歴ログ -世界史専門ブログ-

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めちゃくちゃ小さいのに領土争いがある地区・島

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 Photo by Toubletap

なんでこんな小さな土地を巡って争うのか?

韓国が実効支配し、日本が領有を主張している竹島(韓国名:独島 トクト)は、総面積約0.2平方キロメートルのめちゃくちゃ小さい島です。

第三者からすると、なぜ韓国がこんなちっぽけな島に愛国心をたぎらせ、警備兵を常駐させ、何もないのに観光客が押し寄せているのか全く理解できないんじゃないんでしょうか。

同じように、我々から見ると争うのが馬鹿馬鹿しいほど小さいのに、国家間で領有権争いが続く地域は数多くあります。

 

1. ポイント20シルバー(シンガポール vs マレーシア)

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シンガポールの土地埋め立てにより発生した論争

マレー半島の先端にある島国シンガポールは、隣国マレーシアと狭い海峡を挟んで隣り合っています。

両国の国境はシンガポール側にある東のテコン島から西のトゥアス地区まで海域を2分して、陸路である2つの橋と、海上領域が定められています。

ところが、シンガポールが西のトゥアス地区で埋め立て工事を行なって港湾を拡張したことがきっかけで、領土紛争が発生してしまいました。

マレーシア側は「ポイント20シルバー」、シンガポール側は「シルバー」と呼ぶ地区です。

マレーシアが発行した1979年の地図では、この地域のシンガポールとマレーシアの境界は、シンガポールに向かって伸びる大陸棚の東側にあたる「ポイント20」にあると定義されています。しかし、シンガポール側の工事によって「ポイント20」の領域を超えてきてしまったのです。

 マレーシアは 2003年に国際海洋法裁判所に提訴しましたが、マレーシアの主張は特に緊急性が高いとは認められず、「両国が適切に対処すること」という事実上の「永久棚上げ」の裁定が下されました。両国はこれに同意し、和解が成立しました。

 

2. ノース・ロック(アメリカ vs カナダ)

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Photo by Jmchone

アメリカとカナダとの間に唯一残る領土問題 

ノース・ロックはアメリカ・メイン州のカトラーという町の沖に浮かぶ無人島で、草は生えておらず、パフィンやオットセイなどの生息地です。

この島は1700年代後半からずっとアメリカとカナダが領有権を争っており、現在でも解決していません。両国間に現在唯一残る領土問題です。

ノース・ロック近郊の海はロブスターがたくさん獲れるため、カナダ・ノバスコシアの漁師の漁場となっているのですが、漁師の無線をアメリカ国境警備隊も傍受しており、彼らの警備の網にひっかかる漁船も多く、時には数日拘束されてしまうこともあるそうです。

漁師が言うには、トランプが大統領になってから「アメリカの弱いものいじめ」は増えたとのこと。

今のところ特に両国で決着に向けた協議や検討は行われていないようです。

 

3. ハンス島(カナダ vs デンマーク)

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Photo by Toubletap

北西航路や海洋資源を巡る北極圏の争い

ハンス島は、デンマーク自治領グリーンランドと、カナダ北東部エルズミーア島の間にある、1.3平方キロメートルの岩だらけの小島です。

1930年代の初めからこの島はデンマークとカナダのどちらに帰属するか議論がありましたが、1933年に国際連盟の裁判所によりデンマークに帰属する判決が下りました。

 しかし1930年代後半から国際連盟は次第に求心力を失っていき、国際連合が発足して以降は当時の判決はあまり重きを置かれなくなっていったそうです。

ただし、デンマークもカナダもあまりこの島を重要視しなかったため、長年問題は放置され続けました。

しかし、地球温暖化が進みグリーンランドや北極圏の氷が溶けてくると、ハンス島があるネアズ海峡は北米とアジアを結ぶ「北西航路」として極めて重要になることが予想され、また大型の船が通れるようになると海洋資源の開発も可能になるため、一躍「カネを生む島」になってしまいました。

1984年、デンマークのグリーンランド開発大臣が島を訪れてデンマークの旗を立てました。同時に、持参したウィスキーのボトルを置き側に「デンマークへようこそ」と書き島を後にしました。

次にやってきたカナダ人はデンマークの旗の代わりにカナダ国旗を立て、ウィスキーのボトルを置き側に「カナダへようこそ」と書き残しました。

この「ウィスキー合戦」は、2022年6月14日に両国外相の間で合意がなされ、島を半分に区切ってそれぞれ半分を領有することで決着しました。

名物ウイスキー合戦は引き分けで終わったと言えるでしょうか。

 

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4. ナヴァッサ島(アメリカ vs ハイチ)

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グアノ島法によってアメリカに編入された島

ナヴァッサ島は5.4平方キロメートルの無人島。南西にハイチ、北にジャマイカ、南にはキューバがあります。

南西のハイチはフランスから1804年に独立しますが、ハイチ憲法では「近隣の無名の島々」への領有権を宣言していましたが、具体的にナヴァッサ島への領有は主張していない状態が長く続きました。

ところがこの島は鳥の糞が化石化した「グアノ」が大量にある島でした。農業用肥料としてのグアノの価値に目をつけていたアメリカは、1856年に「グアノ島法」という法律を作り、「アメリカ市民がグアノが蓄積された無人島を見つけた場合、審議なしにすぐにアメリカへの編入を認める」ことを可能にしてしまいました。

アメリカ人ピーター・ダンカンは、このグアノ島法に基づきナヴァッサ島に上陸しアメリカへの併合を宣言。当時の大統領ブキャナンはこれを追認しました。

これに気づいたハイチ政府は抗議し、1874年に遅ればせながら憲法でもナヴァッサ島の領有を明示しますが時すでに遅し。1901年にアメリカ人はすべてのグアノを採り尽くしてしまい島は放棄されましたが、現在もグアノ島法に基づきアメリカ領となっています。

 

5. シャレングラード島&ヴコヴァル島(クロアチア vs セルビア)

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Photo by slovas

セルビアが実効支配するドナウ川にある中洲の島

シャレングラード島とヴコヴァル島は、両方ともかつてユーゴスラヴィア連邦の時代はクロアチアの領土だったものの、クロアチア独立戦争中にセルビア軍に占拠され、現在でもセルビアの実効支配が続いている、ドナウ川の中洲にある島です。

シャレングラード島はもともとは存在しなかったのですが、オーストリア=ハンガリー帝国が1909年にドナウ川上流に運河を建設した事で川の水量が変化し生成されました。

面積は9平方キロメートルもあり、日本人的感覚からすると川の中洲にしてはかなり大きく感じます。

 

ヴコヴァル島はシャレングラード島のやや上流にある島で、面積は3.2平方キロメートルあります。

 クロアチア独立戦争後、セルビア軍が占領していたクロアチアの領土、東スラヴォニア、バラニャ、西シルミアはクロアチアに再統合されましたが、シャレングラード島とヴコヴァル島は返還されず、セルビア軍が駐留し続けました。

2004年にようやくセルビア軍が島から撤退するも、返還はされずセルビア警察が現在も駐在を続けています。2009年にクロアチア市民がパスポートなしでレジャー目的に限り訪問できるようになりました。

もう少し時間がたてばセルビアにより正式に返還されるのかもしれませんが、まだ具体的にスケジュールは見えていません。

 

6. プレヴラカ半島(クロアチア vs モンテネグロ)

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モンテネグロの防衛上極めて重要なクロアチアの要衝地

プレヴラカ半島は、クロアチアの観光地ドゥブロヴニクから約50キロほど南東へ下ったところにあり、面積は2.6平方キロメートル、狭いところでは横幅150メートルにすぎない小さな半島です。

ただし、この半島はコトル湾(モンテネグロ領)の出口をまるで妨害するように突き出しています。プレヴラカ半島は歴史的に、湾の奥にある商業都市コトルの防衛上極めて重要な地でした。現在でも半島の先には要塞の跡があります。

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ナポレオン戦争終了後、プレヴラカ半島はオーストリア帝国領となり、ダルマチア行政区の管轄となりました。第一次世界大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、プレヴラカ半島はセルブ・クロアート・スロヴェーン王国領となり、ドゥブロヴニク州の一部となりました。ユーゴスラヴィア王国成立後は、プレヴラカ半島はクロアチア分隊の駐留地域となり、第二次世界大戦中にイタリアとドイツに占領されるも、ティトーのパルチザンが奪還しました。

ユーゴスラヴィア連邦成立後はクロアチア人民共和国の領土となり、防衛上極めて重要なこの地は立ち入りが禁止されていました。

クロアチアがユーゴスラヴィアから脱退しクロアチア独立戦争が始まると、プレヴラカ半島はユーゴスラヴィア軍によって占領されてしまい、戦後もこの地の帰属を巡って両国の争いが続きました。伝統的にクロアチアの領土ではあるものの、ユーゴスラヴィアとしてはこの地を抑えられては防衛上極めて危険なのです。

そこで1992年に国連が仲介に入り、「国際連合プレヴラカ監視団(UNMOP)」が設立され、両国の武力衝突回避のため非武装化の維持を務めました。

2002年12月にUNMOPは活動を終了しましたが、撤退するにあたって、以前クロアチア領であった領域はクロアチアに返還され、半島からコトル湾入口のユーゴスラヴィア領ヘルツェグ・ノビに面する海上に至る500メートルのエリアは「無主地」とすることで、両国の「一時的」な合意を取り付けました。

セルビアとモンテングロは2006年に分離し、モンテネグロ共和国が成立しましたが、この一時合意はモンテネグロも遵守しています。

現在は、国際司法裁判所の法的事案を準備する委員会が設立され、両国間による恒久合意か、国際組織による介入を経た上での合意をとるか検討されています。

 

7. ストロヴィリア(イギリス vs 北キプロス)

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"Cyprus - Strovilia (Cyprus – North Cyprus – United Kingdom)" jankrogh.com

 北キプロス側が実行支配するイギリス領との検問所

キプロスは1960年にイギリスから独立しますが、ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が激しくなり、1974年にトルコ軍が介入し北部を「北キプロス・トルコ共和国」として独立宣言しました。

ギリシャ系とトルコ系の衝突を防ぐため、キプロス島全体は北と南は国連による緩衝地帯「グリーンライン」が設けられており、国境は接していません。

一方でイギリスは南部のアクロティリおよび北東部のデケリアを「海外領土」として保有し軍隊を駐屯させており、このデケリアから国連管理の長細いグリーンラインを抜けた先にあるストロヴィリアが、唯一イギリスと北キプロスが国境を面する場所になっていました。

北キプロスは停戦以来、ストロヴィリアはイギリス領として認識したのですが、2000年6月30日に突如北キプロス軍により占拠されてしまいました。村に住んでいたギリシャ系キプロス人は、国連の緩衝地帯を抜けて南へ逃げました。

イギリスは北キプロスに対しストリヴィリアの返還を要求していますが、現状はまだ北キプロスによる占領状態のままであるようです。

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まとめ

 小さな土地にも関わらず、政治的・軍事的・経済的に大きな役割を持つ土地が多いですね。

そういう意味で冒頭に挙げた竹島(韓国名:独島)は極めて特殊な係争地だなと思います。水産資源の問題はありますが、経済的・軍事的には対して大きなウェイトはなく、どちらかというと両国民の「感情」の争いになっている感があります。

この問題にカロリーを使う事自体があまり生産的でないので、国際司法裁判所の審議を仰いだ方が白黒ついていいのですが、韓国は「領土問題などない」という立場なので、審議すら受け入れることはないでしょう。

それに「領土問題などない」と言ってる割には、独島を愛国パフォーマンスの道具として使っているフシがあります。

そういうのを見るたび、「この問題は、領土問題ではないのだな」と認識させられる次第です。

 

参考サイト

" Tensions rise as US border agents stop Canadian fishermen in disputed waters off Maine" The Guardian

"2 countries have been fighting over an uninhabited island by leaving each other bottles of alcohol for over 3 decades" Business Insider

Malaysia–Singapore border - Wikipedia

Navassa Island - Wikipedia

"Prevlaka Peninsula - UNMOP - Background"peacekeeping.un.org

"Cyprus - Strovilia (Cyprus – North Cyprus – United Kingdom)" jankrogh.com