歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

幻に終わったナチス・ドイツの「アメリカ本土爆撃計画」

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Attribution: Bundesarchiv, Bild 146-1995-042-37 / CC-BY-SA 3.0

ニューヨークを廃墟にするというヒトラーの妄想 

第二次世界大戦中、連合軍の攻勢が激しくなりドイツ軍が苦境に陥ると、ヒトラーは現実を直視せずに妄想を語ったり、部下を手当たり次第に怒鳴り散らしたりなどの奇行が目立つようになり、映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜 」でも描かれたような、精神錯乱状態に陥っていきました。

ヒトラーの憎悪の矛先はアメリカに向かい、ニューヨークを爆撃し焦土とする妄想に取り憑かれるようになりました。

ヒトラーがもっとも信頼した政治家の1人で軍需省長官アルベルト・シュペアーは、ヒトラーからニューヨークがどのようにして猛火で覆われビルが崩落していくかの妄想を語られたそうです。

 このヒトラーの妄想はとうとう実現はしませんでしたが、ドイツ軍にて具体的に検討されていました。

 

1. 量産型爆撃機Bv222でのニューヨーク攻撃

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Attribution: Bundesarchiv, Bild 146-1978-061-09 / CC-BY-SA 3.0

燃料の途中補給を受けてアメリカ東海岸に到達する計画

ドイツ空軍のディートリヒ・シュベング大佐のグループは、1942年4月27日に「大西洋横断爆撃計画」を立案。上司であるヘルマン・ゲーリングに提出しました。

空襲のターゲットはアメリカ東海岸のアルミニウム工場や航空機エンジン工場、武器工場です。

問題は航続距離でした。

シュベングはレポートの中で、補給無しで大西洋を渡れる航空機は、試作段階の爆撃機メッサーシュミットMe264だけである、としました。開発がうまくいくかわからない試作機だと計画は現実的ではない。

しかし、もし中立国ポルトガルのアゾレス諸島に立ち寄って補給を受けることができるのであれば、量産型の航空機ブローム・ウント・フォスBV222(上記の写真)であれば可能である、と考えました。

同様に、ドイツ空軍の爆撃専門家ヴィクター・フォン・ロスベルク大佐もBV222ならばニューヨークの爆撃が可能と主張しました。彼のプランでは、ニューヨークの沖合1,280キロにUボートを待機させて海上で燃料と爆弾の補給をし、BV222をニューヨークに向かわせ爆撃を敢行する、というもの。

ロスベルグ大佐は「誰もやらないなら、俺自身が操縦桿を握ってやる」とまで主張。BV222を製造するブローム・ウント・フォス社もこのプランを支持し、積極的に空軍に働きかけましたが、最終的に空軍参謀総長ハンス・イェションネク将軍に却下されました。

 

2. メッサーシュミット社の長距離爆撃機開発計画

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Attribution: Bundesarchiv, Bild 141-2474 / CC-BY-SA 3.0

あまりに開発スケジュールが遅れたためお蔵入りとなった長距離爆撃機

ヘルマン・ゲーリングはたびたび大西洋を横断できる爆撃機の重要性を説いていました。

私は、5トンの爆弾を搭載してニューヨークまで往復できる爆撃機を一つも有していない。向こうからやってくる尊大な連中の口を封じられる爆撃機があれば、とても幸福に感じるに違いない。

これに応えたのが航空機製造の最大手・メッサーシュミット社。

同社は1937年に長距離爆撃機Me261の開発を決定しました。予定では、1940年までに開発を終え、1940年の東京オリンピックのためベルリンから東京まで聖火をノンストップで運ぶ予定でした。しかし、メッサーシュミット社の開発エンジニアたちが忙し過ぎてリソースが足りず、設計が始まったのは予定を大幅に過ぎた1940年半ばでした。

メッサーシュミット社の社長はヒトラーに対し「いつでも使えます!」などと大口を叩いたのですが、試作機3機が完成したのは1942年12月。

 メッサーシュミット社はニューヨーク爆撃のために28機を製造するつもりでしたが、あまりにスケジュールが遅れたため計画は打ち切りになってしまいました。

 

3. ユンカース社Ju390の幻のニューヨーク往復飛行 

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ニューヨークに実際に飛行したという噂のある爆撃機

長距離爆撃機の開発はユンカース社やフォッケウルフ社、ハインケル社など、ドイツの航空機製造会社が開発を競い合っていました。

最大手・メッサーシュミット社がMe261の失敗で競争からドロップアウトしてしまった後、最も有力となった機体がユンカース社の「ユンカースJu390」。

6個のエンジンとプロペラがついた、超ド級の重爆撃機です。

ユンカース社はJu390を「ニューヨーク爆撃機」とニックネームを付けて積極的にプロモーションしました。おかげで26機の注文をドイツ空軍から受注したのですが、2機を製造しただけでキャンセルを食らってニューヨーク爆撃計画自体も頓挫してしまい、唯一製造された2機も、連合軍の接収を恐れたドイツ空軍によって破壊されてしまいました。

しかし戦後、実はJu390は秘密裏にニューヨークまでの飛行に成功していた、という噂がたちました。

一つは1944年末にフランスの空軍基地から出発し、ニューヨーク北方の東海岸から19キロまで達した、というもの。もう一つは1943年8月にノルウェーのベルゲン郊外の飛行場から離陸し、アイスランド上空で航空給油を受けつつ、ニューヨーク上空を通過した、というものです。

実際のところ、この話はドイツ空軍の記録文書にまったく存在せず、出自も不明な話で本当かどうか分かりません。

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4. 史上初のステルス爆撃機の開発

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時代を先取りしたナチスドイツのステルス爆撃機

ユンカース社も失敗してしまい、もはや大手のメーカーで真面目に長距離爆撃機の開発を行う会社がなくなってしまいました。

連合軍の攻勢で戦況が悪化し各メーカーとも主力機の製造に注力し、正統派の技術者は匙を投げてしまいました。

しかし、まったく別のアプローチからこの課題に取り組んだのがライマール・ホルテンとヴァルター・ホルテンのホルテン兄弟。

彼らはまだ30代と若く、まったく柔軟な発想で「全翼」かつ「ターボジェットエンジン」を搭載することで、最高時速1,500キロで高度15,000キロを飛行し、2トンの爆弾をニューヨークに投下。無補給でドイツに帰還するという夢のような爆撃機の試作に成功しました。

さらにホルテン兄弟は、木炭の粉と木材用接着剤を混ぜて機体をコーティングすることで、敵のレーダーに探知されにくくするというアイデアを実現。

史上初のステルス機の誕生の瞬間で、後に湾岸戦争で世界を驚かせたアメリカ空軍のステルス機「F-117ナイトホーク」よりも40年も先んじていました。

1945年初頭にエンジン付きの機体はテスト飛行中に出火してしまい大破。ホルテン兄弟は開発を急ぎますが、間に合うことなく終戦を迎えました。

 

5. 海面ミサイル発射基地建設計画

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最も現実的?なニューヨーク爆撃方法

技術者のボードー・ラフェレンツは、爆撃機ではなくV2ミサイルを用いてニューヨークを攻撃することを主張しました。

現在は大陸間弾道ミサイルがありますが、当時はそのようなものはない。

じゃあどうやってミサイルを届かせるかというと、Uボートで浮上式のミサイル発射台を曳航し、ニューヨーク沖合160キロまで引っ張ってきて、そこからミサイルを発射するというものです。

確かに、爆撃機と比べたらコストもお安く済みそうで、現実的に思えます。

開発は1945年初頭から始まりましたが、開発中に工場がソ連軍に占領されてしまったため、陽の目を見ることはありませんでした。

 

6. 大気圏からのニューヨーク爆撃

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Work by Esadof

大気圏をホッピングしてニューヨークに爆弾を投下する

さらに突飛な方法を提唱したのが、オーストリアの技術者オイゼン・ゼンガー。

彼が主張したのはどちらかというと宇宙工学に近い発想。

ロケット発射台から弾道飛行機「シルバー・バード」を発射して高度1,675メートルまで到達させ、内蔵したロケットエンジンを点火。

高度145キロの大気圏まで到達させ、そこで密度の濃い大気層の上をホッピングさせてニューヨークまで飛行し爆弾を投下。その後は太平洋を超えて同盟国・日本の領土内に着陸させるという計画です。

文字だけ読んでもとんでもねえ計画です。

ゼンガーはドイツ空軍に開発の支援を求めますが、あまりにも突飛だったためか、空軍大臣に1941年末に開発の中止を命令されてしまいました。

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 まとめ

必要は発明の母と言いますが、需要とカネがあれば、技術革新と創造性がとてつもないスピードで進んでいくのが分かります。

まともな感覚の人は、ステルス機とか大気圏飛行とか思いつきもしませんよね。このような素晴らしい創造性が兵器の開発に活かされてしまったのは非常に悲しい話ではあります。

あと、ニューヨーク爆撃が「必要」だったとはとてもじゃないけど思えません。

 

参考文献・サイト

第二次世界大戦のミステリー  悠書館 ジェレミー・ハーウッド