コクバを首領とする反乱軍はローマ守備隊を打ち破りユダヤ地域を支配。ユダヤ教に基づいた法律を施行し独自の通貨を作るなど、ユダヤ王国の既成事実化を進めていきました。

バル・コクバは単なるお飾りのリーダーではなく、土地の所有の問題や食料の供給など日常的な問題にも積極的に介入し、行政官としても有能であったようです。

 反乱は2年半維持しましたが、体制を整えたローマ軍の反撃により135年にエルサレムが陥落。バル・コクバは抵抗の最中に戦死しました。

 その後ローマはユダヤ人への宥和政策を放棄し、ユダヤ人のエルサレムへの侵入を禁止し、ユダヤ属州も廃止されローマ化を進めていきました。 

 

2. ダヴィド・アルロイ(? - 1160)

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 ムスリム支配に抵抗した伝説的ユダヤ人メシア

ダヴィド・アルロイの物語は、19世紀のイギリス首相ベンジャミン・ディズレリが描いた小説「アルロイ」によって広く知られるようになりました。

ベンジャミン・ディズレリは英国国教会のキリスト教徒ではありましたが、彼のルーツはユダヤ系であり、小説の中でユダヤ教の教理の優位点を説くなどユダヤ教とユダヤ教徒の地位向上を図った人物です。

ダヴィド・アルロイは12世紀にセルジュク朝支配下のイラクに住んだ人物で、イスラム教徒に対する抑圧に対してユダヤ人コミュニティに蜂起を呼びかけました。

アルロイはチャフタン山(mountains of Chaftan)で演説をしエルサレムへの進軍を主張し、モスルやバグダッドなどのユダヤ人コミュニティに手紙を書き、自らをメシアであると宣言しました。

アルロイとは「インスピレーションを受けた者」という意味で、この時から名乗り始めたようです。

アルロイの元には彼をメシアと慕うユダヤ人が手に手に武器を持って多数馳せ参じ、まずは地元のアマディヤの城塞を攻撃することとしました。この先のことは詳しくは分かっておらず、どこかのタイミングでセルジュク朝の討伐軍に敗北しアルロイも死亡したと考えられています。

ベンジャミン・ディズレリの小説「アルロイ」では、アルロイは逮捕されるも監獄を脱獄し、魔法を使って追っ手から逃れ、通常10日かかるアマディヤへの道のりをわずか1日で戻り、アマディヤで頑強に抵抗を続けるも仲間の裏切りによって殺された、ということになっています。

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3. アブラハム・アブラフィア(1271-1291)

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 最も重要な神秘主義カバラの研究者

アブラハム・アブラフィアは1240年にスペインのサラゴサに生まれたユダヤ人で、18歳の時に父が死亡したことがきっかけで、パレスチナに赴き古代イスラエル王国の痕跡を探す旅に出かけます。しかしモンゴル帝国とマムルーク朝との戦争によりパレスチナは荒廃しており、ギリシャ経由でヨーロッパに戻らざるをえませんでした。アブラフィアはイタリアのカプアに滞在しながらユダヤ神秘主義カバラを学びました。
スペイン帰国後、カバラの一種である「ヨガ」の教師になり、ヘブライ語文字、数字、母音を禁欲主義・道徳と結び付け、文字の語順やシンボルの記述により精神や宇宙、神の世界の解説を研究し、彼の元で数多くの弟子が学びました。アブラフィアは自ら預言者メシアであると宣言し、1279年に預言書「セファー・ハヤシャール」を書きあげました。
1280年、ローマ教皇ニコラウス3世にユダヤ教徒に改宗を求めるためにローマに赴きますが、彼らが到着する1日前に教皇がヴィテルヴォで死亡していたことが判明。アブラフィア一行はローマで拘束されますが、4週間後に開放され、その後シチリア島に赴き、次いでマルタのコミノ島に流れ着き、ここで死亡したと考えられています。
アブラフィアの著作は後のカバラ研究者に多大な影響を与えた他、クリスチャン・カバラの形成に貢献し、またスーフィズムとも融合しました。

 

4. ソロモン・モルコ(1500-1532)

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エルサレム奪還を掲げたユダヤ神秘主義者

ソロモン・モルコは1500年にポルトガルの改宗キリスト教徒のユダヤ人の両親の元に生まれ、本名をディオゴ・ピレスと言います。 父はポルトガル高等裁判所の王室裁判長を務めていた人物でした。

ピレスはアラビア半島出身のユダヤ人で神秘主義者のダヴィド・レフヴェニに会ってユダヤ人である自分に目覚めることになります。そして、レフヴェニは救世主であり、共にユダヤの敵を葬りエルサレムに神の国を作るべきと考えるようになりました。

ピレスは自分で割礼をし、ソロモン・モルコというユダヤ風の名前を名乗るようになり、レフヴェニに接近し共にエルサレムに向かおうと説得しました。しかし、レフヴェニはモルコを信用しておらず、この時は物別れに終わりました。

モルコはポルトガルを離れオスマン・トルコ支配下のサロニカに行き、ユダヤ神秘主義カバラのグループに所属し活動。彼は1540年にメシアが現れると主張するようになりました。

モルコはパレスチナを経て1529年にローマに住みシナゴークで説教し、1530年のローマ洪水と1531年のポルトガル地震を予言してみせ名声を高め多数の信奉者を集めるようになり、自らをメシアと宣言するようになりました。

レフヴェニもこの時にローマにやってきてモルコと合流。2人は神聖ローマ皇帝カルロス5世に対オスマン・トルコに対する兵を出兵し、エルサレムにユダヤの国を作ることを懇願しますが、カルロス5世は全く相手にせずに逮捕し投獄。モルコはキリスト教への再入信を断ったため死刑となりました。

 

5. シャブタイ・ツヴィ(1626-1676)

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17世紀に一大ムーブベントを巻き起こしたユダヤ神秘主義者

 シャブタイ・ツヴィはオスマン・トルコ支配下のイズミールの生まれ。
幼いころからカリスマ的でIQが高く、若くしユダヤ神秘主義カバラに精通し、20歳で既にラビの聖職叙任を受けているほどでした。
ところが彼は現在で言うところの躁うつ病であったようで、高揚している時は公衆の面前で大演説をぶつ一方で、うつ状態の時は森の中に隠れて過ごし人前から姿を消すような謎めいた人物でした。
1648年、ツヴィは夢で自らをメシアであるという予言を受け、それ以降彼は自らをメシアであると公言するようになっていきます。
イズミールのラビはとうとう彼を町から追放。ツヴィはテッサロニキを始めギリシャ各地を転々としながら、ユダヤ教の教義や伝統を無視したパフォーマンスで信者を増やしていき、イスタンブール、故郷イズミール、エジプトと流れ住みました。
ツヴィがエジプト滞在中、パレスチナのガザに住むナタンというユダヤ教の賢者がツヴィについてのうわさを聞いたようで、「シャブタイ・ツヴィというメシアが現れる」という書簡を書いて各地のユダヤ社会に配布して回ったことで、ツヴィを救世主とする「シャブタイ派」が急速に拡大しました。
パレスチナには「神の国」の復活を見ようと世界各地からユダヤ人が集まり、アナトリア半島ではツヴィをメシアと主張する人々による集会や活動が堂々と行われるようになり、ユダヤ社会は異常な興奮と熱気に包まれるようになっていきました。
とうとうツヴィは人々の熱狂的な歓喜の声に向かい入れられ故郷のイズミールに帰還。主流派のラビを追放し、支援者に促されたツヴィはとうとう「オスマン・トルコのスルタン、メフメト4世の追放と王位のはく奪」を掲げて帝都イスタンブールに向けて出発しました。
事態を重く見たオスマン政府は、軍を派遣して群衆を蹴散らし、ツヴィを逮捕。監獄に軟禁され、スルタンの手によって裁かれることになります。ツヴィはスルタンにより「死刑かイスラム教への改宗か」の二者択一が迫られたのですが、ツヴィは迷わず「イスラム教への改宗」を選択。ツヴィの信奉者は度肝を抜かれ、大部分の者は失望しツヴィを見限りますが、ある者はツヴィを信じ続け、シャブタイ派の信仰を守り続けました。

 

6. ヤコブ・フランク(1726-1791)&エヴァ・フランク(1754-1816)

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ユダヤ教とキリスト教を混合したセクトを興した人物

シャブタイ・ツヴィの教えを受け継ぐシャブタイ派は、東欧のユダヤ人社会でも熱狂的に受け入れられ、現在のウクライナ西部(当時はポーランド領)でも17世紀末に複数のシャブタイ派秘密結社が存在しました。
ジェイコブ・フランクは1726年にポドリアの町に生まれたポーランド系ユダヤ人で、若いころは宝石とテキスタイルを扱う商人で、ヨーロッパ人との取引のなかで「フランク」というニックネームをもらったそうです。
1750年代初頭、フランクはシャブタイ派の指導者オスマン・ババと懇意になり熱心な信者となります。正統派ユダヤ教のラビはシャブタイ派を弾圧しており、ユダヤの伝統と法律が破壊されていると宗教裁判にかけられました。シャバタイ派はポーランドのカトリックの司教に助けを求め、国王アウグストゥス3世から保護を得ることに成功します。
しかし、司教の死後に再びラビによる弾圧が始まったため、フランクはシャブタイ・ツヴィとオスマン・ババの後継者及びメシアを宣言し、彼と彼の信奉者はカトリックへの転換を目指すことをポーランド司教と教皇に約束しました。
1759年にフランクと支持者はワルシャワで洗礼(パブテスマ)を受け、1790年までにポーランドで26,000人が洗礼を受けました。
しかしフランクたちはシャブタイ派とカトリックの教えが混じった奇妙な教義を展開したため、1760年に逮捕・投獄され、13年間チェストコワの修道院に監禁されました。
ところが1772年に第1回ポーランド分割が実施され、チェストコワがロシア領になると、フランクはロシア人により解放され、モラヴィアのブルノの町に支持者と共に住むことを許可されました。この時、娘のエヴァが重要な役割を果たし、支持者やロシア人を魅了したそうです。
父娘はマリア・テレジア支配下のオーストリア・ウィーンにも招かれ、「ユダヤ人へのキリスト教の普及者」と見なされ、フランクはオッフェンバッハに土地をもらい「オッフェンバッハ伯爵」の称号を得て半ば引退。娘のエヴァは後継者となり「聖なる愛人(Holy Mistress)」と呼ばれました。
しばらくセクトは続きますが、次第に信者はエヴァの元から離れていき、19世紀の半ばまで存続しました。

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まとめ

 一口にメシアと言っても、ただの預言者というだけではなくて、その時その時の社会情勢や状況に応じた「メシア」があったことが分かります。
我々の目から見ると、ユダヤ教の教えは排他的で狂信的で相いれないのですが、教義や文脈は他の宗教と融合をしながらも、「エルサレムの地に実現するユダヤ民族の神の国」という根本の部分は揺らぐことなく、現在に至るまで信仰を守り続けているのがすさまじいです。

 

 参考サイト

"Shimon Bar-Kokhba (c. 15 - 135)" Jewish Virtual Library

 "DISRAELI’S REDEEMER: THE RISE AND FALL OF DAVID ALROY" THE JERUSALEM POST

"Solomon Molcho" Encyclopedia Britanica

"Sabbatai Zevi" Jewish History Org

"Jacob Frank (1726 - 1791)" Jewish Virtual Library

" Abraham_abulafia-The Light of the Intellect" SCRIBE