歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【世界史】史上最もたくさんの子どもを作った王様トップ10

f:id:titioya:20180721141009j:plain

とんでもない数のタネを残した偉大な絶倫王たち

もし王様として生まれたら、毎晩女をとっかえひっかえできるのになあ、と考えたことのある男子は多いと思います。

全ての王様がそのようなことができるとは限りませんが、今日の記事はそんな野郎どもがときめく夢のあるお話かもしれません。

正妃以外にあちこちに愛人や妾を作って、子どもを作りまくった王様が歴史上にたくさん存在します。今回はそのトップ10をまとめてみます。

この内容を不快に思う女性の方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。事前に謝っておきます。

 

10位:ラムセス2世(エジプト新王国第19王朝)100人以上

f:id:titioya:20180721135951j:plain

Photo by Hajor

古代エジプトの征服王

ラムセス2世は紀元前14世紀〜紀元前13世紀にエジプト新王国第19代ファラオであった人物。

北はパレスチナ、南はヌビアにまで軍事遠征して領土を広げた偉大なる征服王です。

さてラムセス2世は相当な子沢山で有名で、3000年以上も前の人なので正確な数字はもちろんわからないのですが、少なくとも100人以上の子どもはいたと言われています。

英語版のwikipediaにラムセス2世の子ども一覧のページがあります。これによると48〜50人の息子と、40〜53人の娘を儲けたそうです。

しかし紀元前1200年代の人間のことがここまで細かくわかるなんて、本当に古代エジプト人って記録魔だったんですね。

 

9位: サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ(サウジアラビア)106〜115人

f:id:titioya:20180721135717j:plain

偉大な父の跡を継いだ第2代サウジアラビア国王

サウジアラビア王家と言えば、多額の石油マネーで超絶リッチ生活をおくれる上に、イスラム法で認められた一夫多妻制のもとでたくさん妻がいるというイメージがあります。

第2代サウジアラビア国王サウード1世の家族図を見ると、このイメージも間違ってないのではと思ってしまいます。

サウジアラビア初代国王イブン・サウードは89人の子どもがいて、第2代から第7代(現国王)のサルマーンも含めてすべて初代国王の子どもです。

これでも凄いと思いますが、サウードは初代国王以上の子を儲けました。

実は公式にはサウードの子の人数は明らかになっておらず、一説によると彼には52人の息子と54人の娘、合計106人の子がいるそうですが、もっといて115人という説もあります。

サウードは初代国王イブン・サウードの次男で、長男は早死にしているので、もし初代国王の息子が全員死んだら、次はサウード1世の家系で王位を独占できると考えたのかもしれません。

ですが、次期国王は現国王の子で改革派のサルマン皇太子ということになっています。サウード1世はあの世で地団駄踏んで悔しがっているかもしれません。

 

8位:ボードパヤー王(コンバウン朝ビルマ)120人

f:id:titioya:20180721140219j:plain

ビルマの西進を進めた征服王

ボードパヤー王はコンバウン朝ビルマの第6代国王で、歴代のコンバウン朝の国王が進めてきた対外膨張政策の絶頂期を作った王です。

1784年に現在のミャンマー南西部にあったアラカン王国を征服し、さらに東北インドのアッサムとマニプールの藩王にも忠誠を誓わせました。

結局これがインドを支配するイギリスを刺激して英緬戦争に繋がり、ビルマがイギリスの植民地となる遠因となってしまいます。

さてボードパヤー王は征服欲だけではなく性欲も相当なものだったようで、62人の息子と58人の娘を儲けています。

英語版のwikipediaに彼の子ども一覧がありますが、これは圧巻です。

 

7位:明命帝(阮朝ベトナム)142人

f:id:titioya:20180721140202g:plain

反外国・反キリスト教政策を進めた苛烈な国王

明命帝は「ミンマン帝」と呼び、副王レ・ヴァン・ジェットがフランスの軍事力を背景に設立した阮(グエン)朝の2代目です。

初代のジャロン帝(嘉隆帝)は第二夫人の息子グエン・フック・ダムを王位に就けようとしますが、レ・ヴァン・ジェットはこれに反対していました。結局グエン・フック・ダムがミンマン帝として第2代国王に即位し、ミンマン帝はレ・ヴァン・ジェットの死後彼の墓を暴き、これに反発した息子を追い詰めて殺害。その後レ・ヴァン・ジェットと結んだフランス勢力を排除するために鎖国政策を採りました。

ミンマン帝の政策は徹底しており、沿岸に近づいてくる外国船は全て砲撃。国内のキリスト教徒は全て死刑にし、教会もすべて破壊するという徹底っぷりでした。

 さてそんなミンマン帝には妻が400人以上おり、子どもは142人もいたそうです。

 ちなみにミンマン帝の10番目の息子で詩人のタング・ティエンは、父を超える144人の子どもを儲けています。阮朝の一族は皆性欲が凄かったのかもしれませんね…。

 

6位:スルタン・イブラヒム・ニヨヤ(バムン王国)177人

f:id:titioya:20180721135629j:plain

国を近代化させようとした開明君主

バムン王国は現在のカメルーンにあった王国。

スルタン・イブラヒム・ニヨヤはバムン王国を西洋列強に対抗するために近代国家として生まれ変わらそうと尽力した王で、非常に難解なバムン語をアルファベットに対応した文字に作り変え、さらに教育システムを充実させて子どもを学校に通わせました。知識と人材こそが国を発展させると分かっていた英明な君主ですね。

敬虔なムスリムであるニヨヤ王は数多くの妻を娶っており、その数は600人以上。それらの妻との間に儲けた子どもは177人にもなると言われています。

しかしニヨヤ王の治世にバムン王国はフランスの軍事侵攻を受け、ニヨヤ王は捕らえられて処刑されてしまいました。

PR

 

 

5位:ウスマーン・アリー・ハーン(ニザーム藩王国)200人

f:id:titioya:20180721135747j:plain

インド地方政権ながら当時の世界最大の金持ちだった男

ウスマーン・アリー・ハーンは、大都市ハイデラバードを有しインドで最も富裕な藩王国であったニザーム藩王国の第10代国王。

1947年にインドとパキスタンがイギリスから独立した際、ニザーム藩王国はどちらの国の一部となるかで揉めました。住民の大半はヒンドゥー教徒でしたが、国王ウスマーンはイスラム教徒であったためです。

当時は既にイスラム教国として西のパキスタンと東の東パキスタン(現バングラデシュ)が独立しており、インド政府はデカン高原という国内の土手っ腹に「中央パキスタン」が出現することを大変恐れていました。

1948年にインド政府はニザーム藩王国に経済的圧力をかけた上でインド軍を侵攻させて併合。ニザーム藩王国は消滅しました。

最後の国王ウスマーン・アリー・ハーンは当時世界最大の金持ちだったそうで、当時のインド政府の国家収入をも上回る資産を有していました。

しかもイスラム教徒で一夫多妻が認められるということで、3人の妻に42人の側室を抱え、200人の子どもがいたそうです。

地方政権でこれだけの家族を抱えられる富ってすごいですよね。

 

4位:ソブーザ2世(エスワティニ王国)210人

f:id:titioya:20180721135644j:plain

部族国家をまとめあげた王国中興の祖

エスワティニ王国は聞き慣れないかもしれませんが、南アフリカの内陸の小国スワジランドのことです。2018年4月にスワジランドという国名を現地語でスワジ人の国という名のエスワティニに改めました。

現国王ムスワティ3世の父ソブーザ2世は、イギリスの植民地時代から王位に就き、その82年の王位の中でイギリスからの独立、イギリス人所有の土地のスワジ人への返還、国王親政の導入など現在のエスワティニ王国の形を作った、いわば国の中興の祖です。

ソブーザ2世は国をまとめるにあたって、大小含め王国各地の部族の娘を娶ったため、70人の妻がいたと言われています。そして妻たちとの間に儲けた子どもは210人にも登ったと報告されています。

ソブーザ2世が亡くなったのは1982年のこと。こんなに子沢山の男がつい最近までいたって信じられません。

 

3位:アウグスト2世(ポーランド)365〜382人

f:id:titioya:20180721135614j:plain

ヨーロッパ各地に愛人や妾を作ったと言われるプレイボーイ国王

ポーランド=リトアニア共和国の国王及びザクセン選帝侯アウグスト2世(ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世)は、「強健王(Mochy)」というあだ名で知られ、その名の通り怪力で、素手で蹄鉄をぶち破ったというエピソードは有名です。

英雄色を好むという格言通り、同時代の人物の証言によると、アウグスト2世は大変な女好きのプレイボーイで、ポーランドやザクセンのみならず、外遊先でも美人を見つけては自室に連れ込むのを好み、365人〜382人の子を作ったと言われています。

ただしこれはアウグスト2世のマッスルっぷりを脚色した伝説である可能性が高く、実際に記録に残っている子どもは9人であるそうです。

また、素手で蹄鉄をぶち破ったエピソードも、使い古してボロボロになった蹄鉄を破壊してみせただけにすぎず、人々を驚かすための演出としてやっていたらしいです。空手の瓦割りみたいなもんだったんですね。

 

2位:ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフ(アラウィー朝モロッコ )888人〜1,171人

f:id:titioya:20180721135701j:plain

英雄色を好むを地でいくモロッコの「戦士王」

ムーレイ・イスマーイル・イブン・シャーリフは、モロッコにあったアラウィー朝の第2代スルタン。

「戦士王」とあだ名がつけられたほど戦いに明け暮れ残虐な王として名高く、国内の反乱を粉砕し、オスマン帝国と戦い独立を維持し、スペインやポルトガルと戦い、地中海に繰り出しては貿易船を捕らえてキリスト教徒を拉致していました。

拉致したキリスト教とは奴隷として働かせ、帰国させるには膨大な身代金を要求し、この海賊ビジネスで大いに国庫は潤ったのでした。

 ムーレイ・イスマイーイルの子どもの数も諸説あり、少ない説でも888人。

1704年にモロッコを訪れたドミニコ・バスノフという人物は、ムーレイ・イスマーイルには妻4人、妾500人、子どもが1,171人いると記録しています。

果たしてそんなことが可能なのかという疑いもありますが、Live Scienceによると、24歳から56歳になるまでの32年間毎日子作りをしたのであれば1,171人もの子を儲けることができる可能性があるそうです。

とんでもないバケモンですね。

PR

 

 

1位:チンギス・カン(モンゴル帝国) 1,000人〜2,000人

f:id:titioya:20180721135758j:plain

1,600万人の子孫がいると言われる「現代人のゴッド・ファザー」

ご存知、モンゴル帝国を築いた英傑チンギス・カンは、その征服戦争の過程で3,000人以上もの妻を娶り、その子どもは少なくとも1,000人、多い場合は2,000人とも言われます。スケールが違いすぎます。

 ムーレイ・イスマイーイルが32年間毎日子作りをして1,171人の子を儲けることができるということなので、2,000人も子どもを作ろうとすると、10代前半から65歳で死ぬまで毎日子作りをしたということになります。ちょっとそれは非現実的な気もしますが、チンギス・カンが大量のタネを残したのは確かで、現在チンギス・カンの男系子孫は世界に1,600万人存在するそうです。

モンゴル帝国は領土で世界を制しましたが、生物としても世界を制しているわけですね。

rocketnews24.com

 

まとめ

恋人や奥さん1人ですら持て余すのに、数十人・数百人もの妻・愛人・妾を抱えてまだ飽き足らぬ男はやっぱり超人です。

それに子どもを作りまくった結果たくさんの子孫を残しているという、強いオスが子孫を残すという自然界の法則というか、人間の動物的な部分が見えて興味深いです。

 なお、今回は出自も怪しい俗説も含めてご紹介しました。

ちゃんと裏がとれて確認がされている数字だと、このランキングももうちょっと変わってくるはずです。

 

参考サイト

物語 ビルマの歴史 - 王朝時代から現代まで  根元敬 中公新書

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム 小倉貞夫 中公新書

"Tản Mạn về ông vua có nhiều con nhất trong lịch sử Việt Nam"

King Saud Famili Tree(web archive of 2016)

 "Osman Ali" Encyclopedia Britanica

"Ramses II" Encyclopedia Britanica

"King Ibrahim Njoya Ruler of Bamum in Cameroon" Africani Snkofa

"Sobhuza II" Encyclopedia Britanica

"Swazi Culture Succession In Swazi Kingship"

"He Had Sex Every Day For 32 Years And Fathered 1171 Children" GOSTRA