歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【未解決】ある日突然消息不明となった有名人

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行方が分からず遺体も発見されていない著名人たち

近年、失踪者・行方不明者が注目を集めています。

2016年の日本の行方不明者は84,850人で、家出などが多いのですが、大半が警察の捜査などで発見されます。しかし発見されずに失踪者扱いされるのが985人もいます。

日本で1000人近くいるとなると、世界で合計すると何十万単位で毎年失踪しているんじゃないでしょうか。これまでの数を累計すれば、とてつもない数になります。

当時の有名人・著名人も例外でなく、歴史上も多くの人物が失踪し大ニュースになっています。

 

 1. カーチャル・アボヴィアン 1849年失踪(アルメニア)

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散歩に出かけたまま失踪した「アルメニア文学の父」

カーチャル・アボヴィアンはアルメニアの作家・教育者。

1858年に東部アルメニア方言を元にした「近代アルメニア語」を用いて、同国初の小説「Wounds of Almenia」を出版しました。この功績が高く評価され、ソヴィエト政府統治下では「アルメニア文学の父」と賞され、国民的な知名度を誇る人物となりました。

1848年4月14日、アボヴィアンは早朝に散歩に出かけ、二度と戻って来ませんでした。

現在でも彼の失踪は未解決のままとなっています。

不思議なことに、妻エミリアはアボヴィアンが失踪後1ヶ月間警察に報告しなかったので、妻が何らの鍵を握っているかもしれません。が、今となっては真相は闇の中です。

 

2. ジム・トンプソン 1967年失踪(アメリカ)

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ジャングルに消えた「タイのシルク王」

ジム・トンプソンはタイのシルク製品を世界に広めた人物として有名です。

彼が作ったブランド「JIM THOMPSON」は世界的に有名で、タイ旅行のお土産の定番となっています。 

ジム・トンプソンはCIAの前身機関であるOSS(戦略事務局)の諜報員としてタイに滞在していましたが、タイのシルクに魅せられ製品化に乗り出し、タイの政財界とも太いパイプを作り商業的に成功を収めました。 

ところが1967年3月26日、知人が所有するマレーシア・クアラルンプール北方の高級避暑地キャメロン・ハイランドにある「ムーンライトコッテージ(月光荘)」に滞在中、散歩に出たまま行方不明となりました。

<pマレーシア軍や警察、住民などにより大規模に捜索が行わましたが発見できませんでした。

この事件は未だに人々の興味を惹きつけ、遭難説や自殺説など数多くの説が存在しますが、2017年に「マレーシア共産党が殺害した」という有力な説が急浮上しました。

www.newsweekjapan.jp

 ジム・トンプソンはタイの首相プリーディーと懇意であったため、その関係でマレーシア共産党との接触のためにキャメロン・ハイランドに訪れていたが、態度を硬化させたマレーシア共産党により殺害された、ということです。

ありそうな話ではありますが、果たして真相は…。

 

3. ラウル・ワレンバーグ 1945年失踪(スウェーデン)

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ユダヤ人を救ったスウェーデン外交官

第二次世界大戦末期、ナチスドイツによるユダヤ人ホロコーストは既に世界中に知れ渡っていましたが、具体的なアクションにはどの国も及び腰で、時間だけが過ぎていきました。

そんな中、中立国の外交官たちが立ち上がり「戦争難民局」を設立。ユダヤ人を中立国に逃すための活動を本格的に開始しました。

これを率いたのが駐ブダペストのスウェーデン外交官ラウル・ワレンバーグ。

当時ハンガリーは枢軸国側についており、ハンガリーを率いるファシストの矢十字党はホロコーストにも加担していたため、ラウル・ワレンバーグの身も危険な状況でした。

しかしワレンバーグは、ドイツ軍とハンガリー軍に追われたユダヤ人の行列を捕まえ、保護旅券を使って彼らをブタペストの隠れ家に匿い、最終的に20万人ものユダヤ人救出することに成功しました。

ラウル・ワレンバーグはソ連によるブタペスト占領後、ソ連軍に逮捕され、その後消息を断ちました。

10年後、ソ連は後にワレンバーグは1947年に牢獄で死んだと主張しましたが、確かなことは分かっていません。

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4. ボストン・コルベット 1894年失踪(アメリカ)

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 リンカーンを殺した男を殺した男の末路

 ボストン・コルベットは南北戦争に従軍したアメリカの兵士で、エイブラハム・リンカーン大統領をフォード劇場で暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの追跡隊に従軍していました。

犯人は決して殺害せず生きて捕獲し神の名の下で裁判にかけよ、というワシントンからの命令があったので、追跡隊はバージニア州のタバコ農家の納屋に犯人を追い詰め、火をつけて降参するように迫りました。ところが、コルベットは納屋の壁の隙間から中を見て、思わず引き金を引いてしまった。ジョン・ウィルクス・ブースは脊髄を損傷し、2時間後に死亡しました。

コルベットのとった対応は国を二分する大激論となり、ある人はコルベットを犯人をみすみす殺した愚か者として非難し、ある者はリンカーンの復讐を果たしたとコルベットを英雄視しました。あまりにも大きなストレスを受けたためか、コルベットの精神は荒んでいき、それがためコルベットは定職が定まらずに仕事を見つけては問題を起こしクビになるを繰り返していました。

1887年、コルベットを英雄と慕う人により、カンザス州トピカの町にあるカンザス州下院議会館のドア・ボーイの職を得たのですが、彼は下院議会館の連中は自分を差別していると主張しピストルを振りまわす有様。

コルベットは逮捕されるも、馬に乗って逃げ出し「メキシコへ行く」と言い残したまま姿を消しました。

その後彼の行方はどうなったか分かっていません。

 

5. ライオネル・クラブ 1956年失踪(イギリス)

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ソ連巡洋艦オルジョニキーゼの潜水調査中に失踪

ライオネル・クラブは第二次世界大戦中に活躍した潜水ダイバー。

主にイタリア戦線において、イタリア軍の潜水ダイバーによって戦艦の底に設置された機雷を除去するという大変危険な任務に当たりました。

大戦後はイギリスの諜報機関M16の所属になり、主にソ連の戦艦の潜水調査の極秘任務に当たりました。ところが1956年4月、イギリスのポーツマス港に停泊していたソ連巡洋艦オルジョニキーゼの潜水調査の命令を受けたクラブは、夜間に海に潜った後そのまま消息を断ちました。

ソ連はソ連軍の監視がイギリス側の潜水士を発見したと非難。対するイギリスはコメントを拒否し、クラブの死因は闇に葬り去られてしまいました。

 後に首と両腕がない水死体が発見され、クラブのものではないかと疑われましたが、決定的な証拠がなく、真相は分かっていません。

 

6.ズィグムント・レヴォニェフスキ 1937年失踪(ソ連)

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北極海の横断を目指した「ソヴィエトのリンドバーグ」

ズィグムント・レヴォニェフスキはソ連のポーランド系の軍人で、ロシア革命でソ連に移り住み、その後空軍に入隊してパイロットとなりました。

1933年、レヴォニェフスキは世界一周飛行の最中にシベリアに墜落したアメリカ人パイロット、ジミー・マッターンの救助に参加。翌年には、沈没したチェリュースキン号の生存者の救援に参加し、ソ連邦英雄の名誉称号を授与されました。

1935年8月、レヴォニェフスキら長距離パイロット3人は、モスクワから北極海を越えてサンフランシスコをめざす飛行を敢行し成功。当時は北極海の航空路線の開拓と、対米貿易の拡大に向けた大きな一歩とされ、アメリカ国内でも「ソヴィエトのリンドバーグ」はメディアを通して人気があったのでした。

1937年8月には、再び6人の乗員とともに北極海を横断しアメリカに向かったのですが、悪天候に遭遇し、アラスカ州ノース・スロープ湾付近で連絡が途絶えました。

捜索が行われましたが乗組員はおろか航空機すら発見できませんでした。

 

7. ヘンリー・ハドソン 1611年失踪(イギリス)

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乗組員の反乱にあい置き去りに

ヘンリー・ハドソンはイングランド出身の冒険家で、カナダ北部の海「ハドソン湾」にその名を残しています。

ハドソンはヨーロッパを発って北極海を進むと中国に達すると信じており、フランスやオランダなどの競合国に先んじて北極海の中国航路を開拓することを目指しました。最初の2回の航海では北極海の分厚い氷に遮られて進むことができず、3回目の航海で大西洋北部を進み、アメリカ大陸を北に迂回して中国を目指す航路を探すことにしました。

この航海でハドソンはハドソン湾に達しますが、調査の結果ハドソン湾から太平洋に出る出口はないことが判明。11月ごろに湾が氷が満ちてきたため、ジェームズ湾での越冬を余儀なくされました。

春になって氷が溶け、ようやく航海を再開しようとするも、「もうこれ以上は付き合いきれない」と乗組員が反乱を起こしてしまう。

ハドソンと彼の息子、そしてハドソンのシンパの乗組員を小舟に追放し、イングランドに向けて帰ってしまいました。

その後ハドソン一行がどうなったかは全く不明で、普通に考えたら凍死か餓死をしたものと思います。

 

8. チャールズ・キングフォード・スミス 1935年失踪(オーストラリア)

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 ビルマ沖に消えたオーストラリアの空の英雄

チャールズ・キングスフォード・スミスは、「スミシー」という愛称で現在でもオーストラリア人に人気のあるパイロット。

第一次世界大戦でオーストラリア空軍のエースパイロットとして活躍後、オーストラリアの航空サービスを宣伝するスタントチームに所属。オーストラリア1週を5時間という、当時としては驚異的なスピードで飛行してみせ、人々の度肝を抜きました。

その後、アメリカのカリフォルニアからオーストラリアのブリスベンまで83時間38分、オーストラリアからイングランドまで12日と18時間、翌年には同じコースを10日で単独飛行に成功させるなど、次々と記録を打ち立てていきました。

ところが1935年、スミシーはジョン・ペティブリッジと共に再びイングランドからオーストラリアへの飛行中、ビルマ沖で消息を絶ちました。

飛行機も遺体も発見されていません。

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まとめ

「消息を絶つ」というと、なんだか急にミステリーじみてきて、「何が起こったのだ」「殺されたのではないか」「真実が知りたい」と関心がムクムクと湧いてくるのはどうしたことでしょう。

遺族の気持ちもありますが、関係ない部外者までその消息を知りたくなってしゃしゃり出てくる。事件から数十年もたって、確実に死んでいるに違いないのに、失踪者のその後を時間とお金をかけて探してしまう。

全く合理的でなく、もっと建設的なエネルギーのかけ方はあるはずなのに、そうしてしまうのが人間というものなんでしょうね。

今回は歴史上の「有名な失踪者」のうち、ほんのごく一部をピックアップしたに過ぎません。次の機会にまた書こうと思います。

 

参考サイト

"シルク王ジム・トンプソン失踪の謎解きに終止符? マレーシア共産党による殺害説" NewsWeek

 "戦争難民局 ホロコースト:学生のための教育サイト" United States Holocaust Memorial Museum

"Lionel "Buster" Crabb" Spartacus Educational

 “The Insane Story of the Guy Who Killed the Guy Who Killed Lincoln” WASHINGTONIAN

Khachatur Abovian - Wikipedia

“Polar Mission – Tracing the Last Movements of the 'Soviet Lindbergh'” Sputnik International

“HENRY HUDSON” HISTORY.com

“THE LIFE THAT MADE CHARLES KINGSFORD SMITH AN AUSTRALIAN ICON” NATIONAL GEOGRAPHIC