歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

歴史の舞台裏で暗躍したキングメーカー13人(後編)

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古代から現代まで政局を左右してきた影の実力者たち

歴史を影で動かした 「キングメーカー」の後編です。

前回ご紹介した人物は以下のとおりです。

  1. カウティリヤ (グプタ朝)
  2. アトッサ(ペルシャ帝国)
  3. プラエトリアニ(ローマ帝国)
  4. フラビウス・リキメル(西ローマ帝国)
  5. ウェセックス伯ゴドウィン(イングランド)
  6. リチャード・ネヴィル(イングランド)

まだご覧になっていない方はこちらからどうぞ。

 

7. サイイド兄弟 兄アブドゥッラー[1666-1722] 弟フサイン[1668-1720](ムガル帝国)

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 ムガル帝国に恐怖政治を敷いた残忍な兄弟

アウラングゼーブ帝亡き後に位を継いだバハドゥール・シャー1世の死後、子どもたちによる皇位継承戦争が勃発します。

長男ジャハンダールが皇帝となるも、自堕落な生活により宮廷は荒れ人心が乱れたため、次男アズィーム・イッシャーンの子のファッルシフヤルは、反ジャハンダールの兵を挙げ、地方の有力諸侯だったサイイド・アブドゥッラーとサイイド・フセインの兄弟にも助けを求めました。
叔父との戦いに打ち勝ち皇帝となったファッルシフヤルは、労をねぎらいアブドゥッラーを宰相に、フサインを軍総司令官に任命しました。

ところが政権の中枢を握った兄弟は、皇帝の許可なく政敵を殺害したり、勝手なふるまいをするようになります。

怒ったファッルシフヤルは兄弟を首都デリーに招集しますが、兄弟は軍を集めてデリーの宮廷を攻略して皇帝ファッルシフヤルを捕え、目玉をくりぬいた上で殺害。

新たな皇帝にバハドゥール・シャー1世の三男ラフィー・ウィッシャーンの息子ラフィー・ウッダラジャートを擁立しました。

この皇帝はわずか三か月で兄弟に殺害され、次いで兄のラフィー・ウッダウラが帝位に就くも、これまた三か月後に兄弟に暗殺されてしまう

新たに皇帝となったムハンマド・シャーは、サイイド兄弟がいつ自分を殺害するか怖れ、同じくサイイド兄弟の恐怖政治に怯えていたムガル貴族に呼びかけ、反サイイド兄弟の勢力を糾合しました。
1720年、弟フサインはムガル貴族の放った刺客により暗殺され、兄アブドゥッラーは皇帝と貴族の軍によって捕らえられ、2年後に殺害されました。

 

8. カール・オットー・メルネル 1781-1868(スウェーデン)

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 ナポレオン麾下の将軍をスウェーデン国王に擁立した男

ナポレオン戦争時代、スウェーデンは老国王カール13世が王位にありましたが、国王には子がなく、王位継承者のカール・アウグストも若くして亡くなってしまいます。この危機に虎視眈々と隣国ロシアが介入の機会を伺っており、スウェーデンはいち早く次期国王を擁立する必要がありました。

ここにおいて、駐フランス・スウェーデン使者のカール・オットー・メルネルは、ナポレオン麾下の将軍で、ジャン=バティスト・ベルナドットを次期国王に推薦しました。

ベルナドットはイタリア半島の戦役で、プロイセン軍のブリャッヒャー将軍を降伏せしめた時に、随行していたスウェーデン軍に対し寛大な処置をしたことが評判になっており、スウェーデン人に「仁義に厚い将軍」として人気があったからです。

当時はまだナポレオンがヨーロッパを席巻しており、フランスとの関係強化を目指すスウェーデンは「ぜひベルナドット将軍を」とナポレオンに申し入れ、当初ナポレオンは渋りますが、最終的に同意。1810年にベルナドットは正式にスウェーデン摂政に就任。

ナポレオンの元部下であるにも関わらず、ベルナドットはナポレオンの敗色が濃くなると反旗を翻しフランスに攻め込み、ナポレオンの打倒に成功。

スウェーデン国王カール14世として、現王朝であるベルナドッテ王朝の初代となったのでした。

・ベルナドットについて詳しくはこちらの記事をご覧ください

reki.hatenablog.com

7. ウィレム・タミハナ 1805-1866(ニュージーランド)

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 マオリ統一王朝を作り和平を模索した男

1850年代、ニュージーランドでは先住民族マオリと新たに入植してきた白人が土地を巡って対立を強めていました。

マオリは地域ごとにいくつもの小部族に分かれており、これを危険視したNgati Haua iwi(iwiはマオリの部族共同体のこと)の首長ウィレム・タミハナは、Waikato iwiの首長テ・ウェロウェロを推挙し、他のiwiの首長たちを説得して、マオリ統一王朝を開くことに大きく貢献しました。

ウィレム・タミハナは、新たに設定した統一国王と、イギリス女王の間で同盟関係を結ぶことで争いを調停しようと考えており、そのためにテ・ウェロウェロの王位宣言の際に「聖書に手を置いての宣誓」を実現させました。

これには他のiwiの者たちも大きく反発。タミハナの和平への願いは虚しく、軍事強硬派のiwiの首長たちの暴走を止められず、1860年にマオリ戦争が起きるに至ります。

これに敗れたマオリは、タミハナが懸念したとおり土地を大幅に没収されてしまいました。

 

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10. ジェームス・ファーリー 1888-1976(アメリカ)

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フランクリン・ルーズベルトの選挙キャンペーン管理者

ジェームス・ファーリーはアメリカ大統領のキング・メーカーと称される男で、2回の知事選、2回の大統領選でフランクリン・ルーズベルトの選挙キャンペーンを取り仕切り、大勝利をもたらした立役者です。

ファーリーはアイルランド出身のカトリック。アイルランド系のカトリックは長年「貧しく礼儀知らずで怠惰な奴ら」というイメージを持たれ差別の対象であり、彼は初めてのアイリッシュ・カトリック出身の国会議員でした。

そういう出自もあって、カトリック・労働組合・アフリカ系・農民など貧困層への支援に積極的でした。ルーズベルトが実施したニューディール政策は、ファーリーや彼の支持層に熱狂的に支持されました。

ファーリーは事務能力も非常に有能で、1922年に共和党の政治家アルフレッド・E・スミスのニューヨーク州知事選のキャンペーンを成功させた後、1928年と1930年に同じくニューヨーク州知事選で民主党の政治家フランクリン・ルーズベルトを勝利に導き、次いで1932年の大統領選挙のキャンペーンも手掛け、投票予測のデータを用いた画期的な手法で地滑り的勝利をもたらしました。

恩に報いる形で、ルーズベルトはファーリーをニューヨーク州民主党委員会委員長、民主党全国委員会委員長を就任させています。

ファーリーは30年以上に渡りコカ・コーラ・インターナショナルの社長も務めており、戦争中にコカ・コーラを「軍需物資」として食料や弾薬と共に展開させ、世界中にコカ・コーラを広げることにも貢献しました。

 

11. ミハイル・スースロフ 1902-1982(ソ連)

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影の実力者と称されたソ連のイデオロギー担当

ミハイル・スースロフはフルシチョフ、ブレジネフ政権を影で支えたソ連政界の有力政治家。

若くして中央政界に入りスターリンの大粛清に参加。スターリンの信用を得て党中央委員会書記、次いで政治局長に任命されます。スターリン死亡後、一時中央から遠ざかりますが、フルシチョフを支持して復帰。ソ連のイデオロギー担当として軍事的な威圧で存在感を発揮する強硬な外交を展開しました。

スースロフはフルシチョフの解任とブレジネフの擁立にも裏で暗躍し、ソ連の中央政界の黒幕と恐れられました。

 

12. ドミトリー・ウスチノフ 1908-1984(ソ連)

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 「軍事大国・ソ連」を築いた功労者

ドミトリー・ウスチノフは一介の労働者から身を起こし、大祖国戦争(独ソ戦)の直前に32歳の若さでソ連軍需工業人民委員に抜擢され、兵器の大増産に成功。戦争の勝利に大きく貢献しました。

戦後に中央政界入りし武装隊大臣、ついで防衛大臣となり、ミサイルやロケット技術、核技術の開発を担当。1976年にはソ連国防相と上級大将に昇進し、ソ連邦元帥の称号を授与されました。ウスチノフはヨーロッパにおける戦術・戦術的核兵器を重視し、チェコスロバキアと東ドイツに単弾頭中距離ミサイルを配備して「核による平和」の体制を進めました。

ウスチノフはブレジネフ時代にソ連指導部の小人数会議のコアメンバーでした。これは書記長や外務大臣、KGB長官、宣伝大臣など各セクションのトップが集い国の重要事項が決定される会議で、ソ連軍のアフガニスタン侵攻もこの会議で議題となり、防衛大臣ウスチノフの賛成により介入が決まったのでした。

「キングメーカー」ミハイル・スースロフの死後、ウスチノフはクレムリンの新たなキングメーカーと称されるようになり、1982年にアンドロポフ書記長、1984年にはチェルネンコ書記長の選出に影響を与えました。

 

13. アンドレイ・グロムイコ 1909-1989(ソ連)

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Photo by ieremet, Rob / Anefo

 ゴルバチョフ政権樹立を影で支えた男

アンドレイ・グロムイコは1946年から国連安全保障理事会のソ連代表を勤めた後、1957年からフルシチョフ政権の外務大臣に就任。以降28年間に渡ってソ連外交のトップに立ち続けました。

長らく大臣の座にあったことでグロムイコの権威は増し、ブレジネフ政権の後期から中央政界のドンのような存在になっていきました。

ブレジネフ後は、アンドロポフ、チェルネンコと短期政権が二期続いたとことに危機感を感じたグロムイコは、次期トップに若く有能なゴルバチョフを強く推薦。当時の権力闘争レースでゴルバチョフはレニングラード党第一書記のグリゴリー・ロマノフに劣っていましたが、グロムイコの強いバックアップもあって書記長に就任しました。

推薦にあたっての演説でグロムイコは「諸君、この人物は笑顔はすばらしいが、鉄の歯を持っている」と語りました。

ゴルバチョフ政権でグロムイコは最高会議幹部会議長(国家元首)となり、1988年に引退するまで中央政界に睨みを効かせ続けました。

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まとめ

有能な政治家とブレーンが出会って社会を変えた例もあれば、裏で自己の都合の良いように王を操って動かす例、うまく状況に応じて立ち回って漁夫の利を得る例など様々です。

前編でも書きましたが、キングメーカーの動きを見ることで歴史の皮を一枚めくったところを見ることができますし、新たな発見があってとても面白いものです。キングメーカーだけを集めて一冊本ができるかもしれませんね。

 

 

参考サイト

"Top 10 Kingmakers Who Shaped The Course Of History" LISTVERSE

"Dmitri Ustinov (1908–84)" Global security.org