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【古代インド】ヒンドゥー教はどのように成立したか

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馴染みがあるようでないヒンドゥー教について学ぼう

 我々に馴染みが深い仏教の教えは、その大部分が古代インドの思想がバックボーンにあります。

輪廻転生とか諸行無常とか縁起とか、すべてインド人の発明です。 

 しかし、いまインドの宗教のマジョリティであるヒンドゥー教は、シヴァ神とかパールヴァティとかガネーシャとか、我々とは全く異質の世界です。

今回は、古代インドの思想の発展とヒンドゥー教の成り立ちについて見ていきたいと思います。

 

1. ヴェーダの宗教の成立

紀元前1500年ごろ、北半球の寒冷化と大規模な乾燥化により、イラン北東部に住んでいたアーリア人がヒンズークシュ山脈を超えてインドに大移動しました。

インダス河流域には、衰退したものの健在のインダス文明が存在し、アーリア人はインダス文明の担い手であった先住民と戦って土地から追い出したり、支配に組み込んでいきます。

北インドの新たな支配者となったアーリア人は、新たな文明社会を作っていくにあたって、サンスクリット語の一種を使って「ヴェーダ」と呼ばれる文献群を作成しました。

ヴェーダとは「知識」という意味で、神々への賛歌・神話・哲学などを網羅した一大宗教知識群です。

ヴェーダは「聖仙が神秘的霊感によって会得したもの」であり、故に作者は存在せず、この世が始まった時から存在するため、永久に消滅することはない普遍的価値観であると見なされました。

実際、ヴェーダはその後のインドの精神世界で絶対的な権威を持つことになります。

 

最古のヴェーダ「リグ・ヴェーダ」

ヴェーダの中で最も有名かつ重要なものがリグ・ヴェーダです。

リグ・ヴェーダは神々に捧げられた1,000以上もの歌が収められたもので、自然現象や自然そのものを神に見立てて崇拝したもの。

そういう意味で多神教的・アニミズム的な発想なのですが、神々は特に明確な個性があるわけではなく、呼び方や業績や属性がゴチャゴチャになっており、祭祀のたびに主神がコロコロ入れ替わるまとまりのないものとなっています。

後に神々のキャラクターの整理と統合の余地を残しながらも、ヴェーダの宗教の信仰は社会運営の中心としてアーリア人社会に根付いていきます。

 

カースト制の概念の成立

もう一つこの時代に成立した重要な概念が「カースト制度」です。

今や時代錯誤の身分制度とみなされ悪名高いですが、元々の発想は「社会を一つの有機体と考え、ある層に属する人間が自分の役割分担をきちんと果たすことで、社会全体が確実に運用されるようにする」というものです。

この当時はカーストは4つで、「バラモン(司祭)」「ラージャニヤ(王族)」「ヴァイシャ(庶民)」「シュードラ(隷民)」のみ。この4つの区分は「ヴァルナ(色)」と呼ばれ、4区分による身分秩序の枠組みを「ヴァルナ制」と呼びます。

 

2. バラモン教の成立とウパニシャッドの登場

紀元前1,000年ごろ、鉄器が普及したことで農業生産効率が上がり、小麦やコメの栽培が普及し農耕を中心とした社会が拡大したことで、社会にも変化が現れるようになります。

 

ヴェーダ信仰の祭祀を司るバラモン階級が特権化し、彼らが行う儀式自体が「神を取りまとめ宇宙を動かすための儀式」であり神聖なものであると見なされるようになっていきました。 

そうしてバラモン階級は支配的な地位となり、ヴァルナ制は次第に身分制度と同義となり、4つのヴァルナが細分化して様々な身分が生まれカースト制度が整っていくことになります。

 

これに対し、紀元前900年から紀元前600年の間にバラモンの宗教の問題に挑戦した一派が現れました。

彼らは「バラモンの祭祀はそれ自身が直接的な影響や行為を与えるものではなく、人の内面的な変容を象徴的に表したものにすぎない」と考えました。

そこでバラモン階級の様々な儀式を紐とき、個人に属する内面的な態度や行為に適合させ考察を行いました。

それらの考察をまとめた文書群を「ウパニシャッド」と呼びます。

ウパニシャッド哲学の核心は「梵我一如」の言葉で表されます。梵我一如とは、「アートマン」と「ブラフマン」が究極的には同一であるという考え方。

ブラフマンは宇宙を創造し維持している精神的な力であり、アートマンはブラフマンの一部である個人の精神・魂で、不変・不死の存在である。アートマンは不死であるから、人が死んで肉体が滅びても、アートマンは死なずに新たな肉体に「転生」すると考えました。

「霊魂不滅」と「輪廻転生」の概念はこうして発明されました。

 

当初はアーリヤ人は人生に対し楽観的な感覚を持っていたため、転生は良いことと考えられましたが、紀元前800年頃から「人生の喜びとははかないものであり、虚しいものだ」という感覚が一般的になりました。

虚しい人生を繰り返すことは悪であるため、転生をどうにかして避けなければならない。

そうして、この世の真理を悟ることで解脱し、輪廻から脱出することを目指す考えが生まれます。そして、解脱をするには思索をめぐらさなくてはいけないので、「瞑想」が重視されるようになりました。

瞑想を行い思索をめぐらせることで、宇宙の原理であるブラフマンと各個人が持つアートマンを合一させ、最終的に解脱することが人間の本質的な生き方であるという考え方は、後に理論的に整備されインド正統派哲学の根幹となっていきます。

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3. アースティカとナースティカ

伝統的なヴェーダの教えを基本にしてウパニシャッド哲学を取り入れた正統派バラモン教は「アースティカ(あると答えた者)」と呼ばれます。

正統派のアースティカは歴史的に6つの学派を形成するようになり、互いに形而上学的論争を繰り広げるようになります。

 

3-1.ヴァイシェーシカ学派

ヴァイシェーシカ学派はインドの自然哲学。この世の全ての物質は究極的には無数の原子の実在で成り立っているという考えです。一つの物体は実在で、その物体の諸部分(頭や手など)もそれぞれ別の実在で、さらにそれら諸部分に多くの実在があり、最終的には分割が不可能になる原子まで続く、という考えです。

 

3-2. ニヤーヤ学派

ニヤーヤ学派もヴァイシェーシカ学派と似たような実在論を採りますが、観念は世界にそのまま存在するという独自の実在論を発達させました。「緑の葉っぱ」が目の前にある時、仏教だと人間の知覚によって「緑」も「葉っぱ」も認識されると考えますが、ニヤーヤ学派は外の世界に既に「緑」「葉っぱ」という観念が存在すると考えたわけです。ニヤーヤ学派はしだいに有神論に近づき、主宰神の存在の証明を試みるようになります。

 

3-3. サーンキヤ学派

サーンキヤ学派もニヤーヤ学派と同様、観念は外にあると考えますが、宇宙の根本原理として精神と物質の2つが存在し、世界のあらゆる事柄や結果は物質の中に既に内在していると考えました。また、精神が物資との結合を離れた時、輪廻の生存が絶たれ解脱に至るとしました。

 

3-4. ヨーガ学派

ヨーガ学派はサーンキヤ学派と基本的な考えを同じくしていますが、サーンキヤ学派が主宰神を認めないのに対し、ヨーガ学派は初めから主宰神の存在を認めているのが違いです。ヨーガ学派はヨーガを行うことで精神から物質を引き離し解脱することを目指しました。

 

3-5. ミーマンサー学派 

ミーマンサー学派はヴェーダの本質は「人に宗教的義務を果たさせる」ことにあるとしており、バラモンが祭祀を行うことによって天界が応え、世界が働くと考えました。 

 

3-6. ヴェーダーンタ学派

ヴェーダーンタ学派はウパニシャッドの考えを取り入れつつ、ヴェーダの本質を祭祀ではなく「知識」にあると考えました。バラモン教とウパニシャッドのハイブリッド的考えです。この考えは後にバラモン教の主流派となっていきます。

 

反バラモンの宗教ナースティカの登場

 一方で、紀元前600〜500年ごろに正統学派に対するカウンターとして様々な自由思想家が登場します。その中にはバラモン教に反しヴェーダの権威を否定したり、神や来世の存在自体を疑う一派もあったため、彼らは総称して「ナースティカ(ないと答えた者)」と呼ばれます。

 

ナースティカの中で最も重要な一派が仏教です。

仏教では、ウパニシャッドの基本的な考え方を受け継ぎつつも、アートマンは不変不死であるという考え方を否定し、この世の物事は全て変化し続けるため、人の魂も常に変化し続けると考えます。そして、激しい修行や禁欲、断食などは解脱のためには不要で、何事も中庸が望ましく、正しい教えの元で正しい生活と正しい行動を取り、正しく瞑想し安静状態を得られると解脱できると説きました。

 

もう一つの有力な教えがジャイナ教で、ヴェーダの権威を否定し、無神論的思想を説きました。ジャイナ教では解脱をするためには「カルマ(業)」を取り除くことが必要と考えました。殺生行為を行うとカルマが溜まっていくとされたため、動物の殺生を禁じ菜食主義を徹底することで、カルマのポイントを限りなくゼロにすることを目指しました。

特に仏教はクシャン朝時代に国家によって保護され、北インドに広く普及しました。

 

4. ヒンドゥー教の成立

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紀元後4世紀から北インドを中心に集権的な国家体制を築いたのがグプタ朝です。

グプタ朝ではヴェーダ思想を基本とした国家が築かれ、絶対的権威を持つ王を支える存在としてバラモンが重要な役割を果たしました。

バラモン教の法典が整備され、文学や詩など文化面でも古典を中心とした作品が成立します。二大叙事詩であるマハーバーラタとラーマーヤナが成立したのはこの頃です。

グプタ王権が文化・民族の異なる広大な地域を支配するにあたって利用したのがヴェーダで、伝統的な宗教をコアとしながらも各地の自然崇拝や民間伝承などローカルな思想や信仰が取り込まれていきました。そうして成立したのがヒンドゥー教です。

それまでヴェーダではマイナーな神様だったヴィシュヌ神やシヴァ神が最高神に位置付けられるようになり、地方のローカル神や守護霊がヒンドゥーの神様と同一視されたり、化身と考えられるようになっていきました。

 そうしてグプタ王権の拡大とヒンドゥー教の普及は二輪となり、インド各地を覆っていくようになり、それまで隆盛を誇った仏教やジャイナ教は駆逐されていき、特に仏教はネパールやチベット、スリランカ、東南アジアに渡り、インド国外で熱心に信仰されるようになっていくのでした。

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まとめ

古代のヴェーダを基礎にし、ウパニシャッドの教えを取り入れたバラモン教を基礎にして、各地の民間伝承や宗教を取り込みながらヒンドゥー教は成立していきました。

ヒンドゥー教の物語や神様はたくさんあって、例えばシヴァの物語や分身だけでも覚えられないほどたくさんありますが、それは各地の伝承を採用し取り入れていったからで、恐らく今のインドでも地域によって認識されているヒンドゥー教の形は違うものなのではないかと思います。

 

参考文献・参考サイト

 「ヒンドゥー教とインド社会(世界史リブレット)」 山下博司 山川出版社

ヒンドゥー教とインド社会 (世界史リブレット (5))

ヒンドゥー教とインド社会 (世界史リブレット (5))

 

インドの自然観 ヴァイシェーシカ学派の自然観 --インド多元実在論哲学の自然観
野沢正信著