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政権に就いたことのある世界の少数民族政党

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少数民族政党ながら政権与党になったことのある世界の政党

日本では外国人の選挙権・被選挙権が認められていないため、国や自治体の政治において国内の少数民族の利益を代表する政治団体というものが存在しません。

一方で、様々な事情で国内に多くの少数民族を抱える国々では、政治的な権謀術数のたまものか、少数民族政党が与党に加わり政権を担うことも少なくありません。各国の事例を調べてみたいと思います。

 

1. スウェーデン人民党 (フィンランド)

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フィンランドのスウェーデン人政党

スウェーデン人民党(SPP)は、1906年に創設された老舗の政党で、主にフィンランドの少数派であるスウェーデン語話者をその支持母体としています。

SPPは「政治スタンスが非常に柔軟なこと」に特徴があります。基本的には少数派の意見を代弁し、社会平等と権利を訴え、再生可能エネルギーを推進するリベラルなスタンスですが、農業補助の削減反対や伝統的なスヌース(嗅ぎタバコ)やアザラシ漁の規制反対など保守的な政策も打ち出しています。EUとの関係も、国家の自立とEUとのバランスとを取る路線を支持しています。

SPPは1970年代から一貫して社民党または中央党との連立政権に加わっており、防衛大臣や司法大臣などの閣僚ポストを歴任してきた実力があります。2015年に誕生した中央党の前首相ユハ・シピラ政権では与党を外れ野党になり、2019年4月の選挙で誕生した社民党政権では再び与党に返り咲いています。

2019年現在の党首はアンナ=マヤ・ヘンリクソンという女性の議員です。


2. 民主統合連合 (北マケドニア)

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北マケドニアのアルバニア人政党

民主統合連合(DUI)は、北マケドニアの人口の約25%を占めるアルバニア系住民を支持母体とする政党です。マケドニア紛争の反政府武装組織・民族解放軍(NLA)の後継団体です。

もともと北マケドニアにアルバニア系住民は多かったものの、コソボ紛争で多数のアルバニア難民が国内に流入して民族感情が高まり、マケドニア系住民の権利の拡大を求めて民族解放軍(NLA)が蜂起し、そこにコソボのアルバニア人武装勢力が介入したことで内戦が勃発しました(マケドニア紛争)。内戦はNATOの介入で半年後に停戦。その後の議会選挙では、マケドニア人政党の社会民主同盟が勝利しますが、NLAの正式な後継団体である民主統合連合(BDI)が多くのアルバニア系住民の支持を集め、社会民主同盟と自由民主党と連立して政権与党を担うことになりました。

しかし2006年に選挙で敗れて下野し、同じアルバニア系政党であるアルバニア人民主党(DPA)が政権に就きました。同じアルバニア系政党にもかかわらずDUIとDPAは激しく対立しており、2008年の議会選挙ではDUI支持者によるDPA関係者の襲撃事件が発生し死者も出ました。この2008年の選挙では約10%の得票率を獲得し、内部マケドニア革命組織と共に引き続き政権をになっています。

 

3. リトアニア・ポーランド人選挙活動=キリスト教家族連合(リトアニア)

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リトアニアのポーランド人政党

ポーランド系住民はポーランド=リトアニア時代から、現在の首都ヴィリニュスを中心に住み着いていていました。第二次世界大戦終了後に多くのポーランド系がポーランド本土に強制移住させられましたが、現在も人口の6%程度はポーランド系で、彼らが支持母体となっている政党がリトアニア・ポーランド人選挙活動=キリスト教家族連合(EAPL–CFA )です。

EAPL-CFAの前身は1994年に設立された政党リトアニア・ポーランド人選挙活動 (LLRA) ですが、政党になる前の活動も含め、その歴史は35年以上にもなります。

1996年の議会選挙から1〜数席の議席を獲得しつづけるも、法律で定められた閾値である得票率5%を達成できずにいました。しかし2001年に成立した中道左派のブラザウスカス内閣に入閣し与党となるなど存在感が徐々に高まり、2016年の選挙では5.48%を獲得して8議席を獲得。欧州議会にも議席を持っています。

EAPL-CFAは政治スタンスとしては少数民族の権利や利益を代弁するとしており、ポーランド語の教育や文化などアイデンティティの保護を唱えています。同じ少数民族ということで、リトアニア・ロシア人連合(LRS )と選挙協力を行う場合が多く、実際にEAPL-CFAはワルシャワだけでなく、モスクワとも強い繋がりを持ちます。

実際のところ、多数派のリトアニア人の政党は少数民族の利益や権利の保護への対策は進んでおらず、国の主要な政策にもなっていない現状から、ポーランド系住民には状況の改善のために隣国モスクワの介入を期待する思いがあるようです。

 

関連記事

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4. 架け橋(スロバキア)

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スロバキアのハンガリー人政党

スロバキアは長年ハンガリーの支配下に入っていて、北ハンガリーと呼ばれた時期もあったため、現在でも約8.5%のハンガリー系住民が存在します。そのハンガリー系住民の利益を代弁する政党が、架け橋(Most–Híd)です。Most–Hídはスロバキア語とハンガリー語でそれぞれ「橋」を意味します。

スロバキアには1998年から「ハンガリー連合の党(SMK-MKP)」というハンガリー系住民を支持母体とする党がありましたが、2009年にベーラ・ブカル、ガーボル・ガル、ラスロ・A・ナジといった議員が「党があまりに民族主義すぎる」として、SMK-MKPを脱退。多数派のスロバキア人と少数派のハンガリー系との融合を目指してMost–Hídを結成しました。少数派であるハンガリー人が支持母体ですが、党のメンバーには4割程度スロバキア人がいるそうです。

2010〜2012年の中道右派ラジチョヴァ政権で4党連立与党の一角となり、ハンガリー語教育、ハンガリー系の市民権問題、農業問題、環境問題の政策に取り組もうとしますが、ギリシャ金融危機の影響を受け政権は不安定で2012年に崩壊。次の第二次フィツォ政権では与党から外れますが、第三次フィツォ政権、2018年に発足したペレグリニ政権でもMost–Hídは与党に入っています。

 

5. ハンガリー人民主同盟 (ルーマニア)

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ルーマニアのハンガリー人政党

 ハンガリー人民主連盟(RMDSZ)は、主にルーマニア北西部のトランシルヴァニア地方に住む少数民族のハンガリー系の利益を代弁する政党です。かつてトランシルヴァニア地方はオーストリア=ハンガリー帝国の領土だったこともあり、現在でも約6%がハンガリー系です。

RMDSZはルーマニアの社会主義体制崩壊後の1989年12月に成立した政党で、トランシルヴァニアのハンガリー系住民のコミュニティの保護、マジャール語の使用と教育、マジャール文化の保護、そして自治の獲得を目指しています。1990年の選挙から毎回議会に議員を送り込んでおり、1996年には与党の中道右派ルーマニア民主協議会(CDR)が率いるシオルベア政権に協力。内閣に入閣しました。

 2000年の選挙では、中道左派ルーマニア社会民主党(PSD)が勝利し、RMDSZは与党に加わることはありませんでしたが、RMDSZはPSDと閣外協力することを条件に、少数民族の権利保護の履行を約束させました。

党首のマルコ・ベーラは2009年にボック政権、2012年にウングレアーヌ政権の副大統領に就任しています。

  

6. 民族統一連帯党(スリナム)

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スリナムのインドネシア・ジャワ人政党 

スリナムは南米北東部にあり、もともとオランダの植民地でした。インド系、アフリカ系、中国系、クレーオル、ジャワ系、オランダ系、ユダヤ系など様々な民族が混在しているコスモポリタンな国です。オランダとの人的・経済的な繋がりは非常に強く、国家収入の面でもオランダに多くを頼っているし、オランダに出稼ぎに行ったり居住する人も多く、オランダの人口の約2%はスリナム出身者であるそうです。

スリナムの政治は歴史的に二大政党があって、小政党がどちらかの陣営に属するという二極体制で構成されてきました。少数政党の動きはかなり流動的で、先日まで敵だった政党と同じグループにいきなり属するようになるなど珍しくないようです。少数政党は多民族国家らしくインド系や中国系、カトリック系、クレオール系など民族・宗教政党がありますが、約15%の人口を擁するジャワ系住民の利益を代弁するのが民族連帯統一党(KTPI)。

設立は1949年で、第二次世界大戦後の1949年5月の初の選挙で21議席中の2議席を獲得。1964年の選挙では、当時の二大政党の一角・国民進歩党(NPN)と「アクショングループ」を結成し初の政権入り。1973年と1977年の選挙では国民統合党(NPK)と、1990年にはニュー・フロント(NF)、2005年には進歩のための人民同盟(VVV)との連立で内閣入りをしています。2010年には中小5党による大連立政権「メガ・コンビネーション」にも入っています。

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まとめ

 少数民族政党は支持母体の絶対数は少ないけど、岩盤票があるので確実に一定の議席を獲得できて安定性がある。それゆえ、議席の数の面で不安定な政権は足元を固める意味でこういった少数民族政党に頼りがちなところがあるのかもしれません。日本で例えたら公明党的なポジションでしょうか。

 急速に「移民」が増えている日本でも、いつの日か外国人に選挙権・被選挙権を与える日が来るかもしれません。諸外国の事例をしっかり学んでおきたいところです。

 

参考文献・サイト

" The Swedish People’s Party: Finland's little party that could" UUTISET

 "Political power for an “ethnic ghetto”: the case of Lithuania" ICELDS

Most–Híd - Wikipedia

"DEMOCRATIC ALLIANCE OF HUNGARIANS IN ROMANIA" FUEN

"Party for National Unity and Solidarity (KTPI)" Caribbian Election

 

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