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フィリピン・ミンダナオ島の近代史 - イスラム武装組織が勃興するきっかけとは

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Photo from Keith Kristoffer Bacongco 

フィリピン国家統合の過程で打ち捨てられたモロ人(フィリピン・ムスリム)

2018年8月6日、フィリピンのドゥテルテ大統領は、ミンダナオ島のイスラム自治政府を認める「バンサモロ基本法」に調印し、モロ・イスラム解放戦線(MILF)のムラド議長と握手しました。

長年イスラム法に基づく自治を求め武装闘争を続けてきたイスラム系武装勢力と、キリスト教徒が中心のフィリピン政府との歴史的な和解が成ろうとしています。

そもそもなぜ、彼がフィリピン政府と武装闘争を繰り広げてきたのか。

その直接の原因となった、ミンダナオのイスラム勢力の衰退、アメリカ支配下でのキリスト教勢力の伸張について解説していきます。

 この記事は、以前の記事「海賊の島」スールー王国の歴史の続きです。

 

1. イスラム国家の衰退

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マギンダナオ王国とスールー王国

ミンダナオ島周辺の島々は、ブアヤン人、マギンダナオ人、マラナオ人、イラヌン人など多民族が住み、宗教もキリスト教、イスラム教の他、アニミズム的な原始宗教が存在します。

原始的な首長社会が長い間続き、統一した国家が存在しない地域でしたが、16世紀ごろにイスラムを受容したことで、スルタンの政治的・宗教的権威に基づいた王国が出現するようになりました。

 

スルタンは王国内の小さな血族・部族を、共同体の長「ダト(dato)」を介して統治しました。

ミンダナオのイスラム王国は、古くからの首長制の上にスルタンの権威が乗っかるような形で成り立っていたわけです。

 

ミンダナオのイスラム王国は、ヨーロッパと中国との中継貿易、そして奴隷貿易によって強大化していくのですが、17世紀に栄えたのはミンダナオ島南部のコトバトを拠点とするマギンダナオ王国でした。

マギンダナオ王国は王クダラト(在位1616年〜1671年)の治世下で支配領域を拡大させ近郊の貿易を支配し、オランダやイギリス、中国との貿易を有利に進めました。

しかし、イギリスが貿易の拠点をスールー諸島のモロに移したことで、配下の海洋民族イラヌン人が大挙してスールーに移動。マギンダナオ王国は衰退し、18世紀半ばからスールー王国が台頭するようになりました。

 

しかしスールー王国の天下は長くは続かず、19世紀半ばごろになるとオランダやスペインなどのヨーロッパ列強は、蒸気船や大砲など進んだ軍事技術を投入し、フィリピン諸島の軍事制圧を開始。

奴隷の漕ぎ手が主力のスールー王国の海軍は圧倒され、イスラム勢力はヨーロッパの近代的な軍隊や物品、設備、貿易の近代化などに対応できず、スルタンの求心力は低下していきます。

スルタンの威信の低下によって各地に新たな小イスラム国家群が誕生していき、ある者は互いに争い、ある者はスペインと結ぶなどスールーの支配は及ばなくなっていきます。

そのような混乱状態に乗じてスペインはミンダナオ軍政府を1860年に成立させ、1878年にスールー王国のスルタンはスペインの宗主権を認めました。

 

奴隷貿易の禁止

奴隷制禁止が世界的な潮流となった19世紀半ば以降、スペインやオランダも支配下での奴隷狩りや奴隷貿易を武力で取り締まるようになっていきました。

奴隷貿易が困難になったマギンダナオは海賊化し、内陸部の部族や海沿いの集落を襲って奴隷狩りを行うようになり治安が悪化。それに対し、オランダやスペインは武力による平定を進めると同時に、住民のキリスト教化とキリスト教徒の移住を進めることで、支配を強化していきました。

スルタンは政治的な影響力をほぼ失い、唯一宗教的指導者としての側面を残すのみとなっていきます。

 

2. フィリピン国家の統一

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アメリカ軍政下のミンダナオ島

米西戦争後の1889年12月、パリ条約によってスペインはフィリピン諸島をアメリカに譲渡し、以降ミンダナオ島もアメリカの統治下に置かれます。

アメリカはフィリピン南部に強力な軍事力を持つイスラム教徒の主権が存在することを認め、フィリピン・アメリカ戦争後の1899年にスールーのスルタンにアメリカの宗主権を認めさせ、スルタンを介した間接統治を実施しました。

ミンダナオ島はアメリカの軍政下に置かれ「モロ州」が設置され、イスラムの「遅れた地域」をキリスト教やアメリカ的価値観によって文明化することを目指しました。

イスラム教徒には人頭税が課せられ、奴隷制や一夫多妻制の廃止など様々な「近代改革」が導入されていき、それらの改革にムスリムの指導者たちは反発を強めました。

 

抵抗運動の頻発とスールー王国の消滅

スールーでは1903年から1905年にかけて、バンリマ・ハッサン、ダト・ウサップ、ダト・バラらが相次いでアメリカ軍に対して蜂起し、マギンダナオでもダト・アエリが1904年3月から1905年10月まで抵抗運動を展開。

1906年5月には、ムスリム人頭税に対して反対する民衆約1,000人がダホ山に要塞を築いて立てこもり、アメリカ軍の攻撃によって600人以上が殺されました。

モロ州設立からわずか3年で、アメリカが導入した諸改革に反対する武装蜂起が頻発し、100を超える戦闘で3,000人以上が死亡したとされています。

 

これ以降も宗教指導者や世俗指導者が主導する抵抗運動は続いていきます。

そんな中、1915年にスールーのスルタンがアメリカの宗主権を再度確認し、宗教的権威以外の全ての権限を放棄することを定めたカーペンター・キラム協定によって、スールー王国は正式に消滅しました。

1913年にはモロ州は軍政下から民政下に移管され、ミンダナオ・スールー管区が発足。その後1920年にこの管区も廃止され、フィリピンは初めて政治的に統合されました。

ミンダナオ島やスールー諸島のムスリムは、この時初めて「フィリピン人」という枠組みの中に収められることになり、いわゆる「フィリピン・ムスリム」通称「モロ人」が誕生することになります。

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3. キリスト教徒のミンダナオ進出、モロ社会の混乱

 

キリスト教徒のミンダナオ進出

 アメリカ植民地政府は、主にルソン島のキリスト教徒フィリピン人の土地要求に応え、人口が希薄で開発されていないミンダナオ島への移住を奨励しました。

キリスト教徒フィリピン人は、従来はムスリムの支配下にあったが今は「国家公有地」とされた地域に合法的に入植していきます。

さらには日本などの外資の農園の開発が進み、ここでも大勢のフィリピン人が雇われて入植したため、元からミンダナオに住む非キリスト教徒の割合は次第に低下し、少数派となっていきました。

 

崩壊したダトの権威

モロ州成立後、アメリカは強権的にムスリム社会の解体とキリスト教化を進めていきましたが、フィリピン・ムスリムが頑強に抵抗し、アメリカ軍にも少なくない犠牲者が出ていました。

マスコミの報道を受けアメリカ世論は反発し、植民地政府の強権的なやり方を改めるよう求めます。そこで植民地政府は、スルタンやダトなど従来の地元の権威を通じた間接的な統治に切り替えることにしました。

ところが、スルタンの指示に従わずに抵抗するダトが相次ぐばかりか、アメリカに指定されたダトは支配領域の小さな集落のダトたちすらまとめきることができず、無数のダトがそれぞれのルールで統治をするという、無秩序状態となりました。

ミンダナオ・スールー管区が発足した後に間接統治は廃止され、7州・21町・178町区から成る行政区画が整備され、それぞれ三役には一部の例外を除き現地住民が任命されました。

町や町区ではムスリムが町長・町区長に選ばれることもありましたが、州レベルでは植民地政府によって選定されたキリスト教徒が大部分を占めました。

モロ人は「文明的ではなく、好戦的で、自治能力がない」とされ、普通選挙制度が実施されたのは、フィリピン独立後もだいぶ経ってから、国政では1955年、町政では1959年のことです。

国政レベルでムスリムの参政権が認められたのは1930年代半ばのことで、遅ればせながらムスリムも政治の参加が認められるようになりましたが、ムスリム以外の非キリスト教徒の諸民族はそもそも政治への参加が長年閉ざされていたのです。

 

4. 「ミンダナオ問題」の顕在化

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フィリピン・ムスリムの貧困化

ミンダナオ島はイスラム教徒の支配下に入った後も、各血族・部族・集落レベルで高い自治が認められ、それぞれ独立した社会を築いていましたが、近代的な国民国家が成立するにあたって、そのような自立地域は「少数民族地域」として扱われ、キリスト教徒が決定した法律や制度の中に生きることを求められ、政治力も失い不利益を被るようになっていきました。

このような不利益は、経済格差という形で顕在化するようになり、何世代にも渡る貧困の連鎖が続くようになってしまいました。

 

武装組織による反政府闘争

政治的締め出しからくる経済的不利益は、かつてのミンダナオの自治的社会の復活を求める声に繋がっていき、冒頭のモロ・イスラム解放戦線(MILF)のようなイスラム武装勢力による反政府活動が活発化することになりました。

1990年、ミンダナオのムスリム勢力に厳しい態度で臨んだマルコス政権が崩壊した後、政府はムスリム・ミンダナオ自治区を発足させ、1996年には穏健派のモロ民族解放戦線の議長ミスアリが知事に就任しました。

そして今回の「バンサモロ基本法」により、強硬派のモロ・イスラム解放戦線も参加した上で、南部ミンダナオ島に設立されるバンサモロ自治政府には高度な自治が認められ、予算の立案や執行権を有するようになります。

しかし、ムスリム以外の非キリスト教徒の存在もあるし、同じムスリムでもアブ・サヤフのように厳格なイスラム法に基づいたイスラム国家を求めテロ活動を行う者など、到底一枚岩にはなれそうにはなく、安定と平和が訪れるのはまだ通そうです。

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まとめ

フィリピンの歴史はさほど古いものではないのですが、様々な民族や宗教がモザイクのように入り混じり、スペイン、イギリス、オランダ、アメリカなどの欧米列強によって翻弄された複雑な歴史を持ちます。

日本も第二次世界大戦でフィリピンを占領したこともあり全く他人事ではないのですが、どこか遠く、異世界の出来事のように感じてしまいます。

近代的国家の枠組みの中でミンダナオを安定させようとするならば、ムスリムや非キリスト教徒の声が反映されやすい政体となり、インフラ投資と教育投資を進めて国土と国民を均一化させ、投資を呼び込んだり、観光インフラを整えて雇用を生み出すという方向性しかないと思います。おそらくフィリピン政府もこのような方向を志向しているはずです。

しかし言うは易し行うは難しで、これが達成できるのは果たしていつになるのか。

前途多難です。

現代フィリピンを知るための61章【第2版】 (エリア・スタディーズ)

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参考文献

岩波講座 世界歴史<23> アジアとヨーロッパ 「ミンダナオの近代 - フィリピン国家形成下のマイノリティ化-」早瀬晋三