「世界を変えた」料理人たち
歴史に名が残るほどの偉業を成し遂げた有名シェフをピックアップしています。
今回は後編。前編では
- アントナン・カレーム(フランス)
- オーギュスト・エスコフィエ(フランス)
- 忽思慧(元朝)
- 刘娘子(南宋)
- ジュリア・チャイルド(アメリカ)
- ジョセフ・ファヴレ(スイス)
- チャールズ・ランフォーファー(フランス)
を紹介しました。ご覧になりたい方はこちらよりどうぞ。
それでは後編参ります。
8. バルトロメオ・スカッピ 1500-1577(イタリア)
イタリア・ルネサンス料理のカリスマシェフ
バルトロメオ・スカッピはヴァチカンにて歴代の教皇に仕えて料理を給した「教皇専属料理人」。パウルス3世、ユリウス3世、マルケルス2世、パウルス4世、ピウス4世、ピウス5世に料理を提供しました。
1570年、スカッピは後に彼の名を不動のものにする有名な料理書「Opera di Bartolomeo Scappi, mastro dell'arte del cucinare, divisa in sei libri(バルトロメオ・スカッピ作、完璧な料理法マスター集全6冊)」を出版。この本は何年にも渡って重版され、17世紀の料理のバイブル的存在となりました。
この本は6冊に分かれており、それぞれの章のトピックは以下の通り。
第1冊:料理人としての心構え、厨房用具の正しい使い方、良い食べ物を認識して保存する方法についての教師と学生の対話
第2冊:野生および養殖の鳥肉の扱い方、ソースの作り方
第3冊:魚、卵、野菜
第4冊:四季の食品リスト、また貴族と一緒に旅行するために必要なアイテム
第5冊:ペストリー、ケーキなどスイーツ
第6冊:虚弱体質の人のための料理
彼の本では典型的な「イタリア・ルネサンス料理」の一端が垣間見えて興味深いものとなっています。
例えば、中世ヨーロッパで大変好まれた甘い風味の料理、生姜、ナツメグ、シナモンなどのスパイスのたっぷり使ったソースのレシピが見られる一方で、七面鳥のような新大陸からやってきた全く新しい食材のレシピが登場していたり、ペイストリー生地のレシピ(パイ、タルト、キッシュなど)が初めて登場しています。
当時はまだフランス料理は発展前で、イタリア料理がヨーロッパでもっとも発展していました。スカッピのまとめたレシピは、中世から近代に向かう端境期にあたる時期のイタリア料理の発展を促し、イタリア料理を学んで後に花開くフランス料理の基礎的存在になっていると言えます。
8.フランソワ・マッシャロット 1660-1733(フランス)
初の「料理の辞書」を作った男
フランソワ・マッシャロットは18世紀前半を代表する著名なフランスのシェフ。
彼は「エクストラ」(officier de bouche)と呼ばれるシェフのグループの一員であり、王侯貴族が大規模な宴会をする際に任命されて腕を振るいました。彼が担当した人物はルイ14世の弟・オルレアン公フィリップ1世や息子のフィリップ2世、シャルトル公爵夫妻、ルーヴェー伯爵夫人、エストレース枢機卿など錚々たるメンバー。
マッシャロットの名を後世に残したのはその著作によってで、彼が1691年に発表した「Le cuisinier royal et bourgeois(王家とブルジョワの料理)」は料理本の傑作として18世紀半ばまで多くのフランス料理シェフのバイブルとなりました。
この本は専門家向けの本でしたが革新的だったのは、「レシピをアルファベット順に整理して掲載する」というやり方で、近現代初の「料理辞書」とでも言えるものでした。
また、この本の中で初めて「クリームブリュレ(クリームの上に焦がしたカラメルを敷いたもの)」が採用され、またチョコレートが初めてスイーツの材料の一つとして紹介されています。これだけでも後のスイーツの世界を考えると凄い進歩ですね。
9. 華屋与兵衛 1799-1858(日本)
握り寿司を発明した人物
寿司は今やアメリカの田舎のスーパーでも売ってるくらい世界中に広がり、今や日本人の手を離れて世界で独自の発展を遂げるグローバル料理"SUSHI"となりました。
一般的に寿司といわれる「握り寿司」を発明したのは江戸の料理人・華屋与兵衛と言われています。
中世では寿司といえば、鮒ずしのように米飯に魚を漬けて発酵させた「なれずし」が一般的で、このような発酵寿司は東南アジアや南部中国でも見られるため、元々の寿司の起源は日本ではなく南部中国〜東南アジアであろうと言われています。
なれずしは出来上がるまで半年以上かかるものでしたが、1750年代には「和州の釣瓶寿司」を食わせる店が江戸に進出。2〜3日重石を乗せた早寿司を売るようになりました。
しかしせっかちな江戸の人に需要に応えるにはそれだと時間がかかりすぎると考えた与兵衛は、酢飯の上にフレッシュな魚の切り身を乗せ、それを掌で握り締めて客に出しました。魚はアナゴ、鯖、こはだ、車海老といったも江戸前で取れるものが中心。天ぷらなどのファストフードがそこのけに普及していた江戸でこれが大ヒットし、握り寿司は江戸の人たちの大好物になっていたのでした。
10. 宋五嫂(南宋)
南宋の高宗が絶賛した魚のスープを作った女料理人
南宋の初代皇帝・高宗は、ある時杭州・西湖を訪れ龍船で船遊びを楽しみました。そして船上で西湖で採れた新鮮な魚を使った魚羹(魚のスープ)を食しました。これがメチャクチャ旨かった。高宗は感激して料理人を呼び出し激賞したそうです。その料理人が西湖で料理店を営む宋五嫂という女性。
宋五嫂が経営する料理店は、地元の湖で採れた大小の魚を料理して提供していましたが、この一件以来皇帝が激賞したスープを食わせる店ということで大繁盛しました。
その後、名物のスープは進化を遂げ、油に通した草魚に、酢・醤油・砂糖などの甘酢あんをかけた「西湖醋魚(草魚の甘酢あんかけ)」が完成しました。これが大ヒットし、彼女の店はその後100年間繁盛したと言われています。
ちなみに現在の西湖でも「西湖醋魚」は名物料理だそうです。
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11. アレクシス・ソーヤー 1810-1858(イギリス)
ヴィクトリア朝を代表する改革派シェフ
アレクシス・ソーヤーは1810年パリにて、雑貨屋を営む貧しい両親の元に生まれました。12歳でレストランで働き始め、10代の後半には料理長の補佐を務めるまでになりました。
1830年にルイ・フィリップによる7月王政が始まると、アレクシスはイングランドに移り王侯貴族のための料理人として働き始めます。アレクシスはリフォーム・クラブという生活の質の向上を目指す知識人サロンに加入し、そこで初めてガスを導入したキッチンを提唱。これにより火の温度調節が容易になり、大きな改革を成し遂げたとして賞賛され名声を得ました。
1846年に初の著書「The Gastronomic Regenerator」を出版。本の中で、彼は自らが設計したキッチンのテーブルを公開しています。それが「12面の不規則な面を持ち、誰もがお互いを干渉することなく調理が可能」というもの。確かに使い勝手は良さそうですね。
他には、「ソイヤーフィールドストーブ」(天気に関係なく調理が可能)というキャンプ用ストーブや「マジックストーブ」と呼ばれるストーブなど、多くの料理器具を発明しました。
アレクシスは社会活動にも熱心で、アイルランドで起きた大飢饉に大きな関心を持ち、アイルランドに渡って飢えた人々に食事を振舞ったり、著書の売り上げを貧しいアイルランド人に寄付したりしました。また、1857年にはクリミア半島を訪れ、貧弱な食事をする兵隊に心を痛め、軍隊の食事の改革を指導しました。
12. アドルフ・デュグレレ 1805-1884(フランス)
フランス料理の定番を数多く発明したシェフ
アドルフ・デュグレレは1805年にボルドーで生まれ、下積みを積んで一人前になった後にロスチャイルド家のお抱えのシェフとなりました。1848年から18年間パレ・ロワイヤルのレストラン「Les Frères Provençaux(レ・フレール・プロヴァンス)」で働いた後、1866年から老舗「Café Anglais(カフェ・アングレ)」の総料理長に就任。
ここで後のフランス料理の定番となる料理の数々を生み出していきました。
デュグレレが発明した料理で最も有名なものが、じゃがいものスライスをバターで焼き上げたポム・アンナ。
Photo by Hayford Peirce
その他、チキン料理のプレ・ド・アルブフェーラ、ハーブスープのポタージュ・ジャミニ、ソレ・デュグレレ(デュグレレ風舌平目のムニエル)などなど、数多くの定番のフランス料理を作り出しました。
デュグレレは著作を残すことはありませんでしたが、彼が食事を担当した人物はロシア皇帝アレクサンドル2世、皇帝アレクサンドル3世、プロイセン王ウィリアム1世、オットー・フォン・ビスマルクなどの錚々たる人物が名を連ねています。
13. カディル・ヌルマン 1933-2013(トルコ)
Image from "Doner kebab inventor Kadir Nurman dies" T-VINE
ドネルケバブを発明した男
今や日本の街角のあちこちで見られるようになったドネルケバブ。
世界三大料理のひとつ・トルコ料理を代表するファストフードですが、これを発明したとされる人物がトルコ系ドイツ人のカディル・ヌルマン。
ヌルマンは1934年にトルコ南部のアンタクヤで生まれ、1960年にドイツ・シュツットガルトに移住。その後1972年に西ベルリンに移住し、ドネルケバブ屋をオープンしました。通常ケバブは皿に盛ってライスと一緒に食べたり、パンや焼いた野菜と一緒にナイフとフォークで食べるのが普通ですが、ヌルマンは忙しいドイツ人にケバブをもっと手軽に食べてもらうために、サンドイッチ風にすることを思いつきました。
果たしてこれが大ヒット。彼の発明したドネルケバブは他のトルコ人も真似をするようになり、たちまちベルリンからドイツへ、ドイツから世界へと広がっていきました。
ドイツだけでドネルケバブは6万人のトルコ系住民の雇用を支え、年間35億ユーロもの売り上げをもたらしています。
ところが、ヌルマンがケバブ発明者であるという説には異論があり、1969年にネヴザト・サリムがロートリンゲンで開業したとか、1971年にメフメト・アイギュンがベルリンに開いたのが初とか複数の説があります。ただしこれらの主張は公式には認められておらず、今のところヌルマンがドネルの発明者ということになっています。
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まとめ
いろいろ調べてみましたが、名だたるシェフの大部分はフランス人でした。料理王国フランスの名は伊達ではありませんね。
今回はフランス・中国・トルコの世界3大料理を中心にまとめてみましたが、他の各国料理にも重要なシェフがたくさんいるので、今度またまとめてみたいと思います。
参考サイト
"François Massialot (1660 – 1733)" abc color
"寿司の食い方:江戸前の握り寿司と華屋与兵衛" 日本語と日本文化 壺齋閑話
"Alexis Benoit Soyer" Cook's Info
"Almanya’da döner kavgası patladı"Hürriyete