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イエス・キリストの「空白の18年間」の謎

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イエスは若い頃世界各地を放浪していた?

ルカによる福音書」によると、イエスは12歳の時に両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを乞うた出来事の後、賢くたくましく成長し、洗礼者ヨハネによる洗礼を受け30歳の時から宣教を始めたそうです。

 この間の18年についての記述は第2章52節の一行だけで、その間にイエスが何をやっていたのか一切不明です。イエスが死亡したのは33歳なので、彼の生涯の大半がよく分からないということになります。

わずか3年で世界を変えた活躍をした人なので、10代後半から20代の活発で多感な時代に何か特別な経験をしたに違いないと考える人は大勢いて、中にはこの空白の18年間の間にイエスは世界を放浪し見聞を深めていたに違いない、と主張する人もいます。

 

1.  12歳から30歳までの空白の約18年

ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親とはぐれて教師たちに神の教えを乞うというエピソードが書かれています。

イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。(略)そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。(略)それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

そして続く52節のこの1節。

イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

「そしてしばらくたった」みたいに書いてますが、18年間も経っているのです。

 

そして第3章で洗礼者ヨハネにより洗礼(バプテスマ)を受け、本格的に宣教を始めるのですがこの年齢が30歳であるとしています。第3章23節。

イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。

では12歳から30歳まで彼は何をしていたのか。

故郷のナザレで父ヨセフと一緒に大工をしながら宗教について勉強していたんじゃないかと考えるのが普通ですが、それを否定する節があります。

宣教を始めたばかりにイエスが故郷のナザレで人々に説教するシーンです。同じく「ルカによる福音書」第4章20〜22節。

イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

次に「マタイによる福音書」13章54〜56節。

そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。

もしイエスがナザレでずっと大工をしながら勉強していたなら、当然人々はイエスと彼の勉強を知ってるからこんな反応をしないに違いないし、「あれ!よく見たらこいつイエスじゃん!」みたいな反応なので、かなり長い間イエスはナザレにいなかったのでは?と考えられます。

そこで、実は18年間の間イエスは諸国を放浪していたのではという説が昔から唱えられています。

 

2. ブリテン島訪問説

イエス・キリストがブリテン島を訪れていた、という伝説は昔からあったようですが、18世紀イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが「エルサレム」で謳って以来有名になりました。

古代、あの方の足が
イングランドの山の草地を歩いたという
神の聖なる子羊が
イングランドの心地よい牧草地にいたという!

And did those feet in ancient time,
Walk upon England's mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On England's pleasant pastures seen!

伝説によると、イエスは叔父でもあるアリマタヤのヨセフ(後にイエスの遺体を引き取ることになる人物) と共にブリテン島を訪れグラストンベリーでドルイド教を学んだとされています。そのため、ドルイド教の教えがキリスト教には息づいているのだそうです。

ちなみにアリマタヤのヨセフはイエス・キリストの死後、彼が磔刑になった時に流れ出た血を銀の杯で受け、その杯を持ってアヴァロンの島(ブリテン島にあるとされた伝説の島)に渡ったという伝説があります。

アリマタヤのヨセフはグラストンベリーで教会を開き、これがイギリスで最初のキリスト教会であるという説があります。

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3. インドで仏教を学んだ説

最も人気がある説が、「イエス、インド来訪説」。

 19世紀後半のロシアの貴族、ジャーナリストのニコラス・ノトヴィッチという男は、1894年にチベットにあるヒミス修道院を訪れた際に、聖イッサという男について記した3世紀の写本を見たと報告し、それがイエスが失踪中の18年間に符合すると主張しました。インドではジーザス(Jesus)がイッサ(Issa)と呼ばれ、インド、ネパール、チベットでヨガを学んでいたと主張しています。

 この説はオカルト作家にとても人気があり、例えばアメリカの作家リバイ・ドーリングという人は「宝瓶宮福音書(The Aquarian Gospel of Jesus the Christ)という著作の中で、アカシックレコード(世界が生まれてからすべての記録が刻まれているという概念物)を解析した結果、「イエスは18年間の間にインド、チベット、ペルシア、アッシリア、ギリシア、エジプトを横断したことが分かった」と書きました。

この旅でイエスは様々な地域の教えを学び吸収する中で、自分が「神の子」であることを悟り、ナザレに帰還したとしています。

 

4. 日本に来ていた説

青森県新郷村に「キリストの墓」なるものがあるのは有名です。

イエス・キリストは実は殺されておらず、磔刑されたのは弟のイスキリで、イエス自身は日本に逃れて青森県の山奥で暮らし106歳で死んだという説です。イエスはユミコという妻を娶り、娘を3人儲け、ニンニクを栽培しながら暮らしたそうです。

何でわざわざ逃亡先に日本を選んだのかと言うと、実はイエスは21歳の時に日本に来ていて、富士山の麓で仏教を学んだことがあったからだ、というもの。

その時は日本は弥生時代だし仏教なんか全然来てないし、脈絡がメチャクチャですが、「霊峰富士で修行するイエス・キリスト」というのは創作という点で魅力的ではあります。

 

5. アメリカ大陸を訪れていた説 

考古学者のL.ティラー・ハンセンという男は、著書「彼はアメリカの地を歩いた(He Walked the Americas)」の中で、南北アメリカ原住民に広く伝わる「白い預言者」伝説の正体は、かつてこの地を訪れたイエス・キリストであって、北アメリカ、中米、南米と広く周遊し人々に教えを広めていたと主張しました。

そもそもイエス・キリストは中東の人なので、肌はそんなに白くないと思うのですが。  

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まとめ

事実はもはや確かめようがありませんが、18年の間にイエス・キリストがどこで何をしていたかを妄想するのは楽しいものです。 

 また、聖書に何も書いてなくて本当にそれらしい手がかりが一切ないというところが、人々の想像を逞しくする所以だと思います。

結婚して働いて子どもを作って、普通に暮らしていたのかなあと想像してしまうのですが、それだと面白くないですよね。

 

 

参考サイト

"The missing years of Jesus" SBS

"What Happened During Jesus' 'Lost Years' (Luke 2:42; 3:23)?" Church of the Gread God

Unknown years of Jesus - Wikipedia