アメプロにおける「日本」描写はどう変わったか
本ブログは世界史専門ブログと銘打っておりますが、個人的にアメリカン・プロレス(以下アメプロ)が非常に好きで、どうしてもプロレスと歴史を絡めて何かを書きたいという衝動にかられます。
その書きたい衝動にかられて、WWEのヒールレスラーに見る「アンチ・アメリカ」という記事を書いたところ、賛否含めそこそこ反応をいただきました。
この時はアメリカの現代史とアンチ・アメリカ文脈の変化という点にトピックを当てましたが、今回は「アメプロにおける日本の描写の変化」という点を見ていきたいと思います。
注意していただきたいのは、「日本人レスラーの歴史」ではなく、どう「日本」が描写されたかという観点でして、故に日本人ギミックの外人レスラーというのも登場してきます。
なんであの人を出さないんだ!事案が多数発生しような予感がしますが、あらかじめご容赦願います。
1. 「狡猾」で「脅威的」な日本(1980年代~)
日本人レスラーは1960年代からアメリカマットで活動をしており、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、 ジャンボ鶴田ら日本マット界のエース級の人物が遠征して活躍しました。
特にジャイアント馬場はババ・ザ・ジャイアントのリングネームで1961~63年の約2年の武者修行をしており、NWA世界ヘビー級王座などのベルトを巻いた後日本に帰国して全日本プロレスを立ち上げ、日本のマット界の中興の祖となりました。
1-1. 狡猾でずるい日本
1960年代当時はキャラクターを持っていたのはレスラー個人であり、特に日本人というナショナリティに何か別の意味が付加されているわけではなかったようです。
日本というナショナリティーを前面に押し出したヒールが登場としたのは1980年代。
代表格はハワイ出身の日系アメリカ人「ハリー・フジワラ」です。
ハリー・フジワラは現役時代からも塩ぶっかけや金的攻撃などを得意とし、「狡猾な日本人」のヒール役を演じ、タッグ王座を5回獲得するほどの名選手でした。
50歳で現役を引退すると、「日本出身の悪徳マネージャー」役に転向。日本出身のスモウレスラー・キャラのレスラー「ヨコズナ(ロドニー・アノアイ)」のマネージャーとして一時代を築きました。
ミスター・フジが演じていたキャラクターは、当時のアメリカ人が感じていた日本人のステレオタイプをよく表していたと思います。
パール・ハーバーを不意打ちしたように、ずるくて腹立たしい。神風特攻みたいな狂ったことをやってきて何を考えているか分からない。
そのようなイメージが、塩での目潰しや金的攻撃などの反則技だったり、リングサイドでの妨害行為という形で表現される。
当時のアメリカ人がイメージしていた曖昧な日本人の描写も、ミスター・フジを通じて描かれているのも興味深いところです。
以下の映像はどういうタイミングで放送されたか分かんないんですが、ミスター・フジがWWFオーナーのビンスとアナウンサーのロードを和室に案内してもてなす模様です。
当時のアメリカ人がイメージする「傍若無人の日本」がどのようなものだったかよく分かります。 この中では「男に従う女」が描かれており、そこにアメリカ男性の「男尊女卑」に対する羨望のような視点も垣間見えて非常に興味深いものとなっています。
ちなみに、ハワイ出身の彼は日本語が話せないので、カタコトの雰囲気日本語をしゃべっています。
和室に入室する一行。
中国と日本が入り混じったよくわからない空間。
「全ての日本の同胞と天皇陛下、そしてアメリカの客人に乾杯!」
女「マッサージしましょうか?」
フジ「ここ!ここ!なにぎゃおgふあ!バカじゃないの!」
ビンス「アメリカと日本の習慣は世界でベストだと思わんかね?」
フジ「アメリカの習慣は難しい、アメリカの女には何でもしてやらないといけないじゃないか。フンッ!日本の女は男に尽くすんだ」
お酌をこぼす女
フジ「なにがおprぐあおぷろあ!バカタレ!なにをそんな!」
1-2. 脅威的な日本
このような「太平洋戦争を起こした悪い奴ら」という古典的なイメージに加えて、1980年代は日本の経済的な脅威が高かった時代。
日本人の1人あたりの平均所得はアメリカを追い越し、日本の地価の合計はアメリカの地価の合計の4倍にもなった。マネーはアメリカにも押し寄せ、ロックフェラーセンターやコロムビア映画などアメリカ人の誇りともいうべき企業が日本企業に買収され、「カネでアメリカを買いたたく日本」への批判が高まりました。
ジャパン・バッシングのピークはこの頃です。
「狡猾な日本」という描かれ方の他に1980年代からこの「脅威的」「不気味」な日本を象徴するレスラーが登場しました。
アジアという異文化のミステリアスさ・理解しがたさと、経済的な脅威から生まれたと思われます。
モチーフは「サムライ、ニンジャ、ゲイシャ、エンペラー、スモウレスラー」か、あるいはそれがごっちゃになったようなもの。
この古典的なステレオタイプは以降も根強く残り、アメプロにおける日本描写の基本形となっていくのですが、その表現のされかたは時代背景によって異なっていくことになります。
ミステリアスな日本のキャラの初代といえば、グレート・カブキです。
カブキは歌舞伎をモチーフにしたフェイスペイントをし、鎖帷子をまとって、日本刀やヌンチャクなどで武装し「不気味なアジア人」キャラを演じました。
これはカブキ対ジミー・バリアントの試合と、試合前後の煽り映像です。
1回の勝利なぞ何の意味もない!ジミー・バリアント、お前は確かにカブキを倒した。お前は痛みを感じただろうが、カブキは痛みなぞ全く感じちゃいねえ。
カブキは喋ることがなかったためインタビューなどは大抵マネージャーが代弁していましたが、それが一層見る者に不気味さを際立たせました。
1980年代後半からカブキの息子という設定で、同じようなギミックで活躍したのが「グレート・ムタ」。
グレート・カブキと同じような忍者コスチュームをまとい、毒霧を得意とするキャラクターでWCWに登場しました。
以下の映像はムタのWCWデビュー時の映像ですが、「経済大国日本」の脅威とムタの脅威が重なって言及されているのが興味深いです。(間違えて、グレート・モトと言われてますが…)
ガリー・ハート「知ってるか、オレは昔からライジング・サンの人々をリスペクトしていたんだぜ。最も気高く、最も訓練された人々だ。(小略)今や日本円は世界1位。米ドルは2位だ。」
ミスター・マツダ「そう、日本の会社はアメリカの会社をたくさん買っています。アトランタにある60以上もの会社も、まもなく我ら日本のものになるでしょう。」
ガリー・ハート「グレート・モト。彼は多くの格闘技をマスターしている。多くの人はカンフーしか知らないだろうが。もちろんモトはカンフーもマスターしている。唯一無二の、破壊的で、危険な野郎だ。」
1990年代初頭にWWFで活躍した日本のキャラは、「追放された力士」というギミックで登場したサモア系アメリカ人レスラー「ヨコズナ」です。
ヨコズナは1993年6月にハルク・ホーガンの持つWWF世界ヘビー級王座を獲得。約10か月に渡って王座を防衛。当時の絶対王者として君臨しました。
以下の動画は1993年のサマースラム(年間4大興業の一つで夏の祭典)でレックス・ルガーと対戦した時の動画。このときヨコズナは敗れましたが、カウントアウトのため王座移動はありませんでした。
試合前になぜか君が代斉唱。
歌うのはどういう人選なのか、スズキ・キヨタカ(ジミー鈴木、現Wrestle-1北米支部長)氏。
当然会場大ブーイング。降られる星条旗。
レックス・ルガーは星条旗デザインの衣装で登場。会場の盛り上がりはマックスに。
観客を盛り上げるために、「敵国」日本の国歌を演奏してフラストレーションを高め、汚い手段を使いながら勝とうとする日本を実力で振り切り、最後は「アメリカ」が勝つ!
1990年代前半あたりからWWF(WWEの前身)の、観客をいかに熱狂させるかのストーリー作りは緻密で大胆なものになっていくのですが、その時の世論や文脈、そして愛国心に大きく訴えていくことで支持を集める戦略に大きく舵を切っていきます。
1991年から日本は「失われた10年」と称される長期の不況に陥り、日本に対する脅威の感覚が薄れるにつれ、 アメプロでも次第に日本に対する表現が変化を見せ始めます。
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2. コミカルで楽しい日本人(1990年代後半)
1990年代後半の日本人レスラーの中心といえば、TAKAみちのく、FUNAKI、ディック東郷、MEN's テイオー、ヤマグチ・サン(ウォーリー山口)で結成されたヒールグループ「カイエンタイ」です。
1997年から約2年間、ヒールグループとして活動しますがTAKAとFUNAKI以外がレイオフされ、ユニットとなったカイエンタイは、TAKAのコミカルな「口パク」のカタコトのマイクパフォーマンスが意外な人気を得て、ヒールキャラにも関わらず人気者となっていきました。
日章旗を振り回しながら登場
「ミナサンのナマエはナンデスカ?X-PAC?ジャスティン・クレディブル?ドウヤッテナマエをテニイレマシタカ?ワカリマセーン!ワタシタチはカイエンタイデース!」
「ワタシターチは、Evil(邪悪)ネ〜〜〜〜」
カイエンタイが人気キャラとなったのは、ひとえにTAKAみちのくとFUNAKIのマイクとレスリングパフォーマンスに依るところが大きかったのですが、日本人のヒールをコミカルに描き観客がそれを受け入れたのは、既に日本がアメリカの脅威ではなく好奇の対象となっていったことの証左ではないかと個人的に思います。
3. アメリカに従順な日本(2001年〜)
2001年にTAKAみちのくが負傷で長期欠場し、FUNAKIが単独で活躍するようになると、コミカルな日本人キャラは進化し「従順な日本人」キャラが登場するようになります。
当時のアメリカは911の同時多発テロの「被害国」であり、世界中の国を巻き込んで「テロとの戦い」に邁進しようとしていた時期でした。
「アメリカの正義」に賛同するか「悪の枢軸」に賛同するかを各国に迫るブッシュ大統領(当時)。アフガン戦争までは各国の同情はあったものの、イラク戦争ではフランス、ドイツ、ロシア、中国が反対に周り、アメリカの考える「国際協調」に亀裂が入った。その中で「アメリカに従う外国人」というキャラは、非常に受け入れやすかったのではないかと思います。
その一方で、「アメリカに反対する外国人」キャラは猛烈に嫌われました。
この辺りの話は前記事をご覧ください。
カイエンタイで唯一WWEに残ったFUNAKIは、その後「SMACK DOWN No.1 アナウンサー」というキャラになり、カタコトの英語で選手にインタビューをして回る役回りになります。
FUNAKIは「受け」の技術が卓越しており、対戦レスラーの良い面を引き出す側面が評価されてのポジションではあったのが前提ではあったのですが。
この場面では、オーナーのマクマホン氏にFUNAKIがペコペコしてコーヒーを注いであげる様子が描かれています。
FUNAKI「ボク、今からMr.アメリカ(ハルク・ホーガン)を見に行くんです!彼がこれからリングに上がるから!」
ビンス「ハッハッハー!お前はMr.アメリカを見に行くのか〜〜!……NO!あいつはMr.アメリカじゃねえし、奴は今日リングには上がらねえぞ。おら、コーヒーを注げよ」
ビンス「ボタンを押すんだ、押す!押すんだよ!ホラ!」
ビンス「オラ、混ぜるんだよ、混ぜろ!」
ビンス「ようし、ありがとう。これからモニター見ているよ」
FUNAKIは生意気なキャラというよりは、いじめられっ子の日本人的な扱いが増えていきます。この動画では、SMACH DOWNのGMになり独裁政権を築いたカート・アングルが、アナウンサーのFUNAKIをいじめる様子が描かれています。
カート「お前はNo.1アナウンサーじゃねえ。単なる報道野郎だ。オラ、報道野郎と言ってみろ」
カート「お前は私のSMACK DOWNを汚した。お前はクビだ!」
2000年初頭に活躍した日本人レスラーで忘れてはいけないのがTAJIRI。
過激なレスリングで人気を博したECWで活躍した後に、2001年にWWFに移籍。当初はウィリアム・リーガル(現NXT・GM)のお茶汲み役というキャラでした。
英語で話されても必ず日本語で答えるコミカルな役ですが、言葉を選ばないで言うと「保護してあげないといけない劣ったアジア人」に映ります。
TAJIRIはその後、ベビーターンしてトリー・ウィルソンの彼氏役に抜擢(?)されメイストーリーに関わるほどの人気となり、一時はヒールターンもしましたが、多くの期間でベビーとして活動しエディ・ゲレロやライノ、ウィリアム・リーガルなどとタッグを組み活動しました。
1980年~1990年代初頭とは一転して、しゃべれるし怖くないしフレンドリーなキャラになっていますが、ある種「劣った」「弱い」存在であり、家父長的な発想でアメリカが守ってやらねばならないというニュアンスがあったように思います。
この描写が変化したのが鈴木健三の登場からです。
4. 主張し始める日本(2004年〜)
2004年に登場した鈴木健三は、アメリカに復讐を誓う「日本の天皇」というキャラで登場しました。
2004年にはイラク戦争も地上戦はほぼ終結しましたが、国際世論だけでなく国内でも戦争の賛成派と反対派に二分され、ブッシュが二期目の選挙で再選し、911であれだけ結束したアメリカが分裂し始めていた時期です。
このようなタイミングで登場する強烈な反米キャラは、愛国者にとっては「アメリカを憎む大悪人」であり大ブーイングを浴びたし、アメリカの愛国主義に飽き飽きしていた者にとっては密かに応援する対象となる。
どっちも囲い込めて、WWEにとってはビジネスになるわけです。
なお、当初は「ヒロヒト」という名前で「太平洋戦争の復讐を果たすためにやってきた」というキャラが与えられようとしていましたが、健三の妻・浩子が首脳陣に反対したことで変更されたことは非常に有名な話。
ニコニコ動画に幻の「ヒロヒト」キャラの動画がありましたが、これは激ヤバです。
健三は同じく反米キャラだったフランス人レスラー、レネ・デュプリ(本当はフランス系カナダ人)とタッグでベルトをとったり活躍しましたが、反米から親米路線に変わってコミカル路線になった後、翌年解雇されてしまいました。
少し飛んで2012年に登場してきた日本キャラは、「東日本大震災」をモチーフにしたキャラ。
2000年代初頭にアルバートやAトレインの名前で活躍したマシュー・ブルームは、全日本プロレスや新日本プロレスで活動した後に「ロード・テンサイ」というリングネームでWWEに復帰。
テンサイとは「天災」で、アメリカにも衝撃を与えた東日本大震災の破壊的な惨事と、彼の破壊的なパワーが重ねられたキャラクターでした。本当は器用な技巧派のレスラーなんですが。
ワタシハ、ロード・テンサイデス。WWE、オオキイネ、アラシキテ、ダレモ、ソレヲ、トメルコトハ、デキナーイ!
ロード・テンサイの登場ビデオは、鈴木健三の「天皇」キャラ、高貴で位が高い身分という共通性の設定です。
控え者ども!頭が高い!静まれ、下々の者!
控え、静まれ。お前たちが、簡単にお会いできるような人ではない!
映像に映っているのは中国っぽい衣装とか、ドラゴンの置物とか、ヌンチャク(?)とか、1980年代から続くステレオタイプなイメージの焼き直しなのですが、昔と比べてはるかに洗練されたイメージになっています。
映像表現や装置・小道具の発展もあるのでしょうが、かつて描かれた「無礼で未開」な印象とは打って変わって、反米キャラでも秩序だった美的な世界を表現しています。
そして今のWWEに登場するレスラーは、ミステリアスな東洋の世界を演出しつつも、COOLで強いイメージを打ち出しています。
5. 強くてCOOLな日本(2015年〜)
2015年にNXTに登場したASUKAは、圧倒的な強さで2016年現在NXT DIVAの絶対王者。 登場時には能面を被り、着物を羽織り、鬼のパンツのコスチュームで戦います。
かーなりカッコいいです。
2016年現在、WWEにはKENTAや飯伏幸太など日本の若手有望選手がこぞって参戦しており、日本人レスラーの層はかなり厚いです。
その中でもアメリカ人に熱狂的な人気を受けているのが中邑真輔。
登場時の大歓声はちょっと驚くほどです。
中邑真輔はもともとアメリカのプロレスファンには有名だったし、独特のキャラクターもあるし、それにもちろん強いから、人気者になる土壌は整っていたわけですが、ここまで圧倒的な支持を受けるベビーフェイスの日本人レスラーはたぶん初めてじゃないかと思います。
「強くてCOOLな日本」という表現のされ方は、日本の国際的なイメージ向上と文化力がアメリカでも浸透してきたからだと思いますが、一方で日本とアメリカの「良好な関係」、政治・経済・軍事的に互いに依存しあう関係にあるからだとも思います。裏を返せば、2000年代初頭に描かれた「従順な日本」の延長線にあるとも言えます。
まとめ
かなり雑ですが、1980年代から現代までのWWEの「日本描写」をまとめてみました。
時代背景だけでなく、レスラーの個人的な性格や、ギミック上の役割配分、WWEのビジネス状況、さらには日本マット界の状況など複合的な要因があるので、こんなに単純ではないのは承知でございます。
プロレスはエンターテイメント・ビジネスですから、観客が興奮して、熱狂して、スッキリするものを提供します。なのでそこに描かるストーリーやキャラクターを見ると、その時の「アメリカ人の見たいもの」と「思考レベル」が見えてきます。
1980年代~1990年代初頭は、日本は憎たらしくて怖い存在で、それはアメリカ人がやっつけるべきだった。その背景には日米貿易摩擦や、日本による経済侵略があり、もっと言うと太平洋戦争の記憶があった。
1990年代後半から、日本は不況に陥り怖い存在ではなくなり、逆にアメリカが守ってやるべき存在になった。冷戦も終結し世界で唯一の覇権国となったアメリカは、「世界を守ってやる存在」にもなっていた。
2003年のイラク戦争終結辺りからだんだんその自信も揺らぎ始め、今やアメリカは中東から撤退し多極化を容認する流れになりつつあり、友好国にそれまでの機能の役割の一部を担わせたいと思い始めている。
日本を自信に満ちた強い国として描くのも、その思いの発露と見るのは考えすぎでしょうか。
これを書いている現時点で、次のアメリカ大統領はヒラリーになるのかトランプになるのか分かりませんが、どちらが大統領になるにせよ今後アメリカは内向き化に向かい、古き良き民主党的「保守化」に向かう可能性が高いと考えられます。
そういうアメリカ社会の変化をWWEのストーリーは鋭く描き出していくし、その際の日本人の描かれ方も、また今とは違ったものになっていくのではないかと思います。