なぜか上手くいったウソみたいな軍事作戦
映画やアニメでは、強大な敵と戦うとき主人公たちは大抵とてつもなく突飛な作戦で突破しようとします。
映画「インディペンデンス・デイ」では、地上を席巻する宇宙船を撃退するために、敵の宇宙船の本丸にコンピューターウイルスを送り込むというぶっ飛んだもので、ガキながら「なんじゃそりゃ」と思ったものです。
あくまでエンターテイメントだからそれでいいんですが、実際の戦場でも子どもが考えたみたいな作戦が実行され、しかも結構うまくいった例もあります。
1. アクロバットショーで捕虜を解放する(アメリカ)
ギリギリの航空ショーで敵を引きつけて殲滅する
太平洋戦争末期、アメリカ軍は日本軍によって捕虜収容所に囚われている捕虜の解放作戦を実行しました。
当時から日本軍の捕虜に対する過酷な扱いは有名だったし、連合軍があと一歩まで日本軍を追い詰めている状況下、ヤケになった日本軍がいつ捕虜を虐殺してもおかしくないと考えたためです。作戦は慎重に行う必要がありました。下手に踏み込むと、パニックになった日本軍は捕虜を殺害しかねない。日本兵を何かで引きつけて捕虜の無事を担保しながら、一気に殲滅する必要がある。
1945年1月30日、 作戦が実行されました。
ケネス・シュライバーとボニー・ラックスの操縦する2機の航空機が、日本軍キャンプの上空をごくごく低空飛行で、しかも接触寸前になりそうなほど近づいて飛行。このアクロバットショーは20分近く続き、キャンプにいる日本兵はいつ飛行機が接触して墜落するか、目が釘付けになりました。
アクロバットショーの最中、背後から数百名のアメリカ兵とフィリピンゲリラが接近し、キャンプを完全に包囲しました。そして号令と共に完全に気を取られていた日本兵を一挙に殲滅。500名の捕虜が解放されました。
2. 石鹸とゼリーでソ連軍戦車に立ち向かう(ハンガリー)
キッチン用品だけで戦車の侵入を防いだハンガリー市民
第二次世界大戦は枢軸国軍側で参戦したハンガリーは、戦後はソ連の影響下で共産主義国となり、赤軍の駐留費の負担や戦争賠償により生活水準は低下。農民や労働者は非効率な集団農場や工場で働かされ、反ソ連の不満が高まっていました。
1956年10月23日、ハンガリー市民が蜂起し政府の関係機関を占拠。ソ連の意向に反したハンガリー独自の改革に着手し始めました。
ソ連は直ちに戦車部隊を首都ブダペストに派遣し、蜂起の弾圧に取り掛かりました。
この蜂起はハンガリー人に多大な犠牲を与えながら10日間持ちこたえました。その理由は、ハンガリー側がソ連軍戦車部隊の侵入に対抗すべく編み出した「革新的」な作戦のおかげでもありました。
ハンガリー側は多くが一般市民でありまともな武器がないため、石鹸、油、ゼリー、柔らかい布、ジャムなどありとあらゆる生活用品でソ連の戦車部隊に対抗しました。
市民たちは道路に石鹸や油などありとあらゆる「滑るもの」や、柔らかい布を敷き詰めて戦車の侵入を阻みました。戦車が布や油を避けようと徐行運転をすると、路地から子どもたちが寄ってたかって、戦車の窓をジャムで塗りたくってしまう。
結局蜂起は鎮圧されてしまったのですが、実際に子どもたちはキッチンにある代物だけで70トンの戦車の侵入を阻んでしまったのでした。
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3. 女装して酒を飲ませて敵兵を殺す(フィリピン)
フィリピン市民の奇想天外な武器強奪作戦
1898年5月に勃発した米西戦争により、アメリカ軍はフィリピンに介入しスペイン軍を駆逐。フィリピンの独立運動家アギナルドを支援して全土の解放に当たらせました。
しかし、アメリカは秘密裏にスペインと取引しフィリピンのアメリカへの併合を決定。
それを認めないフィリピン(マロロス共和国)とアメリカにより1899年2月、フィリピン・アメリカ戦争が勃発しました。戦闘は圧倒的物量を誇るアメリカがフィリピン軍を圧倒し各地を占領しました。
そんな中、サマール島のバランギガという町で、市民とゲリラが町を占領するアメリカ軍に対し蜂起を計画していました。
しかし武器がない。
そこで彼らはアメリカ人を殲滅して武器を奪うための突飛すぎる作戦を実行しました。
1901年9月28日、作戦に参加する男たちは女物の服を着て化粧をして、完璧に女装した上で、ニセの葬式を催しました。
何事だと近づくアメリカ兵。女装した男たちは、子どもが死んでしまったんです、と言いながらおいおいと泣く。教会の中には棺桶が置いてあり、実はそこにナイフが隠されていたのですが、アメリカ兵は畏れから棺桶の中身を開くことができず、女たち(女装した男の)と一緒に故人の冥福を祈ったのでした。
その夜はアメリカ兵を招いての宴が催されました。
故国から遠く離れた戦場で、美しい女たちと酒があると、どんな男たちも羽目を外すものでしょう。アメリカ兵達はすっかりいい気分になって飲んだくれてしまいました。
翌朝6時、ぐでんぐでんに酔っ払ったアメリカ兵たち。突然教会の鐘がかき鳴らされ、それを合図に男たちは一斉に女物の服を抜いでアメリカ兵に襲いかかった!
突然の出来事になすすべなく、74名のメンバーのうち54人が殺害され、18名が負傷。
市民とゲリラ部隊は武器を強奪することに成功したのでした。
この事件は「バランギガの虐殺」と言われ、アメリカ軍に衝撃を与えました。
4. 飛んでるミサイルに触って軌道を変える(イギリス軍)
航空機でミサイルに並走し羽根をぶつけて軌道を乱す
第二次世界大戦中にドイツが開発したV1ミサイルは、イギリス国民を恐怖のどん底に陥れました。
バトル・オブ・ブリテンの敗北でイギリス本土侵攻の望みは絶たれ、制空権もままならなくなったドイツは、V1ミサイルをロンドンに目がけて打ち込むことでイギリスへの腹いせに加えて、後方撹乱を目指しました。
ミサイルの発射台は枢軸国占領下フランスに設置され、ロンドンを目がけて1日100機規模の量で発射されました。精度はあまりよくなく、ロンドンに着弾したのは全体の約10%程度で、残りは見当違いなところに着弾するか、イギリス空軍によって撃墜されていました。
撃墜といっても、上空でミサイルを射撃するのはパイロットにとっても危険度が高く爆発に巻き込まれるため、「できるだけ安全な方法」でミサイルを無効化する必要がありました。
そこで実行されたのが「物理的にミサイルの軌道を変えてしまう」作戦。
まず飛んでいるミサイルを捕捉すると、急いで航空機で追いかけてミサイルと並走する。そして慎重に航空機の羽根をミサイルの下に持ってきて、ぐいと持ち上げる。
方向感覚を失ったミサイルは、地面に激突し炸裂するというものです。
この作戦は海上や畑や森林の上など、なるべく人のいない場所で行う必要がありました。
しかし、ミサイルに触って軌道を変えてしまうなど、危険極まりない作戦ですね。
5. プロペラで敵機を切り刻む(アメリカ軍)
マンガみたいな「プロペラで攻撃」を実践した男
ロバート・クリングマンは太平洋戦線でF4U戦闘機に搭乗し活躍したパイロットですが、彼を有名にしたのは伝説的な「プロペラ攻撃」でした。
ある時、日本軍の偵察機の接近を知らされ、いつものように仲間とともに出撃。ドッグファイトを繰り広げ何機かの日本軍機を迎撃。唯一生存した日本の戦闘機は高度を上げ、戦線から離脱しようとしました。クリングマンはこれを追いかけ高度を上げる。他の仲間の戦闘機はついていけず、離脱していきました。クリングマンは多くの弾を消費していたため機体が軽くなっており、軽量の日本軍機についていくことができたのです。
そして敵機の後ろ50フィートに付けたクリングマンは、トリガーを絞って撃ち落とそうとした!…しかし、高い高度を飛びすぎて銃が凍りついており、弾が発射できない!
この絶体絶命のピンチに、クリングマンは思いついた。弾がなければプロペラがあるじゃないか。
クリングマンは敵機に近づき、回転するプロペラを機体にぶつけて削り取った。2度の攻撃ではさすがにどうにもならなかったが、3回目の攻撃で敵機の舵を破壊することに成功。日本軍機はコントロールを失い、海に墜落していきました。
そして奇跡的なことに、クリングマンは破損したプロペラのまま無事に基地に着陸したのでした。
日本軍の航空機、どんだけペラペラだったんだよ…。
まとめ
戦闘において「敵を油断させる」ことは定石ではありますが、こんなマンガみたいなやり方でも本当に成功してしまうなんて驚きです。
プロペラで敵を切り刻むとか、ミサイルを触って向きを変えるとか、本当にアニメでよく見るやつですよね。
しかし、これはあくまで「比較的成功したほう」で、突飛な作戦はきっと失敗したほうが多いと思うので、やはり作戦はちゃんと真面目に堅実にしたほうがいいはずです。
参考サイト